【Ep11 聖なる魔女と溢れた願い】11-3 不在の実感
中層の本屋の後に一応下層の本屋と劇場にも行ってみたけれど、結局そこは予想どおり中層と同じ状況だった。全部の本屋を回ったわけではないものの、この感じではどう考えたって違いなんてあるはずもない。
そんなわけで私は劇や小説の確認を早々に諦めて中層に舞い戻った。今度の目的は劇場ではなく自治会。さっき中層の本屋を見た後に向かえば良かったのだけど、下層の確認はどうせすぐに済むと思って後回しにしたのだ。
だって未確認のものを残した状態で別のことをするというのはなんだかすっきりしなかったし、何より今回の騒動に創作物が関連していないというのも早く確信したかった。五十年前のことが頭の片隅にあるせいで、私は可能性がゼロと断言できない限りどうしても偏見を持って物事を見てしまうだろう。それはそれで面倒臭そうな予感しかしなかったので、早く頭を切り替えてしまいたかったのだ。
そうしてやって来た、中層の自治会事務所。中層は庶民の街とは言え、ここは宮殿を抱えるルイーズ。その自治会の入っている建物は商業区域と居住区域の間にあり、新しい商業用の建物に見劣りしないほど立派な外観をしていた。
ここには自治会の他にもいくつか公共的な事業を行う団体の事務所が入っているそうで、来た人が迷わないよう一階に受付がある。その受付でシエルと名乗れば、簡単に自治会長に取り次いでもらうことができた。まあ、彼とはもう何度も一緒に仕事をしているから当然だろう。逆に嫌だと言われたら驚いてしまうところだ。
私が一人で指示された部屋に行くと、扉の前に自治会長の姿があった。「お久しぶりです」、愛想の良い笑みで私に声をかけてきた彼は、「どうぞこちらへ」と私を部屋の中へと案内してくれた。どうやら他の部屋と間違えないように待っていてくれたらしい。
「結構広いんですね」
通された部屋は広く、たくさんの机が置かれていた。飲食店のホールとか、大会議室とか、そういったものに似ている。机の配置は飲食店寄りで、いくつかの区画に分けて置かれているようだ。
席は全ては埋まっておらず、年の行った人々が雑談をしているように見える。区画の間には仕切りがないし、声を落とす素振りもないから、お互いに聞かれても問題のない話をしているのだろう。
「騒然としていてすみません。一応みんな自治会の仕事はしているんですけどね、憩いの場として使っている人も多いものですから」
「ああ、なるほど」
確かに憩いの場という表現はしっくりくる。この楽しそうな空気は真面目に仕事中とは少し言い難い。
自治会長は部屋の奥の方まで歩いていくと、空いていた席の前で立ち止まった。
「もしかして人に聞かれたくない話でしたか? であれば場所を変えますが」
「いえ、ここで結構ですよ。勿論そちらも問題なければ、ですけどね」
私が答えれば、自治会長が「なら大丈夫でしょう」と私に着席を促す。私が座ったのを見て、自治会長もまた腰を下ろした。
「それで、どういったお話でしょうか?」
「少し教えていただきたいことがあるんです。近頃発見されている動物の首無し死骸についてなんですが」
私が言うと、自治会長は「ああ……」と表情を曇らせた。
「あれですね。正直、こちらもかなり迷惑しているんです」
「そうでしょうね。ただの死骸でも良い気分はしないのに、頭がないだなんて……」
「本当ですよ。片付けても片付けてもまた別のところに捨て置かれる……住民は不気味がりますし、見た目にも良くないですから、上の方からもちゃんと対応しろって圧をかけられるんです。なのに補助金は出してくれないものですから、こちらの経費で見回りを雇わなければならないので良いことなんて全くありません」
すらすらと自治会長が話し出す。急に饒舌になったところを見ると、相当鬱憤が溜まっていたのだろう。これは放っておくと止まらないかもしれないと思った私は、「上とは?」と問いかけて自治会長の意識をこちらに引き戻した。
「お役所ですよ。彼ら、街の開発はするくせに細かいことは全部こっちに丸投げで……。観光事情にも力を入れているとかなんとかで、景観に悪影響を及ぼすものはさっさと取り除きたいんだそうです。だったら今回の件も向こうで引き受けてくれればいいのに、小動物の管理は自分達の仕事じゃないだとかなんとか言い訳ばかりで」
自治会長の話を聞きながら、そういえばこの国にはルイーズの開発を管轄している部門があったな、と思い出した。ルイーズは帝都の中でも、更に宮殿を抱えた街。対外的なものもあってこの街は美しくなければならない。だから専門の部署が存在するわけだけど、自治会長の口振りではあまり住民には寄り添ってはくれないらしい。
それは元から察していたことだけど、改めてこうして話に聞くと呆れを感じざるを得ない。恐らく彼らが積極的に管理するのは上層と、ルイーズの城門からそこに行くまでの道だけだ。他の細かいところは全て住民に押し付けているのだろう。
「――全く、嫌になっちまうよな。まるで昔みたいだ」
私と自治会長が対面している席に、近くにいたおじいさん達がわらわらと寄ってきた。憩いの場というだけあって、さっきの自治会長の不満が聞こえたから便乗しに来たのだろうか。「こら、シエルさんは仕事でいらしてるんだぞ」、自治会長が周りに苦言を呈す。しかしそれは逆効果だったようで、「アンタがシエルか!」とその場の一人に背中をバシンッと強く叩かれた。
「やめなさい! ご迷惑だろう!!」
「でも冒険者なんだろ? このくらい平気だよなぁ?」
「はは……」
悪気がないのは分かる。でも痛い。結構痛い。あと女だってバレそうだから正直これ以上近付かないで欲しい。
いつもだったら猫のふりをしたサリがいるけれど、今日はいない。彼がいれば適当に威嚇して追い払ってくれるのに、最近は私が声をかけない限り彼が姿を現すことはなかった。
近くにいなくて好都合だと思うのに、いなければいないで不便だ。でもやっぱりいない方がいいのは確かだから、私は一人でこの場を切り抜けるため、お腹に力を入れて背筋を正した。叩かれた背中はまだジンジンしているけれど、全くもって痛くありませんというふうを装って、「折角ですからお話を聞かせていただけませんか?」とおじいさん達に椅子を指し示す。
椅子に座ってくれれば距離が取れると思ってそうしたのだけど、おじいさん達が座ることはなかった。それどころか一番近くにいた一人は「ああ、任せろ!」と大きい声で言うと、ガッと私の肩に手を回してきた。いわゆる肩を組んでいる状態だ。
「なんだ兄ちゃん、ぺらっとした肩だな」
「……痩せ型なんです」
分かる、他意はない。ただ距離が近すぎるだけ。肩を組むのも親愛のようなものを示していると理解できるし、この肩を触る手にもいやらしさは微塵もない。
でも駄目だった。知らない人にこんなに触られるのなんてほぼ初めてだ。レッドブロックにいた時はなくもなかったけれど、あの頃は私の身体も周りも子供だった。子供と大人ではまるで感じ方が違う。
「あの、椅子に座った方が楽かと思いますが……」
震えそうになる声で必死に提案する。男が男に触れられて嫌がるというのは多分あまりないはずだ。だからシエルとしてここにいる私もそのとおりにしなきゃと思うのに、そう思えば思うほど嫌だという気持ちが強くなる。
「そんな老いぼれてないさ。立ったままで十分――ッうわ!?」
突然の悲鳴と共に私の肩から腕が離れる。だがその直後、今度はトンッとそれなりの重さの何かが肩に乗るのを感じた。
「猫!?」
「ああ、シエルさんの猫!」
周りの言葉と、頭の上から聞こえるシャーッという声に、肩に乗ったものの正体を知った。
サリだ。今日は一緒に来ていないはずなのに、どういうわけか彼が猫の姿でここにいるのだ。
なんでここにいるんだろう。なんでこんなタイミングで現れるんだろう。
浮かんだ疑問は私の頭を真っ白にしたけれど、同時にこの身体から力を抜いていく。
「お前、そこはこの猫様の特等席なんだ。それをいつまでも離さないから怒られてるんだぞ」
「あ、ああ……すまないな。まさか猫がいたとは……」
自治会長に怒られるおじいさんを見て、私もそう思う、と内心で何回も頷いた。だけど私まで猫がいたなんてと言い出したらおかしいから、とりあえず話を合わせなければ、と慌てて思考を巡らせる。
「すみません、驚かせて。外をふらふらしたそうだったので置いてきたんですけど、やっぱり付いて来る気分になったみたいです」
私が言い終わると、サリが肩の上でナァ、と鳴いた。猫らしいその姿に周りも「まあ、猫だしな……」と頷いている。どうやらこの説明で納得してもらえたらしい。
「ええっと……話を戻してもいいですか?」
気まずそうな声を作って問いかける。でも気持ちはさっきよりも随分楽だ。サリが思い切り威嚇してくれたからか、おじいさん達との距離はしっかりと広がった。掴まれた肩に残っていた感触も、サリのふわふわな二本の尻尾がてしてしと叩いてくるからほとんど消えた気がする。
私の言葉に自治会長は申し訳なさそうな顔をすると、「すみません、お忙しいのに」と頭を下げた。
「いえ、気になさらないでください。それよりもちょっと気になっていることがあって――」
言いながら、先程私の背を叩いてきたおじいさんに向き直る。
「さっき、〝昔みたい〟って言ってましたよね。どういうことですか?」
私が問いかけると、おじいさんは目を瞬かせた。
『――全く、嫌になっちまうよな。まるで昔みたいだ』
最初に聞いたこの声は彼のものだ。だから「ほら、ここに来た時ですよ」と付け足せば、おじいさんはやっと自分の発言を思い出したのか、合点の行ったような表情を浮かべた。
「ああ、あれか。ファム・ファタールの時代のことだよ」
「ファム・ファタールって、確か魔女の?」
「そうそう。あの魔女が捕まる前も同じような騒ぎがあったんだ。まあ、あの時は動物じゃなくて人間だったけどな」
その言葉に、昔とは五十年前のことか、と理解した。〝あの魔女〟――私が捕まる前に中層で連続殺人があったことはよく覚えている。身に覚えは全くないけれど。
私が暗い感情を隠そうとしていると、おじいさんに同意するように他の人達もうんうんと口を開き始めた。
「しかも心臓をくり抜いてたんだよな。それに比べりゃまだ可愛いもんか」
「しっかし目的が動物ならうちのペットが手を出されたらって不安で仕方がないよ。犬は引っ込めたが、猫はどうしても外に行っちまう。ちゃあんと家の中に入れたつもりだったのに、餌の時間になったら急に外から帰ってくるもんだから気が気じゃないよ」
「そりゃお前、窓でも開いてるんだろうよ」
「しっかり閉めてるさ」
「ならお前と一緒にドアから出てるんだ。年食って鈍いから気付かないんだろ」
私と話そうとしていたおじいさん達は、共通の話題が出たことでまた雑談を始めてしまったようだ。これはもう聞いてもあまり意味はないだろう。
私は自治会長の方を見ると、「今までペットの被害は?」と問いかけた。
「今のところありませんね。猫もやられたって言っても野良だけです」
「罠で捕まったような形跡はありました? なければ人馴れしてるか、魔法を使ったか……でも烏が捕まるってなるとやっぱり魔法かな」
「それは冒険者の方も言ってましたね。ただ害獣駆除用の魔道具もありますので、割と誰でもできるみたいですよ」
「ああ、そっか。それもありましたね……」
そういえば最近はそういった道具も発達しているのだ。私は動物を狩る時に魔法しか使わないから馴染みがないけれど、使える属性の限られる一般人にとってはこちらの方が便利だろう。何せ魔道具は魔力さえあれば属性どころか魔法の腕にすら関係なく同じ効果をもたらしてくれる。そして魔力を扱えない人間なんて滅多にいない。
となると、死骸を調べてもそこまで意味がないような気がした。魔法を使ってくれていれば属性で少し絞れると思ったけれど、魔道具を使われたんじゃそれも難しい。残った魔力で誰かを特定することはできなくもないけれど、ルイーズの人間全てを確認するのは相当骨が折れる。
「一応聞きますが、死骸って残ってますか?」
「いやぁ、もうないですね。冒険者の方に焼却処分してくれって依頼してしまっているので」
「まあ、適当なゴミに出されても困りますもんね……」
埋めるにしたって、今後どれだけ出るか分からないなら場所を選ぶだろう。浅い場所に埋めれば動物に掘り返されてしまうから、焼いてしまうのが一番楽なのは理解できる。しかしそうなると、手間がどうと言う以前に残された死骸から犯人の痕跡を探ることはできない。
新しい死骸が必要だ――私は気持ちを切り替えると、次の手がかりがいつ得られるのか確認することにした。
「死骸って、今のところどのくらいの頻度で出てるんですか?」
「ええと、大体三日に一回くらいですね」
「前回見つかったのは?」
「昨日です」
「昨日……場所って決まってます?」
「いや、全然。見回りを増やしたら余計にバラけましたよ」
となるとかなりの広範囲を探らないと、現場を押さえることはできないだろう。次の死骸を見せてもらうのとどちらが楽だろうか――少し考えて、私は「頼みがあるんですけど」と自治会長に切り出した。




