【Ep5 聖なる魔女と純白の魔術師】5-8 冥い絆
「あー!! これですこれこれ!!」
お互いの紹介もそこそこに、急に元気よく話しだしたルルベットにエイダが目を丸くする。ルルベットの目はエイダの持ってきたものに釘づけで、彼女の生態を知らない彼は助けを求めるように私を見てきた。
「ルルベットに見てもらいたかったんだよ、それ」
「ただの虫だろ? んなモンなんで――」
「ただの虫じゃありません! こちらジガルジェ大陸原産クロシェットビーといいまして、全体的に白くてふわふわなくせになんとミツバチの仲間なんです! ほらここ! お尻のここ! 微妙に黒い縞模様があるでしょう!?」
「お、おう……」
「この子がこんな見た目なのは同じくジガルジェ大陸の綿花シューファサク種の花の蜜を主な食糧としているのでそれに擬態しているからです!」
物凄い勢いで自分に向かって話してくるルルベットにエイダが若干身体を後ろに引くも、気付かない彼女は付いていくように一緒に移動している。それが更にエイダの顔を引き攣らせているのだけど、ルルベットの興味は彼の持つ瓶の中にいる虫だけに向けられているので永遠に気付いてもらえないだろう。
「綿花に擬態するハチなんているんだ。詳しいみたいだけど結構有名なの? 昨日は何も言ってなかったけど」
「無知ですみません、あれから調べました! とりあえずジガルジェ大陸特有の虫は一通り頭に突っ込んであります!」
そう鼻息荒く言うルルベットの目は血走っていた。これは多分徹夜してくれたのだろう。昨日より更におかしくなった彼女のテンションがそれを物語っている気がする。
エイダはエイダでこの手のタイプの女の子は初めてなのか、完全に不審者を見る目でルルベットを見ていた。「こいつ怖くね?」、口の動きだけで私に問いかけてくる。「害はないよ」と私が答えると、エイダは顔を顰めながらも納得したように小さく頷いた。
「それにしてもすごいですね! たった一日でこの虫を用意してくれるだなんて!」
「俺はシェ……シエルに頼まれただけだよ。『キーグスの綿花畑にいる虫を一通り捕まえて来てくれ』って」
「ちょうど近くにいらっしゃったと聞いてますけど、それでもここまで来るのに馬で一日近くかかるはずですよね? もしかしてあなたも風魔法を?」
「ルルベット」
「あ、すみません忘れてください!」
風魔法での移動を口にしそうになった彼女に釘をさせば、ルルベットは勢い良くその言葉を撤回した。どうやらちゃんと約束を守ってくれる気はあるらしい。口を滑らせる心配はありそうだけど、この分なら気付いたタイミングで頑張って誤魔化してくれるだろう。
事情を知らないエイダは不思議そうな顔をしていたものの、私が「後でね」とこっそりマフラーをずらして口を動かせばそれ以上追求してくるようなことはしなかった。
「ああでも、どうやって移動してきたのは気になる……こんなに速く移動する手段があるなら是非私も使いたい……」
「どうやってって、普通に馬を乗り継いで来たんだよ。ほぼずっと全力で走らせてな」
「……それは体力に物を言わせる方法ですね。主にあなたの」
エイダの答えにルルベットは納得しながらも、化け物でも見るかのような目を彼に向けた。
確かに馬を全力で走らせるには騎乗する側にも相応の体力が求められるから、彼女が驚くのも無理はない。しかも乗り継いだということは速度が落ちてくるたびに馬は乗り換えてきたのだろう。だけどそれに乗るエイダはずっと一人だ。このラムエイドとキーグス山脈との距離を思えば、彼の持久力が化け物じみたものだとルルベットに思わせるには十分だったらしい。
「私も魔術回路で無理矢理動かし続ければ……いや、心肺機能が持たない……内臓にもどうにか回路を……」
「それはやめた方がいいんじゃない?」
危険なことを考え始めたルルベットに声をかけると、彼女ははっとしたように「私は今何を……?」と首を傾げた。やっぱりこの子は少し危ないかもしれない。
「つーか何度も馬借りたから無駄にすげェ金がかかったんだけど。誰かさんが無茶言うせいで」
「経費はちゃんと払うよ」
「ついでにメシも奢って。メシ食う時間も移動に当ててきたから腹減ってんだよ」
そう言ってエイダがお腹に手を当てると、タイミング良く彼の腹の虫がぐうと鳴いた。
「ご飯くらい食べてくればいいのに」
「お前が最速っつーから急いだんだよ! こっちは真夜中に叩き起こされてからずっと動きっぱなしなんだぞ」
「仲良しですね!」
楽しそうに言ったルルベットに、エイダが「ああ?」と柄の悪い目を向ける。でもルルベットが「仲良しはいいことです!」と全く気にした様子もなく言うものだから、エイダは疲れたような顔で「……そうね」と引き下がった。
「じゃあさ、ついでにもう一働きしてくれない?」
「は?」
信じられないとでも言わんばかりに目を見開いたエイダに、私はこの街のことを説明した。
彼が来る前にルルベットと共に依頼主には確認したのだけど、やはり原因究明よりも街の保護を優先して欲しいとのことだった。原因を知りたかったのは単に保護に役立つだろうと思っただけだったらしい。あとは街の宣伝文句になればという下心もあったそう。
でも現状で原因を特定し対処するのは難しいので、依頼主との話し合いの結果、街全体を結界で覆って植物の増殖速度を抑えるという方向で話がまとまったのだ。
「土の精霊を抑え込みたいんだったら風魔法の方がやりやすいだろ。あいつら風の精霊苦手じゃん」
「それだと強すぎるんだよ。この緑の街を残しつつ、異常な侵食を食い止めるにはほどほどにしないと。なるべく自然界に近い形にしたくてね」
「自然界ねェ……今更感がすげェけど」
呆れたように言うエイダは街にいる土の精霊を見ているのだろう。ルルベットがいるから口には出さないものの、彼にもまた土の精霊達は全て見えている。
「んで、今回張る結界のメンテ依頼を定期的にギルドに出せってことにしたのか?」
「そうそう。戦闘に向いた火炎魔法と風魔法の使い手なら冒険者ギルドには結構いるでしょ? こっちで組んだ魔法陣に魔力流し直すくらいなら細かい作業が苦手な人でもできるだろうし」
定期的に魔力を補給してあげれば結界の効果は持続する。だから我ながら結構良い考えだろうと思っていたのだけど、意外にもエイダは気まずそうに顔を顰めた。
「言っとくけど、冒険者の魔法技術ってピンキリよ? びっくりするくらい下手くそだっているからな」
「えっ……じゃあそういう人はいじれないように細工しとこうか……。まあどっちにしろこの街にギルドはないみたいだから、帝都のギルドに依頼を出すことになる。最悪エイダが来てくれてもいいよ」
「やだよ、面倒臭ェ。何かのついでならまだいいけど、この辺じゃそれもなさそうだし」
周囲を見渡すように言ったエイダは、「で、」と向かい合う私達の隣に視線を落とした。
「この女はさっきから何やってんの……?」
嫌そうな顔でエイダが見る先には、私達を見ながら一生懸命ペンを動かすルルベットの姿があった。ずっと静かだなと思っていたらどうやらメモを取っていたらしい。
「私のことならお気になさらず! 魔法師さん同士がお話しするところなんて滅多に見られないので会話の中に何か今後の参考になりそうなものがないか考えていただけですから!」
「俺ら別に魔法師じゃねェけど」
「ですが相当な使い手ではありますよね!? シエルさんの腕は存じておりますからそんなシエルさんに頼られる時点で体力お兄さんもかなりの技術をお持ちかと思ったんですが違いますか? しかも街を覆うほどの大規模な結界を複数属性を絡めて張れるだなんて魔法師と名乗っても差し支えないかと!」
ルルベットが大手を広げて勢い良く言えば、反対にエイダは引くように顔を引き攣らせた。
「……差し支えるだろ、魔法師は国家資格なんだから」
「凄いね、ルルベットと話してるとエイダが常識人みたい」
「お前にだけは言われたくねェよ」
ギロリ、エイダが私を睨む。だけど怖くないから「はいはい」と言って、私達は作業に取り掛かった。
§ § §
ルイーズの教会区域にある自分の部屋に帰ってきた私は、ううんと大きく伸びをした。本当は昼間のうちに帰ってきていたものの、聖女としてのお勤めがあったから空はすっかり真っ暗だ。
「次からはもっとしっかり依頼内容を見ろ」
そう言っていつの間にか人の姿に戻っていたサリが後ろから私を抱き竦める。一瞬何をするんだと身構えたものの、どうやら他意はないらしい。ただただ私の頭に頬を寄せてくっついているだけ。
「どうしたの?」
あまりに珍しいサリの行動に思わず尋ねれば、「嗅いでる」と返され頬が引き攣った。魂の匂いを嗅いでいるということなのだろうけど、ふざけた様子もなく言われると少し気まずい。
「そんなにあの街の匂い嫌い? 確かに色んな花の匂いがしてむせ返りそうにはなったけど……」
「そんなものはどうでもいい。あの女が臭いんだ」
「あの女って、ルルベット? 別に普通じゃない?」
答えながら、そういえばサリはずっとルルベットを嫌っていたなと思い出した。エイダと街に結界を張った時だって、私達の魔法陣を観察してテンションの上がった彼女が私に近付いてきただけでサリは威嚇していた。猫だから凶悪さはなかっただろうけど、突然耳元でシャーッと声を出されたからかなり驚いたのだ。
「でも多分ルルベットにはまた会うと思うよ? 今度改めてラムエイドに行かなきゃならないし」
エイダと共に結界を張ったものの、その効果が私達以外にも分かるのが一月くらい先。依頼主にはその時点で依頼完了かどうかを判断してもらうので、私はまたシエルとしてあの街に行かなければならないのだ。
ルルベットはラムエイドの生態系を調べるのが楽しいらしく、しばらくは残ると言っていた。彼女がどのくらい調査をするのかは分からないけれど、イリユの件はどうしても知りたいと言っていたから一月後ならいる可能性だってあるだろう。
「話す必要はないだろ。あまり近付くな」
「珍しいね、サリが人間をそこまで嫌うの」
「あれはお前には毒だからな」
そう言ってサリが顔を私の肩に移動させる。少しくすぐったかったけれど、なんとなく拗ねているのかなと思って何も言わずにおいた。ずっと猫のふりをしていたから行動に名残があるのかもしれない。
「毒って?」
体重をかけられて一歩、二歩と足が自然と前に出る。猫みたいなことをするのはいいけれど、今は人間の姿だからそれなりに重量があると自覚して欲しい。
「あれは聖女の器だ」
「え?」
何を言っているのだろうと思わずサリの方を見れば、不機嫌そうな赤い瞳と目が合った。
「紛れもなく純白の魂だよ。魔力だって光の精霊共の好む匂いだ」
「ルルベットが……?」
「ああ。お陰でお前の穢れが浄化されかけた」
「ちょっ……!?」
耳が湿り気に包まれる。慌てて逃げようとしたけれど、サリの腕がしっかり私のお腹に回されているから身動きが取れない。それに正面には何故か壁があって逃げ場もない。
無害なふりをして壁に追いやられていたのだと、そう気付いた時にはもう遅かった。耳から首筋にかけて何度も何度も唇を押し付けられる。舐めたかと思えば時々歯を立てられて、小さく痛んだそこを慈しむように撫でられる。いつもとは少し違う、優しさすら感じられるそれが妙に私の鼓動を騒がせた。
「あれは良くない。そこらの聖女よりよっぽど力が強い」
「でも加護が……ぁ……」
加護がなければ聖女にはなれない。しかも普通の体質ならともかく、ルルベットは魔力を感じ取ることすらできないのだ。彼女の魂がいくら聖女の条件を満たしていたとしても、それで何か周りに影響が出るとは思えなかった。
「魂の白さはその人間の人格に滲み出る。たとえ神の加護がなかろうと、その口から白い言葉が紡がれれば相手の心を救う。……人間は脆い。言葉だけで死ぬこともあれば、生かされることもある――お前も例外じゃない、シェルビー」
「痛ッ……!?」
ガリ、強く肌に噛み付かれる。その上を舌が這うと、皮膚の内側まで鋭く痛んだ。
「あの女の父親の話を聞いて何を思った? その言葉を聞いて何を感じた? お前の中の憎しみは、あの時ほんの僅かだが確かに癒やされた。たとえそれが爪の先ほどの癒やしだとしても、そんなことが許されると思っているのか? お前は、怨嗟の魔女のその黒さは、一片も余さず俺のものなのに……!」
「ぅあッ……痛いっ……痛いよサリ!」
深く強く、その歯が私の首に立てられる。お腹に回された手には怖いくらいに力が入れられて、骨が軋むような痛みが襲った。
「憎しみを忘れたなら思い出させてやろうか? このままこの腹に爪を立てればあの時と同じになるぞ?」
「ッ、やめて!」
ゾッと背筋に寒気が走る。サリの言うあの時とは私が獣に食われかけた時のこと。頭の中に鮮明に浮かぶのは獣の息遣い。獣特有の臭いを漂わせて、ぐちゃぐちゃと音を立てて私のお腹から内臓を引き摺り出した、あの時の光景。
「なあ、シェルビー。お前の復讐はもうすぐだ」
ふっ、とお腹の力が弱くなる。歯の突き立てられていた首筋から負荷が消えて、代わりに優しい口づけが落とされる。
「あの男が憎いんだろう? 両親も、この国の仕組みも、全部全部憎くて仕方がないんだろう? 五十年もかけて準備してきたのに、あんな小娘ごときの言葉でそれをやめるのか? 他人の悪意に気付きもせず生きてきたような奴の言うことに価値なんてありはしないだろう」
「分かってる……分かってるよ……!」
「いいや、分かっていない。お前はまだ人間に望みを持っている。あんなに脆く、たやすく他人を裏切るような生き物に」
「ッ……」
サリの優しい声が私の身体から自由を奪っていた。いつの間にか零れていたらしい涙を彼の唇がそっと拭う。愛おしむようなその感触が、愛されているのではと私に馬鹿な錯覚を抱かせる。
「人間なんて口先だけだ。奴らの言葉なんて所詮他人を操るための道具でしかない」
「だけど……悪魔だって……」
「ああ、そうだ。だが俺は違う。お前と魂を繋いでいる俺はお前を裏切れない。俺だけはお前を絶対に裏切らないよ、シェルビー」
そう言ってサリが腕に力を込める。さっきまでとは違う、心地良い強さ。
頬ずりをするように私の横顔にサリのそれが触れる。頬と頬の触れ合うその優しさが酷く恐ろしく、そして――
――苦しいくらいに、心が満たされるのを感じた。




