【Ep8 聖なる魔女と重なる秘密】8-5 焼け焦げた嘘
エイダと共に向かったのは、パストレネという大きな街だった。
帝都からは南方向にかなり離れているものの、海の近くあるため交易の要所として栄えている。それ以外にも教育や司法に関する施設なども他の街では見ないほど揃っていて、ガエリアに初めて来る人はここを帝都と勘違いしてもおかしくないくらいの発展具合だ。この辺りは帝都から遠すぎることから、周辺に住む人々には帝都と同等の機能を持った街が必要だったのだろう。
それだけ大きな街だから、勿論冒険者ギルドもある。エイダは何度かこの辺りに来たことがあるらしく、慣れた様子で手頃な依頼を効率良くこなしていった。
私はといえば、シエルとして彼の軽い手伝いだけをしている。仕事をしたいのはエイダだし、私はちょっとした気分転換として来ているからいつものように埋もれた依頼を探す気にもなれないのだ。
この街までの道のりも、そしてここでの滞在の間も、私は少しだけ顔を出してはすぐに教会に戻っていた。
移動に必要な時以外、なんとなくサリとは話していない。この街を選んだ理由を思うとどうしても気分が沈んでしまって、サリと話す気になれないのだ。だけど彼と長期間会話しないというのもそんなに珍しいことではないので、向こうは全く気にしていないだろう。そもそも気にするような感情があるのかすら怪しいけれど、必要以上に声をかけられないのは今の私にとっては好都合だった。
そうして、エイダがパストレネに来て三日。彼の仕事が一段落するのが分かると、私はエイダを街外れにある森の中へと連れて行った。
「――……これ何?」
森の中に現れた小屋を見ながらエイダが首を傾げる。小屋と言っても既に焼け落ちていて、その上からは草木が覆っているから一見したら小屋だと分からないだろう。
それでもエイダはどうにか建物だったものだと判別できたらしく、「家か?」と首を捻っていた。
「うん、私が生まれた家」
「アリアドネと住んでたってこと?」
「そうだよ」
私の答えにエイダは驚いたような表情を浮かべた。けれどすぐに小屋へと視線を戻し、近付きながら「落雷か何かか?」と燃えるに至った原因を考えている。
「こんな人里離れた場所じゃァ誰も気付かなかったんだろうな。平気か? 住んでた家がこんなんなって……」
「知ってたから大丈夫。燃えて住めなくなったからここを出ていったの」
「そうか……。なんで燃えたんだ? 火の不始末とか?」
「放火だよ」
「は?」
エイダが動きを止める。萌葱色の目をまん丸に見開いて、私をじっと見ている。私はそんな彼に小さく息を吐くと、にっこりと笑顔を浮かべた。
「私の父親にね、燃やされたの」
「……どっちの?」
「勿論この体の」
私の話にエイダは言葉を失っていた。何を言うべきかと目を泳がせている彼に苦笑を零し、「母さんの見た目、覚えてる?」とおどけるように問いかける。
「当たり前だろ、お前とほぼおんなじ顔なんだから。まァあの人の方がめちゃくちゃ色気あったけど」
「髪色は?」
「灰色だろ。目はお前と同じ青だけどさ」
「私の金髪は父親譲りなの」
「……おい、それって」
元に戻りかけたエイダの表情は、またヒクリと引き攣った。
「私の父親って貴族らしいんだよね」
「……マジかよ」
エイダが信じられないと言わんばかりに顔を歪める。だけど受け入れるのに時間がかかっているだけで、疑う気はないらしい。
その目は私の方を向いて、けれどすぐに私から遠ざかっていった。金髪と言ってもシエルの格好をしている今の私は茶髪。それにいくら少し緩めているとはいえ、顔周りにマフラーを巻いているせいであまりその茶髪も見ることができないだろう。
エイダは大きく息を吸いながら少しだけ視線を彷徨わせると、やがて深い溜息を吐き出しながら私に目線を戻した。
「まァ、よくよく考えれば当たり前か。くすんだ金髪は庶民でもたまにいるけど、お前みたいな髪色してるのは貴族くらいだしな。……けどよ、アリアドネってただの踊り子だったんだろ? よくそんな相手と出会うな」
「別に珍しくも何ともないよ? 貴族の男の人が母さんみたいな職業の人相手に子供作るの。お忍びで遊びに行くみたい」
「……そういう子供はみんな無事に育つのか?」
ちらりと焼け落ちた小屋を一瞥して、エイダが眉間に皺を寄せる。放火の理由はまだ言っていないけれど、彼の中では答えは一つに決まっているらしい。
「大抵はね。でも私は父親の血が強く出過ぎた。だから邪魔だったみたい」
私がエイダの考えを肯定するように言えば、彼は「それでレッドブロックに来たのか」と声を落とした。
「そういうこと。この家には二歳くらいまでしか住んでなかったけど、何度も父親の使者が来ていたのは覚えてる。最初は私のこと引き取ろうとしてたみたいだよ。庶子でも綺麗な金髪を持った女の子ならいくらでも貴族に嫁ぎ先があるからね」
「うわ……なんでそんな金髪銀髪が好きかね、お貴族様は」
心底嫌そうな表情でエイダが言う。苦いものでも食べた時のように口を横に大きく広げて、気を紛らわすように周囲の木々に目を向けた。
けれど不意にエイダは表情を和らげた。「ってことは、」と言葉を続けながら、何かに気付いたような光を帯びた目で私の方を見る。
「アリアドネは貴族相手にしてもお前を渡さなかったのか」
そう納得したように言ったエイダの声は心なしか明るい。彼は母さんに少しだけ懐いていたから、彼女が権力を前にしても屈さなかったと分かって嬉しいのかもしれない。
それは私も同じで、思わず顔を綻ばせながら「うん」と頷いた。
「『ちょっと遊んでやっただけの男に、なんで私が命懸けで産んだ子をあげなきゃいけないの?』だって」
「……言いそう」
「ね。私はまた自分が貴族の家で育つなんて気持ち悪かったから助かったけど……大人しく渡してれば母さんは死なずに済んだかもしれないのに」
言いながら視線を落とせば、エイダが横目で私を見てくるのが分かった。
けれどその気配に気付いても、私はまだ顔を上げられなかった。いつもどおりの表情を作りたいのに、顔が言うことを聞いてくれないから。
「……一人でも来れるだろ、ここ」
何も言わない私を見かねたのか、エイダが静かに口を開く。
「でも来たのは今日が初めてだよ」
「なら尚更だ。なんで急に来る気になった? お前にとっては大して意味のない場所だろ。しかもサリクスじゃなくて俺を連れてくるなんて」
「そうだね。……なんでだろうね」
「後悔してるのか? その使者とやらについて行ってたらって」
エイダが真っ直ぐに私を見ている気がする。だけどやっぱりまだ、顔は上げられない。
「どうだろう。貴族として生きたところで、どうせ神聖魔法の適正があるから教会行きでしょ? でもそれくらいじゃどんな家柄でも簡単には皇族には嫁げないから、遠くの家に嫁がされるのを防ぐためにもやっぱり聖女になる必要があった。ま、そうでなくても聖女にはなるつもりだったけどさ。今の私がなかなか皇族の誰とも噂にならないならやっちゃったなぁって思ったかもしれないけど、無事キーラン殿下との話が進んでいきそうな雰囲気が漂ってるからね。だから――」
「そっちじゃねェだろ」
必死に動かしていた私の口を、エイダの鋭い声が止める。「え?」、思わず顔を上げてしまえば、こちらをじっと見つめる緑色の瞳と目が合った。
「打算じゃなくて、シェルビー自身が後悔してるかって話をしてるんだよ」
「ああ、そっち……」
さっとエイダから目を逸らす。逸らした目線が行き場を失う。
「……してる、かも。でも、復讐を果たせばそれもなくなる。母さんが死ぬことになった原因はあいつらだもの」
いつの間にか私の目は真っ黒に焦げた壁に向いていた。エイダが苦しそうな声で「……シェルビー」と私の名前を呼ぶ。
だけど私はそれに何も返せない。うまく動かない口を誤魔化すようにドアがあった場所から小屋の中に入って、変わり果てた生家の姿に目を細めた。
かつては小さいながらも人の住める家だったのに。床も壁も、天井すら焼け焦げて、屋内なのに空がはっきりと見える。家を作る木の隙間からは雑草が飛び出しているし、壊れた家具は緑に覆われて綺麗な花を咲かせていた。
エイダは、何も言わずに私の後に続いて家の中に入っていた。背後に感じる気配はただそこに在るだけで、それ以上に主張はしない。その気遣いになんだか苦しくなって家の中の観察に集中していると、足元の草の間に見覚えのあるものを見つけた。
「ああ、これ食器棚だったんだ」
形を失った木の塊は、我が家にあった小さな食器棚。女ひとりと赤ん坊の二人暮らしだったから、食器棚と言っても大きな鞄程度の大きさしかない。
ここにまだ住んでいた頃の私は赤ん坊で、これをちゃんと見る機会はなかった。しゃがんで邪魔な雑草を払いのければ、なんとなくこんな形だったなと思える食器棚の全貌が姿を現す。
その中には煤けたカップが入っていた。小さな子供用のカップと、大きな大人用、二人分。
「……あれ?」
私が声を上げれば、エイダが「どうした?」と隣に腰を下ろしながら私の手元を覗き込んだ。
「……なんで二つあるんだろう」
子供用のとは別に、大人用のシンプルなものが二つ。カップは割れているけれど、持ち手の数を間違えるはずがない。
そのうちの片方を手に持ちながらぼんやりとしていると、エイダが「別に普通だろ」と私に目を向けた。
「よくセットで売ってるじゃん。だからじゃねェの?」
「でも母さんは一人分でいいから半額にしろって言うタイプじゃない?」
「……確かにな。誰かよく来てたとか? ほら、使者って奴とか」
「いつも玄関先で追い返してたよ。中に入れたことは一度もないはず……」
「体は二歳児だろ? 寝てる時間長いから気付かなかったんじゃねェの?」
「そうかな……」
エイダの言葉に記憶を辿る。確かにあの頃はたくさん寝ていただろうけど、食器を用意されるような人が来ていたのに気付かないなんてことがあるだろうか。
『――飲まないと言っている』
ふと、耳の奥に声が響く。聞いたことのある声だ。だけど、聞くはずのない声。
「…………?」
記憶が混ざってしまっているのだろうか、と慌てて首を振る。「シェルビー?」、不思議そうにこちらを見てくるエイダの声を聞きながら、正しい記憶を求めて過去に意識を集中する。
『出さないと落ち着かないのよ。これでも客商売だから』
『俺は客か?』
『たまにしか姿を見せてくれないなら客でしょ』
『用がないからな』
「……誰か来てた気がする」
一人は母さんの声だ。懐かしい母さんの喋り方。今の私と同じような声なのに、どういうわけか艶やかで、雰囲気のある声音。
なら、もう一人は?
ドクドクと心臓が騒ぎ出す。その答えはもう知っている気がするのに、そんなことは有り得ないと〝今の私〟が過去の私の記憶を否定しようとする。
『別に直接私から聞かなくても分かるんじゃない?』
『人間のことはよく分からん』
『意思疎通はできるんでしょ? どうやってやるかは知らないけど』
『ある程度はな。だがまだ舌っ足らずでまともな会話にならないんだ』
『あの子はもどかしいでしょうね。中身私より年上なんでしょ? それが赤ん坊になって下の世話されるだなんて……』
『シェルビーが望んだことだ』
蘇ってきた会話が、否定しようとする私の意思を押し返す。だけど駄目だ、そんなことあっていいはずがない。
「待って……おかしい。なにこれ……」
震える声で言えば、エイダが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「お前さっきからどうしたんだよ?」
「母さん、が……男の人と話してて……」
「男? 父親か?」
「違う、これは……」
記憶が戻る。幼気なまどろみの中で薄らいでいた記憶が、はっきりと輪郭を取り戻す。
『悪魔だったら世話なんてどうにかできるんじゃないの?』
『無理だ。だからお前にはシェルビーが自力で動けるようになるまで母親をやってもらわなきゃならない』
『私は別にいいけど……あんたに頼まれて産んだ子とはいえ、ちゃんと可愛いと思えてるしね』
『……人間は意味が分からんな。ただの取引だろうに』
『私はあんたの方が意味分からないけどね、サリクス。人間の女の子一人にこんな手間暇かけるだなんて』
『人間の女じゃない。俺の魔女だ』
カシャンッ……手からカップが落ちる。元々割れていたそれは置きっぱなしだったもう一つのカップとぶつかって、最初よりもずっと小さな破片になった。
「シェルビー?」
私を呼ぶエイダの声が、少しだけ焦りを帯びる。
『――シェルビー。アリアドネは誰のせいで死んだ?』
サリの声が、頭の中を引っ掻く。
「ぁ……ぁあ……ッ……」
私が生まれ変わることを望んだ。だから母さんは死んだ。
だけど母さんを選んだのは――サリだ。
「そんな……サリが、嘘を……」
母さんは何も知らなかった。知らなかったと、思っていた。
『お前の本当の母親はまだ生きているし、アリアドネもお前が前世の記憶を持っていると気付いていた』
サリだってそう言っていたのに。だけど母さんは気付いていたんじゃない。全部知っていたんだ。……サリと、取引をしたから。
「はッ……はぁっ……!」
心臓が暴れる。息が上がる。だけど駄目だ、鎮めなきゃ。
サリにこれを悟られちゃいけない。体中をめぐるこの言い知れぬ暗い感情は、彼を悦ばせるだけなのだから。
「シェルビー、大丈夫か!?」
「エイ、ダ……」
エイダが私の肩を掴む。今まで見たことがないくらいに心配そうな顔で私を見つめる。
「ッ……何があったのかは知らない。だけど今はそれ以上何も考えるな。引っ張られるぞ」
「でも……――ッ!?」
そんなことできるならやっている――そう返そうとした私の頬が、熱に包まれる。
……でもおかしい。力加減が。
「いッ……何!?」
頬が内側に押し込められている気がする。そう思ってエイダの瞳に映る自分を見てみれば、そこには両頬を彼の手に挟まれて酷く間抜けな顔をしている私がいた。
「凄ェな、こんだけ潰してもそこまでブサイクにならないのか」
「はあ!? ……っ」
感心したように言うエイダに怒りを覚えた瞬間、ぐいと後頭部が前に引っ張られた。
私の顔が、エイダの胸元に当たる。頬にあった手は離されて、代わりに背中がゆっくりと優しい力で叩かれていた。
「水でもぶっかけられればよかったんだけどな、俺そういうのできねェから」
「……爆破すればよかったじゃん」
「ここで火なんか使えるかよ」
エイダの心臓の音が聞こえる。触れた顔が、背中が、温かい。
生き物特有のその感触に心地良さを感じた時、エイダの体がすっと離れていった。
顔に触れた空気が、やけに冷たい。
「さて、シェルビー」
エイダが私を見る。その表情はいつもどおりで、私も思わず「何?」と普通に返していた。
「なんかメシ奢れ」
「は!?」
「たまにはいいだろ。パストレネって美味いモン多いんだよ。折角来たなら食い倒れようぜ」
言いながらエイダが立ち上がる。「……子供みたい」と私が言えば、エイダはニッと笑みを浮かべて私に手を差し出した。
「いいじゃねェか。子供の遊びを教えてやるよ」
「なにそれ」
なんだか昔もこんなことがあった気がする――ふと抱いた既視感に頬が緩む。気付けば私の中にあった暗い感情は勢いを鎮めて、遠くからこちらを覗いているだけになっていた。
差し出されたエイダの手を見て、私の右手が動く。そうしてしっかりとそれを握れば、慣れない温かさが指先から伝わってくるのを感じた。




