【Ep6 聖なる魔女と暗闇王子】6-1 幻惑の夢
『また人が殺されたってよ』
その頃、ルイーズは不穏な空気に包まれていた。頻繁に人が殺されていたのだ。
事故死でも病死でもなく、殺されたと断定できたのはその遺体に毎回特徴があったから。
『今回のも心臓がない。やっぱりどこかで悪魔が喚ばれてるんじゃ……』
人間が悪魔を召喚する方法はいくつかあるけれど、当時ルイーズで最も有名だったのが人間の心臓を使った儀式。くり抜いたばかりの心臓を持って術者が召喚用の魔法陣の中心に立ち、その心臓を代償に悪魔を喚び出すのだ。
当時見つかった心臓のない遺体は、全部で十五。働き盛りの男性ばかりが狙われたことから、犯人は彼ら相手に立ち回れる同じ男性だろうと思われていた。
だけど中下層街では、密かに淫魔のような魅力を持った美しい女性ではないかという噂も流れた。これは少し前に庶民の間で流行った劇が影響している。当時の人々が心臓のない遺体と聞いてすぐに前述の悪魔召喚を連想したのも、この劇中で主人公を妬んだ美女が男達を誘惑し、同じことをしていたからだ。
ファム・ファタール――劇の中でそう呼ばれた女は、誘惑した男達の心臓を用いて何度も何度も悪魔を召喚し、主人公を奈落の底へと突き落とそうとした。
けれどこの話はハッピーエンド。実は聖女の器だった主人公はある時教会に見つけてもらい、神の加護を得て、私欲のために数多の命を奪ったファム・ファタールの罪を暴く。奪った命の数だけ力を付けていた魔女でも神の力には敵わず、最期は醜悪な姿となって無残な死を迎えた。
だけどこれはあくまで劇の話。現実とは異なるということくらい、誰もが分かっていた。
魔女に狙われた聖女なんていない。あるのは心臓を奪われた哀れな男達の遺体だけ。
神の裁きを待っていてはいつ平和が訪れるか分からない、明日は我が身かもしれない――その不安が、人々に現実を直視させた。
『この中層に殺人犯がいるのか……』
『本当にそうか? 貴族が俺達庶民を狙っているのかもしれない』
殺されたのは全員、ルイーズの中下層の人々。上層に住む貴族の被害者もいなければ、貴族街が凄惨な事件の現場になることもなかった。
人々は疑心暗鬼に陥り、早く犯人が捕まることを祈った。男性は一人で外出するのを控えるようになり、美しい容姿を持つ女性はいわれのない罪で糾弾されるのを防ぐため家の外へと出られなくなった。
自由を奪われた人々の心に育つのは不満と、現状への苛立ち。それは事件に関係のない事柄にも及び、暗く淀んだ感情がルイーズを暗雲のように覆っていた。
そんな折だ。
『スターフィールド公爵家の娘が悪魔に魅入られた』
その噂は一気にルイーズ中に広まった。スターフィールド家の初代当主はかつての皇弟――一族には皇族と同じ血が流れている。その関係は初代当主のみに限らず、決して少なくない一族の子供達が皇族と婚姻関係を結んできた。
悪魔に魅入られた娘もそれは同じ。未来の皇后となるべく生まれ育てられた娘のスキャンダルに人々は食いつき、終わりの見えなかった不安から解放されることを喜んだ。
たとえそれがどれだけ馬鹿げた話だとしても。劇と同じく美しい容姿を持つ娘が、生まれながらにして全てを持っていた娘が罪を犯したというその疑いだけで、人々の心は癒やされたのだ。
何故なら罪人相手にならば、正義の名のもとに堂々と鬱憤をぶつけられるから。
『そんなことしていません! 私が誰かを手に掛けるだなんて……!』
娘の言葉は誰も信じなかった。娘には常に護衛という人の目があったのに。貴族街からの出入りは記録されるのに。
『悪魔の力を使えば誰にも気付かれず屋敷を出入りできる』
『護衛も誘惑したのでは?』
『嘆かわしい! 悪魔なんかに付け入れられるだなんて!』
聞いて。お願いだから誰か私の話を聞いて。
『神の言葉を唱えろ』
『水を持ってこい。人間を沈められるだけの水を』
『強情な奴だ。もういい、鞭で打て』
痛い。苦しい。なんで私がこんな目に遭うの。私が何をしたって言うの。
私は何もしていない。誰も殺してなんていない。
……本当に?
『さあ言え、お前が殺したと。まだ悪魔に取り憑かれていることを認めないなら、次は全身に釘を打ってやる』
言えばやめてくれるの?
『ほら、この男達を知っているだろう? お前が殺した者達だ。殺して、心臓をくり抜いた相手だ』
知っている……かもしれない。
『首を絞めたのよ、愚かにも私に言い寄ってきたから。ちょっと良い顔をしただけで気を抜いてくれたから随分楽だったわ。……ねえ、そうでしょう?』
そう、だったろうか。
『いい加減答えろ! どうやって男達を殺した!? 生きたままじゃ心臓はくり抜けないだろう!?』
どうやって、だなんて。そんなの決まっているでしょう。
『〝首を絞めたのよ、愚かにも私に言い寄ってきたから。ちょっと良い顔をしただけで気を抜いてくれたから随分楽だったわ〟』
言葉にするごとに胸の中に実感が広がっていく。私が殺した。殺して、その心臓をくり抜いた。
『認めたぞ! 間違いなくこいつが魔女だ!』
そこからは早かった。毎日の責め苦から解放され、私の犯したたくさんの罪が次々に明らかになっていき、そして――
「――違う!!」
大きな声で叫べば、あの頃と違う声が聞こえてきた。
そうだ、私はもうシェルビー・スターフィールドじゃない。シェルビー・ハートだ――そう自分に言い聞かせて荒い呼吸を落ち着ける。
汗で肌に髪が貼り付く。邪魔なそれをかき上げながら周りに目を向ければ、真夜中の自分の部屋がこちらを見つめていた。
「……夢」
最近、あの頃の夢をよく見る気がする。私が悪魔に取り憑かれていると信じて疑わない人々はその証拠を求め、私に魔女を炙り出すための拷問を課した。私も知っていたものもあれば、それは魔女とは関係ないだろうと分かるものまで。
来る日も来る日も苦しみを与えられ、お前がやったんだろうと怒鳴りつけられ、いつしか私は幻覚を見るようになっていた。
自分がやったんじゃないと確信を持っていたのに、写真の男達の首を絞める光景が、感触が、まるで自分の記憶として存在しているかのように何度も何度も鮮明に蘇ったのだ。
その幻覚から解放されたのは、刑に処される少し前。
私がやったと言うにはあまりに荒唐無稽な根拠しか持たない罪の数々に違和感を抱き、芝居がかった調子で嘆く両親の姿に、ある日突然現実に引き戻されたのだ。
だけどその時にはもう遅かった。いいや、いつ気付いてもきっと同じだった。
「私がやったんじゃないのに……!」
身体中の血が煮えたぎるような怒りが全身を熱くする。夢の中なのにはっきりと感じた痛みが、苦しみが、私の中の憎しみを引き摺り起こす。
「そうだシェルビー。お前がやったんじゃない。誰かがその罪をお前になすりつけたんだ」
いつの間に姿を現していたのか、ベッドに腰掛けたサリが私の肩を抱く。視線を落とした先にあった私の長い金髪は、更に長い真っ黒なサリの髪に飲み込まれていた。
「痛かっただろう、苦しかっただろう。誰かの勝手な欲望が、お前にあれだけの苦痛を与えたんだよ」
固く握り締めた拳をサリの形の良い指が優しく解いていく。私の指の間に自分のそれを滑り込ませて、親指の腹で労るように私の手の甲を撫で上げる。
「その誰かはお前も知っているだろう? あの時お前を守ってくれなかったのは誰だ?」
「お父様と、お母様……」
「それから?」
「それから……――ローウェン……!」
口にした瞬間、全身の毛が逆だった気がした。落ち着きかけていた鼓動が騒ぎ出す。サリの指ごと手に力が入って、奥歯からはギリ、と音がした。
「そうだ、奴らがお前を苦しめた。お前はこんなにも苦しんでいるのに、あいつらは今も平気な顔をして生きている。そんな理不尽が許されると思うか?」
「思わない……許さない……他の誰が許しても、私だけは絶対に……!」
怒りに震える身体は、サリにぎゅっと抱き締められた。「そう、それでいい」、低い声が頭の奥まで染み渡る。肩にあった腕が私の髪を優しく撫でれば、強張った身体から力が抜けていくのが分かった。
「大丈夫だよ、シェルビー。俺の愛しい魔女。お前の憎しみを理解できるのは俺だけだ。お前が復讐を遂げるその時まで、俺が何をおいてもお前を守ろう。だから今は安心して眠れ。――憎しみに身を委ねて」
何度も口づけを落としながら、サリが私の身体をベッドに横たえる。目が合えば優しく微笑んで、ほんの少しだけ噛み付くように、自分の唇を私のそれに押し当てる。
「おやすみ、シェルビー。今度は朝まで」
その言葉に疑問を抱くより先に、私の意識は夢の中へと沈んでいった。
§ § §
「……眠い」
教会での朝のお祈りが終わった私は、建物の外壁に隠れて大きく口を広げた。
こんなに大口を開けて欠伸なんてはしたないけれど仕方ない。ここのところ寝不足なのか、とても眠いのだ。寝起きにお祈りなんて長時間目を閉じてするものをしていたらその眠気は増すに決まっている。
人前で舟を漕いでしまったらまずいのでサリにこっそり見張っていて欲しいのだけど、流石に彼も教会の中にまではなかなか来てくれないので自分でどうにかするしかない。日々悪化している気がする眠気と戦いながら、私はどうにか今日も聖女としての体裁を保つことができた。
「働きすぎなのかな……」
眠気覚ましに日光を浴びようと外を歩きながら、一人呟く。ラムエイドに結界を張ってからそろそろ二週間。依頼完了かどうかの判断はまだ時間がかかるから置いといて、私はその間も別の依頼をこなしていた。
何故ならラムエイドの依頼を受けたのは正直失敗だったから。聖女シェルビーの名前を売るために冒険者としての仕事を受けているはずなのに、ラムエイドでは全くそれができなかったのだ。
適当に抜き取った依頼書だったからしょうがないのだけど、今回は自分の目的を果たせなかった上にサリのことまで怒らせてしまった。彼の機嫌を取るつもりはないものの、初めてあんなに怒っているところを見た気がする。お陰で噛み付かれたところは傷になり、魔女の魔法で治そうにも傷を付けた張本人が手を貸してくれないのでどうにもできなかった。
それなりの深さに達していたらしい傷は自然治癒にも時間を要し、かさぶたが取れたのもここ二、三日のこと。幸いうまい具合に歯型のような傷跡にはならなかったけれど、この二週間は服やベールで隠れないこの傷を誤魔化すのになかなか苦労したものだ。
それに正直あの時のサリは怖かった。久々に身を包んだ、彼が悪魔であるという実感。
どう接すればいいか悩んだけれど、意外にも翌日にはサリはいつもどおりになっていたからそこは困ってはいない。だけどそのせいで有耶無耶になってしまった感も否めない。
「……私の憎しみが消えれば、きっと殺されるんだろうな」
傷跡の残る首筋に触れながら、ふと思う。
サリにとって価値があるのは私の穢れた魂。その穢れが薄まりすぎれば彼の私に対する興味も消える。今まではただ未払いの代償を徴収されるだけかと思っていたけれど、あの分ではそれ以上の苦しみを与えられるだろう。五十年も手をかけてきた相手が、自分のことを裏切ることになるのだから。
「……大丈夫。この憎しみは、まだまだ消えない」
サリはルルベットと関わって私の中の憎しみが浄化されたと言っていたけれど、私自身にそんな感覚はない。むしろあれから私の中のそれは再び油を注がれたかのように熱く激しく燃え上がっていて、周りから隠すための殻をたやすく破ろうとしてくる。
最近寝不足なのもきっとそのせいだ。はっきりとは覚えていないけれど、ここのところ昔の夢を見ている気がする。夜中に飛び起きるというほどではないものの、あの嫌な過去は私の眠りを浅くして、私からジリジリと睡眠時間を奪っているのだろう。
「たまには昼寝しようかなぁ」
建物の影に隠れてうんと伸びをする。直後は僅かに眠気が覚めたけれど、その効果もたった数秒。
確か次の予定までは二時間くらいあったはずだ。仮眠のために一旦部屋に帰ろうかと思って物陰から出ると、遠くにキョロキョロと周りを見渡す神官長の姿が目に入った。
「あ、嫌な予感」
抱いた予感は当たっていた。神官長は私の姿を見つけると、引き止めるように手を挙げながらこちらへ向かって足を早めた。




