【Ep7 聖なる魔女と古の都】7-3 白の畏れ
「ああ! 体力お兄さん!!」
出口で待っていたエイダを見るとルルベットは嬉しそうな声を上げた。まだその呼び名なのかと呆れたものの、そういえばラムエイドでエイダはちゃんとルルベットに名乗っていない気がする。私も正式に紹介した記憶がない。
エイダはルルベットを見るなり眉間の皺を深くしたけれど、それは彼女からの呼ばれ方のせいではないだろう。現にエイダはすぐに私の方へと顔を向けて、「……説明しろ」と低い声で言いながら私を睨んだ。
「サリから聞いてないの?」
「あいつが俺に説明なんてすると思うか?」
「しないね……」
真夜中の水路の出口。赤い壁に囲まれた私達の間に微妙な空気が流れる。何せわざと不機嫌を剥き出しにしているエイダがいるのに、ルルベットが初めてのレッドブロックに目を輝かせているからだ。
魔法の絡まない私とエイダの会話にはそれほど興味がないのか、それとも別の興味に押し負けてしまったのか、さっきからルルベットは「わあ!」と周りを見渡しながら歓声を上げ、何故か赤い壁に貼り付いている。……本当に何やってるんだろう。
「で、説明は?」
エイダが思い切り顔を顰めながらもう一度尋ねてくる。夜中だけど今日は起きている日だったのか、いつもどおりの格好をしているから夜遅い時間になったことは問題ないだろう。とすれば不機嫌の原因はルルベットがいるこの状況、ついでに水路を使ってきたことにも腹を立てているように見える。
エイダがここにいるのは、事前にサリに呼んでもらっていたからだ。一応サリには目的を伝えてあったのだけど、やはりと言うべきか、彼からエイダには伝わらなかったらしい。
「水路はエイダに頼めば通るの楽でしょ? ちょうど用もあったし」
今回レッドブロックに来たのはルルベットと魔女に関する話をするためだけど、同時にエイダと会うためでもあった。更にルルベットという外部の人間にここを通らせようと思うと、私がどうにかするよりエイダにやってもらった方が非常に手っ取り早く済む。
ということを指して言ったのだけど、エイダの眉間の皺は深くなっただけだった。
「だとしてもだ、なんでこいつをここに連れてきた? こっちは理由も何も知らされてないから凄ェ面倒臭かったんだぞ」
チリ、とエイダの周りの空気が熱くなる。抑えているのか、一瞬だけ舞った火花はルルベットの目には入らなかったらしい。
しかしこれは相当ご立腹だ。いつもだったらこういう時はサリが適当にからかって有耶無耶になるのに、今はルルベットが嫌だからと彼はいない。
「ごめんね、ちょっと色々事情があってさ。話が長くなりそうだからとりあえず場所移そう?」
私がそう提案すると、何故かエイダは余計に機嫌を悪くした。
§ § §
私達はレッドブロックの一角にある空き地に移動した。いつもエイダと話す場所とは別で、ここで話そうと私が言うとエイダは表情を和らげた。もしかしたら彼は自分の縄張りにルルベットが入ってくると思って嫌がっていたのかもしれない。
こういうところはエイダもレッドブロックの人だなと思いながらそれぞれ適当な瓦礫に腰を落ち着けたのを見届けると、私はエイダに事の経緯を説明し始めた。
「この間〝とある護衛任務〟をルルベットと一緒に受けてね、色々あって僕が魔女だってバレちゃったんだ。彼女の性格諸々を考えると下手に誤魔化し続けるより正直に話して口止めした方が確実そうだから、ここは隠さずにいようと決めたってわけ」
そこまで言うと、先程まで和らいでいたエイダの表情が再び盛大に歪められた。
「で? それでなんで俺のとこに連れてきた」
「ルルベットの質問攻めが嫌で」
「……もう一度聞く。なんで俺のとこに連れてきた」
「『ルルベットの質問攻めが嫌で』」
チィッ、と大きな舌打ちが響く。物凄く嫌そうな顔をしたエイダが苛々したように頭を掻く。でも両手じゃなくて右手側だけ。左側は髪飾りごと編み込まれているから触りたくないのかなと思って見ていると、勢いが強すぎて結んであった右側の髪がボサボサになっていった。
「ああクソッ!」、指に髪が絡まったらしいエイダが声を上げる。彼は髪を指から解くと、乱暴な手付きで後ろに結んであった髪を解いた。
「えっと?」
状況が分からないのか、ルルベットが首を傾げる。「こいつにも説明してねェのかよ……」、エイダが溜息混じりに言う。彼は「俺は知らねェぞ」と突き放すように言いながら両手を頭の後ろにやって、自分は関係ないと言わんばかりに髪を結び直し始めた。
「ルルベット、魔女の話聞きたいんでしょ? 僕はちょっと忙しいしうちの猫も君のことが苦手だからね、別の魔女を紹介するよ」
「……は?」
両手を後ろにやったままエイダが目を見開く。ぎゅっと髪紐を結び終えた彼は手を下ろすと、「おい、まさか……」と顔を引き攣らせた。
「体力お兄さんも魔女さんなんですか!?」
立ち上がったルルベットがぐっとエイダに詰め寄る。それをされたエイダは今日一番の顰めっ面を浮かべて私の方を睨みつけた。
「お前ッ……ふざけんなよ!? 俺にこいつの相手押し付けるだけじゃなかったのかよ!?」
「ふざけてないよ。僕はほら、あんまりこうしていられないだろ?」
「そうかもしれねェけど……! だからってなんで――」
「もしかしてこの前の移動も実は魔法ですか!?」
私に文句を言おうとしたエイダをルルベットの質問が止める。エイダはそれを無視しようとしたのか身体を少しずらしたものの、避けても避けてもルルベットがくっついてくるものだからやがて諦めたように顔を死なせた。ラムエイドでも見た光景だ。
「……移動って何だっけ」
「キーグスから一日でラムエイドまで来たあれです! 魔法なら大変納得できるのですが!」
「ああ、あれ……微塵も使ってねェよ」
エイダが疲れたように言えば、ルルベットはがっかりとした様子で「やはり体力……」と呟いた。
「そうですよね、ここの人ならあのロープの洗礼がありますし……」
「ロープ?」
「井戸のやつです!」
「あー……そんなんもあったな……」
ルルベットと話を続けていたエイダだったものの、不意にはっとしたような顔になると「つーかそうじゃねェだろ!」と声を荒らげ私の方を見た。
「この女が俺達のこと絶対に他言しないって保証はないだろ!?」
「純白の魂だから他よりマシだよ」
「純ッ……は? ……嘘だろ?」
「本当」
信じられないと言わんばかりの顔でエイダがルルベットを見る。見られたルルベット本人は私達が自分の話をしているとは思っていないらしく、不思議そうに首を傾けていた。
「それに魔女を相手にすることは悪魔を相手にすることと同じだからね。――ルルベット、君は悪魔との約束を破ることについてどう思う?」
問いかけながら、私はエイダからルルベットへと視線を移した。
「……なんかまずそうです」
私の雰囲気が変わったのに気付いたのか、ルルベットがおずおずと口にする。
いくら純白の魂と言えど危機感は持っている。あくまで彼らは他人の悪意に無頓着なだけで、生物らしく恐れることはできるのだ。
だから私は魔女らしくそこに付け込む。
「そう、まずいよ。君が僕達を裏切れば報復をさせてもらう。その脳みそから知識を剥ぎ取り、物事の理解力を奪い、けれどそれらを自覚する記憶と感情は残してあげる」
ルルベットの頬に手を当てながら笑いかける。顔を隠しているから彼女には目元しか見えていないだろうけれど、その目に怨嗟の魔女の悪意と憎悪をふんだんに詰め込んで、相手の瞳の奥を覗き込む。
「ついでに魔力も消してあげようか。そうなった時君は今までどおりたくさんの物事に興味を持つのに、それらについて思考することも知識を得ることも叶わなくなる――それが君の恐れだろう?」
口付けんばかりにに顔を近付けて。ルルベットの紅梅色の唇に人差し指を這わせながら言えば、ふるふると柔らかい肉が揺れた。
「ッ……怖い、です」
黄金色の瞳が私を映す。シエルの向こう側にシェルビーが見える。そこにいる私の髪色は茶色のはずなのに、昔持っていた銀色の髪がひらりと靡いた気がした。
「――……あのさ、俺はどういう感情でその絵面を見てればいいの?」
横から呆れたようなエイダの声が聞こえてきて、私はふっと雰囲気を元に戻した。ルルベットもまたはっとしたように目を瞬かせ、「緊張しました!」と何故か高い声を出す。
「今の魔女さん方式ですよね!? 凄く怖かったんですけど何か魔法とか使ってたんですか!?」
興味津々といった様子を丸出しのルルベットに、私は元の位置に戻りながら「えー……」と顔を引き攣らせた。どうしてだろう、彼女は恐怖していたはずなのに一瞬でその恐怖は好奇心に打ち消されたらしい。
チラリと見たエイダもこれは予想外だったのか、「……なんか悪い」と零して気まずそうに顔を背けていた。
「……魔法じゃないよ。とりあえず、もしルルベットが僕達のこと漏らしたらさっき言ったようにするから」
「はい、任せてください!」
その返事はおかしいんじゃないかと思いながら、私もまた明後日の方へと顔を向けた。




