【Ep4 聖なる魔女と神の加護】4-4 親切な恐怖
薄汚れた扉を開けると、ギギギ、と嫌な音がした。
広い礼拝堂、並んだベンチ、奥には祭壇と、中に広がる景色には想定どおりの物が配置されているけれど、どことなく空気が淀んでいて黴臭い。いつもなら魔女でもある私の元気を容赦なく奪ってくるはずの聖域は、気の所為で済ませられる程度の身体のだるさしかもたらさなかった。
「……誰もいない?」
「奥に気配があるな」
シエルに扮するサリの言葉に従って、脇の扉をノックする。ガエリアの教会建築ではこの扉の先は階段であることが多いけれど、外から見た建物の規模を考えると部屋か短い廊下くらいしかないだろう。
案の定今のノックで中にいた人は来訪者に気付いたらしく、扉の向こうからはガサガサだとか、ガタンッだとか、慌てて物を動かすような音が聞こえてきた。もしかして取り込み中だったのだろうか。ならばタイミングの悪い時にノックしてしまったなと思っていると、すぐに内側から扉が開けられた。
「お待たせしました。ご用件は……」
中から出てきた男性が私を見て固まる。完全に思考停止してしまっているのか、口は話しかけていた形のままぽかんと開いていて彼の驚きを表しているかのよう。
相手が再び動き出すのを待っていてもいいのだけど、それがいつになるのか分からないので私は自分から挨拶をすることにした。
「急にお邪魔して申し訳ありません。わたくし、シェルビー・ハートと申します。こちらは護衛のシエル・バルト、冒険者をしています」
「ッ――聖女様!? これは大変失礼いたしました、この教会の責任者を務めているハリウ・ダスクと申します」
正気に戻ったらしい男性が慌てて私に頭を下げる。四十歳くらいの神官で、埃っぽい空気を纏って腕まくりをしているところを見ると片付けでもしていたのかもしれない。
彼が私を見て固まったのは、恐らく突然聖女が現れたからだろう。そして私がそうだと判断できたのは名前もあるだろうけれど、何よりこの格好によるところが大きいはずだ。
グレーのワンピースに同じ色のベールというのは通常の女性神官も聖女も変わらない。だけど動きやすさ重視でシンプルなデザインの一般神官のものと比較して、聖女の祭服は貴族のドレスに近い形をしているのだ。これは聖女は細かい雑事をしなくて良く、ガエリアの象徴でもあるからという意味がある。
そんな私と冒険者であるシエルを交互に見たハリルは不思議そうに眉根を寄せると、「今日はどういったご用件で……?」と不安げに尋ねてきた。
「近くに用がありましたの。そうしたらここを見つけて、折角なのでご挨拶をと」
「ああ、そういうことですね。散らかっていて申し訳ありません。中々私一人では手が足りず……」
「いいえ、お邪魔してまったのはこちらの方ですから気になさらないでください。今もお掃除をされていたのでしょう?」
「え……? ――あ!」
私の言葉でハリウは自分の格好に気が付いたらしい。「これはお見苦しいところを……!」と大慌てで袖を直すのは私が聖女だからというわけでもない。聖職者はやはり清潔なイメージがあるから、祭服は常に正しく着ていなければならないと教えられているのだ。
「それはそうと、ここの光の精霊はかなり少ないように見えるのですが……」
いつまでも恐縮させっぱなしでは申し訳ないので、服装から話題を逸らすついでに本題に切り込んでみる。するとハリウは困ったように顔を顰め、「やはりそうですか……」と声を落とした。
「聖女様から見ても少ないのですね。だとすると精霊同士のバランスが崩れているのかもしれません。いくら掃除しても建物が湿っぽいのも、暗闇の精霊が増えているのかも……」
ハリウがこう言ったのは、一部の適正属性の精霊しか見ることのできない一般人とは違い、聖女は神の加護によって例外的に全ての光の精霊を見ることができるからだ。
そもそも自分と同じ属性の精霊しか見ることができないと言うと実は語弊があって、実際は〝自分に興味を持ってくれている〟精霊しか見ることができない。ただ興味を持つのは通常同じ属性の精霊しか有り得ないので、結局自分の適正と同じ属性の精霊のうち、更に興味を持ってくれている精霊のみを見ることができると表現されることが多いのだ。
なんて、表現の問題は今はどうでもいいだろう。
一部の光の精霊しか見えていないハリウは、本当に光の精霊が減ってしまっているか自分一人では判断しきれないと自覚しているはずだ。だから聖女の目を当てにしたのだろう。聖女の目から見ても光の精霊が少ないのであれば、それは紛れもない事実だから。
「心当たりはありますか?」
「光の精霊が減るようなことは何も……強いて言えば教会としては長年墓荒らしには悩まされていますが、それは直接関係ないでしょうし……」
墓荒らしはエイダの話とは一致するものの、ハリウの言うように光の精霊が減る原因にはならない。
ただ、長年という言い方が気になる。エイダも昔からだと言っていたけれど、いくら郊外でもそんなに長期間教会絡みの問題が放置されることなんてあるのだろうか。
「具体的にはどのくらいの期間でしょうか?」
「もう二、三十年くらいになります」
「まあ、そんなに? 教会は問題を認識していないのですか? 墓荒らしなんて対策を講じるべきなのに――」
「シェルビー様」
三十年も放置されるだなんて有り得ない――そんな驚きのままに質問を重ねようとした私を、隣からサリが制した。
「どうしたの、シエル」
「そういったお話は俺の役目かと」
「ああ、そうね。ありがとう、シエル」
確かにそうだ、普通の聖女は基本的にこういった話をしない。したとしても平和な感想を述べるだけで、今のようにより深く物事を尋ねようとはしないだろう。
サリのお陰でハリウに怪しまれずに済んだと胸を撫で下ろしたものの、いくらシエルの振りをしているとはいえ彼が自主的に私を手助けしてくれたことには驚いた。普段なら私とハリウの話を聞いてすらいないだろうに、まさか聞いた上でちゃんと空気を読んだ発言をしてくれるだなんて。
「随分聖女様に信頼されているんですね」
「長い付き合いなもので」
いつもは他人に興味を持たないサリが、ハリウとまともな会話をしている。彼は悪魔だから相手に合わせた会話というのは得意なのだろうけれど、この五十年間で初めて見る姿に私は笑顔を保つのに必死だった。
だからサリを凝視しないようにハリウの方を向き続けていると、彼は話の続きを催促されていると思ったらしい。はっとしたような表情を浮かべて、「ああ、墓荒らしの件ですよね」と話を再開した。
「勿論本部には私も、歴代の責任者も掛け合っています。ですが特に何かしてもらえるわけでもなく……まあ、うちは庶民の墓地ですからね。亡くなった方に優劣を付けるわけではありませんが、帝国と結びつきが強い分、政治の問題もあるのかと思います」
「しかし相当お困りのように見えますが……仕方ないと割り切れるくらいの頻度なのでしょうか?」
尋ねたのはサリだ。事前に打ち合わせたわけでもないのに、私の聞きたかったことをしっかり聞いてくれている。
「そうするしかない、というのが正直なところですね。頻度で言うとばらつきはありますが、最近は一、二ヶ月に一回というところでしょうか。誰の墓にするかも特に決まりがなさそうなので読みづらいんですが、前回の被害は二週間前だったのでしばらくは何もないかと思います」
「墓地を拝見しても?」
「ええ、それは勿論」
「シェルビー様はどうされますか? 護衛としてはお側にいていただきたいのですが」
「そうね、私も行くわ」
なんだかサリが優秀すぎて怖くなってきた。聖女として許可を取った上で墓地を見たいとは思っていたけれど、それは一度も口にはしていなかった。それなのにその要望を叶えてくれていることにも驚きだし、同時にこれは後から代償を請求されるのだろうかと不安にもなる。魔法は絡んでいないから大した代償でないといいんだけど――と考えながら、私は案内のために教会の出口に向かって歩き出したハリウに付いていった。
まだ彼の目があるからサリにはそのあたりのことを聞くことはできない。それに扉から出た先にいたエイダを見てハリウが少し驚いたから、私は思考を打ち切って説明のために一歩前に進み出た。
「彼はエイダ、シエルと共に私の護衛をしてくれている冒険者です」
「……そっすね」
エイダの微妙な表情からは、「いつから俺はお前の護衛になったんだ」という文句が伝わってくる気がした。
ちなみにどう説明しようかと思っていたディリーの姿は見当たらない。普通の悪魔は教会を嫌うから、そこから神官が出てきたことで隠れているのだろう。シエルの振りをしなければならないサリとは違って姿を現している必要はないから、もしかしたら今日はもうエイダが魔女の魔法を使わない限り出てこないかもしれない。
ハリウはエイダにも丁寧に名乗ると、「他に護衛の方はいらっしゃいますか?」とこちらに振り返った。
「彼だけです。何か問題でも?」
「いえ、問題というわけでは。ただ先程言ったように墓荒らしが多いので、聖女様の護衛をそういう輩と間違えてしまわないようにと思いまして」
申し訳無さそうに言うハリウの様子を見る限り、これは嘘ではないだろう。彼の置かれた状況なら見慣れない人間を見たら疑いたくなってもおかしくはない。
それにシエルとエイダはそこそこ綺麗な身なりをしているけれど、冒険者というのは荒くれ者が多いのだ。一見すると賊の類にしか見えない者もいるから、尚更心配になったのかもしれない。
「自由に見ていても? 先程止めてしまった作業もあるでしょう」
サリがハリウに声をかける。エイダが凄い顔をした理由はきっとさっきの私と同じだ。できればそんなに表情に出さないで欲しかったけれど、ハリウはサリの方を向いていて気付いていないから今回は大目に見よう。
「お気遣いありがとうございます。では、お帰りになる時に声をかけていただけますでしょうか? 私は同じ部屋にいますので」
そう言って掃除に戻っていったであろうハリウを見送ると、私達は墓地へと向かった。




