【Ep7 聖なる魔女と古の都】7-5 燃える徴
ルルベットをレッドブロックに案内してから数日、エイダから少しだけ分かったことがあると連絡を受けて私は再びレッドブロックを訪れていた。
ただし今回はルルベットがいないから、水路からではなく魔法でいつもの広場に飛んだ。いないと言ってもルルベットに内緒にしているわけじゃなくて、彼女は既にレッドブロックに入っている。私はこれまで聖女としての仕事が抜け出せない程度に詰まっていたから、エイダに頼んで先にルルベットだけ連れて行ってもらったのだ。
それを頼んだ時のエイダが物凄く嫌そうだったというのは言うまでもなく。何か手土産でもあった方がよかっただろうかと考えながら、私はエイダに指定された場所に向かっていた。
昔はよく歩いていた赤い煉瓦に囲まれた道を静かに進む。エイダにはあまり人に見られないでくれと言われているから、人に認識されにくくなるよう魔法を使っている。ちなみにこれは魔女の魔法だ。本当は神聖魔法――もとい光魔法を使えば似たようなことができるのだけど、こんな場所でサリの機嫌を損ねたら面倒なので彼の望む方法を取っていた。
「エイダのところまで飛んでいけば楽なのに……」
近くにいるはずのサリに向かって言う。すると隣の何もなかった空間からすっとサリが姿を現した。
「飛べばあの女の元に一瞬で着いてしまうだろう」
「ほんの一瞬でも近付きたくないわけ?」
「当たり前だ。今回ばかりは小僧に同情している」
珍しいサリの発言に私は目を見開いて隣を見た。悪魔に同情という感情が本当にあるのかは置いといて、サリがエイダにそんなことを言う日が来るとは思っていなかったのだ。
「エイダは普通に人間として相性が悪いだけだと思うけど。ああいう悪意が通じない子には関わったことなさそうだし」
「純白の魂の者が相手でなければ笑ってやるんだがな。あれはお前よりも深く悪魔と繋がっている。お前はあの女の魂の白さを言動以外からは感じないだろうが、小僧はそれを嫌悪感として知覚しているはずだ」
「そうなの? てっきりちょびっとしかディリーの力借りてないんだと思ってたけど」
「力を貸与するのと繋がるのとでは意味が違う。あの小僧は自分の魂の一部を悪魔と混ぜている。俺達のように共有するだけとは訳が違う」
「……そことも違うの?」
「ああ、全く」
それは初耳だ。これでも五十年近く魔女をやっているけれど、まだまだ知らないことがあるらしい。まあ私に魔女の知り合いはエイダくらいしかいないし、そのエイダは魔女になって十年しか経っていないから彼から情報を得られなくても仕方がない。
「私も混ぜたら何か変わる?」
「混ぜることはないから考えなくていい。俺はお前の魂が欲しいんだ、シェルビー。その穢れだけじゃなくてな」
「……そこにも違いがあるの?」
「知らなくていい。どうせお前には関係ない」
綺麗な笑みを向けられて、私は渋々視線を逸らした。こういう時のサリは絶対に教えてくれないからこれ以上聞いても無駄だ。むしろ下手に聞きすぎれば路地裏に連れ込まれかねないのでここは大人しく引き下がるしかない。
「――ああ、近いな。俺はこれ以上近付きたくない」
無言のまま少し歩いていくと、不意にサリが嫌そうな声を上げた。「分かった、またね」、私が言うと隣からすっと気配が消える。姿だけでなく魔力も全く残っていないから完全にここから去ったのだろう。
そんなに純白の魂とやらは嫌なのかと思いながら視線を前に戻すと、そこには崩れたトンネルのようなものがあった。
§ § §
トンネルの中はすぐに下り階段になっていた。それを下りれば分かれ道になっていて少し困ったものの、道案内のようにエイダが魔力を少しだけ残してくれていたからそれを辿って私はどんどん奥へと進んでいった。
「――こんなところあるんだ」
進んだ先にあったのは広い空間だった。いわゆる地下遺跡と呼べるような場所で、埃っぽいけれどそこかしこに異国の名残を見つけることができる。
最初の階段の後も何度も下に下りたから光は全く届かないのだけど、辺りをふよふよと無数の火の玉が漂っているから問題なく全体を見ることができた。
「滅多に使われないけどな」
近くから聞こえてきた声に私は隣に視線を向けた。エイダは入り口の横に立っていたようで、彼もまた私に目を向けている。
「……なんかエイダ凄く疲れてない?」
げっそりとした彼の様子にそう問いかければ、「誰のせいだよ」と凄むように睨まれた。
「俺一人にあの女押し付けやがって……見ろよ、あの奇行。あれと何時間も一緒にいる俺に少しでも申し訳ないとか思わないのか?」
「奇行って……奇行だね」
エイダに示された方を見れば、またも壁に貼り付いているルルベットの姿があった。近すぎるのはよく観察するためだろうと思っていたけれど、時折壁に耳を当てたり匂いを嗅いだり、指で擦ってそれを舐めたりしているのは完全に奇行だ。
「直接舐めるのはどうにかやめさせた……」、疲れ果てたように言うエイダは相当苦労したのだろう。「しかも一度話し始めたら止まらねェし……」、深い深い溜息が彼の苦労を物語っていた。
「えーっと……ごめんね?」
「本当だよ。とりあえず今は集中してるみたいだからしばらく放っとこうぜ……ッうわ、こっち見た!」
「『うわ』って……」
なんだろう、エイダの反応が完全に化け物を見た時のそれだ。とはいえ実際に化け物を見てもエイダはこうはならないだろうから、多分彼の中でルルベットはその上を行くのだろう。
そんな化け物以上のルルベットは私に気付くと、ぱあっと顔を明るくしてこちらに走り寄ってきた。
「お疲れ様です、シエルさん! お先にお邪魔してます!」
「うん、お疲れ。エイダと仲良くしてた?」
「それはもう!!」
全身で頷いたルルベットははっとしたような顔をすると、「エイダさんって凄いんですよ!」と私に顔を寄せた。名前呼びになっているところからすると、どうやら自己紹介はできたらしい。
「ほら、ここの明かり見てください! 明かりが欲しいって言ったら魔法陣も呪文もなしに火の玉ぽぽぽんって!」
「ああ、エイダはいらないんだっけ」
「どういうことですか!?」
私が言うとルルベットの首がぐりんとエイダの方を向いた。小さく「ひっ……」と聞こえたのは気の所為だと思うことにしよう。
「あー……火を起こすくらいなら魔力の流し方ちょっと変えるだけでできるんだよ」
「何故!? それは魔法の原理を無視してますよね!?」
「無視してねェよ、魔力の形が魔法陣の代わりみたいなモンだし」
「じゃあ魔女さんはみんなできるんですか?」
「そんなわけねェだろ。俺はそういう契約だからできるだけ」
どうにか気を取り直せたらしいエイダが淡々と答える。こんなにすらすら答えてあげると思っていなかったのに意外だ。もしかしたら渋った方が面倒臭いのかもしれない。
「でも昔はそのせいで火を起こすつもりがなくてもうっかり物燃やしちゃうことも多かったよね。なんでそんな契約にしたの? せめてもっと特殊な流し方にすればよかったのに」
ルルベットから解放してあげようと質問を投げかければ、エイダは「……あのなァ」と呆れたような顔をした。
「魔女になった時、俺九歳よ? ガキがそんな細かいこと考えられるわけねェだろ。とにかくお前の火を寄越せってディリーに言ったらこうなったんだよ」
「魔女ってそんな子供でもなれるんですか?」
落ち着いてきたらしいルルベットが小首を傾げる。いつもそのテンションで質問すればいいのにと思ったけれど、言ったところで無駄そうだから言わないことにした。
「悪魔にとって魅力的な穢れがあればいいんだよ」
「へえ……じゃあ私も!」
「君は無理」
「え?」
「ルルベットは魂に穢れがないんだよ。だから僕達が契約している悪魔達もこうして姿を現さない。喚べば来てくれるけど、彼らは極力君と関わりたくないんだよ」
私がルルベットに向かって説明すれば、エイダが隣で「あー……そういうことだったのか」と納得したような声を漏らした。サリ曰くエイダも同じように感じているはずだけど、どうやら嫌悪感の正体が分からないから悪魔達の行動理由と紐付いていなかったらしい。
「じゃあ私は魔女にはなれないんですか……?」
ルルベットが残念そうに眉を下げる。私はそんな彼女に笑いかけると「そうだね」とゆっくり頷いた。
「なれないし、ならなくていいよ。ガエリアでは生きづらくなる……それ以外でもね」
「どういう……」
「それより何か分かった?」
納得していない様子のルルベットに質問を投げかければ、彼女ははっとしたように「そうでした!」と声を上げた。
「ここ、レスタニアの遺跡ですよ! ちゃんと検査しないと断言はできませんが、それでも十中八九ガエリアとは別の国のものだと思います!」
「よく見つけたね?」
私が問いかけたのはエイダだ。エイダは疲れたような顔をすると、「これだけどうにかな」と肩を竦めた。
「他にはなかったの?」
「ねェよ。だからこれ以上俺に期待するな」
「ふうん? ま、そういう話は後にしてルルベットの調査を優先しようか。どうせエイダがいる時じゃないとここって入れないんでしょ?」
私がエイダに確認すれば、ルルベットが「そうなんですか……?」と悲しそうな声を出した。
「つーか今も本当は駄目なんだけどな。お前らがここで何かしでかしたら文句言われるのは俺だから気を付けてくれよ」
「……前から思ってたんだけど、エイダって立場弱すぎない?」
「そりゃ基本外ばっか行ってるからな、ここの連中にとっちゃ面白くねェんだろうよ。年寄り共は『レスタニア人としての自覚が足らん!』とか言うけどそもそもそんな自覚なんてねェし」
「地元っ子も大変だね」
「そう、面倒臭いんだよ。だからなるべく外にいるようにしてたのに、誰かさんが外から面倒事を持ち込むから本当に俺可哀想」
「誰だろうね」
じっとりとした目線をすっと躱し、「ほら、早く調べないと!」とルルベットを急かす。私にそうされたルルベットはそのまままた奇行を始めたのだけど、少しして何かに気が付いたのか「あー!」と大声を上げた。
「見てくださいこれレスタニア文字で何か書いてありますよ!! エイダさん読めますか!?」
こちらに来たルルベットがエイダを引っ張って元いた場所に連れていく。そこにあったのはただの柱だったけれど、確かにルルベットの言うとおりガエリアで使われているものとは違う文字で何かが刻まれていた。
「微塵も読めない」
ぶっきらぼうにエイダが言えば、「そんな……」とルルベットが愕然とした表情を浮かべた。
「レッドブロックの方にも伝わってないんですか……? じゃあこれどうやって読めば……」
「解読すればいいんじゃねェの?」
「そんな簡単な話じゃないんです! 解読するためには類似言語や当時の風俗などの資料が必要ですが征服当時にレッドブロックの外にあった資料はすべて破棄されているんです! 類似言語にしたってレスタニアは共通語の他に独自の言語を使っていたという記述は辛うじて残っていて文字らしきものは見つかっていますがその言語の近縁すら言語学者達は見つけられないでいるのでそのためレスタニア人の祖先は元々この大陸ではなく外部の閉ざされた空間からやって来たのではないかという説に繋がっているんですがそれを調べようにもレッドブロックにこんな場所があるということすら恐らく今まで知られておらず――」
そう話し始めたルルベットは完全に自分の世界に入ってしまったらしい。一人で息継ぎもせず延々と考察を述べ始めたけれど、正直なところ私にはさっぱりだ。
「……俺もう帰っていい?」
小さく私に問いかけてきたエイダも同じだったようで、私は彼を見上げながら「仕事?」と首を傾げた。
「ねェけど……こいつ疲れるんだもんよ……」
「好きに喋らせておけばいいよ。質問があればちゃんとこっちにも分かるように聞いてきてくれるし」
「お前案外コミュニケーション能力高いよな……」
「エイダが面倒臭がってるだけだと思うけど」
私達が話していると、それまで一人の世界に入っていたはずのルルベットが突然「エイダさん!」とこちらを向いた。
「文字はともかくここは皆さん普段何に使ってるんですか!?」
「何にも使ってねェよ。稀にシジルの受け渡しで使うらしいけど、ここ数年は別のとこだったから完全に放置」
「シジル?」
「これ」
そう言ってエイダが自分の左目の下を指差せば、ルルベットがずいずいと歩き寄って来てエイダに顔を近付けた。
「それはなんですか何の意味があるんですか!?」
「知らなくていい。流石にそこまで外の人間には教えられない」
「ええ!? でも――」
「引き下がらないなら二度とレッドブロックに入れないようにするぞ」
その瞬間、エイダが全身に魔力を纏った。チリチリと火花が散って、彼の周りを炎が揺らめく。
これはエイダが本気で相手を脅す時に使う方法だ。いつもだったらこれに殺意が乗っかるけれど、流石にルルベット相手にそこまでする気はないらしい。別に怒っているわけではなくて、あくまで相手に警告するためのものだからだ。
突然火の手が上がったことに驚いたのか、ルルベットはばっと身体を離していた。私も熱いのでそっと距離を取る。警告用とはいえ燃えていることには変わりないから、近付きすぎれば燃えてしまうのだ。
エイダの纏う火を観察するように目を動かしているルルベットにもきっとそれは分かっている。少し離れたところで熱いのだから当然だ。
じっとエイダの火を見つめていたルルベットは足をじり、と動かすと、一気に表情を明るくした。
「それどうやってるんですか!?」
ぐいと思い切りエイダに身体を寄せる。と同時にルルベットの近くにあった火がばっと彼女を避ける。
「は? ちょ、来るなよ燃えるぞ!?」
「うわ、火が避ける! なんですかこれ面白い!!」
エイダの脅しでルルベットはシジルへの興味を一旦失ったらしいけれど、代わりに今度はエイダの火に夢中だ。彼にうんと近付いたり離れたり、かと思えば周りをぐるぐると回ってみたりしながら、どこまで火が避けてくれるのか試している。……と言っても勿論火が勝手に避けているわけじゃなくて、エイダが避けているだけなんだけど。
「……もう本当やだこいつ」
思い切り顔を歪めたエイダは力なく呟くと全身を纏う火をしまった。そのせいでまたルルベットが騒ぎ出したので、私はそこらへんの石を渡して彼女の気を逸らしておくことにした。




