【Ep2 聖なる魔女と少年冒険者】2-4 白さの欠片
二箇所に飛び、三箇所目にも飛び。そうやって最初の魔法で反応があった場所を回っていったけれど、そこで地面に捕らえられていたのは全てイノシシだった。
特別大きく育ったわけでもない、普通の個体だ。確かにただの村人では荷が重いかもしれないものの、それでも国の助けを諦め冒険者ギルドに頼らなければならないほど苦しめられることがあるだろうか。
「お前の読みが外れたってことだろう」
「えー……嘘でしょ……?」
魔獣絡みでないのなら、一般人でもある程度の対策はできるはずだ。見たところイノシシ避けの罠や仕掛けもたくさん設置されているから、他にも色々とやってるだろう。
イノシシなんていうのは本来臆病な性格。人間側が手を変え品を変え脅かし続ければ、こんな場所には来るべきではないと考え元の住処に戻っていくはず。
それなのに何故彼らはずっと人里に居座り続けるのか。
「……問題はイノシシだけじゃない?」
元々そう考えてはいたものの、それとはちょっと違う。依頼書にあった正体不明の害獣というのは、単に畑を荒らす生き物のことを指していると思っていた。
だけど、今頭に浮かんだのは別の可能性。あの依頼書の指している害獣とは畑に来るもののことではなくて、それよりも手前の要素のことを言っているのかも――頭の中ではっきりと言葉になったそれに、私は無意識のうちに眉間に力を入れていた。
「やっぱり昼間に来るべきだったのに」
「うっ……」
サリの呆れたような声が心に刺さる。自分の都合を優先して夜中に人知れず進めていたけれど、これは村人に話を聞くべきだったのかもしれない。
「ッだとしてもさ、この依頼書の書き方はないよ! これどう見ても畑周辺の害獣討伐依頼じゃん。私はきっちり仕事はしたよ!」
「そうだな。ならもう帰るのか?」
サリの言葉に自分の表情が曇るのが分かった。サリ自身、今の発言に何も含みをもたせたつもりはないのだろう。彼にとって人間の都合なんて興味の範疇外だ、相槌ついでにただ私の次の行動を確認しただけ。
そうと分かっているのに、なんだか非難されている気分になる。今のところ推測でしかないけれど、別に原因があるのかもと分かっているのにそれを放置するのは人としてどうなのか。
書かれた依頼内容は果たしているから、この依頼は報奨金をもらって終わりになるだろう。根本解決はしていないけれど、依頼内容にそれに関わるものが書かれていないのだからこちらに義務はない。これでまだ問題が続くのであれば、この依頼者は正しい内容で新たな依頼を出すべきなのだ。でも――
「……帰らない」
私が言うと、サリが不思議そうに片眉を上げた。
「もうちょっと広範囲も見てみる。もしこのイノシシ達の行動が別の生物のせいだったとしたら、今日は偶然近くにいなかっただけかもしれないし」
「無理に依頼の解釈を広げる必要はないんじゃないか? 第一、直接聞けば済む問題だろう」
「誰も原因に気付いてない可能性だってあるでしょ? そしたら聞いたって無駄だって」
「聞きたくないだけだろ、『自分達が駆除を頼んだのはイノシシだけだった』ってな。そうなればお前がこれ以上手出しする理由はなくなる。そしてここの連中はまた同じことに悩むことになる」
今度はサリが意識して私を刺してくるのが分かった。契約内容を超えるな、無償で誰かを助けようとするな――悪魔である彼は、私の中の良心を嫌う。何故なら良心は魂の穢れを浄化するから。少しずつ、けれど確実に。
だからサリは私が良心に従うことを好まない。彼が私と契約したのは、この魂をより黒くするためだから。
「ただの興味本位だよ。動物が通常と違う行動をするのには何かしら理由があるから、その理由を知りたいだけ。これで国の政策ミスだったらこっちのカードになるでしょ?」
「そんな口八丁で悪魔を欺けるとでも思っているのか?」
「悪魔のくせに人間が嘘吐いてるかどうかも見抜けないの?」
サリが感情のない目で私を射抜く。冷たい赤い目が問いかけてくる――撤回するなら今だぞ、本当にそれでいいのか、と。彼はきっと私の心を見透かしているから。心と違う言葉だと分かっているから、静かに私のことを責め続ける。
でも目を逸らす気はない。撤回すれば私は良心の存在を認めることになる。普段はいいけれど、今の彼はそれを黒く塗り潰そうとしてくるだろう。
勿論、いつかはそうなるのだと分かっている。真っ黒に塗り潰されて一片の白さもなくなったその瞬間、サリにこの魂を食われるのだと分かっている。
だけどそれは今じゃない。今はまだ、私の魂を彼に食われるわけにはいかない。
「……お前のそういうところが嫌いだよ、シェルビー。だが楽しみでもある。お前の中にしつこく残っているその良心が、堕ちて完全に魂を穢れに染める瞬間がな」
そう微笑むサリが私の頬を撫でる。愛おしむようなその手付きは、私じゃなくてこの身の奥にいる私の魂を愛でるもの。
サリは時々こういうことをする。私を堕落させるためではないその愛撫は、彼がどれだけこの魂に興味を持っているか表してるかのようで。
魂だけに、彼の興味は向けられている。胸が、ちくりと痛む。
私はサリの手に自分のそれを添えて、そっと顔から引き剥がした。
「納得してもらえたようで何より。じゃあどんどんやっていこうか!」
くるりと身体を反転して気持ちを切り替える。意識を集中するように、「全部見るからね!」とサリに宣言した。
「全部?」
「全部だよ、全部。畑の外までね」
「……配分を誤るなよ」
「ねぇ、サリってやっぱり私に情が湧いてるでしょ? 魔力不足になったら得をするのはサリの方なのに」
顔だけ後ろを向いてにやっと笑ってみせる。首がちょっと痛いけれどまあ仕方がない。
魔力は魂ではなく肉体に宿るもの。前世で転生魔法を使うために培った膨大な魔力は、今のこの身体には引き継がれていない。子供の頃から一生懸命訓練して元に戻そうとしているけれど、三十年間死ぬ物狂いで訓練して獲得したものをたった十数年で元に戻せるはずもなく。今の私の魔力は前世の半分にも満たないだろうから、当時と同じ感覚で魔法を使えばすぐに魔力切れを起こしてしまう。
そうなったらサリに別の代償を払って願いを叶えてもらわなければならないから、私の借金は増えるのだ。それで美味しい思いをするのは彼なのに、そうならないよう配分を気にしてくれるだなんてサリのくせに優しいところがあるじゃないか。
「調子に乗るな。シェルビーが気絶したら、俺はその間契約主であるお前をこんな場所で守らなければならないのが嫌なだけだ」
「あ、そこは勝手に借金増やさないでいてくれるんだ。やっぱり優しいじゃん」
「ああ、そうだ優しさだ。しっかり享受して俺をもっと受け入れろ」
「……それ堕落させようとしてるだけじゃん」
「当たり前だ、悪魔なんでな」
ある意味期待どおりのサリの言葉にほんの少しだけさみしくなる。けれどそんな感情を持つと彼の思う壺だから、何も感じていないふりをして顔を前に戻した。
さっきよりも簡単な魔法陣を宙に描く。
呼び起こすのは風、乗せるのは私の目。遠くに運んで、ここからでは見えない景色を脳へと送る。
畑、村、林。その向こうの小さな山も。
もっと上から覗いてみる。木々の隙間に目を凝らして、動物たちの不自然な動きを探せ。
走り去る動物達。その背後の、大きな影。
「――いた。サリ、《飛ぶよ》」
「いつでもどうぞ」
わざとらしく丁寧なサリの声を聞きながら、私は見つけた影の元へと飛んだ。