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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第二章 はじめまして、婚約者様
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【Ep5 聖なる魔女と純白の魔術師】5-6 森の記憶

 魔法で得た情報を頼りにルルベットと森の中を確認していくと、無事にイリユの木を見つけることができた。人間の身長の三倍くらいの高さに、ぽつぽつと見える赤い実。一見すると周りの木の枝が邪魔で細い木が一本あるだけなのかと思ったけれど、近付けば何本ものイリユが密集して生えているのが分かった。

 これなら生き物の餌となる木の実も豊富だから、なかなか足りなくなるということはないだろう。しかもそうやって群生している場所が何箇所かあったのだから尚更だ。


 だけどそれが問題ないと思ったのは私だけらしい。最初こそ興奮していたルルベットはだんだんとその口数を減らしていき、今では険しい顔でイリユの木を睨みつけるまでになっていた。


「何か変なの?」

「はい。イリユがこんなふうに何本も密集して生えるなんて本来有り得ないんです。それも一箇所ならまだしも何箇所もだなんて……」


 初めて見るルルベットの深刻そうな表情に私もゴクリと喉を鳴らす。彼女とはまだ出会って半日だけど、常に明るく騒いでいた人がこんなふうになるとどうにも落ち着かない。


「どうして有り得ないの?」

「イリユはアノコギ科の植物と相性が悪いんです。一部の鳥の中にはイリユとアノコギ両方の木の実を好むものもいて、彼らによって運ばれたアノコギの種が近くに蒔かれるとイリユの成長が阻害されてしまうんですよ。だから大きく成長できるのは運良く周りが壁になってくれた株だけのはずなんですが……さっきから探してるのに、全く見当たらないんですよね」

「アノコギが?」

「はい。探しても見つからないなんて初めてです」

「たまたま生息域じゃないのかもよ?」


 私が問うと、ルルベットはふるふると首を振った。


「それはありません。アノコギ科の植物はこの地方ならどこにでも生息しているはずですから。言うなればラムエイドの街の一角に雑草一つ生えていない場所があるようなものなんです」

「……それはかなり異常だね」


 雑草の生えていない場所があったとしても、普通の街では何も問題ないだろう。だけどラムエイドは別だ。あの緑に飲み込まれた街で、雑草も何も生えていない場所が存在するとは思えなかった。


 そう考えると、この辺りの状態はやはり異常なものなのだろう。イリユだけではなく全体的に。

 こんなに偏った生態系があれば五十年前の私が耳にしているはずだ。当時は花嫁修業だけでなくいくらか政務のようなものも行っていたから、こういった情報には敏感になっていた。本職の人に比べれば小娘の仕事なんて大したことはなかったかもしれないけれど、そう自覚していたからこそあの頃の私は立派に勤め上げようとガエリア帝国内の情報にはかなり気を配っていたのだ。

 それなのに全く思い当たる記憶がないということは、当時は誰も気付いていなかったのか、この五十年の間に変わってしまったのかのどちらかということになる。


「確かラムエイドの植物もここ三十年くらいで増えたんだっけ。イリユの増殖が無関係じゃないなら、その頃に何があったのか調べた方が良さそうだね」


 私の提案にルルベットが「そうですね」と頷く。


「街の図書館に行きましょう。近隣の出来事なら新聞が残っているかもしれません」


 未だ表情を和らげないルルベットと共に、私達は街へと戻ることになった。



 § § §



 ラムエイドの図書館はかなり立派な建物だった。外観はもはやただの植物オバケではあるものの、中は一般的な図書館と同じ。ただ外壁に近い壁はところどころ亀裂が走っていて、それが外側の植物のせいだろうということは考えるまでもなかった。

 だから壁に近い書架が使われていないのも無理はないだろう。通常は壁にもぎっしりと本があるものだけど、この街の図書館は植物から本を守るためか、壁から距離を取るようにして棚が設置されていた。


「ざっとこんなものですかね」


 すっかり元の調子に戻ったルルベットと共に集めてきた新聞を机に乗せて、ふうと二人で息を吐く。私が自分の方が多くなるように新聞を取ると、横から「半分こです」と差分が攫われていった。


「君が受注した依頼じゃないからそんなに手伝ってもらわなくていいよ。まあ、解決したら報奨金の一部はあげるつもりだけどさ」


 シエルの口調で私が言えば、ルルベットは「へ?」と小首を傾げた。


「報奨金なんて必要ありませんよ? 私が勝手に首を突っ込んでるだけですし」

「そうはいかないよ。君は十分に働いてくれてる」

「働くって言っても趣味みたいなものなんですけど……」

「これが趣味?」


 新聞の山を指して私が言えば、ルルベットは「はい!」と明るく返事をした。今のは揚げ足を取ったつもりだったのだけど、気付いてもらえなかったらしい。肩からクシュンと小さなくしゃみが聞こえた。


「物事には必ず原因があるでしょう? 私はあんな状態になる原因に興味があるんです。あとそれを解き明かす過程も楽しいですね」


 好きなことを話しているのか、ルルベットはにこにこと機嫌良さそうにしている。そんな彼女を見ながら、私は自分の気持ちが翳るのを感じた。


「……原因っていうのは、結局後付けだけどね」


 物事には必ず原因がある。だけど何が原因だったのか決めるのは人間だ。今起こっている出来事を見て、関係ありそうな物事を調べてそれらを関連付ける。そうして筋が通ればそれが原因となって、疑いようのない事実として世の中に周知される。


 そうやって広まってしまった()()は余程のことがない限り覆らない。

 私のことだってそうだ。シェルビー・スターフィールドは悪魔を呼び寄せ多くの罪を犯した――それが、この国が作った()()

 人々はその結果に対し原因を求め、あることないことを勝手に騒ぎ立てた。原因を作りたい国もそれに乗っかって、過去の私の行動に勝手なストーリーを付けたのだ。


 皇太子と一緒にいる時、少しだけ寝不足で体調が悪い日があった――〝シェルビーは皇太子妃となる重責を感じていた〟。

 ルイーズ下層の視察ついでに、下層から行きやすい教会に立ち寄った――〝シェルビーは人目を忍んで罪の告白をしに行った〟。

 広告代わりになればと、ルイーズ中層の店で買い物をした――〝シェルビーは自身の犯罪を目撃した市民を買収しようとしていた〟。


 それらは私が国を良くするためにと必死で考えた施策にまで及び、人々は国が作ったストーリーをシェルビーが罪を犯した原因として紐付けた。そうして出来上がった()()はもはや誰の話だと聞きたくなるものだったのに、誰もシェルビー・スターフィールドのものだと信じて疑わなかったのだ。


「――……シエルさん?」

「ッ……ああ、ごめん」


 ルルベットの声に意識を現実に戻す。彼女が物事の原因を知りたいと言うのは学者としての(さが)だろうから関係ないのかもしれない。だけど一度思い出してしまった暗い感情は私の身体を蝕み、この口を勝手に動かしていた。


「大事なのはその時の事実なのに、外野は原因ばかり求めてその事実が正しいかを見極めようとしない。それどころか原因を求めていった結果、間違った事実がまるで正しいかのように裏付けられちゃうこともあるんだから、人間って本当馬鹿だよね」


 違う、ルルベットはきっとそういう意味で言ったんじゃない――そうと分かっているのに、余計なことを言った口は訂正するために動かそうとする私の意思を受け入れてくれない。


「シエルさんの仰ってることは、私が常々気を付けたいと思っていることです」

「え?」


 意外な言葉にルルベットの方を見れば、彼女はふわりとした笑顔を浮かべていた。


「私、実はガエリアの生まれじゃないんです。隣国のカナトが私の故郷で、父がガエリア出身なんです。内緒ですけどね」


 何が言いたいのか分からず、私はルルベットの言葉の続きを待った。


「その父から聞いた話なんですが――父は昔、無実の罪でこの国から追放されたそうです。連れて行かれた先にあった森で獣に襲われ、左足を食われ、もうどうにもならないと思った時……美しい魔女が現れて命を助けてもらったのだとか」


 どこかで聞いた話だと思ったのは最初だけで、後半の言葉に私は内心で首を傾げた。ルルベットの父がガエリアから追放されたということは、彼が連れて行かれたのは私と同じあの森だろう。

 だけどあそこに私以外の魔女がいただなんて話は聞いたことがない。ルルベットの年齢を考えれば当時既に私があの森にいたはずなのに――私が記憶を辿っている間にも、ルルベットは話を続けていた。


「父はその魔女がシェルビー・スターフィールドだったと言うんです。名前はシエルさんもご存知でしょう? 物凄く悪いことをした悪女だって有名ですよね?」

「う、うん……知ってるけど……」


 どういうことだろうか、と私は自分の心臓が騒ぐのを感じていた。

 ルルベットの話が正しければ他でもない私が彼女の父を助けたことになる。だけど私の中にそんな記憶はない。確かにあの森のすぐ近くで生活していたし、追放された人も見かけたことがある。

 だけど助けたことはないはずだ。そのくらいあの頃の私は心に余裕がなかった。憎しみと怒りで溢れ、たとえそれが偽物の罪だとしてもやられる方も悪いのだと思っていた部分がある。そう思わないと、近くに怒りを向ける対象がないと、あの頃は苦しくてしょうがなかったから。


「彼女がシェルビー・スターフィールドだったと、父は後から気付いたそうです。何せ彼女が国外追放されてから三十年近く経っていましたし、それなのに彼女の容姿は若いままだったそうなので、頭の中でうまく結びつかなかったんでしょう。そしてその時、彼女に言われたそうです――『あなたの罪は誰のもの?』って」

「ぁ……ッ」


 声が漏れて、私は咄嗟に口を押さえた。……そうだ、思い出した。一度だけ人を助けたことがある。

 でもそれは助けようとしてそうしたわけじゃなくて、偶然の出来事だった。たまたま罪人に襲いかかる獣――魔獣がかつて私の内臓を食い荒らしてくれたのと同じ個体だと気付いたから、怒りに任せてその命を奪っただけ。結果的にその魔獣に襲われていた人は助かったけれど、怪我をしていると気付いた上で手当てすらしなかったはずだ。


「『あなたの罪は誰のもの?』――そう問われて、その時は何故知っているのだろうと思っただけらしいんですけど、正体に気付いた後はもしかして彼女もそうだったのではと思うようになったそうです。だとしたらシェルビー・スターフィールドの犯したとされている罪全てが彼女のものではないかもしれないと、父にはそう聞いています」


 そこまで言うと、ルルベットは真剣な目を私に向けた。


「だからシエルさんの言いたいことも分かると思っています。学者として物事の原因は追求しなければならないけれど、過去に起こったこと同士を結びつけるのは凄く慎重にならないといけない。たとえ一見整合性が取れていても、本当は違うのかもしれないという疑いの目を常に持ち続けないといけない――そう、いつも自分に言い聞かせているつもりです。……なんて、自分の研究成果に自信が持てない奴の言い訳みたいですけどね」


 最後ははにかむようにして言ったルルベットは、誤魔化すように新聞へと目を落とした。

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