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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第二章 はじめまして、婚約者様
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【Ep8 聖なる魔女と重なる秘密】8-1 逃した美酒

 ルイーズ中層にある商業区域は、上層の貴族街にあるものを真似て作られている。最初こそそうではなかったものの、ルイーズの街が発展するにつれて力を付けた商人達が自らの力を誇示するように建物を作り変え始めたのだ。

 庶民達は決して自分達では届かぬ貴族の暮らしに憧れがある。だから中層という〝まだ下がいる〟と考える者達にはこの街づくりは歓迎された。


 しかし彼らは上層を知らない。下から見える範囲でどうにか真似ても、細部はやはり上層の建物とは全く異なる。それによって生まれる小さな違和感が重なり合ってできた中層の町並みを、私はどうにも好きになれなかった。

 自分自身が上層に住んでいた頃もそうだし、聖女としてルイーズ全層を行き来するようになってもそれは変わらない。だから私はなるべくこのあたりには用事がない限り来たくはないのだけど、今日は呼び出しがかかってしまったため仕方なくそこを訪れていた。


 私が今いるのは割と新しい商業用の建物。それぞれの階に異なる店が入っているこの建物の一番上、六階には店舗の入っていない空間がある。代わりにあるのはいくつもの部屋。人が集まる時にしか使わないものらしく、そのうちの一室で私は椅子に腰掛けていた。


「――先日はありがとうございました」


 テーブルの向こう側に座る人物がにっこりと微笑む。イグルだ。この国の宰相であり貴族でもある彼が中層にいるのは、これがいわゆる密会と呼ばれるものだから。

 何故なら今日彼が呼び出したのは聖女じゃない。


「いいえ、僕はただ依頼を受けただけですから」


 唯一露出した目元を使い、シエルとして人好きのする笑みを返す。この部屋は同じ階の他の部屋に比べると随分と小さい。その理由は簡単、ここは隠し部屋なのだ。

 部屋の中にはいくつか魔道具が仕掛けられているようで、あちらこちらからマナクリスタル特有の魔力を感じることができる。どれもこれもが高純度、上質なマナクリスタルを全然手に入れられていない身としては一つくらいいただいて帰りたいものだけど、流石に何のための魔道具かすら分からないのでその欲はぐっと飲み込んだ。


 それに()()ものが二つ混ざっている。一つはいいとして、もう一つの方の魔力に(しか)めそうになる顔に力を入れていると、イグルが口を開くのが見えた。


「それでもシエル殿に受けていただけてよかったと思っております。あなたとの会話は楽しそうですから」

「……以前から思っていたんですが、宰相閣下が何故僕にこんな丁寧に接してくださるんです? 確かに僕は聖女様と繋がりはありますが、ただの友人というだけで僕自身には何の身分もありませんよ」


 シエルとしてイグルに会うのはこれが二度目だ。一度目は会ったと言えないくらい短い時間の出来事だったけれど、その時だって彼は素性の知れない冒険者に今と同じように接してくれた。本来であればキーランのシエルへの態度と似たようなものであってもおかしくはないのに、シェルビーとして会うイグルと今の彼にほとんど違いはない。


「あなたとお話しすることは聖女様とお話しすることと同じです。きっとあなたが見聞きしたことがそのまま聖女様に伝わるのでしょう? 多少内容は選ぶかと思いますが、それでもあなたに対し礼を欠く理由にはなりません」


 当然のように答えたイグルに、私は「そこまで気を遣っていただかなくても大丈夫ですよ」と苦笑を返すことしかできなかった。

 だってイグルの立場であれば多少礼を欠いたところで何の問題もないのだ。明らかに不当と思えるような扱いをされれば別だけど、そうでない限り冒険者ということ以外素性を明かしていないシエルに対して、こんなに丁寧に接する必要などない。

 そしてそういう人柄なのだと好感だけを抱けるほど、私はイグル、もといロックビー家を知らないわけではなかった。ロックビーの人間の言動は全てに意味がある――上流階級に属する人間ならば一度は聞いたことのある噂話。今もそうなのかは分からないからそのへんは置いておくとして、そんな噂話を聞いて育った身としてはこのイグルの態度は裏がありそうで嫌だなという印象の方が強い。


 なんて思いながらお茶を濁していると、イグルが「それにあなたは捜し物を見つけたようですから」と意味ありげな眼差しを向けてくるのが分かった。


「あの村のことですか」


 カダフ村という地名を出すのはやめておいた。今ここにいる人間が聞いたところで問題のないものだけど、周囲にある魔道具がどんなものか分からないからやりづらい。盗聴だの録音だのといった機能を持つものなら、それを仕掛けたのが誰でも面倒臭いことになる可能性がある。

 イグルは知っているはずだから、彼の反応を見て考えよう――そう思いながら前に座る相手を見れば、「ええ」とあまり参考にならない返事だったので判断は後になりそうだ。


「その上こうしてわざわざここまで来てくださった……ならば聖女様とのこととは関係なく、私はあなたにきちんとお礼を言わねばなりません」


 今回私がここに来たのは、ウィンが教会までこっそりとシェルビーにイグルからの伝言を伝えに来たからだ。伝言と言ってもシエルに取り次げという内容で、そこからシエルとしてウィンに会い、彼からこの場のことを聞いた。手順としてはなかなかに無駄で面倒臭かったので、今後どうにかして省略する方法を考えておいた方がいいだろう。まあ、そんなにこの人達とシエルとして仲良くなる気はないのだけど。


「僕がここに来たのは自分の疑問を解消したいからですよ」


 厄介な依頼は受けないぞと込めて言えば、イグルはクスリとおかしそうに笑った。


「ご安心ください。今日は本当に雑談だけです」

「なら僕の質問に答えていただけると考えても?」

「内容によりますね」

「よかった、僕も変なことには関わりたくないので。全部答えてくれると言われたら逃げるところでしたよ」


 冗談めかして言えば、「返答の難易度が上がりましたね」とイグルが苦笑いする。しかし気を悪くした様子はないことから、彼も取り留めのないやりとりとして楽しんでいるのだろう。むしろ子供が何か言っているな、くらいにしか思っていないのかもしれない。

 それはそれで少し腹立たしいので、「では、」と私は彼を驚かせることにした。


「僕とキリルさんを引き合わせた理由はなんですか?」


 笑みを浮かべながら言えば、案の定イグルは僅かに目を見開いた。


「いきなり核心ですか」

「まどろっこしいのは嫌いなんです」


 笑ったまま返すと、元の様子に戻ったイグルはなんてことのないように口を開いた。


「外にも協力者が必要でしょう? だからですよ」

「そんなものはいくらでも雇えるのでは?」

「最低限の事情すら教えられない者であればですけどね」

「……僕はあの方を優先できませんよ?」


 探るように私が言えば、「承知しています」とイグルが微笑む。


「だからこそあなたが良かった。全面的に協力するだなんて言う方は信用できません」

「ということは、僕が何かやらされる時は聖女様にとってメリットがあると考えていいんですね?」

「勿論。それ以外の場合はシエル殿の都合の良い時に、相応の謝礼をお支払いしてお願いすることになります」

「……その方がそちらが安心できるというわけですか」


 こんな話、普通ならうますぎると警戒すべきなのだろう。だけどイグル達の場合は違う。

 彼らはきっと私と距離を保ちたいのだ。だから私が無理をして都合を付けるというのも向こうは避けたいはず。私にそれを強いてしまえば、その分私に借りができることになる。あくまで金銭のやり取りという形で都度精算しておきたいということなのだろう。


「ところで以前の件はどうなりました? 聖女様に任せっきりで、僕は彼女の護衛くらいしかしていないんですが」


 キーランに引き合わせた理由についてはこれ以上突っ込んでも無駄だと思ったので、もう一つの気になっていることを聞いてみることにした。

 以前の件と濁しているけれど、これでもイグルには何の話かは伝わるはずだ。


「盗賊のことですか?」


 ああ、バレてるのか――イグルの返答に内心で溜息を吐く。人が明言を避けた内容をわざわざはっきりと言葉にするというのはそういうことだ。私がどの程度遠回しに言えばいいか探っていると気付いているのだろう。


「そうです。僕は彼らを騎士団に引き渡していないので」


 苦笑いしながらぼかすのをやめて答えれば、イグルは満足そうな笑みを浮かべた。


 この国には軍と騎士団がある。教会にも騎士団があるけれど、それは一旦置いておこう。

 ガエリア帝国軍は主に国外の脅威に対して備えたもので、一方騎士団は国内の治安維持を担っている。軍も騎士団も時々その範囲を超えることはあるのだけど、原則として国内の犯罪者の扱いは騎士団の管轄になるのだ。

 だから個人だろうが冒険者ギルドを通してだろうが、捕まえた罪人は最終的に騎士団に引き渡さねばならない。


「少し離れた町で職を紹介しましたよ。彼らはみんな元気にしているはずです」

「親切ですね。どうせ盗賊行為も不問にしたんでしょう? 口止め料にしては高くはないですか?」

「安いくらいですよ。彼らは長年苦しんだ……それに教会墓地の穢れだってもう悪化しませんからね。近いうちに似たような場所を含めてまとめて浄化できるよう、教会とは調整を進めているところです」


 よくもいけしゃあしゃあと、と思ったのは頑張って表情にも出さないことにした。

 あの墓地の状態を穢れと断言することは普通ならできない。何故なら神聖魔法の使い手である教会関係者には暗闇の精霊は見えないからだ。それ以外の見える人間が確認しに行っていなければ何が起こっているか分からないだろうし、あの時聞いた話ではそういう人間が派遣されてきたこともなさそうだった。

 だからイグルが知るはずはないのだけど、私は彼と関わりのある()()()()()を知っている――キーランだ。つまり彼らはあの教会の状況を正しく把握した上でこれまで何もしていなかったということ。問題を確認したのがキーランであれば彼から教会に話をすることもできたはずなのに。

 だけど見えないのは風魔法を使う設定のシエルも同じだから、あまり深く聞くこともできない。


「あそこにはとことん手を出したくなかったんですね」


 仕方なくそう嫌味を込めて言ってみれば、イグルは困ったような顔をした。


「耳が痛い……シエル殿の言うとおりです。今回()()聖女様に見つけていただけなければ、あの地の問題はまだ続いていたでしょう」

「そんなにご自分の名前が出るのは嫌ですか。なら僕が彼らを騎士団に引き渡していたらどうするつもりだったんです? 僕がうっかりあなたの名前を出してしまうこともあるでしょう」


 聞いてから、我ながら馬鹿な質問だったな、と顔を顰めた。

 あの時点ではイグルはシエルのことを全くと言っていいほど知らなかったのだ。彼のような人間ならばきっと私がどう動いても問題ないようにしてあったのだろう。


「私があなたに依頼したのはあくまで盗賊被害の調査――彼らの素性はそこに含まれません。騎士団の記録には残らない……仮に捕まった者達が何かを主張しようと、それを取り合うのは彼らの仕事ではない」

「でも裁判となれば話は変わってきますよね? 罪人の話を聞くのが裁判に関わる者達の仕事です。それまでにどうにかする手段は……あるんでしょうね」


 話しながら気付いて私が肩を竦めれば、イグルは「ご想像におまかせしますよ」と微笑んだ。


「そこまで手を打ってあるなら盗賊のことなんてとっくにどうにかできていたはずでは? 何故今まで放置していたんです?」

「私は私が大事なんですよ。一人でやるにはリスクが大きすぎる」


 そう言ってイグルは僅かに視線を落とした。

 リスクという点では彼の言うとおりだ。一人、もしくは帝国内部の人間だけで何かをやれば、疑われた時に簡単に足がついてしまう。だけどそこに外部の冒険者が入ることで人間関係が少し複雑になる。聖女の番犬だなんて他よりも皇族に近付きやすい冒険者にどこまでその価値があるのかは分からないけれど、少なくともイグルにとってはそれで十分だったのだろう。

 だけど……。


「確かにそんな下手な嘘では危険ですね」


 私の言葉にイグルは目を瞠った。


「嘘、ですか」

「嘘でしょう? あなたみたいな人が保身を最優先するなんて……嘘じゃないのならあなた自身に利用価値があるということですか」


 私が意地悪く笑えば、イグルは困ったような表情を浮かべた。ああ、これは彼の本当の顔だ。状況に応じて貼り替える〝作った反応〟ではなくて、まだそれをしていなかった頃に見たことのある反応。

 彼のような人間からそんな反応を引っ張り出せたことに満足感を覚えていると、イグルは「おかしな人だ」と声を漏らした。


「私があなたと顔を合わせるのはこれで二度目ですよ。それで私という人間が本当に分かりますか?」

「大事なのは会った回数じゃなくて過ごした時間の質ですよ。あなたは合理的で、使えるものはたとえ自分自身であってもなんでも使う――それが僕があなたに抱いた印象です。実際のところは知りませんが、この印象とさっきのあなたの言葉は合わないでしょう?」


 ニヤリと目元に弧を描く。イグルは一瞬だけ虚をつかれたような顔をして、でもすぐに苦笑しながら私の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「……あなたと話していると不思議な気持ちになりますね。古い知り合いに似ています」

「へえ? 会ってみたいですね。話が合いそうだ」

「そうですね、私も会いたいものです。会って、謝罪したい」


 イグルの声が低くなる。少し重たいその雰囲気に、「……仲違いですか?」と私も声に気遣いを乗せた。


「それだったらまだ良かったんですが……少々複雑なんですよ」

「時間は何も解決してくれませんよ。僕みたいな若輩に言われなくてもご存知だと思いますが」

「ええ。時間は事態を悪化させる時もある」


 イグルの纏う空気がほんの少しだけ硬くなった気がした。その目の中に浮かんだのは一瞬の淀み。怒りか、憎しみか――私の中の魔女が舌舐めずりをする。


「工場の話ですか?」


 自分の中のそれを隠すようにシエルらしく言えば、イグルもまた全部隠したのか、最初と変わらない余裕のある様子に戻っていた。


「それも含めてですよ。シエル殿はお若いですし、恐らくこれまで興味を持ってこなかったことかと」

「僕は聖女様のメリットになると思えることしかしません。それ以外は……特に彼女の不利益になることは絶対にやりませんよ。むしろ知った時点で止める可能性の方が高い」


 〝シエルがこれまで興味を持ってこなかったこと〟というのが厄介事の気がして牽制すると、イグルは今気付いたと言わんばかりに目を瞬かせた。なんだかわざとらしい反応だ。


「その点は心配いりません。()()()()()()()()()()()()()()


 勘弁してくれ、と思わず言いそうになって、どうにか堪えきった。わざわざ教会の所属を強調するだなんて、それ以外で何か厄介事があるのだと断言しているようなものだ。イグルが口を滑らせたとも思えないから、彼にとってはこの発言自体に意味があるのだろう。

 そう考えると意図して情報を出してきているようにも感じられる。嫌な流れに、私はこれ以上余計なことを聞きたくない気持ちでいっぱいになった。


「随分とたくさん教えてくれるんですね。流石にそろそろ帰ってもいいですか?」

「構いませんよ。大変有意義な時間を過ごせました」


 ああ、逃げるのが遅かったのか……。相手が言いたいことを言い切った後なのだと悟ると、身体がどっと重くなった気がした。

 ちょっとイグルの素を引き出せたくらいで勝利に浸るんじゃなかった、と反省しながら立ち上がる。「今日はこれで失礼します」、今の感情を隠さずに言えば、その声に滲んだ疲れにイグルがおかしそうに笑った。


「――シエル殿」


 敗北感のままに部屋の扉に向かっていると、イグルが私を呼び止めた。「なんでしょう?」、振り返りながら答える。

 見送りのためか近くに立っていたイグルは真剣な目をすると、「これは独り言のようなものですが、」と口を開いた。


「知らないことは確かに身を守ることに繋がります。ですがいずれ、それでは足りなくなる時が来るでしょう。その時は是非またこの年寄りと会っていただきたい」


 真意は何だ――イグルの目を探るように見たけれど、私には読み取れなかった。


「あなた()と仲良くなるのは避けたいですね」


 苦し紛れに部屋の片隅に視線を配りながらそう笑って、私はまたイグルに背を向けた。

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