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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第二章 はじめまして、婚約者様
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【Ep6 聖なる魔女と暗闇王子】6-4 白と黒

 ルイーズの下層には厩舎がある。と言っても規模はあまり大きくなくて、一時的に馬を停めておくために利用される場合がほとんどだ。

 この厩舎は外部からルイーズにやってきた馬を休ませるのに使われることもあるけれど、馬貸しが所有しているものもある。後者の場合はルイーズの外にある大規模な厩舎からその日に働かせる馬をそこに連れてくるのだ。


 キーラン達に会った翌朝、私はその馬貸しから三頭の馬を借りた。何でも今日は馬で数時間かかる場所に用があるそうで、そこまでの足を用意しておいて欲しいと言われているのだ。


「こういう時にサリがいると便利だね。いくら前の馬に付いてきてくれるって言っても、三頭も引いて歩くとか怖いもん」


 黒猫として肩に乗るサリに言えば、「俺は何もしていないが」と返された。


「いるだけで十分。動物には伝わるんだよ、こいつ相手に下手なことしちゃいけないって。でもちょっとでも怖がらせると逃げちゃうと思うから、今日は色々と控えめにね」

「……臆病な生き物は面倒だな」


 声はいつものままなのに、ふうと吐かれた溜息は身体の大きさに見合ったものだからなんだか変な感じだ。溜息自体はちょっと可愛いのだけど、正体がサリだと知っているから複雑な気分になる。


 久々にレッドブロックの上を通る閉塞感たっぷりの橋を歩きながら、私は狭い空を見上げた。このルイーズはかつて別の国の首都だったそうだ。その国を征服したガエリアがこれ見よがしにその上に自分達の街を作った――そう、レッドブロックは亡国の首都の残骸。そこに住まう人々が人として扱われないのは敵国の民に対するそれの名残。

 エイダのような緑色の瞳はガエリアでは少し珍しいけれど、レッドブロックの住民にはよくある色だ。特に親もその親もレッドブロックの人間であるという者に多い。

 と言ってもレッドブロックとは関係のない人間でもその色を持っていることがあるから、瞳の色だけでそうだと判断されることはないらしい。エイダ自身も自分の瞳の色に特に何の感情もないそうだ。


 自分達の力を誇示するためにわざわざレッドブロックを残したままルイーズを作ったのに、こんなに高い壁を建ててまで外部からは隠そうとする矛盾がいかにもこの国らしい。そんなことを考えながら歩いていると、「聖女の番犬がそれでいいのか?」と肩でサリが嘲笑った。


「俺はいいんだがな。あの男に会ったお陰で昨日からお前の中の穢れがまた一層強くなっている。このままどこまで黒くなってくれるかと楽しみだよ」

「代償を払う身としてはそれでもいいんだけど……サリが喜ぶくらいなら相当だね。今はちょっと切り替えなきゃ」


 大きく何度か深呼吸をして、顔にシエルを貼り付ける。表情が変わると気持ちも変わってくるから不思議だ。さっきまでの暗い気持ちはシエルの皮に覆われて、今はもう別人のものにすら感じられる。


「さて、そろそろサリも話すのやめた方がいいかな。教会に行く時は合図してね、ちゃんと自然になるように誤魔化すから」


 今日の聖女シェルビーは体調不良ということになっているけれど、完全に姿を現さないと怪しまれてしまうのでサリには協力を頼んでいる。極力ここからどうにかしてもらう予定だけど、状況によってはそれは難しいかもしれない。ということを指してサリに言えば、ナァ、と猫の鳴き声を返された。……この声は一体どこから出しているんだろう。


 なんて思ったけれど、喋るなと言ってしまったので今聞いたところで可愛い鳴き声しかきっと返ってこない。順番間違えたなと思いながら数分、パカパカといくつも響く蹄鉄の音と共に橋を進んでいけば、やがて左右の壁に終わりが見えた。


「――遅い」


 壁の外にはマントを被った二人の男がいた。二人のうち背の高い方が不満そうに私を見る。念の為時間を確認したけれど私に落ち度はなかったので、「ご不満でしたら次から事前に言ってください」と相手を見上げた。


「えーっと、キリルさんでしたっけ? 庶民の出の方が随分高圧的に物を言うんですね」

「お前こそ聖女の番犬だとか呼ばれているくせに中身は随分性悪だな」


 顔を隠すマントの下から性格の悪そうな視線を向けられる。私達のやり取りを聞いていた小さい方の男が「なんでそんなに仲が悪いんですか……」と疲れたように呟いた。


「シエル殿、時と場合によってはそのような物言いは――」

「不敬なんですよね、弁えています。でも無闇にそういうことを言うのは聞いた誰かに正体を怪しんでくれって言っているようなものですよ、ウィンさん。今は周りに人がいないからいいんですけどね」


 私が言えば、男はうっと言葉を飲み込んだ。彼は昨日の使いの男で、ウィンと呼べと言われている。それからキーランはキリル。二人共正体を隠さなければならないからキーランだけでなくウィンも偽名だろう。


「いちいち目くじらを立てるな、ウィン。あまりにシエルがこちらに気を遣いすぎればそれだけで気付く奴もいるだろう。このくらいがちょうどいいさ」

「ですが……」

「今後本来の立場で会うことがあれば、その時に痛い目を見るのはこいつの方だ。今の態度に慣れすぎて公の場でも同じような振る舞いをすればそれこそ……なあ?」


 ウィンに向かって話していたキーランは、最後だけ私に目を向けていた。馬鹿にするようなその目がなかなかに腹立たしかったけれど、それで怒ると負けになる気がするので私は聖女並ににっこりと目元に笑みを浮かべた。


「ご心配ありがとうございます。でも慣れるほど仲良くなるつもりもありませんので」


 似た表情を使ったり喋り過ぎたりするとバレるかもしれないと思ったのは昨日まで。彼ほど聖女に対して偏見のある人間相手ならば、むしろこうやって毒を吐いていた方が怪しまれないだろう。ということで私は遠慮なく反撃している。


 そんな私の言葉にキーランはククッと小さく笑い、ウィンは「ちょっ……!」と慌てたような声を出した。昨日からまだ一時間も彼らとは一緒にいないけれど、ウィンのこの性格はキーランとは相性が悪そうだ。

 険悪になるという意味ではなくて、ウィンの精神的負荷が高そう。キーランとここまで距離が近いということは彼もまたかなり高い身分を持っているはずなのに、今のところただの苦労人にしか見えない。


「……まあいいです、キリル様にご不満がないのなら。あまりのんびりしていると今日中に帰ってこられなくなるので早く行きましょう」


 疲れたようにウィンが言うと、意外にもキーランは素直に動き始めた。二人が私の用意した馬に乗ったのを見届けた後、私も残った子に乗ろうと鐙に足をかける。その時――


「シエルさん!」


 聞き覚えのある声が響いて、私は鐙にかけていた足を下ろした。同時に肩に乗ったサリが僅かに足に力を込める。これで爪を出されたら最悪だと思いながら声の方を見れば、私達が向かおうとしていた先からローブを着た少女が走ってくるのが見えた。


「ルルベット?」

「知り合いか」


 私の反応にキーランが馬の上からこちらを見る。


「ええ、彼女も冒険者です」

「魔術師が?」


 よく見えないけれど、キーランは訝しげな表情でも浮かべているのだろう。そういう顔をしたいのは私も同じで、ルルベットが目の前まで近付いてくると私は彼女に視線を移した。


「ラムエイドにいたんじゃないの?」

「そうなんですけど、一息つきがてらシエルさんにお会いしたいなと思いまして! って思いながら来たらまさかこんなところで会えるだなんて奇跡です!」

「喜んでくれてるところ悪いんだけど、これから出かけるんだ」


 私の言葉にルルベットははっとしたような表情を浮かべると、「依頼ですか!?」と言ってぐいと顔を近付けてきた。……サリの足の力が強くなったのでやめて欲しい。


「依頼なら私もご一緒していいですか!? 勿論報酬はいりませんので!!」

「いやぁ……それはどうだろう……」


 窺うようにウィンを見れば、彼は馬から降りる素振りすら見せずに「駄目です」とはっきりと言い切った。


「いくらシエル殿の知り合いでも、得体の知れない方の同行はお断りさせていただきます」

「ルルベット・アルコリアガと申します! 魔術師と冒険者やってます!」

「名乗ったところで駄目です。お引取りくだ――」

「待て」


 名乗ったところで意味はない――私がウィンの言葉に納得しながら聞いていると、彼の声をキーランが遮った。その目は既にウィンではなくルルベットに向けられていて、何か言いたげな自分の従者を完全に無視している。


「ルルベット・アルコリアガと言ったな。カナトの最年少魔術師の?」

「はい、それ私です!」

「証明できるものは?」

「えーっと……あ! これでいかがでしょうか? 国際魔術連盟の会員証です!」


 ローブの下に持っていた鞄を漁ったルルベットは、冒険者証とは少し違う金属のプレートを取り出してキーランに渡した。

 二人の会話を聞く限りルルベットは少し有名人なようだけど、その身分を証明するものをそんな簡単に渡していいのだろうか。キーランも一応受け取ったけれど、差し出された時に少し驚いたような間があったから本当は駄目なことなのかもしれない。


 ルルベットから受け取った会員証を少しの間見ていたキーランは、「……本物だな」と呟きながら持ち主に返した。やはりあまり長時間持っていたくないのだろう。


「だから何だって言うんですか? 身分が証明されたところで意味はないでしょう」


 呆れたようにウィンが言う。「いや、意味はある」、そう返したキーランはルルベットへと顔を向けた。


「ルルベット・アルコリアガ、お前を雇いたい」


 その言葉にルルベットはきょとんと首を傾げ、私も思わず「え?」と零した。慌て出したのはウィンだけだ。彼は「はい!?」と大声を上げると、馬の上から身を乗り出すようにしてキーランに詰め寄った。


「ちょ、キ……キリル様! そんな身辺調査もせず……!」

「身辺調査のことならそいつも同じだろう」

「ですかシエル殿はあの方のご紹介で……!」


 血相を変えるウィンに、キーランは全く悪びれる様子もなく受け答える。こういう人はちょっと嫌だな。自分の言動が周りにどれだけ影響を与えるか分かっているのに、その周囲の苦労を全然考えてくれそうにないタイプ。

 ウィンは面倒な主人を持って可哀想だなとどこか他人事のように考えていると、「おい、シエル」と自分に声をかけられて変な声が出そうになった。なんとか耐えたけれど、嫌な予感しかしない。


「……なんですか」

「お前、この魔術師を俺に紹介できるか?」

「え? あー、そういう……えぇー……」


 ああ嫌だ、キーランの意図が分かってしまった。ここで首を縦に振れば面倒なことになりそうだったので、やや悩んだものの「嫌です」と続けた。


「できると受け取るぞ。あいつの紹介であるシエルが紹介できる――ならこの魔術師を雇っても問題ないだろ?」

「それは……そう、ですけど……?」


 キーランの言葉になんとか返したウィンは明らかに混乱している。「嫌だって言ったのに……」、私が呟くとキーランはふんっと鼻で笑ってきた。腹立たしい。


「なんだかよく分からないんですけど、お兄さんに雇っていただければ私は堂々とシエルさんに同行できるということですか?」


 事情を飲み込めていないルルベットが不思議そうに尋ねれば、キーランが満足そうに笑ったのが雰囲気で分かった。


「ああ」

「じゃあやります!」


 まあ、そうなるだろう。キーランがルルベットを同行させたいのであれば、仮に私が本当に彼女の身分を証明できなくても彼はどうにか押し通したはずだ。そしてルルベットの性格であれば拒否もしない。つまり最初からこうなることは決まっていたのだ。


 しかしルルベットは仕事内容も確認せず了承していいのだろうか。少しは人を疑うことを……しないんだろうな、彼女は純白の魂だから――と呆れているとルルベットが当然のように歩こうとしていたので、「乗せてあげてください」と私は事態に置いていかれていたウィンに話しかけた。


「私ですか? シエル殿の方が……」

「うちの猫がルルベットと仲悪いんです」

「猫が?」


 怪訝そうに言うウィンに、ルルベットが「今日はいけるかもしれません!」と腕まくりをする。その白い肌に魔術回路が刻まれているのを見てウィンとキーランは驚いたようだけど、ルルベット自身の目が私の肩に乗ったサリに向いているので聞く気はないようだ。


「ほぉら、猫ちゃん。怖くないですよぉ……ッわ!?」


 シャーッ、とサリが猫らしく威嚇する。二本の尻尾を大きく膨らましてピンと上に伸ばし、牙を剥き出しにしてルルベットを睨みつけた。


「……ルルベットがこの子と仲良くなれることはないと思う」


 私が諭すように言えば、一部始終を見ていたウィンが「……こちらにどうぞ」と悲しむルルベットを引き取った。

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