【Ep7 聖なる魔女と古の都】7-2 古井戸の決まり
私達の前に現れた民家。とても古そう、という点を除きごく一般的なものだ。だけどこのあたりの他の建物とはそう遜色ない古さなのでわざわざ特筆すべきことでもないだろう。
ルルベットは民家を見ながら未だ不思議そうにしていたけれど、私は彼女を待たずにずいずいと塀の中へと進んでいった。
「ルルベット、早く」
「ここシエルさんの家ですか?」
「違うよ」
私の言葉に首を傾げながらルルベットが後を付いてくる。
「シエルさんちじゃないなら勝手に入っていいんですか?」
「誰も住んでいないからね。ただルルベット、ここのことも内緒にしてね? 僕もそうだけど、レッドブロックの住民を敵に回すことになる」
「……気を付けます」
レッドブロックの人間は人に非ざるならず者の集団――それが一般的な認識だ。ルルベットが少し身体を固くしたのもそれを思ってのことだろう。
実際にはその認識は完全に合っているとは言い難いのだけど、ルルベットが大人しくしてくれるのならと私はわざわざ訂正しないことにした。
私達は家の中には入らず、その脇を通って庭へと進んだ。誰も住んでいない家は手入れがされていないから雑草は伸び放題だし、煉瓦などの家の素材も傷んでいる。庭も当然同じような有様で、小部屋程度しかないそこは雑草に覆い尽くされていた。
「あ、井戸」
そう言ってルルベットが庭の隅にある井戸へと駆け寄る。この間カダフ村の井戸を見たから興味があるのかもしれない。
その古い井戸は苔に覆われていた。蓋はなく、真上の頑丈そうな滑車から太いロープが垂れ下がっている。
「ルイーズにも井戸があるんですね。初めて見ました」
「このあたりくらいにしかないけどね。ほら、レスタニアの上に作られた街だし」
ルイーズではここまで下層に来ないと井戸は存在しない。真下にレッドブロック――旧レスタニアの都があるものだから、井戸を掘ろうとするとかなり深いところまで掘り進めないとならないのだ。
だからなのか、当時ルイーズの建築を担当した者の中には手抜き工事を行った者がいたらしい。本来ならば地下水を目指して自力で奥深くまで掘らなければならないところを、既存のレスタニアの井戸と繋げることでどうにかしようとした形跡がこのあたりにはいくつもある。この井戸もその一つで、ここから旧レスタニアの井戸と内部で繋がっているのだ。
「さ、入るよ」
ルルベットに声をかけた私は滑車にかかるロープを両方とも掴むと、井戸の中へと入っていった。「ええ!?」、驚くルルベットに「二人分の重さくらい平気だよ」と言えば、彼女はおずおずとロープを取って同じように下り始めた。
「あれ? これ動かないんですか?」
ルルベットがロープを掴みながら意外そうに言う。通常滑車にかかったロープは片側を引っ張るともう片側も引っ張られるものだけど、ここの滑車はどちらかを引っ張っても動かないのだ。
「ロープごと完全に錆びついてるからね。念の為ロープは両方とも持ってた方がいいけど、片方だけでも固定されてるから落ちる心配はないよ。最悪落ちても狭いから手足を突っ張れば止まるしね」
「……滑車として使ってないってことですか?」
「そういうこと」
ルルベットは私の言葉に納得したように唸ると、一旦疑問が解消されたのか大人しく井戸を下り始めた。
「暗いですね……」
その言葉どおり井戸の中は暗く、下りれば下りるほど夜空の明かりが入らなくなっていった。「これどこまで下りれば……」と周りが見えなくて不安なのか、ルルベットが声を震わせる。「まだまだだから安心して」と私は答え、そのまま井戸を下りていった。
「――もう着くよ」
五十メートルほど下りたところで井戸の底に着いた私は、身体をずらしながら頭上のルルベットに声をかけた。
トンッと私の声目掛けてルルベットが着地する。「あれ?」、首を傾げたルルベットはバッグの中からランタンのようなものを取り出して明かりをつけると、そこに広がった景色に目を瞠った。
「これ井戸なんですか?」
そこは一見するとトンネルのようになっていた。人一人ならば余裕を持って歩けるくらいの広さがあり、長く遠くまで続いている。私達の足元には湿っているもののきちんとした足場があって、水はその両脇を通るようにして流れていた。
「井戸っていうか地下水路かな」
「ああ、確かに水路っぽい。でもこれ造りがおかしくないですか? 一応井戸なら真下は水じゃなきゃいけないのに……」
そう言ってルルベットは真上を見上げた。彼女の頭上には小さな丸い穴が空いていて、もっと近付けばそこから夜空が見えるだろう。つまりルルベットが立っているのは井戸の真下ということ。でもそこにあるのは足場で、両脇に流れる水の幅もバケツのようなものを落とすには不十分だ。
水の深さ自体は大人の足首が浸かるくらいまであるから、ここで水を汲むことはできる。だけど五十メートル頭上から下ろした道具で同じことをするのはほぼ不可能だろう。
「この足場、昔の人が作ったらしいんだよね。通路として使いたいだけだから水に濡れたら嫌でしょ?」
「下町の人達はこうなってるってご存知なんですか?」
「知っている人もいる。この水路って結構入り組んでる上に何区画かあって、それぞれが独立してるんだ。こんなふうにちゃんと通路になっているのはここだけだよ」
私の言葉に、ルルベットは「へぇ!」と声を上げながら周りを見渡していた。特に面白いものはないはずだけど、彼女にとっては違うらしい。「これってレスタニアの頃からあるんですよね?」と声を弾ませたルルベットに頷いてみせれば、細長い水路に少女の歓声が反響した。
「あれ? でもここがこうなってるってことは、もしかしてレッドブロックの皆さんは結構ルイーズと行き来してるんですか?」
「そうだよ。本当なら城門の関所を通らないといけないけど、許可なんて滅多に下りないからね」
「下町の方々は?」
「勿論知ってる。でも昔からお互いその辺には干渉しないことになってるんだ。だからルルベットが誰かに言ったらすぐに分かるよ」
「絶対言いません!」
念を押すように言ってみれば、ルルベットは鼻息荒くそう宣言した。「だってここを通ればレッドブロック行き放題ですもんね!」と言う彼女は先日のカダフ村の件もあってレスタニアに強い興味を抱いているらしい。これはここに連れてきて正解だったなと思いながら水路を歩き出すと、きょろきょろと周りを見ていたルルベットが「でも……」と口を開いた。
「頻繁に行き来するならあのロープは変えた方がいいんじゃないですか? せめて縄梯子とか……。ルイーズから来る分にはまだしも、こちらから行く場合はあのロープを上らなきゃいけないんですよね? 私は魔術回路がありますけど、普通の人にあんなの上れますか?」
「レッドブロックの人って元気なんだよ。あれくらい子供だって上ってるしね」
「え……!」
ルルベットが大きく目を見開く。私も最初は驚いたけれど、子供の頃から続けていると意外と身体は順応するのだ。
「子供にとっては死活問題なんだよ。あれを上りきらないと遊びの仲間に入れてもらえないからみんな必死でさ。そうやって身体が鍛えられるみたい」
「シエルさんってレッドブロック出身なんですか?」
「それは内緒」
正直に言ってしまってもいいけれど、聖女シェルビーの幼馴染という設定があるので明言は避けたい。まあシェルビーは下町の娘ということになっているからシエルがレッドブロック出身でも問題はないものの、こういう話であればルルベットは追求しないだろうから濁せるところは濁しておいた方がいいだろう。
事実、私に内緒と言われたルルベットは一瞬きょとんとしたものの、それ以上質問を重ねてくることはしなかった。
「――あ、そうだ」
ルルベットと水路を進みながら、私はふと思い出したことがあって彼女の方を向いた。
「何ですか?」
「さっきここを通ればレッドブロック行き放題って言ってたけど、勝手に通っちゃ駄目だよ」
「ええ! なんでですか!? 道ですか!? 確かに入り組んでますけどちゃんと覚えてます! ルイーズからバレないように入れます!」
予想していなかったことなのか、ルルベットが悲痛な面持ちで慌てたように私に食い下がる。「そういう問題じゃないんだ」、私が口を開くと、ルルベットは不思議そうに眉間に力を入れた。
「レッドブロックって実は四つの地区に分かれててね、それぞれ管理体制が違うし縄張り意識も強い。この水路の利用はそういう微妙な関係性の上に成り立ってるから結構デリケートな問題なんだよ。子供が通る時だって自分達のところの上の人に申告しなきゃいけないしね」
「でも今使ってますよ?」
「それは僕が事前に大丈夫なようにしてあるから。だけどルルベットが一人で勝手にここに入ったら、最悪問答無用で殺される可能性もある」
「え……そこまでですか……?」
私の声色で本当のことだと悟ったのか、ルルベットが珍しく顔を引き攣らせた。
「余所者が嫌いなんだよ、ここの人達。内部から許可されてると分かれば手を出してこないけど、そうじゃなければルイーズから入ってきたって時点で攻撃対象なんだ。レッドブロックの偉い人達はレスタニア人を名乗る人が多いんだけど、彼らはガエリア人に敵意剥き出しでさ」
「なるほど……だけど子供はルイーズで遊ぶんですよね?」
「自分達が行く分にはいいみたい。彼らもルイーズの子供に混ざって遊んでたこともあるだろうに、どうにも偉くなると頭が固くなるみたいだね」
「ううん……なんだか根深そうですね……」
「根深いよ。だから絶対にここには一人で来ちゃ駄目」
私が言えば、ルルベットは渋々と言った様子で首肯した。あまり前向きではなさそうだけど、彼女の性格なら一度受け入れたことを勝手に覆すことはないだろう。
その後も少し雑談をしながら入り組んだ水路を進んでいくと、ランタンの明かりしかなかったそこに夜空の青白い明かりが差し込んだ。
「さあ、着いたよ」
丸いトンネルの終わりもまた、丸く切り取られた景色。錆びついた格子の扉を開けて外に出れば、レッドブロックの真っ赤な煉瓦が私達を出迎える。
それから、そこに立つ赤い髪の人も。
「どういうことだよ」
そこにいたのは、不機嫌そうに顔を顰めたエイダだった。




