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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第二章 はじめまして、婚約者様
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【Ep5 聖なる魔女と純白の魔術師】5-5 甘酸っぱい異変

 ルルベットに呼ばれた先に行くと、そこには動物のものと思われる痕跡があった。平たく言うと糞だ。見たところ雑食動物のものだろうか。あまり詳しくはないけれど、草食動物のそれとは違うように思う。


「ミューペのものですね。ほら、あそこにもいるでしょう?」


 ルルベットが樹の上を指差す。言われたとおりにそちらに目を向ければ、黒っぽい毛の塊が枝を歩いているのが見えた。距離が遠いから分かりづらいけれど、恐らくは両手で抱えきれるくらいの大きさ。尻尾も体と同じくらいの長さがあって、ふさふさのそれを器用に枝に巻きつけながらバランスを取っているようだ。


「確か魔獣だよね。割合大人しいし、そんなに珍しいものでもないと思うけど」


 森があるところには大体彼らが生息している。今は樹の上にいるけれど、私の記憶が正しければミューペは土に巣穴を掘って生活していたはずだ。この森の土では根っこだらけで巣穴を作れるのかは大いに疑問が残るものの、ここで生活している形跡あるということは問題ないのだろう。


「あの子達は木の根の傍に巣穴を掘るんですよ。出入り口の一つはどういうわけか必ず木の幹を通るようになっているので、それなりの大木が必要なんですよね。だからこの森は彼らにとって恵まれた環境なんだと思います」

「へえ、そうなんだ。でもその割に害獣扱いされているなんて聞いたことないな。木の中をくり抜いちゃうってことでしょ? その木は枯れちゃいそうだけど」

「不思議とミューペのせいで枯れたって報告がないんです。むしろその木は元気に育つので、一説では木の内部の病変をミューペが見つけて除去しているんじゃないかとすら言われています」


 「でも」と続いたルルベットの声音がワントーン低くなる。樹上を見上げていた私は無意識のうちに彼女の方へと目を向けていた。


「ちょっと数が多すぎる気がしますね。森に入ってから十頭近く見かけてますが、普通は家族でもない限りこんなに密集していないはず……ちょっと個体数調べていいですか?」


 そう言いながらルルベットはローブの下に持っていたらしい鞄から魔道具らしき何かを取り出した。

 見た目は砂時計に近く、彼女の手のひらにどうにか収まるくらいの大きさだ。でも中にあるのはくびれたガラスではなくて、黒い宝石のような玉。それの台座にはまた別の石が嵌めてあって、見たところこれが動力となるマナクリスタルだろう。そんなに上質なものではないものの魔道具を動かすには十分だ。


 私は初めて見る道具に少し自分の気持ちが高鳴るのを感じながら、ルルベットに「それで分かるの?」と問いかけた。


「これを使うと周囲の生物反応を確認できます。と言っても最低でもミューペくらいの大きさは必要で、半径一キロ圏内しか見れないんですけど」

「何で判断するの?」

「魔力です。生物は体の大きさによって内在魔力の最低値が大体決まっているので」


 聞いてよかった、と私は肩に乗るサリとこっそり目配せをした。知らずに起動されていたらサリの化け物みたいな魔力量がバレてしまっていたかもしれない。まあサリは普段からある程度隠してくれているから大丈夫だろうけど、念の為気を付けてねと視線で訴える。


「魔力で判断するってことは、マナクリスタルが落ちてたらそれも映っちゃうってことかな」

「そうなんですよ、それが難点で……魂を見られるようになればいいんですけど、人間が魂を観測する手段が今のところないから無理なんですよね。神聖魔法を研究させていただければと常々思っているんですが、それは神への冒涜だということでどの国でも厳しく禁止されているから困っていて……救いはマナクリスタルが希少ってことでしょうか。映るとしても滅多にないんでこれも商品化されたって感じです」


 話し終わると「じゃあ、始めますね」とルルベットは魔道具を起動させた。その直前に肩から感じる魔力がすっと小さくなったことに安堵して、私は光を放つ魔道具に意識を集中する。

 一見光を通さないように見えた黒い玉は内側からぽうっと光って、中に夜空のような光景を浮かべた。最初は星一つないものだったけれど、中央に近い方からだんだんと小さな星が生まれていって、玉の中にはあっという間に星空が広がっていった。


「――やっぱり個体数が異常に多いですね」


 私にはただの綺麗な星空にしか見えないそれを見つめながら、ルルベットが考えるような声を出す。


「分かるの?」


 この星ような光だけで種類を特定できるのもそうだけど、個体数の多さだって相当な経験がないと分からないだろう。そう込めて言えば、ルルベットは「ええ」と頷いた。


「研究しながら各地を旅していますから。でもこれだけいるとなると、彼らの主食であるイリユが不足しそうなものですけど……」


 イリユはカシシと同じような木の実だ。見た目はちょっとつぶつぶしていてベリーっぽいのだけど、人間にとってはかなり不味いことで有名でもある。

 匂いは柑橘のような爽やかさがあって子供達に人気らしい。近くに自然のある場所で育った子供はイリユの実でおままごとをするのだと聞いたことがある。そしてその遊びの中でイリユを食して洗礼を浴びるのだそうだ。毒はないけれど割とトラウマになる味なのだと、昔読んだ物語にあった気がする。

 そんなイリユは食べる以外の使い道もないらしく、栽培しているという話は聞いたことがない。だからこのあたりにも自生しているものくらいしかないだろう。


「確かイリユってワインレッドの実だよね? さっき見かけた気がするけど」

「私も見つけました。だけど遠目で見た限りでは至って普通だったので、そんなに多くは実っていないはずなのに……」

「じゃあ次はイリユを詳しく調べてみればいいのかな。ってなるとまず木を探すところからか」

「そうですね。これは魔道具じゃ無理なので歩き回らなきゃならないんですが……」

「大丈夫だよ、こういう時にも魔法は使えるから」


 そう言って私は宙に魔法陣を描き始めた。一般的な風魔法のものだ。

 呪文、あるいは詠唱といったものは通常の魔法では原則として使われない。精霊は人間の言葉なんて分からないし、人間もまた彼らの言葉を理解することはできなかった。だから人間が精霊と意思疎通をするには、基本的にかつて彼らから教わったこの図形のような文字を使うしかない。

 神聖魔法が特別視されるのはそのせいだ。あれは光魔法をベースとしているけれど、神の言葉を乗せることで神聖魔法と成る。つまり声に出した言葉によって神とやりとりしている――と、一般人の目には映るのだ。勿論神聖魔法にも魔法陣はあるし、加護があれば詠唱も魔法陣も必要ないということは先日判明したわけだけど、教会としては宣伝の意味もあるから、極力声を使って魔法を起動せよと神官達は指導されている。


 だから私が声を出さなくてもルルベットは何の疑問も抱かないだろう。というか既に私の描いた魔法陣を真剣に見ながらスケッチしているからそれどころじゃないのかもしれない。大した情報量ではないはずなのに彼女の手が止まらないのは、気付いたことをメモしているのだろうか。……だとすれば物凄い量だ。


「これは風でイリユの匂いをこちらに運ぼうとしているのですよね?」

「分かるんだ?」

「魔法陣とその結果は全部頭に入っていますから。でもこうして実際に使われているところを見る機会はほとんどないので素晴らしい経験です」

「……あれ? そういえばルルベットって魔法陣が見えるの?」


 魔法陣は魔力で描いている。だから魔力を感じ取れないルルベットには見えないものだと思ったのだけど、この様子では問題なく見えていそうだ。


「あ、このメガネも魔道具なんです。みなさんに見えているものが見えないと観察する時に困るので。流石に魂に近いとされる精霊は見えないんですけど」

「……魔力感知できない人って精霊も見えないの? だったら魔術回路も仕込まずにどうやったら魔法が使えるの?」


 ルルベットのような体質の人間は事故防止のため魔法を使うことを禁止されている。禁止されるからには精霊のことが見えているのだと思っていたのだけど、彼女の口振りではそれも違うらしい。


「偶然が重なった場合ですかね。何かを望んだ時にたまたま近くにいた精霊にその願いが伝わっちゃって、さらにたまたまその精霊が相手の魔力を欲しがるとなんだか分からない魔法が発動するみたいです」

「なんだか分からないって……」

「大火事、地割れ、河川の氾濫……まあそんなところです。大抵の場合その人間の魔力が枯渇してそのまま死んでしまうのであまり詳しいことは分かっていないみたいなんですが、昔からろくなことにはならないみたいですね。私みたいに適正のない人間は魔法の使用を禁止される時にこのへんを説明されるんですけど、普通の人は無縁なので知らなくても無理はないかと」

「……まあ、魔力を感じ取れれば死ぬ直前で無意識のうちに止めるしね。成功するかはともかく」


 あまり話していても何なので、私はそこで話を打ち切ると魔法を発動させた。風魔法の魔法陣だけど、いつもどおり魔女の魔法だ。耳元からはサリの面倒臭そうな溜息が聞こえる。普段と違って魔力のやり取りに一手間かかっているからだろう。

 何故ならいくらルルベットが精霊を見ることができないと言ったって、流石に目の前で堂々と悪魔であるサリと魔力のやり取りをするわけにはいかない。だからサリは風の精霊の力に見えるように、ちょっといつもと違った力の貸し方をしてくれている。彼にわざわざ頼んではいなかったけれど、無駄に気の利く悪魔なので気を付けてくれたらしい。


 私は内心でサリにお礼を言いながら自分の周りに風を起こすと、それをどんどん広げて森の中の情報を探っていった。


「あ、イリユの匂い!」


 ルルベットが歓声を上げる。今回の魔法では遠くの匂いをこちらに運んでいるだけだから、私に向けて風を集めたって近くにいるルルベットにも分かるのだ。


「場所と方角は大体分かったよ。もっと調べる?」

「いいえ、一旦はそこまでたくさんじゃなくて大丈夫です。それとも一気に調べておいた方がシエルさんの負担は少ないですか?」

「あんまり変わらないかな」

「じゃあ温存しましょう。とりあえず近いものから見ていきたいと思います」


 ルルベットに頷いて、私は魔法を解いた。周囲に吹いていた不自然な風が止む。辺りに充満していたイリユの匂いがゆっくりと消えていく。

 だけどそれで問題はない。この匂いを持ってきた風がどこから来たのかは分かっている。


「まずはあっちから行こうか」


 私が指差すと、ルルベットが楽しそうに「はい!」と返事をした。

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