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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第一章 そして魔女は聖女になった
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【Ep2 聖なる魔女と少年冒険者】2-5 孤立の獣

 飛んだ先にいたのは大きなイノシシのような生き物だった。私の身長を超えたところに真っ赤な鼻、遠目に見た身体は黒。背中には特徴的な白い一本線があった。

 模様といい、この大きさといい、これ絶対イノシシじゃないな。


「……ブランバックボアだっけ。なんでこんなところにいるの」


 元々予想していたブランボアと名前は似ているけれど、この二種は全く違う。ブランボアは魔法を使うこと以外はイノシシ寄りの性質なのに、ちょっと名前に特徴が追加されただけでこのブランバックボアは危険度が一気に上がる。

 体の大きさだってイノシシとそう変わらないブランボアとは比較にならないし、魔法だってバンバン使ってくる。誰だ名前付けた奴、もう少し名で体を表しといてよ。


「代わりにやってやろうか?」

「まさか! 言っとくけど前より今の身体の方が運動神経良いんだからね。多少魔力が減っても動きでカバァアアァァアアアアア!?」


 ちょっと待って、今喋ってたじゃん。なのになんで突進してくるんだこの獣。サリなんか呑気に「不細工な悲鳴だな」だなんて言ってるし。


「ちょっ……待っ……馬鹿!!」


 最初の突進を避けた後も、敵は何度も繰り返し私を轢き殺そうとしてきていた。ただ突っ込まれるだけならまだいい。けれど相手は私に避けられてから姿勢を直すまでの間に魔法で土を礫にしてこちらに放ってきていて、それが突進を避けたばかりの体勢からでは非常に避けづらい。

 私が使えるのは簡単な護身術だ。あとは軽い喧嘩。護身術は前世の頃に習ったものだけど、てんで才能のなかった前の身体よりもよっぽど上手に動ける自信がある。あるのだけれど、流石にこうバンバンと絶え間なく攻撃されては教会に引きこもってきた私の体力が持たない。


「ッもう! 《動くな土》!!」


 ぴたり、ブランバックボアの礫攻撃が止まる。蹴られて舞っていた土でさえ空中で動きを止めて、傍から見るとここだけ時間が止まってしまったかのようだった。


「土魔法が自分の専売特許だと思わないでよ! 《全部まとめて返してやる》!」


 右手を天に突き上げ、その手を思い切りブランバックボアの方へと振り下ろす。同時に宙で止まっていた土礫が一斉に黒い巨体へと向かう。

 何発もの土礫が厚い毛皮に突き刺さる。ブランバックボアはけたたましい悲鳴を上げながら、しかしドンッと力強く地面を踏み締めた。……あれ、倒れないの?


「なんで……?」

「そんな下手な散弾銃みたいな攻撃でこの巨体が死ぬわけないだろう、馬鹿め」

「馬鹿!?」

「馬鹿だろ。しかも無意識だろうが使う魔力だって減らしてるぞ。それじゃあ尚更死ぬわけがない」


 サリに言われて、自分が魔力を節約しようとしていたことに気が付いた。確かにこれでは彼の言うとおり下手な散弾銃だ。狙いから逸れた細かい散弾だけがなんとか当たったのと同じような状態。

 前世ではこういう攻撃でも魔力の多さでゴリ押しできた。だからあまり考えて戦わなくても良かったけれど、今はそれができないのだから頭を使わなければならない。……これじゃあ本当に馬鹿じゃないか、私。


「んもう! なんか腹立つ!」


 私が声を上げると同時にブランバックボアが動き出す。さっきと同じ攻撃ばかりで慣れてきたけれど、それでも私は体力に難があるからあまり長くは避け続けられない。


 思い出せ、ブランバックボアは何を嫌う――遠い記憶に問いかける。

 鎧のように厚い毛皮に物理攻撃はろくに通らない。だから仕掛けるべきは罠。あまり知能は高くないけれど、野生ゆえの勘の良さはそれを補えるから適当なのは駄目。

 探索のため広範囲に魔法を使ったせいで残りの魔力は僅かだ。だから確実に仕留められて、魔力消費を抑える罠でなくてはならない。

 だってここで魔力切れを起こせば強制的にこいつの相手はサリにチェンジ。契約主を守らなければならないサリは私を決して見捨てないけれど、そのために一撃でこいつを殲滅できる魔法を使うだろう。


 それは困る。めちゃくちゃ困る。


「……あ、そうだった」


 ぽん、と記憶が蘇る。前世では政務のため魔獣の生態もある程度勉強していた。その頃に読んだ資料に、確か広く使われるブランバックボア対策があったはずだ。


 避けていた足を止める。私を通り過ぎたブランバックボアが、こちらに方向転換する。後ろ足で数回地面を蹴り込んで、こちらに向かって走り出す。


 轟音、振動、迫る巨体――だけど私は動かない。避けたい気持ちを我慢して、意識を相手に集中させた。


「《影よ、そこから動くな》」


 前方に魔力を放つ。足から土を伝った魔力は細く真っ直ぐ伸びて、ブランバックボアの影と一瞬にして溶け合った。


 ミシッ……――嫌な音が響く。ブランバックボアの身体から出た音だ。直後に私の鼓膜を貫いたのは悲鳴。痛みと混乱から出たそれは、さっきの悲鳴が比にならないくらいの大きさで森の木々を揺らす。


 でも、それだけだ。騒音以外はもう何も起こらない。だって相手はそこから動くことすらできない。


「ふふ、どれだけ力があっても影を支配されちゃ動けないよねぇ」


 あ、今私悪い笑顔してる。でも駄目、うまくいったせいでにやにやが止まらない。


 私が操ったのはブランバックボアの影。影の足をその場に縫い付けたせいで、影を作る巨体の足元もまたそこに固定されたのだ。

 だけど足元が固定されたところでそれまでの突進の勢いは死なない。私が影を縫い付けた直後、大きな胴体だけが前につんのめった。本来ならそのままバランスを崩すして倒れるはずが、固まった足元がそれを支えてそこから離さない。倒れることで逃されるはずの勢いは巨体の四肢関節に全て集まり、ブランバックボアに痛みを与え悲鳴を上げさせたのだ。


「全身縫い付けてやればもっと魔力が食えたのに」

「保険だよ、保険。足だけの方が省エネでしょ?」


 影を支配されたブランバックボアはもう自分の意思では動けない。今回は足部分しか操っていないけれどそれで十分。思い出した資料によると、この魔獣は蹴り上げた土しか操ることができないからこれでもう魔法は使えない。知能も低いから打開策を考えることもできない。


 ちなみに正式な対策でも影で罠を張る。影を使うのは先述した理由とは別に、ブランバックボアが暗闇の精霊を恐れているという説があるからだ。この暗闇の精霊は、影を扱える闇魔法を使う時に力を借りる存在。暗闇とか闇魔法とか言っても別に禍々しい存在でもなんでもなくて、単に分類分けでこの名前がついているだけだ。

 ブランバックボアに限らず、あまり知能の高くない魔獣は暗闇の精霊を恐れる傾向があるらしい。理由はよく分かっていないけれど、目に見える事象とは嫌いのことなる暗闇の力が理解できないのだろう。

 とはいえ私はサリに力を借りているので、暗闇の精霊とか全く関係ないのだけれど。


「さて、では失礼してっと」


 魔力を溜めた手をすっと振り下ろせば、ブランバックボアの首がぼとりと落ちた。魔法陣も呪文も使わなかったけれど今のも魔法だ。前世で何度も何度も繰り返したから、魔力の溜め方だけでサリが理解して応えてくれている。


 生き物の命を奪うことには抵抗はあるけれど、三十年の一人暮らしで嫌でも慣れた。狩りをしなければ肉が食べられないし、人間である私に襲いかかってくる生き物もいた。何より上質なマナクリスタルを手に入れるために、たくさんの命を奪ってきた。

 本当はサリに魂を食べてもらえば自分の手を汚さずとも命を奪えるのだけれど、それをしたのは勇気のでなかった最初だけ。命を奪うことの意味を少しだけ理解してからは、自分の都合でそうしなければならない時はこの手で成し遂げることに決めたのだ。


 命を失った巨体は、影を縫い付けられているせいでまだ倒れることはない。

 私は硬い毛皮をゆっくりと撫でながら、その下を探るように魔力を巡らせた。首から背中、背中から腰へ。腰まで行ったら今度は下側。毛の流れに逆らうようにお腹に手を当てた時、求めていた反応が返ってきて思わずサリの方へと振り返った。


「マナクリスタルあったぁ!」

「良かったな」


 影の魔法を解いて巨体を倒し、持ってきていた短剣で腹部をさばく。流石に短い刃は苦しめずに命を奪うことには向かないからさっきは使わなかったけれど、既に事切れた死骸であれば話は別だ。後で素材として売るから丁寧に刃を動かしていけば、私の手のひら半分くらいのサイズのマナクリスタルが姿を現した。


「うーん……やっぱ純度はそれほど高くないかな」


 取り出したマナクリスタルを月光に透かすも、その濁りはそれほど魔力を溜め込んでいないことを表していた。マナクリスタルの大きさはそれを持っていた肉体の大きさに左右されることが多いのだけど、質と大きさは比例しない。どれだけたくさんの魔力が通ったかで質が上がっていくため、大きなマナクリスタルほど質を高めるためにはより多くの魔力が必要となる。

 ブランバックボアは魔法をバンバン使っていたけれど、あの攻撃に必要な魔力はそれほど多くはない。だからこの大きさのマナクリスタルの純度を高めるほどの魔力は流れなかったようで、このままじゃ素材としても価値は低い。と言ってもマナクリスタルであるという時点でそこそこの値はつくのだけど。


「そんなガラクタじゃ利子は払えんぞ」

「分かってる分かってる。ちゃんと純度高めるよ」


 肉体から取り出されたマナクリスタルでも、魔力を流してあげれば純度は上がる。とはいえそれに必要な魔力は膨大だから通常はそんなことしないのだけど、今回の目的を考えれば仕方がない。


「エイダにでも持たせとこうかなー。あの子無駄な魔力の放出多いから持ってもらうだけでも純度上がると思うんだよね」

「あいつに? それで精製されたマナクリスタルなんて食ったら馬鹿が移りそうだな」

「あんま関係ないでしょ」


 頭の中に赤髪の少年の姿を思い浮かべる。最後に会ったのは確か五年前だから、今頃立派な大人だろう。とはいえ面倒臭いクソガキだから魅力的な男性とは程遠い姿になっていそうだ。


「とりあえず……イノシシ達の行動の原因はこれだろうね。こんな大きくて凶暴なのがいたらここには住めないもの」


 近くに他の個体がいないのは、元々この魔獣が単独行動をするからだろう。気性が荒すぎて繁殖期以外では同種と共存できないのだ。


「問題はなんでこんなとこにいたかだよね。本来の生息地じゃないはずなのに……」

「シェルビー」

「分かってるよ。これ以上は流石に首を突っ込まない」


 今日のところはね。という言葉は飲み込んで、私は後片付けを始めた。

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