【Ep2 聖なる魔女と少年冒険者】2-3 魔女の魔法
ルイーズの城壁には東西南北に四つの門がある。どの門から出ても構造は同じで、街を出る者を見送るのは長い橋だ。両脇には高い壁が聳え立っていて、その向こうにレッドブロックがある。レッドブロックはガエリアにとっては防衛手段であると同時に汚点でもあるから、街に出入りする際には見えないように、この壁は目隠しの役割を果たしていた。
そんな閉塞感のある長い長い橋を通って壁がなくなると、そこはもうレッドブロックですらない。どの門から出るかにもよるけれど、原っぱだったり林だったり、長閑な風景が広がっている。
少し進めばいくつか町は点在しているものの、遠くにはどちらの方向でも丘陵が見える。つまりルイーズやこれらの町は、丘陵地帯に囲まれるようにして位置しているのだ。地図上ではこの一帯が帝都リュカ・エイハムとされている。
だからこの丘陵を越えると、その先の景色は一気に変わる。町同士の間隔が広くなるため建造物を目にする機会はがくんと減り、辛うじて整備されている街道は土のままで、帝都内のように煉瓦で舗装されていない。
そんな街道に沿って、丘陵から離れるように行くと小さな町がある。町というか規模で言うと村だ。このあたりでは農業が盛んで、帝都に卸す食物をたくさん作っている。でも近くに他の町もないから、同じような農業を営む家々がわざわざ近くに居を構え、お互いで助け合えるような村を作っているのだ。
ルイーズの城壁からここまではそこそこ距離があって、馬を本気で走らせても三、四時間はかかる。が、今回は面倒なので三十分で来た。この三十分はギルドを出て街の目立たないところまで移動するのにかかった時間だ。残りは魔法でびゅーんとひとっ飛び。とはいえ村のど真ん中に突然現れるわけにはいかないから、ちょっと離れた林の中を目的地とした。
「久しぶりにお前の魔力が食えた」
そう言うサリの声が上機嫌なのは、久々に私が魔女の魔法を使ったからだろう。
魔法は悪魔や精霊の力を借りて行使するもの。普通の人は精霊に、魔女なら悪魔に――私の場合はサリに力を借りる。今回魔法を使ったのは私だけど、魔法の仕組み上彼には見合った量の魔力を差し出しているのだ。
精霊や悪魔の力を一時的に体に取り込み、自分の魔力と混ぜて放つのが魔法だ。料理で言うと、レシピと秘伝の調味料を貸してくれるのが精霊で、メインの食材は人間が用意して調理するイメージ。だから食材である魔力量によって威力は変更できるし、振る舞う相手も自分で選べる。
だけど悪魔は勿論、精霊だってタダで力を貸してくれるわけではない。取り込んだ分に見合う量、つまりレシピと調味料のレンタル代を報酬として魔力で払う必要があるのだ。だったら最初から体に取り込まず精霊達に直接魔法を使ってもらった方が考え方としてはシンプルなのだけれど、いかんせん精霊というのは人間の考えをざっくりとしか理解できない。
精霊達には〝こういう事象を起こしたい〟というところまでは分かってもらえても、力の大きさや方向はなかなか分かってもらえないのだ。だから極端な話、目の前のろうそくに火をつけてもらおうとしたら隣家が消し炭になった、だなんて可能性もなくはない。それでもきっちり代金として魔力は持っていかれるから、最悪一発で魔力が枯渇し命の危機に晒されることだってある。流石にそれは危険すぎるということで、魔法連盟によって人間が精霊達に直接魔法を行使させるのは禁止されているのだ。
そういう面を考えると、精霊より悪魔の方が安全かもしれない。彼らは人間の言葉を理解できるから、最初に認識を合わせておけばそんな事故は起こらない。
が、彼らの場合は代金を魔力以外で求めてくることもあるし、人間の意図を理解した上で、欲を煽って高額商品を売りつけてくるのでまた別の危険があるのだけれど。
「――ここならもう戻ってもいいんだろう?」
「うん、いいよ。誰も見てないからね」
私が答えると、猫の姿で私の肩にいたサリは地面に飛び降りながら人の姿に戻った。
戻るという表現は多分おかしいんだろうな――いつものサリを姿を見て、ふとそんな考えが頭を過ぎる。
彼は普段人の姿をしているけれど、これは私の好みを反映したものであってサリの正体じゃない。魔女の契約時に一瞬だけ見たけれど、物凄く大きな塊があるなという印象しかなかった。大きすぎて全容が分からなかったのだ。
だから私にとってサリはこの姿が本性のようなもの。となると私が表現する限りでは戻ると言っても問題ないかな。契約している都合上、サリにとってはこの姿が一番楽でもあるみたいだし。
と、少し考え事をしていたらサリがこちらを見ていることに気が付いた。「見惚れてるのか?」と薄く笑いながら腹立たしい軽口を叩くのはいつものこと。私は「はいはい、そうですねー」と流しながら重さのなくなった肩を小さく回した。
「小腹は満たされた?」
「まさか。十年分には程遠い」
「十年って言うけど時々使ってたじゃん。それにサリにとっては大した時間でもないでしょ? でもまあ、今日はまだ魔法使うと思うから」
私が選んだ依頼は討伐だ。依頼書にはこのあたりの畑を荒らしている生き物を駆除して欲しいと書いてあった。正体は不明なものの、現場にはイノシシのヒヅメのような足跡があるとのことだ。
イノシシによく似た魔獣もいるから、正体不明ならまだ何が出るか分からない。どちらにせよ素手での対処は難しいから、駆除のためには魔法を使うことになるだろう。
「本当に魔獣がいるのか? 大した魔力の気配もないが」
「んー……生息地を考えると、いるとしたらブランボアだしね。魔力自体少ない種類だからしょうがいないよ」
この世の全ての生き物は魔力を持っている。魔獣とただの動物の違いは体内の魔力を行使できるかどうかだ。生まれつき魔力の使い方を知っていて、簡単な魔法を使えるのが魔獣。人間は周りに聞いて覚えるけれど、魔法を使えるという点で考えれば魔獣と同じ括りに入れることもできる。と言ってもこの国では人間を特別と考える人が多いから、それは割と嫌がられる考え方だけど。
人間が精霊と取引して魔法を使うように、魔獣もまた精霊と共存関係にあるため魔法を使えるのだと考えられている。どうやって意思の疎通をするかはまだ不明。魔獣学者達の長年の研究課題だ。
「魔力が少ないんじゃマナクリスタルも期待できないだろ。シェルビーだって昔は猪肉を食べたい時以外は避けてた相手じゃないか」
「それはそうなんだけど、最悪なかったとしても今回はいいかなって」
マナクリスタルは精霊の力と混ざった体内の魔力が結晶化したもの。魔力を活発に流すほど結晶化しやすいという研究結果もあるから、頻繁に魔法を使う生き物の方が体内にマナクリスタルを持っている可能性が高い。
ブランボアは一応その基準を満たしていないこともないのだけれど、彼らはあまり魔法を使わない。だから正直期待できなくて、前世でマナクリスタルを集めている時は基本的に狙わなかった。だってもし見つかったとしてもあんまり質も良くなかったし。
だけど今回は別だ。利子返済のためにマナクリスタルも欲しいけれど、同時に皇族ネガキャンだってしたい。
「見てよこの依頼、登録日は一年前だよ。つまりそれだけ放置されてるの。冒険者達にとっては旨味が全然ない依頼だから分かるとしても、国にも対応してもらえてないってこと。本当はこんなの冒険者ギルドじゃなくて国が対処すべき問題なのに」
遠くに村を見ながら、私はサリに依頼書を差し出した。けれどサリは興味がないのか、ちらりと一瞥して後は知らん顔。周囲に気を配ってくれるわけでもないのだからもう少し真剣に見てくれたっていいのに。
なんて、口に出したら料金を請求されそうだから言わないでおく。私は小さく溜息を吐くと、サリの興味を引けなかった依頼書に視線を戻した。
畑を守るための害獣討伐だなんて、よっぽどのことがない限り冒険者ギルドに依頼しない。
というのも食糧確保は国の責任だから、農業もまた国が管理しているのだ。だから本来、害獣駆除も国の管轄。それなのに冒険者ギルドに依頼を出したということは、その時点で国に頼んでも何もしてもらえなかったということを表していた。
「しかもこれ普通の依頼だよ? ギルドにお金を積めば優先依頼にもできるのに、それをしないってことは〝できない〟って可能性もあるってこと。そのくらい困窮してるのかもしれない」
国が何もしてくれなくて困窮しているのであれば、この問題で被害を被っている人達は国に不満を持っている可能性が高い。
それを冒険者である私がさくっと華麗に解決すれば、彼らの中で冒険者への信頼度が上がる。そして代わりに国を支持する気持ちが下がる。それだけでも遠回しにネガキャン完了だ。ここに来た価値がある。
「単に依頼の下げ忘れじゃないか? それだけ困難な状況ならどうにか金を工面するのが人間だろう」
「それならそれでいいよ。でも今も困っているなら、この依頼をこなすことで国よりも冒険者の方が頼りになるって思わせられるでしょ? そしたら……ふふ! 反乱分子を育てられる!」
両手を広げ声高らかに言えば、サリが呆れたような視線を向けてきた。
「なら昼間来て直接話した方が良かったんじゃないか? こんな夜更けじゃ人間どもは寝ているだろ」
「それはしょうがいないじゃん! 諸々の仕掛けを作ったばっかなのに、いきなり真っ昼間に教会空けるのは不安だったんだから!」
「多少問題が起こったところで俺がどうとでもできるのに」
「借金が! 増えます!」
悪魔としてかなり高位らしいサリの力は万能で魅力的なものの、解決すべき問題が困難なほど代償が高くつく。サリとしてはもっと借金残高を増やしたいのだろうけれど、私はそんなの嫌なので極力リスクは犯したくないのだ。
と思いながらサリを睨みつければ、彼は整った眉を困ったように下げた。
「お前はもう少し長所を伸ばした方がいい」
「長所?」
サリが褒める私の長所とはなんだろう――期待を持った私にサリが顔を向ける。さっきまで困っていた表情はゆるりと変化して、それはそれは綺麗な笑顔を浮かべていた。
「馬鹿なところ」
「ばッ……!?」
人を貶すのにそんな顔をするのはやめてほしい。
§ § §
魔力を指先に溜めて、宙に魔法陣を描く。魔法陣なんてなくても魔法は使えるけれど、複数の手順を踏まなければならない魔法の場合は使った方が便利だ。
一般的に魔法は精霊の力を借りてこの世の事象を操るから、火を起こすとか雷を落とすとか、そういう単体の自然現象として存在するものはそのまま一つの魔法として使える。だけど起こした火の形を変えたり、雷の通り道を調整したりといった人間側の都合部分は別の事象となるので、また別の魔法として追加しなければならない。
つまり魔法を使う時は大抵複数の魔法の組み合わせなのだ。そしてその組合わせを表現し、一つの魔法のように使うために用いるのが魔法陣。ちなみにそれを学術的に解析したのが魔術や魔道具なのだけれど、それはまた別の話。
今回私が魔法陣を使うのは同じことを繰り返し行うから。そういう場合はこうやって一度描いた魔法陣を使い回す方が手間が省ける。
魔法陣は精霊と自分の間にある合言葉。私の場合はサリとのもの。私とサリの、共通認識。
風を呼び起こす。あちらからこちらに向けて、遠くの音を拾うために。
そこが済んだら次は向こうから。それも終わればその次はまた別の方。
探しものが見つかったら、水を与えた土で深く飲み込んで。喉の奥に届いたら、土から不要な水を回収する。
その後は繰り返し。同じことも何度もやって、辺り一帯を攫っていく。最後の風が私の元に届くまで。
「――こんなもんかな」
ふう、と息を吐きながら魔法陣を閉じる。本当はもっと一気に対象を捕らえる魔法もあるけれど、今の私はそれほど多くの魔力を持っているわけではないから比較的魔力消費の少ない方法を取らなければならない。
それにこういう正体不明の獣の捕獲は、本来住民への聞き込みと調査が必要なのだ。被害の時間帯や規模、パターン。それから獣の痕跡など、依頼書に書かれた内容が正しいのか確認しながら作業を進めるのが定石。それができない今は派手なことはせず、なるべく静かに怪しい影を捕らえなければならない。
だって今は真夜中、人々は寝静まっている。こんな非常識な時間帯にお宅訪問するわけにはいかないし、下手に人と関われば作業を一部始終見たいと言われてしまうかもしれない。それは正直かなり困る。
魔女の魔法は特別だ。普通の人間は風や水、土など一つの属性にしか適正がないけれど、悪魔から力を借りる魔女にその縛りはない。そのため複数の属性の魔法を使えば一発で魔女バレの恐れがあるし、だからと言ってちまちま一つの属性で作業をしていたら朝になってしまう。
教会の朝は早いのだ。いくら自室とここを一瞬で行き来できると言ったって、教会の起床時間までに作業が終わらなければどうしようもない。
「さーて、さっさと確認しないと。十匹くらいはいたからのんびりしてたら夜が明けちゃう!」
「別に過去に飛びたいならやってやらんこともないぞ?」
「だぁーかぁーらぁ! 命と引き換えにしなきゃいけないようなことをそうほいほい提案しないでくれますぅ!?」
「それは常人の話だろ。お前はこの俺と契約してるんだ、百年でも二百年でも生きられるから問題ないさ」
「そんな何百年も返済生活送りたくないんだよこっちは」
じとりとサリを睨みつける。なのに睨みつけられた本人は「楽しそうじゃないか」だなんて涼しい顔。
腹が立って言い返そうとしたけれど、そんなことをしている間にも時間は過ぎていく。本当に時間を巻き戻さなければならなくなったらたまらないから、私は「もう!」と言ってサリから視線を外して静かに目を閉じた。
イライラした気持ちを落ち着けて、周囲の音に耳を澄ませる。風が葉を揺らす音、虫たちの鳴き声。聞こえる音が増えれば増えるほど、尖っていた気持ちが落ち着いていく。
自分の魔力の流れが穏やかになっていくのが分かる。そうしてすっかり怒りを忘れたら、自分の魔力の痕跡が残る場所を瞼の裏に思い浮かべた。
「――一つ目……《飛べ》」
ぞわり、身体中の水分が置いてきぼりになる感覚。けれどそれは一瞬で、次の瞬間にはそれまでと少し違う空気の匂いが私を出迎えた。
「お前の呪文は本当に色気がないな」
「うるさ。サリに伝わればいいんだから変に格好付けるより良いじゃん」
「センスがないだけだろ」
「サリがあれこれうるさいだけですぅ!」
魔女の魔法は魔法陣を描く代わりに、呪文でも使うことができる。魔法陣も呪文も、結局は力を借りる相手に自分が何をしたいか伝える手段だ。だから大仰な言葉を選ばずとも、相手と認識が一致すればなんでもいい。
のだけど、魔女になったばかりの私が自分の語彙を振り絞って考えた呪文は全てサリにダサいと却下された。だから私の呪文はもはや呪文じゃない、ただの単語だ。
「それよりさっさと確認しなくていいのか?」
誰のせいだという言葉は飲み込んで、サリに言われたとおり周りに目を配る。するとそこには土に四肢が根本まですっぽり埋まってしまった二匹の獣の姿があった。
「……イノシシだね?」
どう見てもイノシシだ。ブランボアの最大の特徴である白い毛皮が見当たらないもの。念の為相手の魔力を探ってみても、魔法を使うもの独特の流れが感じられない。
「こんなもの相手にここの連中は困ってたのか?」
「どうだろ。ここがたまたまイノシシだけってこともあるだろうし」
イノシシがいるのは想定内。依頼書にもイノシシのような痕跡があるけど正体不明って書いてあったから、全部がブランボアじゃなくてイノシシにちょっと魔獣が混ざっているのかもしれない。
「ま、他にもたくさん捕まえたから確認してみようか」
そう言って私は次の場所を頭に思い浮かべた。