【Ep4 聖なる魔女と神の加護】4-7 双子の誘惑
「……やっぱりサリ、からかいすぎたんじゃない?」
あれから一言も話さずに黙々と足跡に沿って進むエイダの後を歩きながら、私は隣にいるサリに話しかけた。エイダが本気で怒ると黙るのは昔からだけれど、それは八つ当たりしないように怒りを抑え込んでいるから。そしてそこまでしなければならないほど怒ることはなかなかないから、いくら戯れの場での出来事とはいえちょっとだけ心配になったのだ。
「俺よりお前の言葉の方が効いてると思うがな」
「私? 大したこと言ってないと思うけど……」
「だからだ。シェルビーは人間と関係を築くことを避けているから、それが言葉の節々から感じられるんだろう。奴も理解しているとはいえ、真正面から言われたら流石に堪えたのかもな」
サリは悪魔のくせに人間の感情をよく理解している。というか人間よりもよっぽど他人の心情を推し量ることができる。それが相手を誘惑するために必要なのだとは分かるけれど、どうにも彼がこういうことを言うのはおもしろくない。
とはいえその内容は概ね正しいのだろう。そう思ってしまうのもまた気に入らないけれど、そんなことに文句を言っていてもしょうがないのでごくりと飲み下した。
「確かに避けてるけど……でもそれがどうしてエイダと関係あるの?」
「お前、小僧を魔女としか思ってないだろう?」
クスリとサリが笑う。私の顔でそんなふうに笑われるとなんだか自分に馬鹿にされているように感じてしまって、折角やり過ごした不満が戻ってきた気がした。
「だってエイダは魔女じゃん。人間とは違うでしょ」
魔女は人間だけど、悪魔と繋いだその魂は彼らのルールに縛られている。善意より等価交換を重んじ、他人の悪意は付け込む隙にしか見えない。悪魔と長く付き合うことで、彼らの考えに染まっていくのだ。
それに寿命だってそう。この身体は赤ん坊から成長させたかったからまだ年を取るけれど、前世では違った。十八歳になる直前で魔女となった私はその後三十年間、同じ姿のままで生き続けた。たかだか三十年ではあるけれど、いつの間にか時の流れにこの身を持っていかれるという感覚はなくなって、時間というのは何かの名前と同じように、ただそのものを指し示しているだけという感覚が強くなった。
エイダもきっと同じだ。時間に関しては彼はまだ通常通り身を委ねているから違うかもしれないけれど、それ以外の考え方はもう悪魔に寄っているだろう。
この間私に向かって取引という言葉を使ってきたのもそういうことだ。つまり人間関係――特に魔女との関係は無償の愛だの信頼だので成り立つのではなく、お互いの利益になるかどうかで決まるのだと彼もまた認識しているということ。特にエイダは治安の悪いレッドブロックでずっと暮らしているから、他人に対する警戒心は元々強い。子供の頃から他人なんて信用していなかったのもあって悪魔の考え方は彼によく馴染んだはずだ。
「お前がそう思いたいならそれでいいだろう。俺はお前の考えを尊重するよ、シェルビー」
「なんか含みのある言い方なんだけど?」
「勿論。人間はこうして自分を受け入れてくれる存在が好きなんだろう?」
そう言いながら私の腕を引いて立ち止まらせたサリが、反対の手を私の頬に添えた。同じ目線、同じ顔。距離が近すぎるせいで彼の目元ばかりに視線が行ってしまう。同じ形のはずなのに、同じ群青の瞳のはずなのに、吸い込まれた先にあの赤色があるような錯覚が、私の頭を混乱させる。
サリが自分の口元のマフラーをそっと下げる。顔をほんの少し、横に傾ける。だんだんと近付いてくるそれを混乱のままぼんやりと眺めていたら、近くから「う゛ん゛んッ!!」と大きな咳払いのような音が聞こえてきた。
「人の後ろで何やってんだよ! しかも同じ顔で!」
「小僧へのサービスだよ。嬉しいならそう言えばいいだろう?」
「うれッ……しくねェよ馬鹿野郎! 知ってんだからな!? お前とディリーがそうやって人を煽ってもっと重い契約させようとしてるってことくらい!!」
「なら話は早い。無様に抵抗せずさっさと堕ちればいい」
「その先にあるものの方がもっと無様なんだよ!」
サリとエイダの喧嘩を聞き流しながら、私は何をしてるんだと一人頭を抱えていた。好みの容姿を持つ普段のサリならともかく、自分と全く同じ姿をした彼にあんなことをされて動けなくなるだなんてどういうことだ。見た目は問題ではないという話になるかもしれないけれど、それはそれで意味が変わってきてしまうので受け入れるわけにはいかない。
「ッつーか大声出させんな! もう近いんだよ!」
はっとしたようにエイダが声を潜める。小声になっても怒鳴っているから何を言っているんだと思ったけれど、〝近い〟という言葉の指すものが頭に浮かんで気持ちを切り替えた。
「近いって、盗賊が?」
私が聞けば、エイダの纏う雰囲気がすっと真面目なものに変わる。それはさっきまでの不機嫌とも違ったいつもどおりの姿で、サリのお陰で彼の機嫌が治ったのかと思うと少し複雑な気分になった。
「多分だけどな。地形的にこの先であの人数が隠れられる場所って限られるんだよ。シェルビーが魔法で見つけた以外の痕跡も出てきてるから、十中八九って言ってもいい」
そう言うエイダの表情はいつもどおりのはずなのに、言葉の迷いのなさからかすっかり大人の男性に見えた。年齢で考えればもう二十歳だから十分大人と言ってもいいのだけど、五年前で止まったままだった彼への子供だという印象が一気に塗り替えられた気がする。
言っていることだってそうだ。冒険者として仕事をすることで元々の能力が高められたのか、私が追加で魔法を使わずとも追跡をほぼ完了させたらしい。まだ確定ではないようだけど、この口振りではほぼ確実。彼の働きは私が楽をできるだなんてものじゃなくて、もはや頼もしさしか感じられなかった。
「……何だよ、じっと見てきて。疑ってんのか?」
「まさか。エイダってばすっかり大人になったなぁって感心してただけ」
「今かよ。ってことはこれまでずっと俺のこと子供だと思ってたのか……」
「しょうがないじゃん。私の精神年齢はエイダと出会った時からずっと大人だったんだから」
「だとしてもさァ……まァいいか、今が違うんなら。そんなことよりこの後どうする? 直接行くか、気付かれないように魔法で調べるか」
エイダの示す先はまだ林が続いているけれど、確かこの先には山があるはずだ。山と言ってもあまり草木の生えない岩肌が多くある山で、標高も丘と言っていいくらいしかない。標高はともかく、草木が減るせいで身を隠せる場所がなくなるのだろう。エイダが魔法を提案してきたのはきっとそのためだ。
「依頼は盗賊の調査だから魔法でもいいんだけど……そうするとわざわざ私を同行させた意味がないんだよね」
「どういうことだ?」
「ロックビー家の人間の腹黒さは昔から有名なの。敢えて相手に色々と委ねることで、その人の人間性や思惑を探るっていうのは彼らの得意技だよ。今回は直接本人と話したわけじゃないから微妙なんだけど、それでも聖女も冒険者に同行しろって言ってきたあたりそこに意味がある気がして。しかも護衛を付けるかの判断も冒険者のシエルに任せたってことは、帝国軍や騎士団の介入を避けたいとも取れるじゃない?」
「考えすぎじゃねェか? 聖女を探る理由なんてないだろ」
「聖女はね。でもシエルは違う。シエルが何者で、どのくらいの働きができるのか――それは絶対に知りたいはずだよ。何せ聖女の番犬だなんて呼ばれてるんだから」
シエルが役立たずならばそれで良し、でもその思惑を全て汲み取った上でイグルに満足のいく結果を出したならば、彼はシエルに接触してくるだろう。それだけの腕があるシエルが自分達の敵か味方かを判断したいだろうし、味方であっても聖女の近くに置いておくにふさわしい人間かどうかも知りたいはずだ。
最初にこの依頼の話を聞いた時は聖女シェルビーが疑われているのかとも思ったけれど、よくよく考えれば冒険者シエルを探ろうとしたと考えた方が納得がいく。突然現れた、聖女と親交のある冒険者――イグルが聖女の騙されやすさに気付いていないはずがないから、シエルがシェルビーを騙している悪人かもしれないというところまで心配しているかもしれない。
聖女自身は何かあっても加護に守られるけれど、その周りは別だ。その聖女が国民の人気を得てより国と関わる立場にいれば、その被害はとんでもないことになるかもしれない。
「ってことは何か? 宰相様のご意向どおりにするには陰で調査を終わらせるんじゃなくて、シエルの有能さを示しつつ、『だから聖女様を連れて来る必要があったのか!』って他人が納得できる結果にしなきゃいけないってことか? ……馬鹿か!」
「なんでよ」
「馬鹿だろどう考えても! シエルの有能さを示すってところまではいい。単純に盗賊をひっ捕らえればそれなりの結果になるからな。でも聖女を連れてきた意味? ふざけんなよ、なんだそのふわっとした要望は! 盗賊全員改心でもさせろってか? するわけねェだろ、そんな魔法は悪魔の技の範疇だ。シェルビーが聖女としてひたすら説教したところでそう簡単にみんな心動かされるもんでもねェだろ!」
一気に捲し立てたエイダは相当ご立腹らしい。それでもちゃんと声を抑えているのは偉いと思う。
「多分だけど、ただ捕まえるだけっていうのも駄目だと思うんだよね」
「はァ!?」
「だってギルドに依頼が出てなかったでしょ? 誰も対処していないのに依頼も出てないって、揉み消されてる可能性が高いじゃない?」
「……盗賊を捕まえたら国が損でもするってか?」
「そのあたりも考慮しなきゃってこと。そういう部分全部ひっくるめて、宰相様のご意向なんだよ」
私が言うとエイダは思い切り顔を歪めたけれど、少しすると諦めたように「もうこっからはシェルビーが全部指示してくれ……」とうなだれた。さっきまでの頼りがいのある姿はどこへやら、彼は考えることを放棄したらしい。
「じゃあ隠れられるギリギリのところまで直接探しに行こうか」
「……普通だな」
「普通に決まってるでしょ。対応を考えるのは相手を知ってからだよ」
私の言葉にエイダは疲れたように天を仰ぐと、「もう全部任せますよ……」と力なく呟いた。
§ § §
「――全然出入りしないね」
低木の陰に身を隠しながら私が言えば、エイダは「そうだなァ……」と考えるように声を漏らした。
私達が今見ているのは岩肌にできた洞窟の入り口。痕跡を追っていってそろそろ隠れる場所がなくなってきたなと思った頃、ちょうどここを見つけたのだ。
エイダ曰く、足跡などの痕跡は全てあの中に向かっているとのこと。だからあそこが盗賊団のアジトだろうということで、確信を得るためにこうして見張っているのだけど、どういうわけか誰も出入りしないから時間ばかりが過ぎていた。
「人数はそれなりにいるはずなんだけどな。奥に気配だってあるし、中で全滅してるってことはないと思うんだけど……」
ちらり、エイダが周りに視線を配る。恐らくサリを探しているのだろう。だが残念、サリは私達が隠れ始めてすぐに姿を消してしまった。悪魔である彼は物陰に隠れるより姿自体を隠してしまった方が楽だし確実だから当然だ。
「人にすぐサリに頼るなって言っておいて、自分だってサリに聞こうとしてない?」
「うッ……でもアイツ、これくらいなら代償いらないんだろ? タダならいいかなって」
「それはそうだけどね。ま、今回はサリに聞かなくても大丈夫だよ。私もさっきから探ってるけどエイダと同じ意見だし。それに中で死んで放置されたら暗闇の精霊がうろうろしてるはずじゃない?」
「まァな。ってことは単純に活動時間じゃねェのかな。もうすぐ夕方だけど……」
「今日はお休みなのかもよ?」
私が言えば、エイダは「盗賊に休みってなんだよ……」と呆れたように零した。それは言った私もよく分からないけれど、他に出てこない理由が思い浮かばなかったのだから呆れられても困る。
それにしてもここでただ待ち続けるというのも無駄な気がしてきた。これで本当に休日なのであれば明日まで誰も出てこないかもしれない。
「んー……このまま待っててもなんだし、直接行ってみる?」
「はァ? お前がそれだと微妙って……!」
「言ったけど、こういうのは臨機応変に行かないと! 何かあったら魔法でばーんと解決すればいいんだし」
「……シェルビーの借金が増えるのってやっぱ絶対自業自得じゃねェ?」
「お黙り」
私はサリに姿を現すよう声をかけて、聖女と二人の冒険者というよく分からない組み合わせで洞窟の中に足を踏み入れた。




