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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第二章 はじめまして、婚約者様
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【Ep6 聖なる魔女と暗闇王子】6-3 打算と嫌悪

 ギルドの食堂は喧騒に包まれていた。酒も提供されているからみんな話し声が大きいのだ。

 酔って盛り上がった者達は私を見て聖女の番犬だと気付いたのか何度も声をかけようとしてきたけれど、今日はまだ実際に声をかけてくる者はいない。ギルドの食堂内では知り合いでない限り無闇に声をかけないのがマナーなのだと、以前不思議に思ってエイダに尋ねたら教えてくれた。

 だから私に声をかけてくるとしたらそういうマナーを()()()()()()()酔っ払いか、本当に用がある人間だけ。今まで私に声をかけてきたのは後者のみで、内容は一緒に仕事をしないかというお誘いだった。一応ちゃんとした仕事内容だったけれど、それが口実だということは彼らの好奇心に溢れた目を見たら簡単に分かったので一度も受けたことはない。


 そういう経緯もあるから、ろくに料理も頼まず食堂で座り続ける私に周囲が興味を示すのは当然のことだとは理解している。営業妨害になってしまうから何か頼みたいのだけど、そうなると口元を出さなければならないから正直難しい。特に今回はシェルビーの顔をよく知っている相手かもしれないから余計に。

 イグルはきっとシエルに気を遣ってギルドの食堂を待ち合わせ場所にしてくれたのだろうけど、はっきり言って逆効果だ。今の席についてもうすぐ二十分、これ以上待ちそうなら流石に何か頼もうかと思い始めた時、マントを羽織った人物が私の向かい側に腰掛けた。


「お待たせして申し訳ありません。友人よりここであなたと合流せよと申し付けられております」

「……何の件か確認しても?」


 相手の声は男性のものだった。顔は頭から被ったマントのせいで見えなかったけれど、一瞬考えるように息を詰まらせたのは雰囲気で分かる。恐らく私がどこまで聞いているのか考えているのだろう。


「詳細はまだ聞いていません。あなたと僕の友人が同一人物か確認したいだけです」


 私が助け舟を出すように補足すれば、相手の男が口を開く気配がした。


「……護衛の件、と言えばいいでしょうか」


 探るような声で男が答える。私が頷いてみせると、彼は「場所を変えましょう」と言って立ち上がった。


「――護衛対象は私でありません」


 ギルドの外へ出て夜の街を歩きながら男が言う。そうだろうな、とその背中を見ながら思ったけれど言うのはやめておいた。

 コツ、コツ、と一定のリズムで刻まれる小気味良い足音は、この国では軍人や騎士に多い。マントの上からでも分かるピンと伸びた背筋もそうだ。そんな人物が自分に護衛を付けるとは思えないから、彼はきっと護衛対象の部下か何かだろう。


 それは別にいいのだけど、このまま素直についていくのは少し嫌だった。


「待ってください」


 そう言いながら私が止まると、男も足を止め警戒するようにこちらを振り返った。意図が分からないのか、「何でしょうか」と尋ねてきた声には警戒が滲んでいる。


「今向かっているのは護衛対象の方のところでしょうか?」

「ええ、そうです。何か問題が?」

「僕はまだ今回の依頼を受けるとは決めていません。それなのに会ってしまってもいいんですか?」


 男が驚いたのが空気で分かった。「話がまとまっていたわけでは……?」、いくらか警戒の弱まった声には、今度は困惑の色が強く出ていた。


「行き違いがあったのかもしれません。僕があそこで待っていたのは使いの方に詳細を聞くためです。受けるかどうか決めるのはその後の話ですよ」

「……なるほど。詳細を伝えろと言われていたので、てっきり受けていただけるものと思っておりました」


 本当にそうだろうか――ふと浮かんだ疑問は口に出さないことにした。この使いの男はともかく、イグルであればわざと私が断りづらい状況を作ろうとすることは十分に有り得る。

 男は少し考えるように沈黙した後、「しかし、そういうことであれば……」と口を開いた。


「詳細を話さなければならないのだとしても、あまり詳しくお伝えするわけにもいきませんね」

「ええ、僕も聞きたくありません」


 はっきりと言った私に男が固まる。自分でも同じようなことを言ったくせにそんなに驚くということは、私が前向きな返答と共に「いえいえいいですよ」と言うとでも思っていたのだろうか。

 そんなことを言うなら最初から止めないのに、そこに考えが及ばないということはこの男に問題があるのか、この男か護衛対象の人物は日頃誰かに何かを断られることがないのか――浮かんだ考えに口が引き攣りそうになって、私は頭の中を切り替えるように男の方へと視線を向けた。


「今僕が知りたいのは一つだけです」

「……何でしょう?」

「護衛期間を教えて下さい」

「は?」


 警戒するような雰囲気を出していた男は、私が言うと呆気に取られたような声を出した。その気持ちは分からなくもないのだけど、私の場合は最重要事項なのだから仕方がない。


「これでも予定が詰まっているんです。友人の頼みとあればなるべくお受けしたいのですが、僕が優先すべきは別にありますので」

「……明日一日ではどうでしょう」

「明日……」


 意外と短いなと安堵しながら、私は口元に手を当てて予定を確認しているふりをした。

 一日くらいであればサリにシェルビーの身代わりをしてもらうことができる。教会へ行くのは難しいけれど、体調不良ということにでもしておけば部屋に籠もっていられるだろう。そうすれば神聖魔法だって使わなくて済むはずだ。


「分かりました。護衛する方に会わせてください」


 考え終わったと言わんばかりに頷けば、男が小さく息を吐いたのが分かった。けれど私が「だたし――」と言葉を繋げると、僅かに身構えるのが伝わってきた。


「ご存知のとおり、僕は聖女様のために冒険者をしています。今後の活動に悪影響が出ると判断すればお断りさせていただくこともありますので、僕が『受ける』とはっきり言うまではくれぐれも詳しい情報は出しすぎないようにしてください」


 つまるところ正体に気付かれやすそうな相手なら断るということだ。とはいえ向こうはそんな事情を知らないので、何か別の重大な理由があると思ったのか、先程の安堵が消えて再び緊張した様子になってしまっている。「……分かりました」、男は低い声でそう言うと、護衛対象の元に向けて再び歩き出した。



 § § §



 男に連れて来られた先は民家だった。人目につかないけれど、貴族に庶民との繋がりがあるとは思えない。買収したのか、こういう時のために用意してあるものか――考えたけれど、自分には関係ないと私は思考を打ち切った。

 使いの男は民家に着くなり私をリビングのような場所に残して、別室にいるらしい護衛対象を呼びに行った。とはいえ小さな家だからすぐに二人分の足音が聞こえてきて、私は自分の顔がちゃんと隠れているか確認しながら音の方を見つめた。


「――こちらが護衛していただきたい方です」


 そう言いながら、使いの男は部屋に入ってきた。その後ろには同じくマントで全身を隠した人物がいる。使いの男よりも少し背丈が高いことから、この人もまた男性だろう。


「まだお受けいただけると決まったわけではないので、それまではシエル殿からの質問に最低限答える形で――って何やってるんですか!?」


 話す使いの男を押しのけるように護衛対象と紹介された男が前に出る。更に彼は顔を隠していたフードを外して、「これでいいんだろう?」と嘲るように笑った。


「お前が面倒事に巻き込まれたくないのは分かる。それでも会うことを了承したのは俺が誰だか知りたいからだろう? それが判断基準なのかは知らないが、まどろっこしいやり取りで探られるよりこの方が早い」


 そう私を見下すようにして立っているのは黒髪の男性だった。薄灰の瞳に、整った顔立ち。いくら髪が黒くとも、貴族であると疑いようもない気品が漂う。

 彼は顔を見られるくらいなら問題ないと思っているのかもしれないけれど、使いの男が別の意見を持っているのは考えるまでもなかった。


「勝手なことをしないでくださいとあれほど……!」

「お前のやり方に合わせていたら朝になる。万全を期したいのかもしれないが、事を進めるには多少のリスクもつきものだ」

「そうですけどぉ……!」


 少し前までしっかりとした言葉遣いをしていた使いの男が情けない声を上げる。それでも強い言葉を使わないのは、彼らの間には明確な身分の違いがあるからだろう。そしてそれはどうやったって覆しようのないもの――護衛対象の男を見た瞬間に浮かんだその名前に、私は顔を引き攣らせた。


「さあ、どうする? 俺と関わるのが嫌ならさっさと帰れ」


 正直言って関わりたくない。不遜な態度もそうだけど、それ以上に彼と長時間一緒に過ごすことは今後を考えるとデメリットにしかならない。私はこの人の顔を知っているし、向こうだって私の、聖女シェルビーの顔を知っている。


 だってこの人、キーラン殿下だ。


「……考える時間をください」


 両手で顔を覆った私を鼻で笑った彼は、きっと私に正体を隠す気がない。髪色こそ変えているけれど顔はそのままだ。ルイーズで暮らしていてキーラン殿下の顔を知らないなんて有り得ないし、そうでなくたってシエルは聖女シェルビーの番犬だ。そのシェルビーと噂になっている相手のことを知らないはずがない――と、キーラン殿下は考えているのだろう。


 理由はともかく、私が彼の顔を知っているのは間違いない。少し前にシェルビーとして会ったばかりなのだから尚更だ。魔道具か何かで誤魔化しているのか魔力の質は少し違うように感じるけれど、これだけ整った顔はそうそう忘れるはずもない。

 それにキーラン殿下ならイグルに頼み事ができて当然だ。頼み事というか命令なのだろうけど。


「さっさとしろ。お前が駄目なら別の人間を探さなければならない」

「……そんな都合良くやってくれる人なんていないでしょう」


 ギルドを通さない時点で冒険者には警戒される。軍や騎士団を使わないのは彼らにも悟られたくないことをしたいからだろう。だけどそうなると、皇族を守れるだけの技量のある人間なんて簡単に見つけられるはずがない。


「あの女に俺とは関わるなとでも言われているのか? それとも機嫌を取れと?」

「……聖女様はそんなことおっしゃいませんよ」


 聖女を指して〝あの女〟と来るとは。奥で使いの男が焦ったような雰囲気を出しているのが分かる。


「まあな、確かにあの生き物があれこれ考えられるとは思えん。なら俺を見て即決できないのはお前の都合か。一体何が欲しい?」


 そう笑う彼の顔は完全にこちらを見下していた。ああ、なるほど。キーラン殿下はシェルビー個人ではなく聖女が嫌いなのか。シェルビーとして会った時の態度の悪さの理由が分かった。

 聖女が嫌いだからその犬のこともよく思っていないのだろう。だからと言って自分を護衛するかもしれない相手にこんな態度が取れるだなんて大したものだ。元々護衛なんて必要ないほどの力を持っているのか、それともただ考えが足りないだけか――後者だったらそんな奴のお守りを押し付けてきたイグルを恨んでやろうと思う。皇族というフィルターがかかっているのもあるけれど、それを差し引いてもこういう人はあまり好きじゃない。もう敬称なんて付けてやらない。


「適切な報酬以外には何もいりませんよ。あなたを見て迷ったのは、身分を隠さなきゃいけないくせに当の本人にその気がないからです。そんな人が大人しく守られてくれるとは思いません。僕は護衛なら受けますが、道楽息子のお守りはしませんよ」

「貴様、不敬なッ……!」

「いいえ、不敬じゃありません。何せここにいるのはただの人ですから。そうでしょう?」


 こんな状況で今更だけど、私は相手の正体を知らない()()なのだから不敬だなんて言ったら駄目だろう。ということを使いの男も気付いたのか、彼は私の言葉に押し黙った。

 じゃあ庶民にそんな物言いをされたキーラン本人も不満そうな顔をしているのかと思えば、そんなことはなかった。彼は私の発言など全く気にした様子はなく、それどころかおかしそうに笑みを浮かべている。


「お前みたいな奴がよく聖女の傍にいられるな」

「聞き分けが良い人にはこんなこと言いませんよ」

「安心しろ、お前に指示されずとも自分の身くらい自分で守れる」

「護衛依頼してきたのに?」

「護衛を増やさないとあいつが黙らないんだ」


 そう言ってキーランが顎で示したのは使いの男だった。ということは、彼は直属の騎士か何かなのだろう。お忍びの外出をするにあたり皇宮(おうきゅう)関係者は自分一人しか付けられないから、せめてもう一人護衛の手が欲しいといったところか。


「ただの数合わせなら誰でも良いでしょうに」

「まあな。だがお前なら俺の不利になるようなことはしないんじゃないか?」

「……そうですね」


 冒険者シエルは聖女シェルビーの仲間。この国において聖女が皇族に見初められることは誉れ以外の何ものでもない。キーランはシェルビーとの未来があるかもしれない相手なのだ、シエルの立場上あまり下手なことはできないのは誰にでも分かることだろう。


「分かりました、受けますよ。ただし本当に危険な時は大人しく守られてください。ご自分で対処できるのでしたらそんな事態にはならないので問題ないですよね?」

「ああ、勿論だ。お前は適当に付いてきてくれればいい」


 護衛を頼む相手に対してその態度は少しどうかと思うので、もし正体がバレたらこの数日分の記憶を消して困らせてやろうと思う。

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