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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
第一章 そして魔女は聖女になった
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【Ep4 聖なる魔女と神の加護】4-1 汚れに穢れ

 エイダに面倒事を押し付けた(頼んだ)のはいいものの、既に異常な動きをしていたブランバックボアは討伐してしまったので調査はそこそこ難航するだろう。

 何せ調査しようにも対象がいないから範囲やら方針やらが決められない。だから怪しいものを見つけるまでは手当り次第にあの森を探さなければならない。


 そしてエイダの魔法はそういった調査ではなく圧倒的に破壊向きだった。

 まず彼が生まれつき使える火炎魔法は探索には向かない。そして困ったことに魔女の魔法もそう。本来なら精霊と違って自然現象に縛られない悪魔と契約しているのだから、ある程度は補助系の魔法を使えるはずなのだ。だけどどういう契約をしてしまったのか、彼の魔女の魔法もまた火炎魔法メインでしか使えない。


 というわけでエイダに調査を頼んでから数日、そちらは特に進展もないまま私は自分の仕事に専念していた。

 仕事と言っても勿論それは聖女の仕事じゃない。あんなやりがい皆無なにこにこ人形なんてガラじゃない。

 私の仕事はシエル・バルトとしての方だ。自分でする調べ物も落ち着いたし、聖女としてのイレギュラーな仕事も読めるようになってきたので、昼間であっても私はシエルとして動けるようになっていた。


 冒険者シエルが狙うのは埋もれた依頼。その中から国に見放されて冒険者に依頼したと思われるものを見つけるたびに、スケジュールの都合が付けば受けるようにしていた。


「――これで終わりっと」


 今日の依頼はルイーズの下水道の鼠駆除。下水だから鼠はいて当然なのだけど、ここ数ヶ月で一気に数を増やしてしまい困っていたらしい。

 下水整備もまた国の仕事なのに、何度掛け合っても無駄だったそうだ。ちなみにサリはずっと猫のふりをして私の肩に乗っていたのだけど、下水道に入る時はどこかに消えていた。鼠だらけなんて猫にはパラダイスのはずなのに、あの男はその生態まで真似するつもりはないらしい。


「ありがとうございます。依頼を出した時に冒険者の方々はあまり好まない仕事だと言われて半ば諦めていたのですが……」


 下水道の外に出た私に頭を下げてきた男はこのあたりの自治会長だそうだ。宮殿のあるルイーズの中心部は高い位置にあって、城壁に近付くほど低くなっていく。ここはまだ壁より少し高いけれど、貴族街を見上げなければならないのは庶民街である証。

 こんな造りなものだから、下水問題は基本的に街の上の方には影響しない。そのせいもあって優先度が下がっているのだろう。


「僕はシェルビー様に頼まれただけですから」


 いつものように聖女シェルビーの名前を布教しようとすれば、自治会長の男は喜色に溢れた表情を浮かべ、胸の前で両手のひらを合わせるように組んでこちらを見てきた。


「ああ、やはりあなたが〝聖女の番犬〟様だったのですね……!」

「聖女の番犬……?」


 何それ――初めて聞く名詞に混乱しながらも、とりあえずマフラーから出た目元の笑顔は崩さない。


「近頃噂になっていたのです。聖女シェルビー様が民の困窮を見かねてご自身の護衛を使いに出してくださっているのだと……冒険者というのは帝国に目をつけられないための仮初の立場で、本来のあなた様はこんな下水掃除などされる身分の方ではないのでしょう?」


 なんだか随分と話が大袈裟なことになっているようだ。聖女に個人的な護衛なんていないし、聖女という身分がなければ私はただの下町――というかレッドブロック出身者。大筋は間違っていないけれど、尾ひれが付いてシエルという冒険者まで高貴な人になっているらしい。


 だけどわざわざ訂正しようとは思わなかった。だって聖女シェルビーが冒険者シエルを動かしているというのは私も広めたいことだから、派手な話の方が噂としては浸透しやすいだろう。帝国に目をつけられないように冒険者になったというのは全然違うけれど、その方が国民に納得してもらいやすいならそれでいい。


 そもそも聖女シェルビーが冒険者を使って帝都周辺の問題解決を行っているというのは、是非とも帝国上層部の耳に入って欲しいものなのだ。

 彼らにまで聞こえるほど話が広まってしまえばもう帝国側は黙っていられない。単に自分達のメンツが潰れるということもあるけれど、国民の人気を得た聖女というのは他の聖女達よりも圧倒的に価値があるのだ。そしてその聖女が単独で動いていたとするよりも、為政者――例えば次期皇帝である皇太子や他の皇位継承権を持つ者と手を組んでいた、とする方がよっぽど聞こえが良い。

 更にそこまでのシナリオを描いたのであれば、何が何でもその聖女と皇族を結婚させたくなるのがこの国だ。


 というわけで、この噂には全力で乗っかろうと思う。


「そんな噂に……ですがお気になさらないでください。僕もシェルビー様も、人々の安寧を願っているだけなのです」

「ああ、なんとありがたい……」


 私が声に優しさをふんだんに乗せて言えば、男は神への祈りと同じように恍惚とした表情を浮かべた。

 正直なところシエルが人格者である必要はないけれど、聖女と親交があるという設定上、粗野な冒険者より聖職者に近い振る舞いをしていた方が印象はいいだろう。今後更に聖職者らしい物言いをするか、貴族っぽさを出すかは要検討だ。シエルがどういう人物に見えるかで国民の聖女シェルビーに対する感情も変わるはずだから、より効果的な方を選びたい。


 だからまだ判断材料の揃っていない今の段階では、シエルの振る舞いを考えたところで仕方がない。なのでそのことは一旦忘れ、それよりも気になっていたことを聞くことにした。


「ところで、この下水は以前からこんなに汚れていたのでしょうか? 鼠が一気に増えたのであれば原因があるはずです。今回の依頼であらかた数は減らしましたが、原因に対処しないことには時間が経てばまた同じことになってしまいます」


 あまり下水道というのは見たことがないけれど、この汚れ方は少しおかしい気がしていた。

 ここはまだルイーズの街の中層なのに、下水道はかつてのレッドブロックのものに近い。かつての、というのはあの場所に住むにあたり、居心地を良くしようと十数年前に私が手を打ったからだ。だから今ではもう割と綺麗なのだけど、元々街中の汚れの終着点であったレッドブロックの下水道はそれはもう汚かった。

 あれと比べるとまだマシなものの、この街の上は貴族街で大して人が住んでいない。それなのにこんなに汚れているというのがどうにも納得いかないのだ。


「年々汚れる一方ですよ。定期的に自治会でも清掃や鼠の駆除作業を手配しているんですが、だんだんと間に合わなくなってきて……頻度を上げようにもルイーズ中がそんな状態なものですから、業者が圧倒的に足りないんです。魔獣が紛れている可能性を考えるとあらかた駆除してからでないと有志の清掃も入れませんし……。まあ、この街が発展している以上仕方がないことなのかもしれませんが」


 そう言って男が見上げた先の貴族街は、遠目でも分かるほど美しい街並みをしていた。

 私も聖職者という仕事の都合上、貴族街にはよく行く。教会区域がルイーズの上層から下層まで細く長く広がっているというのもあって、仕事がなくても他の住民よりも気軽にあの辺りには行きやすい。

 瞼の裏側に思い浮かべた貴族街には、ゴミひとつ落ちていなかった。貴族街にある商業区域では次々に新しい建物が立てられ、日々きらびやかな街並みが一層飾りたてられていく。


「あちらばかりでなく、こちらにも手を入れてくれるといいんですけどね」


 彼のその困ったような、けれど羨むような表情が全てを物語っている気がして、私は曖昧な笑顔を返すに留まった。



 § § §



 男と別れた私は、報告のためにギルドに向かって歩いていた。


 ギルドはもう少し下の方にあるから、坂道をゆっくりと下っていく。このあたりは中層の商業区域だけど、先程思い出した貴族街とよく似た造りをしていた。

 だけど、やはり違う。いくら真似てみたところで所詮は庶民向け。そこかしこに垢抜けなさが見え隠れし、煉瓦の道だって経年劣化で薄汚れている。


「人間はどうして見た目ばかり気にするんだろうな」


 それまで姿を消していたサリがふっと姿を現す。猫ではなくいつもの人型だ。街中でそんな現れ方をするなと言おうと思ったけれど、ちょうど今は人目がないので言葉を飲み込んだ。容姿にしたってこのあたりは元々人通りが少ないから、猫を真似なくても問題ないと判断したのだろう。


「サリはもう少し気にした方がいいんじゃない? いくら人目がないからって、そんな上等な身なりでこの辺うろついてたら目立つよ」

「この服装はお前の好みだが?」

「出会った当時は頭の中にそれしか引き出しがなかったの。その少し前まで曲がりなりにも公爵家の娘だったんだから」

「ああ、あの中身のない連中か。唯一奴らを褒められる点はお前を追放したことだな。お陰でこんな上等な魂に出会えた」


 何言ってるの――そう返そうとしたのに、ぐい、と手を引かれて何も言えなかった。突然のことに驚いて抵抗することもできない。そのままサリは私を連れて建物の隙間に身体を滑り込ませると、壁に私の背中を押し付けて愉しげな笑みを浮かべた。


「いきなり何してんの」

「下水道は臭くてな。お前の魂の匂いでも嗅ごうかと」

「部屋でやってくれない? こんなとこ誰かに見られたらどうするの。シエルは少し有名人になってきてるんだよ?」

「だからこうして隠してやってるんだろう?」


 道に面した私の右側は、向かい合うように立つサリの左肩に掛けられたマントで覆い隠されていた。確かにこれなら周囲からは私の足元しか見えないだろうけれど、だからと言って素直に受け入れるわけにもいかない。


「隠してくれるのはありがたいけど、こういうのは外でやるもんじゃッ――!?」


 いつの間にか緩められていたマフラーの下、無防備な首筋にサリが顔を埋める。湿った感触に何をされているのか一瞬で悟って、これはまずいと「待って……!」と慌てて口を開いた。


「魂の匂い嗅ぎたいだけなんでしょ!?」

「お前のせいだよ、シェルビー。自分についた汚れを落とすために神聖魔法を使っただろう? いくら魂に影響が出なくても、器が臭いんじゃ魂の匂いを楽しめない」


 サリが顔を上げずに言う。言葉と共にその唇が微かに私の肌を撫で上げて、くすぐったいとは言い難い感覚が波紋のように広がっていく。


「確かに使ったけどッ……だからってこんな……んッ……」


 私が喋れば再びサリが首に口付けを落とす。筋肉の窪みに沿うように舐めたかと思えば、遊ぶように皮膚を啄んで。そうされるたびに身体中にざわめきが走り、私の呼吸を乱していく。

 少し前の自分が恨めしい。下水道でついた汚れや臭いが気になって、近くに誰もいないからとつい自分自身を浄化してしまったのだ。

 でもこんなことになるだなんて予想できるはずがない。神聖魔法はこれまで何度も使ってきた。だけどサリには何もされなかった。今回はただ、自分に使うのが初めてだっただけ。


「待って……ほんと無理、だからぁ……!」


 自分の声がどんどん高くなっていくのが分かって羞恥がこみ上げる。壁に当たった背中から鼓動の速さが伝わって、つられて余計に息が浅くなっていく。首元から広がる感覚は身体を包み込んで、押し返そうとサリの胸に突き出した手の力を奪っていった。


「――まあ、こんなところか」


 少しして、不意にサリが顔を離した。濡れた首筋が空気に冷やされ、無意識のうちに手が彼の服を掴もうとする。それに気付くと溺れた指先に力を込めて、ぐっとその場で拳を作った。


「……クソ悪魔」

「口が悪いな。あの小僧の育ちの悪さが移ったか?」

「サリが私を苛立たせてるんだよ」

「それはいい。負の感情は魂の穢れを強くするからな。――だが、この穢れはそれのせいじゃないだろう?」


 サリがにやりと笑う。いつもと同じ仕草のはずなのに、目が彼の唇を追ってしまう。


「ッ……そういうふうに言わせたがるの、なんて言うか知ってる?」


 苦し紛れで発した言葉に、サリが不思議そうな表情を浮かべた。


「ド変態って言うんだよ、この変態悪魔!!」


 語彙が乏しくなったのは、決して動揺していたせいじゃない。

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