【Ep15 聖なる魔女と潔白の少女】15-1 聖女の付き人
いつもの小さな聖堂が、いつもよりもずっと神聖な空気に包まれる。目を凝らせばそこらじゅうに神聖魔法の痕跡。神の言葉だけでなく、魔法陣も使って頑丈に何重にもかけられたそれは魔を拒絶する結界。
その中で無事でいられるのは、魔とは関係のない人間だけ。
「大丈夫ですか……?」
ルルベットが心配そうに私の顔を覗き込む。彼女がそうしたのは、聖堂内の椅子に座る私の顔色が悪いせいだろう。
「なんとかね。私よりエイダの方が酷いんじゃない?」
吐き気を堪えながら視線を動かせば、床に突っ伏して動かなくなっているエイダが目に入った。
「……お前今までこれに堪えて生活してたワケ?」
エイダが気怠げに顔を上げる。初めて見るくらいにげっそりとしているのは怪我のせいではないだろう。応急処置をしたキーランは重症だけど問題ないと言っていたし、そんな怪我で今にも気絶しそうな顔をするほどエイダはやわじゃない。
「普段はここまでじゃないよ。大聖堂でももう少しマシ……あそこよりもここの方が今は退魔の力が強いから」
「――だがこの結界はお前がかけたものだろう?」
のろのろと会話する私達に、キーランが怪訝そうに問いかける。彼の言うとおり、この結界は私が神聖魔法を使って張ったもの。けれど術者である私にまでこんなにも毒になっているのは、そこに私以外の力が含まれているからだ。
「ほとんどルルベットの魔力を使ってるからね。思った以上に魔力量が多かったから張り切っちゃったけど……もう少し弱くても良かったかな」
「そしたらサリクスが入ってこれるんじゃねェの?」
「……もう少し強くしとく?」
「……あいつが来る前に俺が死ぬ」
この結界は外からの魔の侵入を防ぐものだから内部にかかる力はそれほどでもないはずなのに、何重にも重ねたせいで私達魔女を酷く苦しめてくる。でも、ここまでしないとサリの侵入を防げるとは思えなかった。それどころか今も大丈夫なのか確信が持てない。
だってサリは、大聖堂の中にだって入ることができる。確かに私が招いているとはいっても、あそこの結界は私だけが張ったものじゃない。だから私一人の許可では実質許可なんてないようなものなのに、それでも必要があれば彼はできるのだ。いくら今この場の退魔の力が大聖堂を上回っていると言っても、彼の限界を知らないせいで安心することはできない。
「でも不思議ですね。私自身は魔法を使えないのに、私の魔力で神聖魔法が使えるだなんて……シエルさんが扱うから光の精霊も受け入れてくれたんですか?」
「まさか。そもそもルルベットの魔力が光の精霊好みなんだよ」
「そうなんですか!?」
ルルベットが目を輝かせる。魔力を知覚できない彼女にとって、魔法とは縁のなかったものだ。でもルルベット本人は魔法の仕組み自体には強い興味を持っている。だから自分の魔力のことを知った彼女が興奮するのも無理はない。
嬉しそうに本来有り得たであろう使い道に思いを馳せるルルベットに私が思わず頬を緩ませていると、キーランが「アルコリアガはこんな体質じゃなければ聖職者だったということか」と神妙に呟いた。
「それどころか多分聖女になってたはずだよ。ルルベットの魂と魔力は聖女の条件を満たしてる」
聖女とは神の加護を得た者のこと。でもその加護を得られるのはルイーズの教会にいて、かつ年に一度のお祈りへの参加が許された聖職者だけ。そしてその選定基準に魂の白さは含まれていないから、多分としか言えないのだけど。
「そんなに明確な条件があるのか? 教会側が示しているのは聖職者としての実績と神聖魔法の実力だけだったはずだが……」
「それは人間が決めた条件でしょ? 実際のところは魔力の質だけじゃなくて、魂の白さが重要なの。まあ、魂なんて人間は感知できないからしょうがないけど」
「……お前の魂が白いのか?」
そう問うてくるキーランはとても渋い顔をしていた。当たり前だ、彼は魔女としての私を知っているのだから。だから私は彼に苦笑を返すと、「まさか」と肩を竦めた。
「私は魂を偽装したの。加護のお祈りへの参加が認められたのは実力だけどね」
「……そんなことまでできるのか」
深い溜息と共にそう零したキーランは、頭が痛そうに眉間に指を当てた。「なんでもありだな……」、その声からは疲れがはっきりと伝わってくる。けれど彼はすぐに気を取り直すように深呼吸をすると、私達三人に目を向けた。
「そろそろ本題に入ろうか。聖女が人払いしているからここには誰も近付かないだろうが、状況は変わっていく。それに魔女の二人は長時間ここでじっとしているのも辛いんだろう?」
キーランの言葉に返事をしたのはルルベットだけだった。私は目が合った時に軽く頷いただけで、エイダの方からは呻き声だけしか聞こえなかったからだ。もしかしたら返事をしようとして声が出なかったのかもしれないとは思うけれど、そんな状況なら問い直すのも酷だろうと思ったのか、キーランは何も言わなかった。
「レッドブロックでも言ったとおり状況を整理したい。過去のお前の身に起こったことの責を負うべきは誰か、この国の人間としてはっきりとさせたい。そのために必要なのはシェルビーが実際に経験した出来事と、サリクスがシェルビーに言って聞かせたこと、それから俺の調べた情報――それら三つのすり合わせだ。だからシェルビーには、過去のことを思い出してもらいたい。……お前にとっては嫌な記憶かもしれないが」
キーランが小さく付け加えたのは、私の記憶を見せられたローウェンの姿を見たからだろうか。大の男があんなふうになってしまうほどの苦痛の記憶――そこに至るまでのことを思い出せと言うことに、多少は罪悪感があるのかもしれない。
キーランは真剣な顔のまま私を見つめると、すうと息を吸い込んだ。
「初めてお前が自分に罪を着せられたと気付いたのはいつだ?」
当然そこからだろうな、と意外には思わなかった。何せ既に私の記憶とキーランの調べた情報がずれているのだ。
私は古い記憶を辿ると、ゆっくりと口を開いた。
「……はっきりと疑いが向けられたのは、十七歳になって少し経った頃。確か、夏前だったと思う。夏の間の節水についての告知案をまとめている時だったから」
あの頃の記憶は少し曖昧だ。牢に入れられていた間は幻覚を見るほど精神的に参っていたし、聴取では強い口調であれこれ決めつけられていたから、どこまでが本当の記憶なのか未だに確信が持てない。
だから、日付を言うのはやめておいた。だってそれは後から刷り込まれたものかもしれないから、今この場で口にすると混乱を生むかもしれない。
「連行された時か」
キーランがそう尋ねてきたのは、恐らく私の意図が分かったからだろう。極力私が自分の体験だと自信を持って言えることだけを聞こうとしてくれているのだ。……善意からの行動かは分からないけれど。
「そうだよ。ある日突然、スターフィールドの屋敷に騎士団が現れたの。魔女の疑いがあったからかな、教会騎士団も混ざってたから凄い大所帯で」
「記録と相違ないな。イグルの記憶もそこは間違いない……だが、〝はっきりと〟と言ったな? それ以前から予兆があったのか?」
「それは……その、二週間くらい前に。教会で。ルイーズで起こっている事件について話していた時、私が中層をうろついているって聖女トリスアラナが言ったから……その時に」
『そういえばシェルビー様も中層によく行かれていますよね? 美しい銀髪の女性を何度かお見かけしたことがあるんです。あれはシェルビー様でしょう?』
脳裏にあの声が蘇る。少し前に思い出してからというもの、本当に忘れていたのかと不思議に思うくらいこの声は私の耳の奥にこびりついて離れない。
この発言がなければ違ったのかもしれないと、無意識のうちに考えてしまうからだろうか。そんなことはないと分かっているのに。私に罪を着せるならば、この時にはもうトリスアラナの発言がなくても関係がないくらい、事が進んでいたのだろうと分かるのに。
それなのに。
『――国が祖母を娶ろうと計画し始めた時期は、少なくともお前に疑いの目が向けられた後だ』
キーランからもたらされた情報が、私に馬鹿なことを考えるのをやめさせてくれない。
思い出して黙り込んだ私に、キーランが小さく「祖母か……」と呟く。その声にはうんざりした気持ちが宿っていて、キーランにとってトリスアラナというのはそれだけ面倒な存在なのだろうと感じた。
「さっきも言ってたけど、お前の婆ちゃんと昔のシェルビーを取っ替えようとしたのはその後なのか?」
怠そうにエイダがキーランに問いかける。少し前まで床に突っ伏していたのに、いつの間にか椅子にもたれるようにして座っていた。
「ああ、そのとおりだ」
「信用できるのか? 聖女欲しさにこいつに罪を着せたなら普通逆だろ。それにお前の婆ちゃんが余計なことを言ったから、シェルビーが疑われ始めたんだとしたら……だったらそう言えって誰かに言われてたのかもしれない」
「確かにそうだが……それだと記録とは合わないんだ」
エイダに頷いたキーランは難しそうに眉根を寄せた。
エイダが今言ったことは正しい。というか、私もその可能性が高いと思っている。トリスアラナは聖女だから全くの天然発言ということもあるかもしれないけれど、他人を疑わない聖女の性格を誰かに利用されたと考えた方が納得がいく。
私を陥れるための下準備がある程度進み、あとは目撃情報だけとなった時。その時、〝そこらへんの誰か〟の言葉より、聖女の言葉の方が周りに対して影響力を持つ。貴族の言葉にも影響力があるけれど、打算があるかもしれないと疑う人は多いのだ。
でも聖女には誰もそんな疑いは抱かない。だからうまく聖女が中層で私を目撃するように仕向け、更にそのことを大勢がいる前で言及するように話の流れを作れれば、自然と聖女は自分の見たことを口に出すだろう。
誰かにそのことを話せと言われておらずとも、聖女の行動なんて簡単に操ることができる。
『もしかしてお忍びでしたか? すみません、私ったら気付かなくて。そういえば人目を忍ぶようにされていたかも……』
ああでも、その人物はトリスアラナに接触くらいはしていたのかもしれない。彼女の良心を利用して、〝人は誰かに行動を見られたくない時もある〟と、完全にその人を案ずるような内容で触れておけば、聖女がこうして余計なことを口走るようにも誘導できたかもしれない。
そう考えると、やっぱりキーランの調べた情報は信じることができない気がした。彼なりに虚偽であるという前提で複数の情報と掛け合わせてその信憑性を確かめたのだろうけど、当時の記録がまるごといじられていたらそれも意味がない。そのせいか、私の口からは「この国の記録なんて当てにならないでしょ」と吐き捨てるような声が出ていった。
「それにトリスアラナに従者がついていたのは私も見てる。いくら聖女でもそんなものはつかないから、どうせ国が寄越したものじゃないの? あの頃はまだ自分があんな目に遭うなんて思ってもみなかったから、従者がいたのは少なくともトリスアラナが人前で変なことを言う前だよ」
私が言えば、キーランは「従者?」と怪訝な顔をした。
「ついていたでしょ? 多分、結構良い家の。金髪で綺麗な男の人だったし、服装だってかなり上等なものだった。私が知らなかったってことは、多分家督を継ぐ予定のない人だったんだと思う。軍とかに所属していれば、あまり社交界にも顔を出さないだろうし」
当時の私はスターフィールド公爵家の娘で、皇太子の婚約者。皇太子にはそう簡単には会えないから、私と繋がりを持とうとする人は多かった。そういう人達はみんな、自分か、自分の後継者を私に紹介した。あまり大勢だと一人ひとりの印象が薄まってしまうし、私に迷惑だと思われたら元も子もないからだろう。
キーランも当時の私の状況が想像できたのか、この顔の広さを否定することはなかった。でも納得はいかないらしい。
「そんな話は聞いたことがないけどな……」
「記録に残してないだけじゃなくて?」
「聖女に従者をつけたと隠すメリットが? 聖女は尊い存在なんだ、別に皇族の婚約者でなくとも、例えば身の回りに危険があるというだけで護衛はつけられる。護衛がついていると見せたくないなら従者に見せかけるかもしれないが、だとしても記録には残して問題ないはずだ。むしろこの国と教会の関係性を考えれば、教会とのやり取りの証拠として残しておかなければおかしい」
「不都合があったんじゃないの?」
私の問いにキーランは深く息を吐いた。「調べないと分からないな」、緩慢な動きで首を振り、思案するように口元に指を当てる。
「教会側の記録なら国の諜報部でもそうそう手を出せないはずだから、大聖堂の資料庫あたりで探せるかもしれないが……ここから出ても平気か?」
険しい顔でキーランが問いかける。ここにはサリを避けるために来たのだ、出ていいか分からないのは当然だろう。
「私は無理だけど……サリが私以外に興味なかったら、キーラン達は出ても大丈夫だと思う」
「無理だろ。お前を誘き出すのにこいつらは使えるし、お気楽女はお前の傍から離さない方がいい」
横からエイダが厳しい声で言う。「そうだけど……」、頷くことしかできなかったのは彼の言うことが正しいからだ。
「でも、そうしたら……」
「俺が行くしかねェだろ。サリクスは俺には直接手を出せないから、他の奴よりよっぽど安全だしな。それに一旦ここ出てェし」
「サリが手を出せなくてもやりようはあるよ。……例えば、エイダが魔女だって教会関係者に漏らすとか」
「よゆー。相手が人間ならどうにでもなる」
エイダがニッと笑う。その笑みは私に安心感を与えてくれたけれど、実は問題はそこじゃない。
「……エイダ、こういう調べ物できるの?」
これだ。先日の首無し死骸事件の時だって、エイダはすぐに調査に飽きていた。今回はそれよりもずっと面倒そうなのに、エイダが飽きずにできるかは不安でしかない。
「……それっぽいの全部盗んでくる」
気まずそうにそう答えたエイダからは、さっきまでの頼り甲斐が微塵も感じられなかった。




