【Ep14 聖なる魔女と復讐の鐘】14-5 命の天秤
足りない。足りない足りない足りない。私の味わった痛みは、苦しみは、たった数分間の苦痛に喘いだだけの男の姿を見ても癒えやしない。
一年でも十年でも、きっと足りない。
「ああでも、正直あなたが息をしてるのももう我慢できないんですよね。だからそういう記憶だけまずは植え付けてみましょうか。数十年分が一日で済むなんてお得でしょう? それで少しはしおらしくなったなら今言った続きをして、効果がなかったら……もう一回獣に食われてみましょうか」
「ッ、やめてくれ!!」
悲鳴のような声だった。でも年寄りの男の悲鳴なんて可愛らしくも何ともない。しわがれて、恐怖でカラカラに乾いた喉から発せられる音は酷く耳障りだ。
「あなたにやめてくれだなんて言う権利があると思いますか? 私がいくらお願いしてもやめてくれなかったじゃないですか」
「それはお前が魔女だったからだ! 私のせいじゃない!!」
「まだそんなこと言ってるんですか?」
呆れる。ここまで私の恨みに触れておいて、それでもまだ自分は悪くないと言えるなんてどれだけ図太いのだろう。「やっぱり、あなたの存在は不愉快極まりない」、さっさと黙らせてしまおうと手を伸ばせば、隣から肩を掴まれた。
「シェルビー嬢、待て。本当のことかもしれない」
「黙ってくださる? あなたの出番はないの」
柔らかく言いながらも、目元にまで笑みを作ることはしなかった。
だってキーランはここで私に合わせることを了承している。それなのにローウェンを庇うような言動をされたら腹が立つというもの。いずれローウェンを苦しめるためにキーランを彼にとっての希望に見せることはしてもいいと思っているけれど、それは決して今ではないのだ。
これは私の復讐。私のシナリオ。ただの演者が勝手にストーリーを変えるだなんてあってはならない。
「それでもだ。お前を邪魔するつもりはないが、陛下の話を聞くくらいはしてもいいだろう」
「……黙ってと言ったでしょう」
「ッ!?」
バンッ!! ――大きな音が鳴った。キーランが背中から近くの壁に叩きつけられたのだ。
それをしたのは勿論、私。「キーラン!」、孫を心配するローウェンの声を聞きながら、私は自分の手に目を落とした。
「…………」
この手は今キーランを痛めつけたけれど、直接は触れていない。だからだろうか、邪魔者を排除したのにあまり心が晴れないのは。それともまだ、キーランが生きているからだろうか。彼のことは殺そうとは思っていなかったけれど、私の思い通りに動いてくれない人間がいるのなら、その息の根を止めてしまわねばこの気持ちは軽くならないのだろうか。
そう思って、もう一度キーランに向かって手を上げた。
どうやって殺そう。折角ならローウェンをより恐怖させる方法がいい――考える私の耳に、「待ってくれ、シェルビー!」という枯れた悲鳴が届いた。
「キーランを殺さないでくれ! お前が憎むのは私だろう!? だったら関係のない者には手を出さないでくれ!!」
「意外ですね、他人を庇えるんですか。罪のない娘に濡れ衣を着せられるくせに」
「濡れ衣じゃない! お前は実際に悪魔を喚び出そうとしていたじゃないか!! だから私はお前を庇いきれなくて、それでトリスアラナを娶ることになったんだ!!」
「あはっ! 何それ」
ここまで来ると図太いを通り越して滑稽だ。そんな嘘、どうやったって私が信じるわけがないのに。それすらも分からずに自らを守ろうとするのなら、それはもうただの道化でしかない。
「全く、往生際が悪いなんてものじゃないですね。そんな嘘で今更この状況がどうにかなるとでも?」
「シェルビー、嬢……シェルビー……! 記憶を消せるんだったら、相手の記憶も見られるんじゃないのか!? それを確認してからでも遅くはない……!!」
壁に叩きつけたキーランが苦しそうに声を上げる。なんだか興冷めだ。ローウェンは愚かしいし、キーランは人の言うことを聞かない。面倒なことが起こると、この場を楽しむ気持ちが白けてしまう。
「はあ……じゃあ、それを見たら納得する? いい加減、いちいち邪魔されるのは鬱陶しいの。さっさとあなたも殺してしまいたいけれど……でも、そっか。そうやって自分を庇ってくれるあなたに嘘がバレて背を向けられるのも、ローウェンには堪えそうだね」
そういう意味ではキーランにはまだ利用価値がある。だから面倒臭くてたまらないけれど、一応確認はしてあげるかとローウェンへと手を向けた。その時だった。
「――その必要はない」
ローウェンの記憶を辿ろうとした私の手を止めたのはサリだった。今までは姿を見せずにいたけれど、どういうわけか出てくる気になったらしい。
「急にどうしたの?」
サリの顔を見たことで心が弾む。祖父と孫の猿芝居のようなやり取りにうんざりしかけていた気持ちは軽くなって、私はすぐそこにいるサリの胸に飛び込んだ。
「お前が無駄なことをしようとしているから、ついな。記憶なんて見るまでもないだろう? こいつはお前を貶めるためになんだってする男だぞ。そんなことをせずとも答えは分かりきっている。お前はこれからまだ魔力を使わなきゃならないのに、余計なことに力を割いている場合じゃないんじゃないか?」
「やっぱりそう思う?」
伸ばされた手に頬を押し当てる。甘えたような声になったのは無意識だ。さっきキーランとキスをしたばかりだけど、演技のそれより私はサリの方がいい。
「ちょっと休憩しようかな」
サリの手に自分の手を重ね、口付ける。本当はもっとしたいけれど、このままじゃまた邪魔が入りそうだから先にそちらを片付けないといけない。
私はサリの手を名残惜しみながら離すと、「本当は今すぐ国民があなたを見限るところを見せてあげたいんですけどね」とゆっくりとローウェンに視線を移した。
「でもそれはまだ少し準備が必要だから、今はまだ……――《死にたくなるまで地獄を見てろ》」
呪詛のように投げかけた呪文が、ローウェンから意識を奪う。その場に倒れ込んだ彼は私が起こすまでもう目覚めない。悪夢の中を延々と彷徨って、死んだ方がマシだと思うくらいに苦しむのだ。
「――シェルビー」
私の腕が、キーランに掴まれる。いつの間にか立ち上がっていたらしい彼は私とローウェンを交互に見て、「……一体どうしたんだ」と顔を顰めた。
「こんなのはお前らしくない」
「あなたが私の何を知ってるの?」
「だが!」
「見苦しいぞ」
食い下がるキーランをサリが嗤う。私の腕を掴む手の近くで魔力を爆ぜさせれば、キーランが咄嗟にその手を離した。そうして解放された私を抱き竦めて、サリはキーランに嘲笑するような目を向けた。
「お前がシェルビーを気に掛けるのは理解できなくもない。こいつの行動次第であらゆることが変わるからな。だがいいのか? お前が第一に考えるべきはこの国の民のことなんだろう?」
「それがどうした」
キーランが強い目でサリを見返す。そんな彼にサリはニィを口角を上げて、「大事なことだ」と口を開いた。
「レスタニアの魔法陣は、大量の人間の命を糧に動く」
一拍の沈黙。突然サリの口から出された話題にキーランの理解が遅れる。そして私も、あまりに唐突なその言葉にサリの意図が分からない。「お前が何故、それを……」、キーランがどうにか問いかければ、サリがゆらりと小首を傾げた。
「問題はそこじゃない。お前が気にすべきは、あれはまだ使えるということだ。起動に必要なレスタニア王家の血さえあればな」
「……仮にそれが事実だとして、そんなものはもう存在しない。あったとしても何代も経て薄まったものだ。十分な力を持つとは思えない」
「残っているぞ。交配によって薄まったものではなく、当時のものがそのままな」
「何?」
キーランの顔が怪訝に染まる。警戒する彼に、サリがゆっくりと言葉を続ける。
「レッドブロックの小僧にシジルの受け継ぎ方を聞くといい。あいつは資格を持つ者だ」
「資格だと? 一体何の……」
キーランは理解できていなさそうだけど、それは私も同じだった。シジルが何かは知っている。だけどあれはただの目印のようなもので、何かの資格を示すものではなかったはずだ。
だけどサリにそれを説明する気はないらしい。キーランの問いを無視したサリは、「そうそう」と思い出したように話を再開した。
「お前が以前シェルビーに見せていたレスタニアの魔法陣だが、あれは概ね正しい。確かあれの中心にはこの街があったな?」
「レスタニアの首都がこの下にあったんだから当然だろう。それよりもお前が何故そんなことまで知っている?」
「鈍い奴だな、そんな話をしている暇はないはずだ。魔女が何のためにレッドブロックだなんて場所にいるか考えてみろ」
「……ッ、まさか!」
その瞬間、キーランが青ざめた。勢い良く窓の外に目を向ける。彼が見ているのは街だ。私がそうと分かったのは、魔法陣の特性のせい。
どんな魔法陣でも、起動時にはその魔法に使用する分とは別に魔力が消費される。基本的には術者の魔力だけど、かつての私のようにマナクリスタルに魔法陣を刻んでそこから魔力を消費させることもできる。
そしてレスタニアの魔法陣は、地下に埋まっている。その上に生きる人々の命と接している。
『レスタニアの魔法陣は、大量の人間の命を糧に動く』
サリのこの言葉を理解するには、それで十分だった。
「選ぶ時だよ。見捨てるのは身内か、民か――同時に二つは守れない」
サリがキーランに告げる。街とローウェンを交互に見比べていたキーランは苦渋の面持ちをすると、「クソッ!」と慌てた様子でその場を後にした。




