【Ep4 聖なる魔女と神の加護】4-10 罵声の行方
痛みに備えて目を閉じたはずなのに、私の全身を包み込んだのは温かさだった。
人肌の温もりじゃない。魂を覆うこの温かさは……――神の加護だ。
はっとして目を開けば、辺りは光に包まれていた。それは神聖魔法を使った時と同じ光景。でも私は使った覚えはないし、こんな大規模なもの使ったこともない。
だけどこの場に漂う魔力は私の身体から放たれたのだという感覚がある。それなのに、この魔力が自分のものだと思えない。
サリに力を借りた時とは違う。彼に代償を払って願いを叶えてもらった時とも違う。知っているのに知らない、不思議な感覚。
「何これ……」
思わず零してしまった声を聞いていた者は恐らくいない。
私を襲おうと向かってきていた男達は光に押されてその場を動けずにいた。少し離れたところでは、彼らの守っていた人々が光に包まれている。
神の加護は私を守るから、私に敵意を持っていた者達の動きが封じられているのはそのためだろう。
「ッサリ達は……!?」
神の加護は魔を払う――慌てて彼らの方を見れば、涼しげな表情をしたサリと驚いた様子のエイダがいた。
そうだ、私と魂を繋いでいるサリは悪魔の身であっても浄化の範囲外。魔女であるエイダはそのサリに隠されたから無事なのだろうか。理由は分からないけれど、大事なさそうで良かったと胸を撫で下ろす。
そうして私が状況を理解していくと共に、時間の経過のせいか神聖魔法の光もまた収まっていった。
「一体何が……」
誰かがぽつりと呟く。それに答えるように私が「神の加護です」と答えれば、一斉に視線がこちらに集まった。
さて、ここからどうしようか。正直私も神の加護に守られたということ以外に状況は分かっていないのだけど、ここでそれをおおっぴらに言ってしまうと聖女の沽券に関わる。
さっきまでは私をただの神官の一人だと思っていた男達も、神の加護と口にしたことでもう私が聖女だと分かっているだろう。現にそこかしこから私を見て驚く声が聞こえるし、自分達の行いを後悔するように青ざめている者もいる。
私がこの後の振る舞いを考えていると、男達の後ろから「奇跡だ……!」と声が上がった。
「奇跡……?」
今度はその声の方へと注目が集まる。私の視線も同じくそこへ。
声を上げたのは病人の隣にいた少年だった。彼が病人を守るようにしていたのは知っている。だから彼の近くにいるのは具合の悪い人――のはずなのに、いるのは随分と顔色の良い女性だけ。
「お前……治ったのか!?」
一人の男が言えば、あちこちから「こっちもだ!」と声が上がり始める。この場で〝治った〟というのはたくさんいた病人達のことだろう。喜びに満ち溢れた声はそれが現実だと物語っている。
こちらの気分まで軽くなりそうな雰囲気だったけれど、急に病人が治ることなんて有り得ない。では何故そんなことが起きたのかと考えた時、頭に浮かんだ原因に私はまさかな、と顔を引き攣らせた。
「毒水で病んでいたんだろう? 病でなく中毒なら浄化で治って当然だ」
いつの間に近付いていたのか、サリが私の隣で呆れたように言う。その声に顔を向ければ、サリと歩いてきたエイダが「今の神聖魔法だろ?」と私に確認するような視線を向けた。
「随分派手にやったな……っつーかやるならやるって先に言えよ! あんなん食らったら死ぬし、そもそもこっちはお前が大怪我するかもしれないって本気で心配したんだぞ!?」
「えっと……ごめん……私もよく分かってなくて……神聖魔法っていうか、神の加護だとは思うんだけど……」
エイダの怒りは尤もだ。神聖魔法なのか神の加護なのかいまいち分からないけれど、あんなに高出力の聖なる力なんて直撃していたら魔女である彼は命を落としていただろう。今回サリに守ってもらえたのは運が良かったとしか言いようがない。
「ていうかさ、あれやっぱり私がやったように見えるよね……? 勝手にごっそり魔力持ってかれた気はするんだけど、でも魔力が減った感覚がなくて……」
私の様子でエイダも状況をなんとなく察してくれたらしい。「あれ無意識なのか……?」と顔を強張らせているのは、突然自分に加護の攻撃の矛先が向くかもしれないと思ったからだろうか。確かにあれだけの力の加護を持っている私自身が制御できないのはあまりよろしくない。普通の聖女であればいいかもしれないけれど、魔女でもある私の周りには魔を抱く者が多いのだ。
だけど狼狽える私達とは違ってサリは落ち着いていた。何を馬鹿なことと言わんばかりの表情で、「当たり前だろう」と口を開く。
「あれは魔力じゃない、神の力だ。加護を通じてシェルビーに分け与えられただけで主導権は神にある。だからお前の魔力は全く使われていないし、あれを魔法とも呼ばない」
「私の身体はただの通り道みたいなものだったってこと? なら疲れない理由も分からなくもないけど……あれが神の力って言われてもいまいち実感が……」
「人間にとってはそうだろうな。魔力を使ったと誤認したのも、身体を流れる感覚が同じだったのかもしれない。とはいえやはり魔力ではなく神の力だ、お前の身体が嫌な匂いになった」
そう言って心底嫌そうに顔を顰めたサリは、私についてしまった神の力の匂いが気に入らないのだろう。少し自分に神聖魔法を使っただけでも嫌がるのに、体内を神の力が流れたとなれば匂いの強さは比べ物にならないのかもしれない。
「だが流石は俺の魔女だな。加護があっても行使できるのはその身体が受け入れられる分の神の力だけ――つまり今のシェルビーが体内に内在させている魔力量で決まる。お前の身を守るだけでなくあの人間共全員を浄化できるだけの器だということだ。誇っていい」
そう言って何故かサリが得意げな表情を浮かべる。誇っていいことだと言われても、私としては素直に喜べなかった。
病人が良くなったのは確かに良いことだと思える。思えるのだけど、そうじゃない。
私は帝国に弱味を作らせたかったのだ。帝国に言われて向かった先で大怪我を負ったから、今後は聖女シェルビーを何らかの形で優遇するようにって言いたかったのに。
それなのにこれでは帝国側にどんな思惑があったにしろ、弱味どころか功績になってしまう。
「――聖女様!」
私が動揺していると、さっきまで遠くで喜んでいた盗賊達――もとい村人達が全員で駆け寄ってきた。そうだ、今は彼らがいた。この分なら今までの会話は聞こえていないだろうけれど、動揺しすぎてすっかり周りに注意が配れていなかった。
なんて私が自省している間にも、私達は彼らに取り囲まれてしまっていた。口々に聞こえるのは感謝と謝罪。少し前まで神の教えを捻じ曲げて解釈していた彼らはそれを恥じ入るように自らの行いを悔い、赦しを求めるように胸の前で手を組んでいる。
「我々はあなた様になんという態度を取ってしまったのか……それなのに病人達を癒やしてくださるだなんて……!」
「……神のご意思ですわ。神はあなた方に今一度正しい道を行く機会を与えてくださったのです」
実際のところはただの偶然のような気もするけれど、とりあえず聖職者らしい台詞でお茶を濁した。
ここまで来たらいっそのこと開き直って、略奪行為や勝手な死者の埋葬もやめさせるようなことも言いたかった。でもまだ駄目だ。病人がいなくなったなら死者の埋葬はしばらく心配いらないだろうけれど、村に住める状態ではないのなら略奪行為を禁止してしまった彼らの未来に待つのは死となってしまうだろう。折角身体が治って死から遠ざかった者もいるのに、それでは意味がない。
「いいえ、我々が助かったのは聖女様のお心の広さゆえです。愚かにも暴力に訴えようとした我々を、先程あなた様は両手を広げ受け入れてくださったではありませんか!」
あれはそういう意味ではない、だなんてこの場で言えるはずがなかった。
私にできるのは彼らに話を合わせて完璧な笑みを返すことだけ。助けを求めるようにサリを見れば、サリだけでなくエイダもまた既にうまいこと人混みから抜け出していたようで、少し離れたところからこちらの様子を他人事のように眺めていた。エイダに至ってはどこか生暖かい視線をくれているような気がして、そのせいで私の心がどんどん荒んでいくのを感じる。
だって、こんなの予定と全然違う。聖女に怪我をさせる原因を作ったと帝国を責めるつもりだったのに、これじゃあ帝国に言われて派遣された聖女が問題を解決したようにしか見えない。
それもこれも全部加護のせいだ。人が大怪我をする覚悟までしたのに、この神の加護は勝手に私を守った挙げ句適当な範囲を浄化したから、村人達に感謝される羽目になってしまったのだ。
「ッ……神の前には皆平等です。私はあなた方が改心してくれると信じていました」
ふざけるな、加護の馬鹿野郎――本当はそう言いたかったのに、私は笑顔で心にもない台詞を言い続けることしかできなかった。




