【Ep3 聖なる魔女と魔女の青年】3-2 親しき師弟
『――あの』
ブランバックボアを解体し終わって、放置していたイノシシを順番に回収していた時のこと。
マナクリスタルも手に入ったしこれはこれでお金になるぞとほくほくしていた私に声をかける人がいた。そこそこ歳のいったおじさんで、夜中に起きてきたからだろう、身体にはローブを羽織っている。彼は私が何をやっているか確認すると、『冒険者の方ですよね?』と問いかけてきた。
『ええ、そうです。ご挨拶できず申し訳ありません。何せこんな時間だったものですから……』
シエルとして低い声で答えると、相手はほっとした様子で自分が依頼主だと名乗った。ちなみにサリはやり取りに巻き込まれたら面倒だと思ったのか、声をかけられる前には姿を消していた。お陰で誰か来たのだと分かったけれど、せめて一言くらいかけてくれればいいのに。本当に薄情な男だ。
『何頭駆除できましたか?』
『十数頭ってところですね』
『そうですか。ならしばらくは落ち着くのかな……』
依頼人の男は安心したように言ったものの、その口調とは裏腹にどこか疲れたような雰囲気を纏っていた。
なんとなく事情を察した私が『しばらくは?』と聞き返せば、相手は困ったように眉根を寄せる。
『狩っても狩ってもまた出てくるんです。長いことイタチごっこなので村の人間みんな疲れ果てていて……でも、少し余裕ができそうでよかったです』
『多分ですけど、一旦元通りになると思いますよ』
『どういうことですか?』
予想通りの状況に置かれていた彼に、私は今日のことを詳しく報告した。
少し離れたところにブランバックボアがいたこと。イノシシ達はそのせいで住処を追われていた可能性が高いこと。ブランバックボアを討伐したので、もしそれが原因ならイノシシ達も元に住処に帰っていくだろうということ――勿論イノシシの動きはブランバックボアのせいだったという確証はないし、そのブランバックボア自体もどうしてそんなところにいたのかは分からない、という情報も補足している。
だから今回の個体が原因なら一時的に解消するはずだけど、それは新たなブランバックボアがやってくるまでの話だとはっきりと伝えた。
それでも私の話を聞いた依頼人は顔を輝かせ、『そんな理由が……!』と興奮混じりの声を上げた。
『ありがとうございます! あんな遠くなんて我々は行かないものですから、全然気付きませんでした……!』
この様子を見る限り、やっぱり原因がブランバックボアにあったことは気付いていなかったらしい。故意に依頼書の内容を誤魔化したのではなかったのだという安心感が胸に広がる。サリの言うとおり依頼内容を拡大解釈すべきではないのかもしれないけれど、本当に困っている人の役に立てたのだから良かった――私がマフラーに隠れた口元を緩ませていると、依頼人ははっとしたように表情を強張らせた。
『そうだ、魔獣の討伐をしていただけたとなると、提示していた依頼金では足りませんよね……? ギルドに分割払いの仕組みはあればいいのですが……必ず工面するので、どうにか待っていただければと……!』
さっきまで喜びに満ちていた依頼人は、今度は申し訳無さそうに深く頭を下げた。
ああ、気持ちは痛いほど分かる。元々払うつもりだった金額から急に増えたら困るよね。しかも自分の計算ミスじゃなくて想定外の要素が絡んでいるなら尚更だ。
本来ならここでギルドのシステムを紹介するべきなのだろうが、私はちょうどいいとばかりに口角を上げた。悪い顔だろうけれど、マフラーのお陰で見えないはずだ。
『いいえ、必要ありませんよ。この依頼は聖女シェルビー様に頼まれて受けたものですから』
『シェルビー様? 確か最近聖女となられたという……』
なるべく優しく聞こえるような声で言えば、依頼人は不思議そうに顔を上げた。何せ聖女が冒険者と親交があるということ自体が稀なのだ。しかもその冒険者が聖女に言われて来たからと、追加報酬をいらないと言い出せば余計に混乱するだろう。
うん、いいぞ。こういう混乱はその後にもたらされる情報に対する感情を大きくしてくれる。それが自分が得をするものなら余計に。
『ええ、そうです。僕は以前からシェルビー様と親交があるのですが、もし時間があれば手が回っていない依頼を見てくれないかと頼まれていたのです。こんな夜更けになってしまったのもその関係で……ああ、そんなことはどうでもいいですね。何が言いたいかと言うと、つまり僕がここに来たのは神の思し召しですから、正直なところ元の依頼の報奨金も必要ないのです』
『そんなことをおっしゃらず……せめてそちらだけでも!』
『ええ、そうですね。ギルドを通して依頼を受けた以上、そちらに関してはギルドのルールに従い必ず受け取ります。使い道はシェルビー様と相談して決めますね』
と言ってもシェルビーは私なのだけれど。そして使い道は魔女としての利子返済なのだけど。
まあ、そんなことは知らなくていいだろう。聖女シェルビーは民草に寄り添う人格者である――そういうイメージが植え付けられれば、今後私の聖女としての価値が上がるのだ。
私が目元を細めてにっこりと微笑んでみせると、依頼人は涙を流さんばかりに目を潤ませた。
『本当になんと感謝すればいいか……。以前国も調査に入ってくれたのですが、彼らも根本原因を見つけることは叶わず……』
その言葉に私は笑顔を作る目元に力を入れ直した。この村の人間が国に調査を依頼していたのは予想通りだけど、無視されたのではなく実際に調査した上で今の状態だというのは考えていなかったからだ。
『国はどこまで調査を?』
『あの山も含め、広範囲に見てもらったはずです。それで問題なしと言われていたものですから、余計に村の人間だけであのあたりまで確認に行こうとは思わなくて……。でもまさか国が見落としていたなんて……もっと自分たちでも動いていればここまで長引くことはなかったのに……』
§ § §
「――国が調査した場所に、本来そこにはいないはずの魔獣がいたんだよね。隠れるのが得意な種ならまだしも、あんな大きいブランバックボアを見逃すってことある?」
農業関連でも原因不明な問題なら、国が調査に派遣する人間には魔法師の資格を持つ者もいるはずだ。魔法師の試験は厳しいから、その資格を持っていることはそれなりの腕があることの証明となる。
使える属性で相性はあれど、完全に調査に不向きな属性の魔法師は流石に寄越さないだろう。となれば普通に考えてただの動物と変わらない生態を持つ魔獣を見逃すことなんて有り得ない。だとすればもう一つの可能性を視野に入れなければならないのだ。
エイダも私の言いたいことが分かったのか、「だから依頼を出せないのか」と合点のいった顔をした。
「そういうこと。意図的に見逃したなら、ギルドへの依頼も握り潰されるかもしれない」
「でも商業ギルドならともかく、冒険者ギルドは国から切り離された組織だろ? そんなことあるのか?」
「絶対に潔白だとは言えないでしょ? ならちゃんと準備してそこは確認しないと。ってことでそれはまた別の問題なの。だからエイダに調査に行って欲しいの」
「……最悪国と揉めたら、冒険者としてじゃなく魔女として動けって言ってる?」
「エイダすごーい! 賢くなったね!」
「せめてもう少し分からないように馬鹿にしてくれねェ?」
そう言って思い切り顰められたエイダの顔は、五年前と変わっていなくてなんだか嬉しくなった。急に大人になってしまったけれど、こういうふとした仕草が以前と変わらないと安心感がある。
と思ってにこにこしていると、「人が怒ってんのに喜ぶなよ……」とエイダは顔を隠すように手を当てた。
「でもこれでエイダじゃないと駄目な理由は分かったでしょ? 依頼を受けた冒険者が国といざこざ起こしたら証拠隠滅されちゃうかもしれないからさ」
「まァな……」
納得した様子のエイダがゆっくりと顔から手を外す。そしてそのまま私の方へと向いたかと思うと、今度は緩く口角を上げた。
「なァ、シェルビー。俺もお前も魔女なわけだけど、こういう時ってちゃんと取引にすべきだと思わねェ?」
「私とエイダの仲なのに?」
「親しき仲にもって言うだろ?」
「親しき仲っていうか、師匠と弟子みたいなものだと思うけど」
ニヤリと悪い顔をしてきたエイダにそう返せば、彼はうっと表情を固まらせた。
子供ながらに魔女になってしまって右も左も分からなかった彼に色々と教えてあげたのは私だ。この肉体は年下だけれど、生きてきた年月で言えば私の方が圧倒的に長い。エイダもそれを理解しているからか、諦めたように溜息を吐いた。
「……分かったよ。仰せのままにいたしますよ、お師匠様!」
「あ、あとこのマナクリスタル持ち歩いてね」
「……は?」




