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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第二章 はじめまして、婚約者様
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【Ep8 聖なる魔女と重なる秘密】8-3 秘密の後始末

 墓地を出た後、私はレッドブロックの赤い道を一人で歩いていた。

 サリの姿はない。彼が近くにいたらまた涙が出てしまうかもしれないから、一人にしてくれと言ってある。


 本当は墓地から直接教会に帰っても良かった。だけど聖女が泣いていただなんてバレたら面倒だから、泣き腫らしたこの目が元に戻るまで部屋に引き篭もらなければならない。どうせそれまで人目を避けなければならないなら、微妙に体調の悪くなるあそこにいるよりはこうして昔住んでいた場所でゆっくりする方がいい。

 ゆっくりすると言っても、そんないい場所でもないけれど。相変わらず空気は汚いし、街並みだってスラムそのもの。それでも初めてここに来た時よりかはよっぽど異臭はしなくなった。以前は下水の臭いが酷かったけれど、結構前に手を打ったため今はそれもない。下水以外の嫌な臭いは残っているものの、それらは人々が生活を改めないとどうしようもないから諦めている。


 季節は初冬。顔を隠すマフラーから出た目が冷たい空気に冷やされる。早く腫れよ引けと思いながら歩いていくと、少し先に見慣れた人影が壁にもたれかかっているのが見えた。


「……なんでいるの」


 その人影に近付いて、思わず不機嫌な声が出る。すると人影ことエイダは嫌そうに顔を顰めて、「なんで俺が文句言われなきゃならねェんだよ」と唸った。


「余所者が堂々と歩いてるって聞いたから様子を見に来ただけ。全く、その格好なら目立たないように行動しろよ」

「珍しいね、エイダが仕事してるの」

「誰かさんに厄介事頼まれたせいで断れねェんだよ」


 それまで不機嫌そうに話していたエイダだったけれど、ふと何かに気付いたように怪訝な面持ちを浮かべた。「……泣いたのか?」、静かに問いかけてくる彼の眉尻が少しだけ下がる。


「墓地に行ってたの」

「あァ……アリアドネか」


 エイダは私が来た方向を見て、納得したように低い声で呟いた。彼も母さんとは面識があるから、彼女がもうこの世にいないことも知っているのだ。


「まだそんなに目立つ?」


 目元を指差しながら問えば、エイダは「多少な」と答えた。いつもよりもほんの少しだけ声が柔らかいのは気を遣われているからだろうか。そうして欲しいわけじゃないからなんだか居心地が悪い。


「ま、ちょっと赤いってくらいだよ。お前の素顔知らなきゃ分からないだろ」

「……そっか」

「さっさと治しゃいいのに」

「ほっといてもすぐ治るものに魔法なんて使いたくない」

「ケチ(くせ)ェなァ……」


 面倒臭そうに言ったその声はもういつもどおりだった。けれどそれに安堵したのも束の間、何故かエイダの視線が鋭くなる。

 探るような、相手を見透かそうとするような嫌な目だ。私が思わず「何?」と顔を顰めると、エイダははっとしたように「わり」と言いながら表情を戻した。


「人にそんな不躾な視線向けといて謝るだけで済むとでも?」

「済むだろ、普通。つーか別に悪い意味じゃなくて……どっちかって言うと心配してる」

「何を?」


 エイダの言っている意味が分からなくて、私は思わず首を傾げた。恐らく今彼の言っている心配は泣いていたことに対するものではないだろう。それは分かるのだけど、そうすると心配されるようなことに心当たりが全くない。

 一体何のことだろうと思いながらエイダを見つめていると、彼は言いづらそうに口を開いた。


「シェルビーさ、最近何かあったのか?」

「何かって?」

「何かは分かんねェけど……なんつうか、濃くなった?」


 首を捻りながら言うあたり、エイダ自身も自分の言っていることがよく分かっていないらしい。だけどそれを私に聞かれても私だって分かるはずがない。「何が?」、私が問いかければ、エイダはううんと考えるようにしながら口を動かした。


「なんだろうな、多分魂の……これが穢れってやつか? あの女とは正反対の雰囲気のやつ」

「……そっか、エイダはディリーと魂混ぜてるから感じ取れるんだ」

「お前は違ェの?」

「違うよ、共有してるだけなんだって。だから私には魂の色は感じ取れない」

「へェ」


 だから私にはエイダの感じているものは分からないと暗に告げれば、彼にもそれは伝わったらしい。「今度ディリーに聞いてみるか」と納得したような顔をしている。

 けれどエイダが納得したのは魂の感じ方についてだけのようで、私の魂の状態が気になるらしい彼は「んで、どうなのよ」と先ほどの質問を繰り返した。


「どうって言われても……要は魂の穢れが強くなったってことでしょ? 聖女になって色々具体的に動けるようになったからじゃないかな。実感が湧いてきたっていうか」

「ふうん? それだけなら別にいいけど。なんかどんどん濃くなってきてる気がしたから」

「魔女なら良いことじゃない? エイダは普通なんだっけ」

「普通言うな」


 ジロリ、エイダが私を睨む。いつもどおりの彼の態度に肩から力が抜けるのを感じて、私は初めて自分がそれまで身体を強張らせていたのだと知った。


 なんでだろう、さっきのエイダの目線が気に入らなかったのだろうか。確かに自分を探ってくるような目はあまり好きじゃない。本人が言葉や態度に出さないことを選択しているのに、それを無視してくる行動は正直言って気分が悪い。

 とはいえ、エイダの場合はそういうのとは違うのだろうけど。きっと彼はよく見えないものを見ようとしただけだ。言うなれば遠くにあるものを目を細めて見たのと同じで、ただその対象と彼の目の間に私がいただけ。そんなものにいちいち何か感じても無駄なので、私はそこで思考を打ち切った。


「つーかあの女はどうした」


 思い出したようにキョロキョロと目線を動かしながらエイダが言う。ほんの少し警戒した様子を見て「ルルベットのこと?」と問いかければ、「ああ」と低い声が返ってきた。


「あの子ならラムエイドに帰ったよ」

「よかった……もう来ないよな?」

「いや、ラムエイドの調査が一段落したらまたレスタニアのことは調べたいって」

「……マジかよ」


 うんざりとしたようにエイダが溜息を吐く。やっぱり彼はルルベットのことがかなり苦手らしい。

 それにレスタニアのことを調べるとなると、また色々と手を回さなければならないから面倒なのだろう。


「あ、そうだ。そういえばラムエイドの結界も正式に報告してきたよ」


 ラムエイドに結界を張ってもう一ヶ月近く経つ。だから私はルルベットがラムエイドに戻った後、彼女が森に行っている隙を突いて依頼者に報告を行っていた。ルルベットの目を盗んだのは向こうで捕まると面倒だからだ。滞在時間を極力減らしたいのに彼女に見つかれば絶対に長引く。別の依頼のついでに寄ったのだということにして、私は一時間だけラムエイドで過ごした。

 報告まで一ヶ月待ったのは植物の成長時間を加味してのことだったけれど、毎日雑草除去に追われていた街の住民は一週間程度で効果を実感してくれていたらしい。嬉しそうにしながら依頼完了のサインをもらえたのでなかなか気分が良かったし、少し報奨金も上乗せしてくれた。


「今日は手持ちがないんだけど、エイダにも手伝ってもらったから今度報奨金の一部は渡すね。ちょっと多めにもらったんだ」

「あ? 別にいいよ、経費で結構くれただろ。あれ少し多かったし」

「手間賃も含んでるからさ。ギルドを通した依頼に関してはちゃんとお金は払おうかと思って」

「普段の小間使と何が(ちが)……――待て、お前報告書に俺の名前載せたな?」


 はっとしたようにエイダが顔を引き攣らせる。そんな彼に私はにっこりと微笑んで、「当然でしょ?」と小首を傾げた。


「依頼への対応として結界を張ったんだから、その術者は正しく記載しなきゃ。ちなみに街の人には最初の数年は年に一回、それなりの魔法の使い手に見てもらうように言ってあるよ」

「おい、ふざけんなよ。それお前が捕まらなかったら俺のとこに話が来るやつじゃねェか!」

「えへっ」

「誤魔化すな!」


 まあ、エイダが怒鳴るのは尤もだろう。結界のメンテナンスは〝それなりの魔法の使い手〟であれば誰でも良いのだけれど、見知らぬ冒険者に依頼するより既に実績のある相手に頼みたくなるのが人間だ。冒険者ギルドには指名制度もあるし、それにはお金がかかるけれどあの街であれば資金は問題ないだろう。

 となれば当然彼らはシエル()を指名しようとする。そして私が断れば次に報告書に名前のあるエイダのところにも話が行くはずだ。エイダだって断ることは可能なものの、あまり何度も指名依頼を断ると悪い噂が立つ。そうすると他の仕事にも響いてくるから、彼は強く断ることができないだろう。


「……あーもう、嵌められた。絶対自分が面倒だから俺にもなすり付けたんだろ」

「だってあそこ遠いじゃん。あと花粉も凄いし」

「俺はお前と違って移動に時間がかかるんだよ」

「でもエイダ暇でしょ?」

「暇じゃねェよ。お前のせいでずっとここにいるんだぞ? 毎日毎日雑用やらされるせいでろくに仕事できねェわ」


 なんで私のせいなのかなと思ったけれど、そういえばルルベットのことがあったと思い出した。私が彼女を連れ込んでしまったからエイダはその後始末――文句を言ってきた人のご機嫌取りに追われているのだろう。そしてそのせいでレッドブロックを離れられず、元々出身のせいで離れた場所の依頼しか受けていなかったエイダは合間に冒険者としての仕事をすることもできない。

 そう考えると悪いことをしたなと思ったけれど、気付けば私の口は謝罪ではなく「でも本職はこっちじゃん」とエイダが嫌がりそうな言葉を発していた。


「……逃げてたんだよ、あんまやりたくねェから」

「その割にはこないだ人のこと威嚇してきたけど?」

「流石にその場にいたらやるしかねェだろ」


 心底嫌そうにエイダが顔を歪める。それに合わせて彼の左目の入れ墨――シジルがぐっと持ち上がる。


「嫌ならさっさと譲ればいいのに。ただの成り行きでしょ?」


 エイダはレッドブロックにいる限り、この場所の治安維持から目を逸らすことはできない。それは彼の持つ肩書のせいなのだけど、望んで手に入れたものではないと知っている私には何故エイダがまだそれを手放さないのか分からなかった。


「そりゃそうなんだけど……そしたらお前最悪ここに連れ戻されるぞ」


 エイダの言葉に首を傾げる。この言い方は本当のことなのだろうけれど、その意味が分からない。


「なんで? 関係ないじゃん」

「警戒されてんだよ。昔っから西と南の連中はお前を閉じ込めとけって考え方なの」

「それこそなんでよ」

「お前がここにやったこと考えれば無理もねェだろ。近くにいるのも怖いけど下手に外をうろつかれても不安なんだよ。だったら目の届くところに閉じ込めておきましょうっつーのが連中の意見。そのへん文句言われるから俺はなるべく外にいるようにしてたっつーのに……」


 ぶつくさと溜息と共に吐き出すエイダの話を聞きながら、そんなことになっていたのか、と私は目を逸らした。この様子ではそういう意見は結構強いものなのだろう。それをエイダがそこそこ苦労して止めてくれていたから、これまで私には全く影響が出ていなかったのだ。


「なんか……ありがとう?」

「礼を言うならはっきり言ってくれ」

「エイダも頑張ってたんだね。凄いよ!」

「……馬鹿にしてる?」


 白けたような目でエイダがこちらを見る。私はそれににっこりと笑みを返す。そんな私を見て頬を引き攣らせかけたエイダは、ふと何かに気付いたように後ろを振り返った。

 その先にあるのはただの道。だけどここからでは見えない曲がり角に誰かいる――私もエイダの影からそちらに向けて顔を覗かせると、曲がり角から一人の男が姿を現した。


「……シエル?」


 訝しげにこちらを見ていたのは、ここにいるはずのない人だった。

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