【Ep4 聖なる魔女と神の加護】4-6 契約の条件
墓地を見終わった私達は、ハリウに礼を言って一旦教会を後にした。
この場所の浄化はまだしていない。現時点で原因が全く分からないため、先に浄化してしまえばまだ見つけていない手がかりが失われてしまうかもしれないからだ。シエルに扮するサリからそれを告げられたハリウは少し落胆したような顔をしたものの、事情は理解してもらえたらしい。放置されていた頃よりは全然いいと快諾してくれた。
それに今回の依頼ではこの教会への対応は含まれていない。何故本部に放置されているのかという部分が分からなければ、下手に手を出すことで面倒事を招く可能性もある。
ということはハリウには伝えなかったものの、もしかしたら彼は気付いていたかもしれない。別れ際に無理をしないでくれと言ってきた表情が心底心配したようなものだったのは、私達の体力面だけでなくそういった部分を懸念してのことだったと考えた方が納得がいく。
「――ここが現場?」
教会の次にエイダの案内で向かった先は、件の盗賊がよく現れるという街道だった。街道とは言っても林の中を通っているから、道の両側には木々が鬱蒼と茂っている。一日の大半が山陰に入ってしまう場所らしく、ここ自体は平地なのに湿っぽさが漂っていた。地面の土も湿り気があり、よく見たら苔の生えている岩もある。
まだ日中だと言うのに薄暗く、周りの木々のせいで道も見通しが悪い。明かりもないから夜になればそれは一層顕著になることだろう。つまり盗賊が身を潜ませやすい上に、何かあっても遠くからは気付かれにくい。ここで犯罪行為をしてくれと言っているような場所だった。
「現場っつーか、他より被害報告が多いとこ。ついでに言うとこのあたりもブランバックボアの生息地だ。って言ってもシェルビーに言われて調査始めてから一回も見てないけど」
だからエイダはこの場所を知っていたのだろう。彼の言葉のとおり、よく見ると林の中にカシシの木がある。枝にはたくさんの赤い実。確かこの前調べたブランバックボアの生態によると、枝についた実を取るために彼らは土礫の魔法を使うのだそうだ。
「こんなに実ってるのに全然いないんだ? なら餌不足ってわけじゃなさそうだけど……」
「暗闇の精霊を恐れてるのかもしれないな。あの教会から結構近いから気配も凄いだろうし、ここも他より少し多いし。そのせいか闇魔法を使う魔獣はちらほら見かけたから、そいつらを避けてる可能性もある」
ブランバックボアは暗闇の精霊を恐れるけれど、同時に闇魔法を使う魔獣のことも苦手としているからエイダの考えには私も同意だ。
ちなみに魔獣には精霊がどう見えているのかはよく分かっていない。使う魔法の属性は種によって決まっているものの、それとは異なる精霊も感知できているのだと考えられている。土魔法を使うブランバックボアのような魔獣が暗闇の精霊を恐れるというのはそういうことだ。少なくとも気配が分からなければ恐れようがない。
「だからエイダはこの前のブランバックボアはここから来たかもって言ってたんだね」
「ああ。けど根本原因っつーの? それが全然分からないんだよな。もしかしたらさっきの墓のせいかもしれないっていうのはそうなんだけど、あれがどういう状況でああなったのかっていう答えが欲しいんだろ?」
「そうそう。やっぱり一緒に来て正解だったね。エイダ一人だったら教会墓地なんて入ろうとしなかったでしょ?」
「……ソウデスネ」
ここに来る前にエイダが教会を遠目にしか見ていなかったのは彼が魔女だからだ。あの教会はそれほどでもないけれど、ルイーズの教会区域は近付くだけでも魔女や悪魔にとっては少し嫌な感じがする。
私やサリはもう慣れてしまったものの、エイダは魔女になってから一度もあのあたりには近付いたことはないだろう。私が教会に入る前に一度だけエイダを連れて近くに行こうとしてみたけれど、彼は教会の建物が視界に入った時点でもう嫌だと足を止めてしまった。レッドブロックという危険の多い地域で生まれ育ったエイダは危機回避能力が高いから、本能的に拒絶したくなったのかもしれない。
そういうことを考えると、今回はよくここまで付き合ってくれているなと思う。いくら力の弱まった教会とはいえ、彼はその管理下にある墓地にまで足を踏み入れたのだ。
「エイダ、無理してない?」
「あ?」
私が問いかけると、エイダはきょとんと目を丸めた。
「……シェルビーって俺に気ィ遣えるの?」
「何よそれ。人が折角心配したのに」
「心配もできるのか!?」
心底驚いたと言わんばかりの表情でエイダが声を上げる。何これ。ちょっと失礼すぎない?
「心配されたくらいで喜ぶなよ、小僧。余計に拗らせるぞ?」
「ッうるっさいんだよ、お前は本当! その顔で変なこと言うな!」
それまでどうでも良さそうに周りを見ていたサリがエイダをからかうと、いつもどおりエイダは顔を真っ赤にしてサリに食いついた。相変わらずどういうやり取りかよく分からないけれど、人に対して失礼なことを言ってきたエイダはいい気味だ。もっとからかわれてしまえばいい。
「――んなことより、こっからどうするんだよ」
サリとエイダのじゃれ合いはいつもあまり長くは続かない。サリはすぐに飽きてしまうし、エイダもそうなったら何を言っても無駄だと知っているから唐突に終わる。
今回も急に終わったなと思いながら、「魔法で調べようか」とエイダを見上げた。
「エイダのことだから自分で見て回っただけでしょ?」
「……苦手なんだよ、そういう魔法」
「知ってる。だから私がやるよ」
調査に使える魔法の属性はいくつかあるけれど、火炎魔法の出番は限られる。
この場所で何かしらの痕跡を探すなら土に問いかけるのがいいだろう。もしくは木々か。風は遠くの方まで探るのに便利だけれど、一処に留まれないからまた別の機会に。
私はその場にしゃがみ込むと、墓地でやったのと同じように土の上に手を添えた。さっきは自分の感覚を頼りに探っただけだけど、今は違う。魂の芯でサリの存在を意識しながら、私は静かに口を開いた。
「教えて――《誰があなた達を踏みつけた》?」
まずは狭い範囲に魔力を流す。土に触れた手のひらから、じわじわと私の感覚が広がっていく。
広がった感覚の先で土が形を変える。何もなかったところに窪みができて、周囲に無数の足跡が姿を現した。
「エイダ、それっぽいのある?」
足跡の深さは時間の経過で決まる。つまり同じ時に付けられた足跡はみんな同じ深さ、個人の歩き方なんて関係ない。
「そうだな……あそこ。大勢が同時に動き回ってる」
エイダが示した地面は多すぎる足跡でもはや平坦な場所がなくなっていた。車輪の跡のようなものもあるから、ここで盗賊が誰かを襲ったのかもしれない。
「ここから……こっちの方だな。向こうまで広げられるか?」
足跡を追っていったエイダの言葉に従い、私は魔力を流す範囲を広げた。あくまで必要な分に収まるように、エイダの示す方だけに魔力を向ける。
彼がいるとこういう時にとても楽だ。私一人だと魔力の節約のため自分で少しずつ痕跡を確認しないといけないけれど、今はその役目をエイダに任せられる。しかも昔から彼は私よりこういった痕跡を追うのが得意だったから、判断が早い上に的確だ。
私が魔力を流した方向に沿ってエイダが進む。彼はしばらく様子を見るように視線をあちらこちらに向けていたけれど、やがて「もういいか」という言葉と共に私の方へと向き直った。
「方向は分かった。距離が分からないけど、シェルビーはどうする?」
「一旦切るよ。また後で迷ったら教えて」
ふう、と息を吐きながら流していた魔力を止めて魔法を解除した。
思った以上に魔力を節約できてよかった。エイダがいれば今のところ追加の魔法も必要なさそうだ。サリは少しつまらなそうだけれど、それは彼の想定よりもだいぶ魔力を使わずに済んだということを示しているから私としては満足だ。
「それにしてもさ、今の魔法だって別に難しくないのになんでエイダはできないの? ディリーならできそうだけど」
魔女の魔法で何ができるかは契約している悪魔の技量による。転生とか魂の偽装とか、そういうとんでもない魔法を使うには悪魔側がその仕組みをきちんと理解している必要があるらしい。
かつて私が必死で描いたあの緻密で巨大な魔法陣はサリから教えてもらったものだけど、正直私にはその内容はさっぱりだ。でもサリはあれを理解しているのだから純粋に凄いと思う。知能の高さだけではなく感覚的なものもあるとは聞いているものの、描き始めの頃はサリに何度も微妙な間違いを指摘された。当時の私から見たら何も違いなんてないのに、サリには全く別物に見えていたらしい。
なら悪魔なら努力次第でみんな理解できるようになるのかというとそれもまた違うようで、干渉できる範囲もまた影響しているのだとか。よく分からないけれど、最初に私が契約していた悪魔は少なくとも転生魔法は使えなかった。そこで紹介してもらったのがサリだったのだけれど、まだ何かをできないと言われたことはないし、ディリーが閣下と呼ぶあたり相当高位なんだろうなとは思っている。
とはいえディリーだってそんなに下位の悪魔ではない。人語を理解できる時点でそれなりの地位にいるらしい。
だから今の魔法だって使えてもおかしくないのに、そのディリーと契約しているエイダがそれをできないってどういうことなんだろう。
「ディリーはできるけど、今の俺じゃ無理。結構使う条件厳しいんだよ」
「でも昔からドッカンドッカン爆破しまくるじゃん。あれは魔女の魔法でしょ?」
「ああいうのはいくらでも使える。でもそれ以外がなァ……」
「どういうこと? 前から変な契約してるんだろうなとは思ってたけど」
破壊行動に関する契約しかしていないということだろうか。当時のエイダは子供だったし、彼の置かれた状況を思えば分からなくもない。だけどそれだと悪魔側だってあまり得がないような気がする。悪魔としては折角契約するんだからバンバン魔法は使って欲しいはずだ。
「穢れが足りないんだよ」
サリがにやりと笑いながら話に入り込む。私の顔でそういう表情をするのはそろそろやめてもらえないだろうか。
「穢れが足りないって……そういえばエイダって結構普通だよね」
「普通言うな」
じとりとエイダに睨まれたけれど本当に普通なんだから仕方がない。
「まあ、ただの横恋慕じゃあな」
「横恋慕……?」
「サリクス、お前本当黙ってくれる? つーかなんでそこまで知って……ああクソ、ディリーか! アイツ何でもかんでもサリクスに喋りやがって……!!」
事情は分からないものの、エイダの反応を見る限り事実なのだろう。悪魔が魔女との契約内容を他人に教えることは通常ないはずなのだけど、ディリーとサリの関係では例外なのかもしれない。人間の上下関係と違って、どことなく下位の悪魔は上位の悪魔に支配されているような、所有されているような印象がある。
「人間でいるうちは無理だと思うけどな。お前が魔女じゃなかったらろくに会話もできていないはずだ」
ニヤニヤと愉しそうな顔をしたサリが、珍しくエイダにうんと近付いて彼の顔を見上げる。とは言っても姿は私だから、傍から見ると私がエイダに言い寄っているように見えてあまり見ていたいとは思わない光景だ。
「ッ……分かってるよ、それくらい」
「エイダは魔女だからその人と話せてるの?」
私が尋ねればこちらを向いたエイダはこれでもかと言うくらい顔を顰め、サリはこれまた珍しく声を上げて笑い出した。
「……ああそうだよ、そうですよ。シェルビーもちょっと黙っとこうか」
そう言ってさっさと歩き出したエイダの後を、サリと顔を見合わせた私は静かに付いていった。




