【Ep7 聖なる魔女と古の都】7-1 秘密の抜け道
縦に層を積み重ねるようにして造られたルイーズは、遠目から見ると三角の大きな山のような形になっている。このような造りのものだから当然ながら下層に行くほど土地は広い。とはいえ上層と重なっている部分もまた多いから広いのは屋根のある土地なのだけど、それでも日に当たる部分だって上層に比べれば圧倒的に多く存在する。
だからルイーズでは最下層の土地が一番広い。だけどこの街に住まう人々はここを好まない。何故なら周囲を取り囲む高い城壁が近いせいで日陰が多いし、何よりレッドブロックと近すぎるからだ。そんな土地に住む人もいるけれど、多くの場合は厩舎だとかごみ処理施設だとか、人間の生活とは切り離しておきたい設備に使われている。
そんな最下層の一角に小さな公園がある。勿論ここは元から公園ではなかった。物置のように使われていた土地らしいのだけど、何度注意しても子供達が入り込んで遊んでしまうからと、百年以上前に大人達が妥協して公園として整備し直したのだそうだ。
妥協できたのは子供は昼間の明るい時間しか使わないから。それから他の同じような場所よりも比較的上層からよく見えるかららしい。確かに変な場所で遊ばれるよりも、一応は安全の確保された目の届く場所で大人は子供に遊んで欲しいだろう。
公園は民家が三、四軒入るくらいの広さがある。そこにブランコに鉄棒、滑り台――昔の大人達によるお手製の遊具が並んでいるのだ。
十年くらい前までは私も子供らしさを見せつけるためにここでよく遊んだものだ。あまりルイーズに忍び込まないエイダも連れて、ブランコなんかは彼にたくさん背中を押させた。魔法を使わずどちらの方が遠くまでジャンプできるかも競った。身体能力の差で私が負けていたけれど、エイダは何度か派手に落ちて負傷していたのでそうまでして勝ちたいとは思わなかった。
なんてことを思い出しながら、シエルの格好で下町を歩いてきた私は一人、公園へと入っていった。
昼間は明るい声で賑わうこの場所も、真夜中の今ではしんと静まり返っている。いつもであればここには人はいないだろう。
だけど今日はそこに一人の姿があった。ルルベットだ。
何故か滑り台の上にいたルルベットはやってきた私に気が付くと、ぶんぶんと片手を振って「シエルさん!」と声を上げた。
「ルルベット、夜中だよ」
「あ、そうでした!」
慌てたようにルルベットが口に両手を当てる。するとその手が体重を支えていたのか、ルルベットの身体がすうと滑り台を下りていった。「え、速っ……!?」、素人に作られたここの滑り台は速度重視、一気に加速した身体にルルベットが悲鳴を上げ、最後は「わっ!?」と地面に放り出された。
「これ子供が乗るんですよね……?」
四つん這いから立ち上がりながらルルベットが滑り台を見る。
「そうだよ。最後はみんな飛ぶんだ」
「あ、だからここせり上がってるんですね……」
この公園の滑り台は下りの後に上へと僅かに伸びてから終わっている。もしかしたら当時の大人は減速を期待したのかもしれないけれど、実際はジャンプ台のような役割を果たしているから効果としては真逆だ。
私は未だ滑り台をまじまじと見ているルルベットを見て小さく息を吐くと、「こっちだよ」と言って歩き出した。
「どこに行くんですか?」
ルルベットが慌てたように私の後を付いてくる。私は彼女の方を振り返らないまま、「レッドブロック」と短く返した。
「ええ!? 行ってもいいんですか!?」
「ルルベット、声」
「はい、すみません!」
謝罪の声も大きいルルベットはちゃんと反省しているのだろうか。先日キーラン達の前では声を落としてくれたけれど、こうして見ているとあれは奇跡か何かだったのではと思ってしまう。
「そういえば今日は猫ちゃんはいないんですか?」
「うん、来たくないって」
「残念……」
ルルベットがそう悲しげな声を出したものだから、猫ちゃんことサリが彼女を避けているという事実はもう少し伏せておこうと思う。
今日ここでルルベットと会うと知ったサリは酷く不機嫌だったし、キーランの護衛をした帰り道だってそれはもう物凄くへそを曲げていた。何せただの魔獣という設定だから普段のように姿を消すことはできないのだ、サリのあの性格を考えるとよく一日耐えてくれたとすら思ってしまう。
「今度会った時、何か美味しいものをあげれば撫でさせてくれますかね?」
たたっと走ってルルベットが私の横に並ぶ。その顔には恐れや緊張は全くなくて、本当に私が魔女だと理解しているのか疑いたくなってしまうくらいだ。
しかも無自覚のまま猫を手懐けようとしているルルベットに、「下手にそんなことしたら余計逃げられるよ」と返しながら、私はこの前のやり取りを思い返した。
§ § §
『――あなたは……魔女なんですか?』
ルルベットが真剣な目で私を見る。キーラン達の足音が遠くなっていく。
どうして気付いたんだろう。こんな真剣なルルベットは珍しいな。キーラン達と離れ過ぎちゃうのは護衛としてよくない――色んな考えがふわりふわりと浮かんだけれど、不思議と焦りはなかった。
魔女だとバレてしまうのが二度目だからだろうか。それとも相手がルルベットだからだろうか。純白の魂を持つ彼女には邪念がないから、だから知られても大丈夫だとどこかで思ってしまっているのだろうか。
そんな思考に沈みかけた私を引き上げたのは、耳元の唸り声だった。
「ッ、ごめんサリ。ぼうっとしてた」
肩に乗る黒猫の首を撫でる。いくらか機嫌が悪いのは近くにルルベットがいるからだろう。
私は改めてルルベットに視線を向けると、未だ真っ直ぐにこちらを見ている彼女にゆるく微笑みかけた。
「だったらどうする?」
魔女かという問いに否定は返さない。ルルベットがこう尋ねてくるということは確信に近いものがあるからだろう。だとすると中途半端に誤魔化したところで無駄だから、まずはその真意を知る必要がある。
そう思って私が挑発するように笑みを深めれば、ルルベットは驚いたように目を見開いて、そして――その目を歓喜に染めた。
「是非お近付きになりたいです!!」
「……ん?」
ぐいとルルベットが私に顔を寄せる。彼女からは私に対する嫌な感情は全く感じられず、ただただ喜びだけを全身から放っているのが分かった。
「実は私常々まッ……」
「ま?」
大声で話そうとしたルルベットは突然声を止め、かと思えば内緒話をするように口元に手をやって、「えっとですね、」と小声で話し始めた。
「私、魔女の魔法がずっと気になってたんです。文献に載っている情報では精霊のものとは全く性質が違っていましたから、もう知りたくて知りたくて!」
予想していたのとは全く異なるルルベットの言葉に、私は「……そ、そう」としか返せなかった。
この神聖ガエリア帝国において魔女は悪魔と同じ邪悪な存在だ。だからこの国の人々が魔女に向けるのは基本的に負の感情だけ。ルルベットはカナト出身だけど、それでもガエリアの影響を受けて少なからず私を恐れるだろうと思っていた。それなのに何も感じないどころか、それを勢い良く通り越してここまで純粋な興味を向けられるとは思っていなかったのだ。
「えーっと……ちなみに僕が魔女だと思った理由は?」
「先程の魔法です! 風魔法で火の威力を高めたということですが、だとすれば火に直接当たっていた落ち葉が全く焼けていない理由の説明が付かないんです! 風で守っていたならともかく試しに火の中に手を突っ込んでみたら熱さすら感じなかったのであれは対象物のみにしか作用しない高度な火炎魔法だと判断しました! シエルさんの属性や描いていた魔法陣とは全く別の魔法でしたのでこれはもう魔女の力ではないかと!!」
「手……? そんなことしてたの!?」
ああ、嫌だ。ルルベットが小声を保っているのに私の方が大声を上げてしまった。
というかルルベットは何をやっているんだろう。落ち葉が焼けていないのが気になったというのは分かるけれど、普通それで自分の手を突っ込むだろうか。……普通じゃないんだろうな。
「……とりあえず、このことは誰にも言わないでくれる?」
ルルベットの記憶を消したところで彼女ならどうせまた気付いてしまうのだろう。それに魔法を使う必要のない今この場で魔法を使えば、今度こそキーランに怪しまれてしまう。
だから仕方なくそう提案すれば、ルルベットは「もちろん!」と満面の笑みを浮かべた。
§ § §
ルルベットに魔女であることを知られてしまってから二日、ルイーズに帰ってきた私はその対策について色々考えていた。
勿論、改めて記憶を消すことだってちゃんと考えた。どうやればルルベットに怪しまれず必要な記憶だけを消せるだろう――でも考えれば考えるほど、ルルベットの記憶や思考に手を出すのはむしろ逆効果だと気付いてしまったのだ。
何せルルベットはこんな性格でもその頭脳の出来は一級品、自分の記憶に僅かでも不整合があればたちまち何かあると勘付くだろう。そして彼女は魔女の魔法に興味を持っているから、自分が魔女に出会ったということまで考え至ってしまうかもしれない。
そうなった時に周りに大勢人がいる場で私の元に来られても非常に困る。だからここはある程度ちゃんと話して真正面から口止めした方が有効だという結論に至ったのだ。
それを後押ししたのは、ルルベットが純白の魂の持ち主だという事実。他の者相手ならその言葉の真偽を疑い続けなければならないけれど、彼女が相手ならその負担は大幅に減る。
だから今日は口止め前の情報提供をするために私はルルベットと会うことにしたのだ。
レッドブロックを選んだのはそこが一番周りに気にせず話しやすいから。しかし通常レッドブロックに出入りするには面倒臭い手続きがいる。そんなものやっていられないし、やってしまえば聖女の番犬がレッドブロックと関係があるという証拠になってしまうので、今回はその手順を省くことにした。
省く方法はとても簡単だ、非正規の道を通ればいい。普段は魔法であの広場まで飛んでいるけれど、流石にルルベットにまでそれをしてしまうと後が面倒臭い。
主に彼女の探究心のせいだから害がないと言えばないのだけど、ラムエイドで見たような探究心を自分に向けられたらたまらないので、今回はそうならない方法を取ることにした。
「――こっちは関所じゃないですよ?」
ルルベットが不思議そうな声を上げる。関所はルイーズの城門にあるから、城壁とは別方向に歩いている理由が気になったのだろう。
「あんなところ使わないよ。今日通るのはこっち」
丁度良いタイミングで姿を現した目的地を指差して私が言えば、ルルベットは驚いたように目を丸くした。
「……家ですか?」
「他に何に見える?」
私達の目の前には、ごく普通の民家があった。




