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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第三章 蝕む堕落は誰のもの
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【Ep12 聖なる魔女と暴く黒雨】12-5 魔性の影

 シェルビー・ハート――キーランは今確かにそう言った。シエルではなく、シェルビー。彼の発言の意味するところなんて考えるまでもない。

 ささくれ立っていた感情が急速にトゲを失っていく。同時に押し寄せるのは焦燥。キーランに知られた。皇族にシエルがシェルビーだとバレてしまった。その焦りが私から怒りを奪い去って、代わりに動揺と緊張を塗り込んでいく。


 どうしよう、なんとかしなきゃ。記憶消しちゃう? でもどこから? マントを奪われる直前か、それともその前の会話すらなかったことにすべきか。でもそうするとキーランがここにいた理由が必要だし、だからと言ってシェルビーだとバレたことだけ消してもまた同じ会話を繰り返すかもしれない。

 ああもう、思考がまとまらない。なんで私はここまで動揺しているんだ。どうして躊躇うんだ。いや今考えるべきはそれじゃない。どうにかしてこの場を切り抜ける方が先決だ――混乱しながら視線を彷徨わせれば、リーヴェの姿が目に入った。そうだ、リーヴェだ。彼ならきっとここまでのやり取りで事情は察してくれているだろうから、私が誤魔化せば口裏を合わせてくれるかもしれない。


 でもその期待は、彼の表情を見た途端に崩れ去った。


「ッ……!」


 この野郎! ――と悪態を吐かなかったのは、誰か褒めて欲しい。


 だってリーヴェ、すんごい嬉しそうに笑ってる。しかも悪意のある笑顔だ。

 そういえば彼はこういう奴だった。エイダが大好きで、彼とよく一緒にいた私のことが大嫌い。その私が困っているものだから、もう楽しくて楽しくてしょうがないのだろう。いっそエイダよりリーヴェの方が魔女に向いているんじゃないかと思えるくらいに意地の悪い笑みがこちらに向けられていて、私はもう彼はいないものとして扱うことに決めた。


 でも、だからと言って素晴らしい言い訳が思い浮かぶわけでもなく。さらには耳がキーランの声を拾うものだから、私の焦燥が落ち着くことはなかった。


「シェルビー嬢が、何故冒険者のふりを……? だが魔力の気配が違う……そもそもシエルは以前風魔法を……」


 恐らくキーランも混乱している。一番は魔法の属性の問題だろう。普通は一つの属性にしか適性がないから、それが引っかかってキーランも答えを出せないのだ。

 ということは、今ならまだ間に合う。彼の疑問に私が別の答えを与えれば、キーランはその内容で納得してくれるはずだ。


 けれど、動揺しきった私の脳みそはてんでぽんこつだった。


「双子、的な……?」


 へら、と顔が勝手にキーランに笑いかける。何を馬鹿なことを、と冷静な私が内心で頭を抱える。

 だからだろう。それまで混乱していたキーランはすっと真顔になって、呆れたような目を私に向けた。


「一卵性双生児は魔法適性も同じだ」

「……ですよねー」


 うん、知ってる。知っているからこそ自分の発言に絶望したのだ。

 一卵性の双子は外見だけでなく魔力適性も同じ。だから仮に双子という部分は信じてくれたとしても、シェルビーが聖職者として教会に受け入れられている時点で、もう片方も神聖魔法の適性を持っているということになる。二卵性双生児だと主張しようにも、シエルとシェルビーは全く同じ顔をしているのだからキーランが信じてくれるとも思えない。

 なんてことを考えながら自分の馬鹿さ加減を呪っていると、キーランがはっとしたように目を瞬かせた。


「まさか……!」


 ぐいと顔を私の方に寄せ、全身から信じられないとでも言いたげな空気を放つ。


「この地の下水浄化に神聖魔法を使っているんじゃないだろうな!?」


 愕然とした様子でキーランが言う。その声の強さには確信も含まれていて、私はもう誤魔化せないことを悟った。

 これだから頭の良い人は嫌いなのだ。信じられない出来事が起きてもそれに飲み込まれず、より現実味のある情報だけを使って隠し事を暴いてしまうから。


「あー……いやぁ……」


 キーランが再び私の両肩を掴む。しっかりと力は入っているけれど、さっきよりも優しく感じる。それは彼が相手を女だと、聖女だと知って気を遣っているからだろう。だったらこうして相手を掴むことも無礼だと考えてくれてもいいのに、どうやらそこまでは私のことを大事にしてくれないらしい。別に大事にされたいわけではないからいいけれど。


 それにしても、嫌いな相手に肩を掴まれながら至近距離で見つめられるというのはなかなか気分が悪い。顔は結構良いはずなのに、それを打ち消して余りある心象の悪さが私に不快感をもたらす。

 これはさっさと誤魔化して離してもらいたいなと思いながら、じゃあどうやって誤魔化そうかと考えている時だった。


「…………?」


 チリ、と遠くで何かが光った気がした。


「ッ、まっ――」


 まずい、なのか。待って、なのか。光の正体を悟ると同時に発した声は、それでも遅く。


「ッ――!?」


 ジュッ、と水分が焼き尽くされる音が一瞬のうちに近寄って。次の瞬間には打撃音と共に、キーランの姿がそこから消えた。


「キ……キリルさん!!」


 咄嗟にその名を叫んだのは、()()()()()()()と分かったからだ。慌ててキーランの姿を探すと、彼は五メートルほど離れたところに倒れ込んでいた。けれど、ぴくりとも動かない。


 まさか死んだのだろうか――否定しきれない考えが頭に浮かぶ。それはまずい。色々とまずすぎる。驚きと困惑でその場から動けないままキーランを見続けていると、彼の手が一瞬だけ動いたのが目に入った。そして、身じろぎする。どうやら気を失っていただけらしい。

 キーランは水たまりの中、地面に手を突いてゆっくりと身体を起こし始めた。酷く頼りない動作だけど、どうにか立ち上がろうとしているように見える。その姿に安堵して、彼の方へと向かいかけて、けれど大きな炎が私を阻んだ。


 キーランと私の間には、人間と同じ大きさの赤い炎が燃え盛っていた。それは絶えず降り注ぐ大粒の雨を蒸発させ、近くにいるだけで焼かれそうなほどの熱を持っている。

 これがキーランを()()()()()()のだ。水蒸気で視界に靄がかかるくらいに燃え滾る炎は勢いを衰えさせることはなく、まだキーランへの敵意を顕にしている。

 このままじゃいまずい――そう悟った私は、慌てて「()()()!」と声を上げた。


「待って! 殺しちゃ駄目!」

「あ?」


 その声は炎の中から聞こえた。ゆらりと赤い光が揺らめいて、そこから赤く照らされた緑色の瞳が現れる。エイダだ。全身に炎を纏ったエイダが、キーランを殴り飛ばしたのだ。


「こいつお前のこと殺ろうとしてたんじゃねェの?」


 低く、不機嫌な声でエイダが問う。そういえばエイダがこんなふうになる時は大体本気で怒っているなと思い出しながら、私は「してない」と首を振った。


「ちょっと問い詰められてただけ。だから落ち着いて」

「じゃァなんで素顔晒してる」

「そこもちゃんと話すから。それに私の正体を知った以上、彼は尚更私に手を出すことはできない」

「なんで」

「そういう立場なの。全部説明するから、それでも納得できなかったら続きをして」


 私が言うと、エイダは渋々と炎を収めていった。そしてふと、リーヴェに目を留める。初めて気付いたとばかりに彼を見て、「何やってんだ」と這うような声で唸った。


「お前見てたんだろ? だったら止めろよ」

「……悪い。そんな緊迫した状況とは思えなかったから」

「は? 部外者がうちの人間に手ェ出そうとしてたのに?」

「それは……」

「エイダ」


 口籠もったリーヴェを遮って、私はエイダを呼びながらキーランを指差した。一旦は立ち上がることを諦めたらしい彼は地面に座り込んでいて、顔の半分を血塗れにしながらもこちらを見ている。


()()()()()、か……」


 確認するように呟いて、キーランがエイダを見る。するとそれまで完全に目が座っていたエイダはやっと状況を理解してきたようで、「げ……」と顔を強張らせながらこちらを見てきた。


「……俺のせい?」

「そうだね」

「いやでも、その前からバレてたんだろ?」

「誤魔化そうとしてるところだった」

「ってことは……」

「誤魔化しが効かなくなった」


 私が答えると、エイダはゆっくりと顔を空へと向けた。現実逃避するように雨雲と向かい合い、顔で雨を受けている。頭を冷やそうとしているのかもしれないけど、今更遅い。


「そんなに頭に血が上ってるなら、エイダが水門開けに行ってきてよ」


 そして下水の濁流に飲まれてしまえと言外に込めて言えば、エイダは顔を引き攣らせながらこちらを見て、「……スンマセン」と力なく口にした。流石に彼も下水で溺れたくはないらしい。


「水門?」


 少し離れたところから不思議そうな声が聞こえた。キーランだ。私とエイダが目を向けると、座っていたキーランは立ち上がろうと脚に力を込めた。が、ぐらりと身体が傾く。

 それを見た瞬間、私は無意識のうちにキーランを支えに行っていた。何故嫌いな相手にこんなことを、と思ったけれど、エイダの勘違いによる怪我だからだとすぐに納得した。流石に勘違いで気絶するほどの怪我をさせてしまったのだから罪悪感もある。

 そう内心で頷きながらキーランの顔を見上げると、その有り様に血の気が一気に引くのを感じた。


「……キリル、さん」

「なんだ」

「その……お、お顔が……」

「分かってる。だが避けきれなかったのは俺が未熟なせいだ」


 いやそれで済ませるのはおかしいだろう、と頬が引き攣る。キーランを支える手に力が入る。もっとキーランが私に体重をかけやすいようにと体勢を整えたのは、罪悪感が急激に大きくなったからだ。


 だってキーランの顔、左半分が焼け爛れてる。ただ血塗れなだけかと思っていたけれど、血の赤に混じって筋肉のようなものまで見えている。これは殴られた時に気絶して当然だと腑に落ちると同時に、よくこんな怪我で普通に話しているなと再び血の気が引いた。

 もしや痛みを感じないのか、それかそういう魔道具でもあるのか……でも痛みがどうにかなったとしても、ここまで酷い火傷なら体調に異変があるはずだ。と思いながら至近距離でキーランの顔を見ていたら、その額に冷や汗をかいていることに気が付いた。雨に打たれているせいで分かりづらいけれど、それでも分かるということはかなりの量のはずだ。

 つまり、痩せ我慢。立場上弱っているところは見せられないだろうなと納得はできるけれど、これはもう少し辛そうにしても誰も文句なんて言わないと思う。


「全く……馬鹿力もさることながら、あんな炎までついてくるんじゃどうしようもないな……」

「……悪い。つい」


 心底呆れたようにキーランが零せば、エイダが素直に謝った。彼もキーランの傷の酷さを把握したのか、だいぶ気まずそうだ。

 でもキーランは私達の様子を気にすることもなく、「聞きたいことは山程ある」と話し出した。


「だがまずは水門だ。このタイミングでその話をするということは、ルイーズやここの状況を改善するものなんだろう?」


 全く態度のぶれないキーランに思わず正直に話しそうになる。だけどそれはできないと思い直し、私はキーランを支えながら「あなたには関係ありません」と首を振った。


「キリルさんはもう関わらないでください。私達でどうにかできます。人手は足りていますし、下手に関わられると迷惑です」

「俺を疎むのは分かる。だがいくら信憑性のある状況でも、お前達の言葉を鵜呑みにできるほど俺は呑気じゃない」


 そこまで言うと、キーランは私の手に自分のそれを重ねた。そして、そっと取り払う。支えは不要だという意思表示に私が恐る恐る手を離せば、キーランはしっかりと自分の足だけで立って、私を真っ直ぐに見据えた。


「ここに魔女がいる。それだけで俺はお前達を疑わなければならない」


 キーランのその言葉は、雨音の中でもはっきりと聞こえた。

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