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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第二章 はじめまして、婚約者様
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【Ep5 聖なる魔女と純白の魔術師】5-3 無垢な危険

『見つけました!』


 そう言って突然私の腕を掴んできたのは少女だった。背丈は私より少し大きいけれど、年頃は同じくらいに見える。オリーブ色の長い髪の毛は低い位置でゆるく二本に編み込まれ、胸元で大きく左右に逸れたそれは臍の少し上あたりでシンプルな紐で止められていた。

 全身は黒に近い濃紺、それも体型を覆い隠すようなローブなのに、胸元の膨らみは私よりもずっと大きく見える。……これは本物だろうか。随分重たそうなものをぶら下げているな――なんて文句はぐっと飲み込んで、今は男だぞと自分に言い聞かせた。


 メガネの下の黄金色の瞳は喜びに満ち溢れたような輝きを持ってこちらを見つめているけれど、これだけ観察してみても私には少女の名前が分からなかった。この瞳や顔立ちはなんとなく見たことがあるような気がしなくもないものの、多分気の所為だろう。確かに可憐な容姿だけど目立つ特徴があるわけでもないから、よく見かける別の誰かが頭の中で組み合わさって、見たことがあるかもしれないという印象を生んでいるだけな気がする。

 でなければこれだけ考えても全く記憶を掠めないのはおかしい。しかも今はシエルの姿だ、知り合いだって限られている。


「どこかでお会いしたことが……?」


 困惑しながらも愛想の良い人間を演じながら少女に問いかける。すると相手はしまったと言わんばかりに慌てだして、「急にすみません!」と勢い良く私から二歩分の距離を取った。


「ルルベット・アルコリアガと申します! このとおり魔術師をしておりまして、かねてより聖女()の番犬様にお会いしたいと思っておりました!」


 大きな声で言いながら少女――ルルベットは思い切り片足を後ろに下げて深く私に頭を下げた。恐らく貴族相手のお辞儀でもしたいのだろうけれど、体勢が低すぎて走り出そうとしているようにしか見えない。しかも〝様〟だって一つ多い。

 彼女の着ている濃紺のローブは魔術師のそれだから言っていること自体は矛盾していないのだけど、この少女を見ていると何とも言えない不安を感じてしまう。この子大丈夫かな――引き攣りそうになる顔を叱咤して、柔らかい笑顔になるよう目を細めた。


「そんなに畏まらなくていいですよ。聖女様はともかく、僕はしがない冒険者なので」

「いえいえいえ! 聖女様のお傍にいる時点できっとあなたは帝国から任を受けているのでしょう!? ってことは貴族の方かもしれませんから、私のような平民が気軽に接していいわけがありません!」

「ええっと……シェルビー様とはただの幼馴染なんです。ほら、髪だって普通でしょう?」


 人を貴族だと思い込んでいるルルベットの顔を上げさせて、魔道具で茶色に染めた髪を見せる。勘違いされたままでもそんなに気にはならないものの、こんな往来でいつまでも大声で謎挨拶をされ続けるのは流石に辛い。


「髪色なんて問題じゃありません! 金や銀は希少性が高いから価値があるようなもので、それ以外の髪色の貴族様だって珍しくはないでしょう!!」

「そうかもしれませんけど……とりあえず、僕は今冒険者なんです。そういう立場とかは一旦忘れていただけると助かります」

「でも……!」

「忘れてください。ところで何か用があって声をかけてくださったんじゃないんですか? 何もないなら僕も仕事中なので困るんですが……」


 なかなか引き下がってくれないルルベットに少し苛立って、つい強めの言葉を選んでしまった。彼女とはきっとこれきりだから心情的にはどう思われようと構わないのだけど、聖女の番犬という立場上あまりシエルの印象が悪くなりすぎるのは良くない。

 だから一応少しフォローをしておくかと思いながらルルベットに視線を向ければ、「そうでした!」と全く気にしていない様子の少女と目が合った。


「是非お仕事に同行させていただきたいんです!」

「……は?」



 § § §



 ラムエイドの街の中はどれだけ歩いても緑だらけだった。全部が全部同じ植物なわけではなく、豊かな森のように様々な種が共存して街を緑色に染め上げている。

 この街に観光に来る客は物珍しさを求めてのことだろうけれど、ある程度植物の知識があればより楽しめるだろう。この街はもはや植物園と言ってもいいくらいで、何種類生息しているのかと確認するだけでも一日では到底足りないはずだ。


 私は前世の仕事の関係で多少は動植物の知識を持っているけれど、それでも周りには見たことはあれど名前の分からない植物だらけ。全種類を把握する必要はないものの、調査のことを考えるとざっくりとでも街全体は見ておきたい。

 それにこの街に冒険者ギルドがあるかも確認したかった。街の状況を考えるとあまり期待できないけれど、ないならないで情報収集のためにも一番近くのギルドはどこかくらいは知っておきたい。

 つまり私にはやることがたくさんあるから、さっさと足を動かして街中を見なければならないのだ。それなのにさっきからなかなか道を進めない。


 なんでこうなってしまったのか――私は目の前で楽しそうに植物とにらめっこしているルルベットを見て溜息を吐いた。


「……まだかかりそう?」

「ああ、ごめんなさい! カラルゲの花にマダラクチナシが止まってるのが珍しくて……! マダラクチナシは警戒心が強いので自分の体色と同じ色の花の蜜しか食べないはずなんですけどこのカラルゲのワインレッドに囲まれてよく落ち着いて食事ができるなと!」

「……へえ、そう」


 魔術師だというルルベットの知識は大したものだと思うけれど、だからと言って気になるものを見つけたら毎回五分以上動きを止めるのはやめて欲しい。

 彼女からしたら面白くても、私からしてみればただの花と虫だ。小ぶりな暗い赤色の花に、小指の爪の先程の黄色い甲虫が付いているだけ。しかもカラルゲという名前は聞いたことがあってもマダラクチナシとやらは初耳だ。一見しただけではよくいる甲虫にしか見えない。


 本当ならルルベットを置いて行きたかったものの、そうは言っていられない事情が私にはあった。


『是非お仕事に同行させていただきたいんです!』


 突然私に打診してきた彼女は、聞けば私が――シエルが受注した依頼を調べて後を追ってきたのだと言う。それ自体は別段不思議なことではないからよかったのだけど、その後の彼女の発言が問題だった。


『番犬様が依頼を受けてすぐ追ったはずなんです。だけどここまで一度もお見かけしなかったってことは、やっぱり魔法の力でしょうか? 噂では風魔法をお使いになるそうなので空を飛んだのですか? 短距離ならともかくこの距離を飛べるって帝国お抱えの大魔法師並のお力を持っているということですよね!!』


 その瞬間、耳元で黒猫がクシュンッとくしゃみをした。だけど私は知っている、彼はくしゃみなんてしない。だからこれはくしゃみに見せかけた笑いだ。この男、私の窮地を悟って猫のくせに笑ったのだ。


『……それ、誰かに言いました?』

『いいえ? この街には知り合いはいませんから。でも帝都に帰ったらこの番犬様のお力は是非周りに熱く語らねばと思っております!!』


 クシュン、小さいくしゃみがもう一発。

 ルルベットの様子を見ている限り悪気や含みがあるようには思えない。思えないのだけど、その言葉を実行されると非常にまずい。


 シエルの時の私は人前で魔法を使う際には風魔法しか使わないようにしている。魔女の魔法は勿論使うわけにはいかず、更に普通の人間は一つの属性しか使えないからだ。と言っても今の私の魔力は風の精霊の好みじゃないから風魔法に見せかけているだけで、実際はうんと悪魔の気配を消した魔女の魔法なのだけど。

 風魔法を選んだのは前世の私がそれを使っていたから。そしてルルベットの言うとおり、風魔法なら移動に利用できるというのも大きい。いつも魔女の魔法で空間をひとっ飛びしているから、いつか移動時間の短さを指摘された時に風魔法を言い訳にしようと思っていたのだ。


 だからルルベットの認識は私の思惑どおりで、本来ならそれを他人に言いふらされたところで大した不都合はない。だけど今回は別だ。帝都とラムエイドという遠距離を風魔法で一気に飛ぶなんて、大魔法師ですらほぼ確実に不可能なことだから。

 魔術師のルルベットは恐らくそれを知らないのだろう。魔術師は体内の魔力を全く操作できない者がなることが多い。魔術回路を使って体内の魔力を強制的に使うことはできるけれど、魔術は大量の魔力を閉じ込めたマナクリスタルを使って行使することが多いから魔法に必要な魔力の量に関する感覚が弱いのだ。

 大魔法師と呼ばれる人だって、風魔法でこんな遠距離を一気に飛べば倒れてしまう。そうならないためには休憩を何度か挟む必要があるのだけど、ルルベットの様子では休憩なんてしていなかったと言いふらしそうだ。


 だからまずい。普通の魔法師ですら一度に飛べるのは人間の視力で視認できる距離。つまり休憩しているように見えなかった時点で、シエルがそれ以上の力を持っていると周りが感じるには十分。

 ルルベットの言葉全てを鵜呑みにする者はいないだろうけれど、シエルの素性を気にしている人間ならば絶対に食いつくだろう。それだけの力を持っていれば幼い頃から目立ってしまうから、シエルの幼少期を探ろうとするかもしれない。

 でもそれは駄目だ。記録にはシエルは存在しているけれど、人々の記憶の中に彼はいない。多少調べられたところで問題がないようにはしているものの、大勢が本気を出して暴きに来たら流石にまずい。


『……できれば内密にしていただけますか? あまり僕の魔法について知られてしまうと、シェルビー様のお傍にいられなくなるかもしれないんです』

『もしかして魔法師のスカウトとかあるんですか!? それは困りますよね、魔法師の仕事をしていたら冒険者なんてできませんから!』

『そうなんです。この力はシェルビー様のお役に立つために磨いたものですから、それができなくなってしまうのは生きる目的を奪われるのと同じで……』


 なんとなくルルベットならいけそうだと思って、眉間に力を入れながら目元に手を当てる。未来を想像して悲観に暮れる少年の姿は案の定彼女の心を打ったらしく、『私の浅慮さのせいでごめんなさい……!』とルルベットもまた辛そうに顔を歪めた。


「――シエルさん、シエルさん。見てくださいこれ!」


 私が少し前のことを思い出していると、ルルベットの楽しそうな声がすぐ近くで聞こえてきた。

 手には虫。さっきのものとは違う甲虫二匹が重なり合っている。……これはあれだろう。


「ヒイロゴコムシとクチアリクチナシが交尾してるんです! この二匹は系統が違うので繁殖はできないはずなんですけど体の大きさや見た目が近いから勘違いしちゃったんですかね! ってなると同種の判別には視覚に頼っている可能性が大きいということになるんですけどこれまではフェロモンで判断しているとされていたので視覚を使っているとなるとまず彼らの視覚は嗅覚より性能面で劣っているという定説を検証する必要があると思いますがどうでしょうか!」

「……そうだね」


 ルルベットは私の魔法のことを隠すと言ってくれたから一緒に行動する必要はないのだけど、流石に初対面の人間を信用することはできない。だから本当に彼女が情報を漏らす心配がないのか判断するために、私の仕事ぶりを見たいという彼女の言葉を受け入れつつこっそりと監視していた。


 だけど始終これだ。一歩進んでは止まって、また進んでは止まる。そうして時々珍しいものを見つけては私に教えてくれるのだけど、如何せんマニアックすぎて何が珍しいのか全く分からない。


 そうしてまた足を止めてしまったルルベットを見ながら、私はいつになったら仕事ができるのだろう、と空を見上げた。耳元でサリがくしゃみをしたのは言うまでもない。

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