【Ep5 聖なる魔女と純白の魔術師】5-4 虫のざわめき
「――ですので、この街では虫と植物によって独自の生態系が築かれていると言っても過言ではないと思うんです!」
そう力強く言うルルベットに私は文字通り目を丸くした。
ルルベット曰く、この街では本来の形とは違う虫と植物との共生関係ができているらしいのだ。例えば近くで見つけられることがほとんどない二種類の植物がお互いに絡み合っていたり、通常捕食者と非捕食者の関係であるはずの虫達が仲良く同じ花の蜜を吸っていたりするらしい。
普段だったらどうでもいいと思うかもしれないものの、調査に来ている以上そういった事実を無視することはできない。とはいえ私の知識なんて大したことはないから自分一人で見ていたら気付かなかったことも多いはずだ。
それなのにルルベットがどんどん見つけるものだから、もしかしたら今回は彼女を連れていた方が効率良く調査を進められるのでは、と私は内心で考え始めていた。
「こうなった原因は分かりそう?」
「そこまでは流石に……せめてこの生態系が街の中で発生したものなのか、それとも外からもたらされたものなのか分かればいいんですが」
真面目な顔で周囲を見渡すルルベットは、確かに魔術師なのだろう。
魔法という誰でも使えるはずのものを使えない者がなることが多い――それが魔術師に対する一般的な認識だ。そのせいで彼らは下に見られがちなものの、実際には魔術師になれるのは本当に優秀な人材だけ。
魔術師になるためには魔術という学問を修めている必要がある。魔術は魔法を学術的に分析したものだけど、魔法が精霊の力を借りて自然現象を操る特性を持つことから、必然的に魔術はあらゆる分野の知識が必要になってくるのだ。
つまり魔術を修めるためには付随する膨大な量の知識が必要で、それ故の習得難易度の高さから大抵の国では学問の最高峰とさえ言われている。
ちなみに〝大抵の国〟としたのはこのガエリアがそこに含まれないからだ。魔術による神聖魔法の解析は神への冒涜として教会に禁じられている。神聖魔法こそ至高とするこの国の立場ではそれ以外の属性の魔法は軽く見られがちだから、その大したことがないものしか扱えない魔術の価値もまた下がってしまうのだ。
とはいえガエリア国内での扱いはともかく、魔術師を名乗るためにはとんでもない努力が必要なことは間違いない。
ルルベットの纏う濃紺のローブは魔術を修めた者の証――これを持つものだけが魔術師を名乗る資格を持つ。こんなに若い魔術師なんて初めて見たからいまいち実感できていなかったけれど、彼女の言動は確かに前世で何度か関わった魔術師達のそれだった。
「なら街の外から通常と違うところがないか見ていった方がいいのかな。もしよければ君に確認してもらいたいんだけど、どんな情報を集めてくれば役に立つ?」
「私もご一緒しますよ!」
「……だけどあの森だよ? ただでさえ知識を借りようとしてるんだから君にあんな歩きづらそうなところを歩き回らせるわけには……」
この街の森は通常のものとは違って植物達に勢いがある。勿論動き回っているわけではないけれど、縦横無尽に育っている木々は人間が歩くには明らかに邪魔になるものばかり。理由がなければ苦労してまで入りたいとは思わないだろう。
本音を言えば、監視の件もあるからルルベットには同行してもらいたい。だけどこれは私が受けた依頼で、彼女はただシエルを見に来ただけの学者なのだ。いくらちょうどいいとはいえ彼女に負担を強いるのは流石に気が進まない。
「あ! 言い忘れてたんですけど私、冒険者でもあるんです! ほら、登録証もこちらに!」
「……本当だ」
得意げにルルベットがローブの首元から出したのは冒険者ギルドで発行されるプレートだった。そこには確かにルルベット・アルコリアガの名前がある。
「魔術師が調査のために冒険者を雇うっていうのはよく聞くけど、まさか本人がそうなんて……」
冒険者自体は誰でもなれるものだから特段おかしいことではない。むしろ冒険者となることで得られる権利は調査をする上で役に立つだろう。
それでも、彼女が冒険者だというだけでは私の気持ちは変わらなかった。このプレートを持っているということは多少の苦労や危険は承知しているという意思表示にはなると思うけれど、体力的にも問題がないことの証明にはならない。
現に私だって魔法で誤魔化しているだけで、体力だけで言ったら普通の町娘に毛が生えた程度しかないのだ。この年で魔術師を名乗れるほど勉学に励んできたであろうルルベットが、長時間あの森の中を自由に動き回れるとは思えなかった。
「やっぱり自分で見て周りたいじゃないですか! お願いしたものの他に魅力的なものがあったとしても、ただ待っているだけじゃ気付きもしないでしょう? ですから自分も冒険者になったんです! あ、勿論足手まといにはなりません! そんなに戦えませんが、足腰には自信があります!」
「ッちょっと、何やってるの!?」
ぐい、とルルベットがローブを足元から捲る。恐らく中のスカートごと持ち上げたのだろう、一瞬にして顕になったのは彼女の腰付近までの素足。周囲の視線がこちらの集まるのを感じて慌てて声を上げれば、ルルベットは「え?」と何も分かっていなさそうに首を傾げた。
「これを見ていただきたいだけなんですけど……」
そう言って彼女が示したのは脚に刻まれた文様だった。急に脚を丸出しにしたということにばかり気を取られていたけれど、そこにある肌は明らかに普通の女性のものとは違う。
この文様は魔術回路だ。それがブーツから出た脹脛の上から腰の辺りまで途切れることなく描かれている。ブーツの中や腰の先は見えないけれど、描かれている回路には続きがあるように見えた。
まさか全身にあるのだろうか――疑問に思ったけれど、今はそれよりも優先すべきことがある。肌を隠して欲しいのだ。この国では女性はこんなに脚を出すことはないから、本人が気にしなくても悪目立ちしてしまう。
「見たからとりあえずしまって」とルルベットに告げて脚が隠されたのを見届けると、それを見せてきた真意を探るために彼女の顔に視線を向けた。
「今のって魔術回路だよね? 魔術師は体に刻んで体内の魔力を使うって聞いたことがあるけど……」
どんな生き物でも持っている魔力。魔法を使うためには精霊とやり取りするために体内の魔力を操る必要があるけれど、極稀にその才能が全くない人がいる。
聞いた話では、彼らはそもそも魔力を感じ取れないのだそうだ。だから先天的に目が見えないとか耳が聞こえないとか、状態としてはそういうものに近くて、本人の努力ではどうにもならないらしい。
そんな人間が精霊と自分の魔力をやり取りしようとしたところで、魔力を渡すことができないから魔法は使えない。仮にどうにか渡せたとしても、魔力量の調整ができないからどんな大事故に繋がるか分からない。そのため幼少期の魔法適性検査でそれが判明した者は、魔法連盟によって魔法を使うこと自体を禁止されているのだ。
だけど体に魔術回路を刻み込めば、そこに体内の魔力を流すことができる。理論上はこれで魔法も使えるのだけど、禁止されている以上見つかれば大抵の国で罪になってしまう。
だから魔術師がこの方法で魔力を使うのは魔道具を起動する時だけ。だったらマナクリスタルを使えばいい話なので、わざわざ体中に消えない回路を刻み込んでまで自分の魔力を使おうとする人は少ない。冒険者になる魔術師があまりいないのもこのせいだろう。冒険者登録の際には自分の魔力を多少操る必要があるけれど、そのためだけに魔術回路を体に刻むのは馬鹿馬鹿しい。
しかも回路を刻むにはかなりの激痛が伴うと言う。彼女のように広範囲に回路を刻み込むのはよほどの事情がある者だけだ。
「この回路は魔力を巡らせることもそうですけど、身体能力を高めるように組んであるんです。私の体そのものが魔道具みたいなものですね。だから体内の魔力が尽きない限りそこそこの動きはできるんですよ!」
「それでいいの? そんな、自分の体を道具みたいに……一生消えないんでしょ?」
「魔術を極めるためなら何も問題ありません! 自分の体は有限なので慎重になっていますが、必要とあればいつでもいくらでも使う覚悟はできています!」
なんだろう、ルルベットは少しマッドサイエンティストの才能がある気がする。少し不安に思ったものの、きっと彼女とはこれきりだろう。ならあまり踏み込む必要もないから、私は「そう……」と引き攣った笑みを返して、一緒に森に入るというルルベットの提案を受け入れることにした。
§ § §
森の中は思っていた以上に人間を拒む状態になっていた。
まず、平坦な足場がない。増えすぎて土の中に行き場をなくしたのか、そこらじゅう木の根だらけで土すらまともに見えない。しかも様々な植物の枝や蔦が好き放題に伸びているから、ナイフで道を作りながら進まなければならなかった。
次に、虫が多すぎる。植物が茂っているところを進めば当然そこで休んでいた虫達は驚く。しかも歩くためにはどうしても植物に触れなければならないから、そのたびにたくさんの虫が周囲を羽ばたいていって正直気が気じゃなかった。
虫が大の苦手というわけでもないけれど、得意なわけでもない。それも帝都で見かける少数の虫への耐性だ、こんなにうじゃうじゃと周りをうろつかれていればそれだけで全身が痒くなる気がしたし、叫びたくてしょうがなかった。
そんな状況なのに、ルルベットは悲鳴を上げるどころか嬉々とした歓声ばかりを上げていた。
一応今の私はシエルで男で、それなりの腕を持った冒険者ということになっている。だから私が先に進んで道を作っているのだけど、女っぽい声を出さないようにするのに精一杯な私とは違い、ルルベットは心底楽しそうにしながら見かけた虫や植物の習性を説明してくれるのだから、根本的な精神構造が私とは全く違うのだろう。
「君はよく平気だね。こんなにたくさん虫がいたら大抵の人は嫌がると思うけど……」
「私にとってはお宝ですよ! 仕事柄帝都に滞在することが多いんですけど、特にルイーズは綺麗すぎて面白いものが全然なくてつまらないんですよね。最新の魔道具や研究資料が手に入るのは素晴らしいと思うんですけど」
「ルイーズでこんな状態になったら大事件だよ」
「そうですね。あそこはガエリアの顔みたいな街ですから、大多数から見て美しい状態にしておきたいっていうのは理解できなくもないです。聖女様方の祭服だって綺麗ですし。ただのグレーなのにあんなに綺麗に見えるって、ちゃんと意識してデザインされているってことですよね」
そこまで言うと、ルルベットは思い出したように「そうだ」と声を上げた。
「聖女様といえば、先日シェルビー様が皇太子に謁見されたって新聞で読みましたよ。街じゃあキーラン殿下の花嫁はシェルビー様に決まりじゃないかって大騒ぎでした」
キーランとは皇太子の息子だ。年は今の私よりも四歳上で、そろそろ結婚適齢期と言われている。この国の皇族男子は聖女を娶るためギリギリまで粘るから、他国の王族よりも独身期間が少し長めになることが多い。
キーランとは先日皇太子に謁見した時に軽く挨拶を交わした。と言っても本当に軽くで、ほんの数秒対面しただけ。この国の貴人らしく美しい銀髪を持っていて、その顔立ちもまた整っていたのはよく覚えている。皇太子にはあまり似ていなかったから、恐らくは母親譲りのものなのだろう。
容姿の他に一つだけ印象に残っていることと言えば、聖女に対して愛想がなかったことくらいだろうか。明らかに上辺の笑みと分かる態度で、どことなくこちらを見下しているように感じた。少し不快だったけれど、そもそも相手は皇族で私も大嫌いだから気にしていない。覚えているのはこの国の人間にしては珍しい振る舞いだなと思ったからだ。
このまま聖女シェルビーの価値を上げていった時、年齢から考えればルルベットの言うとおりキーランが結婚相手となる可能性が高いだろう。私にとっては相手を利用するための結婚だから仲良くなる気はないけれど、流石にずっとあの嫌な感じで接してこられても居心地が悪くて嫌かもしれない。となると多少は距離を縮めた方がいいのだろうかと考えていると、ルルベットが「あ!」と言って勢い良く走り出した。
「落ち着きがない女だな」
ルルベットが離れたことで、それまでずっと黙っていたサリが呆れたように呟いた。相変わらず猫のまま、森に入ってからは人のマフラーに潜り込んで虫から身を守っていたことを考えると、呆れたいのは正直言って私の方だ。
「まあ、意外と調査の役に立ちそうだからいいんだけどね」
「ずっと一緒にいるつもりか?」
「まさか。宿で休むふりでもして時々ちゃんと別行動するよ。シェルビーは教会にいることになってるんだから」
「そのまま撒いてくれ。あの女がいたんじゃお前が魔女の魔法を使ってくれないだろ」
「……サリ、もしかしてルルベットのこと嫌い?」
「ああ。あれはつまらんからな」
つまらないとはどういうことだろう――私が聞こうとした時、少し離れたところからルルベットがシエルを呼ぶ声が聞こえてきた。




