【Ep1 聖なる魔女と黒い悪魔】1-3 帝国の悪女
皇太子の婚約者だった私は、無実の罪を着せられ追放とは名ばかりの死刑を執行された。死刑とは言っても生き残ったし、当時の関係者のうちどれだけがあの国外追放が実質処刑であると知っていたか定かではない。もしかしたら皇太子や私の両親は知らなかったかもしれない。
でもそんなことはどうでもいい。
彼らは自分達の利益のために私を排除したのだ。普通に婚約破棄してくれたって私は立場上異議を唱えられなかったのに、国民の非難を受けるのが怖くて私を悪者にしたのだ。
そんな奴ら、絶対に許してなんかやらない。
私は怨嗟の魔女。契約した時にサリからもらったこの二つ名は、私の魂の性質を表す。
私がサリと契約した理由は明確だ。私をあんな目に遭わせた皇族を、貴族を、この国を滅ぼすために魂を悪魔に売り渡した。
単純な破壊行為では生ぬるい。そんなことで私の憎しみは癒やされない。
私はこの国の在り方を根本から否定する。そのために前世の肉体を捨て聖女となる道を選んだのだ。
聖女となり、この国の中枢に入り込んで、そして――腐ったこの国にトドメを刺す。
だから聖女となった私の次にやるべきことは、この国の内部深くに入り込むこと。そのためには重役とのパイプを作る必要がある。
と思っていたのに。
「――宰相と面談、ですか?」
何言ってんだこいつ。なんて気持ちはおくびにも出さない。
おほほほ、と顔に上品な笑顔を貼り付けながら『よく分かりませぇん』と言わんばかりに小首を傾げた。
「ええ。昨日はお疲れだったようなのでお伝えするのを控えていたんですが、新たな聖女が現れたらまず宰相と面談するのがこの国の習わしです。通常二、三日以内に行うものですが、今回は先方の都合上どうしても今日でないと無理だと」
そう言って神官長は申し訳無さそうに頭を下げた。彼の仕事は神官達の統率と教会の管理全般。皇族との橋渡しは上層部の仕事だけれど、それを個人に伝えるのは彼の役目だ。だから彼が宰相との面談を私に告げるのは分かるのだけれど、聖女としての最初の仕事がこれだなんてへそで茶も沸かせない。
だって聖女ってそうじゃないじゃん。神聖魔法を使って民を助けるのが聖女じゃん。
そりゃ皇族は娶りたがるけれど、なんで実績も何もない小娘に宰相みたいな高位の人が会おうとするんだ。あれか、品定めか。こいつは皇族に入れる価値があるかどうかみたいなのを早めに調べて唾つけておくのか。……やだそれキモい。
「ですがわたくし、そんなに偉い方とお会いできるような身分ではありませんわ。先方が望むのでしたら喜んでお受けしますが、粗相をしないか心配で……」
「あなたの立場ならば問題ありませんよ。この国にとって聖女という存在は特別なのです」
そうでしょうとも。婚約者を濡れ衣で処刑してまで娶りたい存在なんだから。
しかし呆れたな。私の復讐計画では皇族とお近付きになるのは必須だったのだけれど、正直どう近付こうか悩んでいたのだ。
確かに聖女というだけで皇族の目には留まるかもしれない。何かしらの面談を打診されるかもしれない。だけど、もしこの五十年で皇族にとって聖女の価値が変わっていしまっていたら――万が一にもそんなことがあればこの壮大な復讐計画は出鼻をくじかれてしまっていたけれど、それは杞憂だったらしい。
宰相というのはこの国では皇帝に次ぐ地位を持っている。そんな相手に認められれば、一気に皇族に近付くことができるだろう。
いきなり悩みが解決して正直肩透かしを食らった気分だったけれど、これはむしろ両手を上げて喜ぶべきだ――そう自分に言い聞かせながら、私は神官長に笑みを返した。
§ § §
宮殿の豪華絢爛な内装が私を見つめる。五十年前と同じものもあれば、新調されたものもあって間違い探しみたいで面白い。
知った場所なのにまるで初めて来たかのような不思議な感情を抱いていると、先程入ってくるのに使った扉が開いた。そこから現れた人物の服装に、これが宰相だなと確信して立ち上がる。
思わず左足を下げたくなったけれど、それは聖女の挨拶ではないと思い出してぐっとこらえた。この国では教皇と皇帝は形式上ほぼ対等で、聖女の立場も教皇に近い。だからただの神官ならともかく、聖女が皇帝以下の相手にへりくだっているように見えてはならないのだ。
だから私は身体の前で手を組んで、小さく頭を下げるに留まった。とはいえ組んだ指先も礼の角度も、それから頭のベールの動きだって最も美しく見えるよう意識している。
なんだったら窓から入る光も計算済みだ。特に今の私の髪は光に透けると輝く金髪。ベールのせいで前髪しか出ていないけれど、その僅かな髪にも自然に光が当たるように立ち位置を調整してある。
そうして光と影のコントラストを使いこなしてにこやかな笑みが映えるように顔を上げれば、相手は「ほう……」と息を漏らした。
「ああ、失礼……思わず見惚れてしまいました。イグル・ロックビーと申します」
「シェルビー・ハートです。お招きありがとうございます」
イグル・ロックビー。代々宰相を務めるロックビー家の現当主だ。
彼は宰相として名前が知られているが、そうじゃなくても私は彼のことを知っていた。何故なら前世で会ったことがあるからだ。先代当主であり前宰相の次男で、最後に会った時は確か十歳くらいの少年だったはず。
印象に残っているのは彼の誕生にまつわる噂話のせいだろう。ロックビー家の先代当主には一男二女の子供達がいたが、長男が二十歳を超えて事故で命を落としてしまったのだ。
イグルが生まれたのはその後。当時それなりに年のいっていた妻が産んだのだが、高齢出産の珍しさと都合良く男児が生まれたこともあり、実は先代は長男の身代わりを作るために複数の女性と同時に関係を持ったのではと噂になったのだ。
とはいえ個人的には幼少期のイグルは先代の妻にそっくりだったので、それはないんじゃないかと思っている。それに先代もその妻も、彼のことを大層大事にしていた記憶があるのだ。
今の様子を見ると、ただ大事にされただけでなくしっかりと教育も施されたらしい。ピンと伸びた背筋は年齢を感じさせず、聖女といえど庶民の娘相手にも貴族令嬢と同じような物腰で挨拶してくれた。昔はパーティーの終盤で疲れて不機嫌になってしまっていたのに立派に成長したものだ、と思わず感心してしまう。
イグルは私をソファに座らせると、面接するかのような目をこちらに向けた。
「シェルビー・ハート様……聖女様が稀代の悪女と同じ名とは面白い偶然ですね。ああ、申し訳ございません。今まで嫌な思いをされたでしょう?」
私の名前がシェルビーなのは転生時の術式のせいじゃない。単なるサリの嫌がらせだ。
私は追放後ほぼ三十年間籠もってしまったから知らなかったけれど、その間にシェルビー・スターフィールドに関する印象操作が行われたらしく、今では帝国一の悪女の名前として定着してしまっているらしい。それを知ったサリが面白がって、私の名前がシェルビーになるようにしたのだ。
あの時罪状として出されたものだけでは、ここまでこの名前のイメージが下がることはなかっただろう。
ではなんでこうなったかと言うと、〝その後の調査結果〟という名目で、帝国の印象を悪くするような政策なんかも全て私の発案というか我儘ということにされてしまったのだそうだ。『それが事実なら二歳児の発案になりますが?』ということまで含まれているのだから悪質極まりない。ああもう、思い出しただけで腹立たしい。
なんて感情は微塵も出さず、私は聖女スマイルのままうふふと口元に手を当てた。
「いいえ、嫌なことなんてありませんでしたわ。私が名乗るとみなさん最初は驚かれますけれども、すぐに親切にしてくださいますので」
「それは聖女様のお人柄によるものでしょう。シェルビーという名は本来柳の木を表すもの……聖女様はその名のとおり大変美しくいらっしゃる。内面の美だって神がお認めになったのです。これからはシェルビーという名の印象はあなたを表すものとなり、皆こぞって我が子にその名を与えたがるでしょう」
ほう、つまり今シェルビーの名は大層不人気だと言いたいのだな。
確か昔は私にあやかって娘にシェルビーと名付ける親がそこそこいたはずだ。同じ名を持つ彼女達はいじめられたりしなかっただろうか……と思ったけれど、普通に改名してそうだと気が付いた。この国では罪人と名前が重なってしまったら割と簡単に改名が認められるのだ。
しかしいくらイグルが私をシェルビー・スターフィールドと思っていないとはいえ、いきなりそんなことを言われるとあまり気分は良くない。向こうとしては聖女シェルビーに気を遣っているだけなのかもしれないが、私にとっては面識のある相手に自分の悪口を言われているのと同じ。
ここは意地悪してやろうと思って、完全なる天然を装いながら「勿体ないお言葉ありがとうございます」と笑みを浮かべた。
「ですが私はそこまで言っていただくほどの人間ではないかと。シェルビー・スターフィールドは絶世の美女だったと、周りのご老人が話しているのを聞いたことがあります。殿方にも大変人気があったのだとか」
私が罪人シェルビーを引き合いに出せば、案の定イグルは少し困ったように言葉を詰まらせた。だが流石は宰相、この程度では問題ないらしい。すぐに気持ちを立て直すかのように軽く咳払いをすると、完璧な笑顔を私に向けた。
「それはファム・ファタールとしての評判でしょう。あまり褒められた意味ではありませんから、聖女様が気にする必要はありません」
「ファム・ファタール?」
「悪女とでも解釈してください。彼女は己の欲望を満たすために皇帝陛下――当時の皇太子殿下の婚約者という身でありながら、数多くの男性を手玉に取っていたんですよ。しかも彼女に誘惑され協力した人間は、調査でそのことが判明する前に皆破滅していました」
へえ、私はそんなに魅力的な女性だったのか。初耳だ。
ちょっとからかってやろうと思っただけなのに知らなかった情報がもたらされそうなので、ここは詳しく聞いておいた方がいいだろう。
「破滅というのは?」
「別の罪で裁かれたり、命を落としていたり……調査結果は公表されていますが、当事者が既にいなかったせいもあってあまり国民には認識されていませんけどね」
これまた初めて聞く内容に、私は笑顔を保つ顔に力を入れ直した。
イグルは公表されていると言うが、本当にそうなのかは怪しいところだ。何せ隠蔽や改竄はこの国のお偉い様の得意技、実際に公表していたのだとしても国民には伝わりにくい方法を取っていた可能性だってある。
それにしても、シェルビー・スターフィールドの名はこの五十年でとんでもなく穢されてしまったらしい。
誘惑され破滅した男性というのもきっと原因は別にあって、でもそれが国にとって不都合だから私のせいにしたのだろう。私の名前は国の汚い部分を誤魔化す最高の隠れ蓑になったわけだ。
宰相であるイグルがそのことを知らないとは思えない。気持ちとしてはもっと詰めて聞いてみたいところだけれど、聖女という人間はこういうことに興味を持たないはずだから迂闊に聞くことができない。ううん、面倒だな。
「ところであなた様の振る舞いを見る限り名のある家の出だとお見受けします。ですがハートという名字は恥ずかしながら聞き覚えがなく……ご出身はどちらでしょう?」
私が考え事をしているのが興味を失った合図だと思ったのか、イグルはここぞとばかりに話題を変えてきた。ああ、これではもう話を戻すことはできない。今日はもう諦めるしかないことを悟った私は、仕方なく彼の話題に乗ることにした。
「ルイーズですわ。と言っても下町で、レッドブロックとそう遠くない区域でした。家業は古本屋です。何の特徴もない家ですので、聞き覚えがなくて当然かと」
「レッドブロック……教会に入ったのは八歳でしたね。それまで困ったことはありませんでしたか?」
レッドブロックというのはこの国の掃き溜めのことだ。
神聖ガエリア帝国だなんて大層な名前を掲げているけれど、その実情は皇帝が人々の信仰心を利用して国を支配しているだけ。教会は教会で自分達の待遇が良いものだから、皇帝の信仰に対する曲解に文句も言わない。人々はその歪められた教えを信じ、皇帝を神と同一視している。本来この国の皇帝の立場というのは、神に認められた正当な統治者というだけなのに。
他国から見たらガエリアの信教の在り方は間違っているものの、この国で文句を言う者は一人もいない。文句を言おうものなら家財を奪われ、それまで住んでいた場所から追い出されてしまうからだ。
追い出された先にあるのがレッドブロック、いわゆるスラム街というやつだ。城郭都市であるルイーズは周囲をぐるりと城壁に囲われているのだけれど、レッドブロックは更にその周りを囲むようにして位置している。スラムなのに取り壊されないのは、皇帝の住まう宮殿を擁するルイーズが攻められた時の壁にするためだ。乱雑な街並みは他者を拒む迷路となり、決して少なくない住民は肉の壁になる。
レッドブロックという名前は地獄を連想させる血色の町並みが所以。単に劣悪なレンガを使っているせいだったが、一般市民はスラムに住まう人々の血だと思っているらしい。
レッドブロックの住民は人にあらず。誰もはっきりと口にはしないが、暗黙の了解として幼少期から頭に刷り込まれている。
だから聖女の口からそんな区域の名前が出たことでイグルは面食らったのだろう。壁で隔たれているとはいえ、レッドブロックに近付くほどルイーズ内でも治安が悪くなっていくのは事実。皇族は勿論、貴族も絶対に壁の方には近寄らない。レッドブロックに行けば病気をもらうと本気で思っている人だっているのだ。
イグルは流石にそこまで馬鹿ではないようだが、それでも良いイメージはないらしい。そう遠くないという言い方が謙遜したものだと分かっても、全く影響なかったのか気になるようだ。
「ご心配いただきありがとうございます。ですが私の住んでいたあたりはお年寄りが多くて、とても落ち着いた町でした。治安の悪さは感じたことがありません。ご近所はみんな知り合いですから、常に大人が見守ってくれていましたし」
ほほほ、と笑みを絶やさず言えばイグルに安心感を与えられたらしい。「なら良かったです」と笑みを返した彼とは、その後も当たり障りのない会話をしてこの面会は終わりとなった。