【Ep2 聖なる魔女と少年冒険者】2-2 理想の鳥
サリを躱す技を見つけた日の夜、私は久しぶりに教会区域の外を歩いていた。
普段暮らすそこから離れるごとに、澄んだ夜の匂いが食べ物とアルコール混じりのものへと変わっていく。一人歩く足音はだんだんと喧騒に紛れ、暗かった夜道は随分と明るくなった。
ここ、ルイーズの商業区域は夜でも眠らない。教会や聖堂の立ち並ぶ教会区域はこの時間になると見回りの人以外歩いていないけれど、このあたりは全く違う。
昼間は貴族街を真似て綺麗で華やかな町並みは、夜が深くなればなるほど荒々しさを増していく。華やかさを纏うお店はその日を営業を終えて、冒険者向けの酒屋や道具屋ばかりが営業するようになるからだ。
別にこれらは昼間に営業していないわけではない。だが商売相手である冒険者という職業の都合上、昼夜問わず店を開いていた方が儲かるらしい。すると人も自然とそこに集まっていくから、庶民向けの商業区域は眠りから遠ざかるのだ。
そんな異様な明るさを放つ町の中を、私はより賑やかな方へと向かって歩を進める。しばらく行って顔を見せたのは一際大きな建物。冒険者ギルドだ。
「……わーお」
戸を開けて中に入れば、外が比にならないほどの騒がしさが私を待ち受けていた。あまり身奇麗とは言えない人々がそこらじゅうで食べ物の乗ったテーブルを囲みながら大騒ぎしている。ここはパブか何かかと思ったけれど、確かギルド内には食堂も併設されているからそのせいだろう。
入り口の近くにいた人々は私を一瞬だけ見たけれど、大して特徴のない姿にすぐに興味を無くしたのかまた仲間との談笑に戻った。我ながら良い変装ができたのだと、顔の下半分を隠すマフラーの下でほくそ笑む。肩に乗る美しい黒猫だけがそれに気付いて、ナァ、と猫らしい声で私の注意を引いた。
猫はテシテシと二本の尻尾で足場とは反対側の肩を叩いて、あそこだと言わんばかりにある方向を指し示す。そこにあったのはこのギルドの受付で、私はここに来た目的を思い出すと示された方へと歩いて行った。
「いらっしゃいませ。ご用件はなんでしょう?」
「冒険者登録をしたいんですけど……」
いつもより低い声を心がけて受付のお姉さんに話しかける。
冒険者というのは昔からある有名な職業だ。仕事内容は魔獣の討伐や傭兵といった武力を必要するものから、ちょっと珍しい素材集めまで色々。冒険者というよりなんでも屋と言った方が正しいかもしれない。
それでも冒険者だなんて名前を冠するのは、協定を結んだ国同士であれば行き来が自由で、かつ未知のものを見つけて報告すれば多額の報奨金が出るからだ。冒険者の中にはそういったものの探求を主な活動として、それ以外の依頼をお小遣い稼ぎとして引き受ける者が多い。
「以前に冒険者登録をされたことはありますか?」
「ないです。初めてです」
「ではこちらに名前を記入してください」
そう言って渡されたのは銀色のプレートと、先がやたら尖ったペンだった。見たところこれらはただの道具ではなくて、魔術回路を埋め込まれた魔道具だろう。ペンは内部に機構があるのか見えないけれど、プレートの方はうっすらと回路が刻まれているのが分かる。
「偽名は駄目ですよ。登録料は無料ですが、そのプレートは二枚目からは有料です」
「普通に書き間違えちゃったら……?」
「有料です」
「あ、はい」
まあこのプレート自体安物ではないから当然だろう。一枚目のプレートと冒険者登録を無料にしているのでさえかなり良心的だ。とはいえ完全なる親切心ではなくて、確か冒険者登録は偽証不可能だから、犯罪者検知にも使えるということで国から補助金が出ていたはずだ。
という五十年前の知識を引っ張り出しながら、私はプレートに名前を書き込んだ。ペンが通り過ぎたところには傷のような窪みができて、その中にインクで黒く色が付いていく。
先が普通のペンよりも尖っていたのはこのためだ。恐らく中の魔術回路が少ない力で必要な深さまでプレートを彫る補助をしながらインクを出しているはず。このインクもきっとただのインクではなくて、魔術回路を描くために使うものだろう。
つまりこの作業は一発勝負、修正不可。間違えたらお金を取られてしまうし、そのまま登録証として使い続けるのに汚い字は嫌だからかなり慎重に私は文字を書いていった。
刻むのはいつもとは違う名前。通常よりも時間をかけて書き終えると、お姉さんにペンとプレートを渡した。
「シエル・バルトさんですね。ではここに手を当ててください」
お姉さんが取り出したのは、木箱に金属の板が取り付けられた形状の魔道具だった。私が金属板に手を当てると、お姉さんが箱の隙間に先程のプレートを差し込む。
「準備ができましたので魔力を流し込んでください。軽くでいいですよ」
言われるがままに魔力を流し込めば、金属板に魔術回路が浮かび上がった。これで私の魔力とプレートを紐付けているのだろう。
「はい、もういいですよ。魔法連盟に問い合わせますので少々お待ち下さい」
なるほど、そういう仕組みか。この国では六歳の時に魔法適正検査を受けるのだけど、その際に魔力と名前を紐付けて登録されるのだ。魔力の波長は指紋と同じで一人ひとり異なるし、魔力自体は誰でも持っているものだから、基本的にこの国の国民であれば漏れは出ない。
そして適性検査を仕切り、そのデータを管理しているのが魔法連盟。連盟は国を越えた組織で、どこの国の出身者であっても大抵ここに魔力と名前の情報がある。必ずしも全員ではないだろうけれど、ここに問い合わせて問題なしと返ってきたら身元を保証されるようなものなのだ。
ちなみに私は今までに二度、魔法適性検査を受けたことがある。シェルビー・スターフィールドの時と、シェルビー・ハートの二回。つまりシエル・バルトでは受けていないわけだけど、そこはまあ問題ない。
「はい、確認ができました。シエル・バルトさんご本人で間違いありません。冒険者ギルドのシステムについてはあちらに掲示されていますので、まずは内容をご確認ください。この支部についてはこちらになります。何かご質問はありますか?」
受付のお姉さんはテキパキと必要な情報を私に示していく。いちいち口で説明しないのはありがたい。一気に色々教えられても覚えるのが大変だし、そもそもギルドのシステムは前世の仕事で完全に把握している。五十年も経っていれば変わっていることもあるだろうけれど、そこまで大きな差異はないだろう。
「大丈夫です。色々確認してみて分からなかったら質問してもいいですか?」
「ええ、問題ありません。ではこちらがシエルさんの登録証になります。こちらのチェーンはサービスです」
「ありがとうございます」
もらったチェーンをプレートに通して首から下げると、私はテーブルを避けるようにして反対側の壁へと向かった。お姉さんの言っていたギルドの仕組みをざっと確認し、そのまま依頼一覧の元へ。
歩きながらふと窓に映った自分の姿に気付いて、まじまじと見つめてみる。普段は教会から支給された長い丈のワンピースを着ているけれど、今日の私は久々のパンツスタイルだ。教会に入る前以来だから実に十年ぶり。
いつか使うだろうと思って持ち込んでおいた変装衣装がやっと役に立った。長い金髪は魔道具を使って茶髪にしつつ、後ろで三編みに。段を付けてある上の方の髪は三編みから出してあって、一見すると長めのショートカットに見えるだろう。顔を隠すためのマフラーとマントが女らしい体格を隠しているから、今の私はどこからどう見ても少年だ。
シエル・バルト、少年冒険者。小遣い稼ぎのための私の新しい変装。
「あまり自分をまじまじと見ていたら不自然だぞ。いくら身分を誤魔化せても本人の挙動がおかしいんじゃ意味がない」
耳元で黒猫がいい声で言う。猫なのに。もっと可愛らしい声が良かった。
「分かってるよ、サリ」
黒猫ことサリは、猫のくせに勝ち誇ったような顔をした。
サリの姿は本人の意思で人から見えたり見えなかったりするけれど、今は黒猫となって誰にでも見えるようにしている。というのも今回シエル・バルトとして冒険者になるにあたり、彼には多大な貢献をしてもらっているからだ。
まず昼間話していた教会を抜け出すための出入り口を作ってもらった。次に私の魔力の偽装。そして偽装した魔力を魔法連盟にシエル・バルトとしてこっそり登録しておくこと。
正直なところ、これらは全て私でも魔女の魔法を使えばできる。できるけれど、教会内で魔女の魔法の痕跡を残さないというのが今の私には無理。痕跡の問題がなかったとしても同時に全部こなすのは流石に荷が重いし、魔法連盟への登録なんて実際に記録保管所へ行って状況を見ながらじゃないと対応しきれない。いくら変装してもそれは厳しいということで、今回は全部まとめてサリにやってもらった。
そうやって一応事前に調べて必要だと分かったことは準備したわけだけど、いざ登録本番で知らなかったことが出てきたら怖い。
そのような不測の事態に対応するにはサリには近くにいてもらいたいけれど、普段の彼の姿は目立ちすぎる。姿を隠していてもらおうにも、使う魔法の内容によっては一発で魔女バレする危険すらあった。冒険者はともかくガエリアは魔女の存在を許さないから、そんな国の冒険者ギルドで魔女バレなんてしたら面倒なことこの上ない。
というわけでサリには猫、というか猫によく似た魔獣になってもらっているのだ。魔獣なら魔法を使えるから最悪誤魔化せる。
この姿のサリはモフモフでとても可愛いのだけれど、素直に可愛いと愛でてはいられない。だってこれは、彼に色々やってもらったという証でもあるのだから。
「……また借金が増えた」
「利子を払うために新たな借りを作るなんてな。お前は本当に理想的なカモだよ、シェルビー」
「くっ……これも未来への投資……!」
それもこれもマナクリスタルを効率よく集めるためだ。マナクリスタルは魔獣の体内にあることが多く、魔獣自体も素材として売ることができる。そして素材を売ったお金でマナクリスタルは買えるから、現状これが一番効率的に利子を払う方法となるのだ。
「わざわざ冒険者になる必要はないのに。前の体では適当に狩りに出ていただろう?」
「冒険者っていうのは良い反乱分子予備軍なんだよ、サリ」
冒険者は立場上外国の状況を見ることが多い。その目でこの国を見れば、この国の異常さにも気付くだろう。それでも誰も声を上げないのは情報が操作されているからだ。ゆくゆくはそのあたりにも手を出したいと思っているから、冒険者となって実情を知っておくのはどのみち必要なこと。
それから私が変装してまで冒険者になった理由はもう一つある。実を言うとマナクリスタルもついでで、本当はこちらがメインだ。
それを頭に思い浮かべながら、壁に貼られた依頼書に目を通していく。依頼の概要、発注日、報酬額――情報はいくつあるけれど、今重視している項目は一つだけ。
そしてある一つの依頼に目を留めると、私はその依頼書を手に取ってサリに差し出した。
「こういうのが皇族ネガキャンに使えるんだよ」