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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
最終章 ファム・ファタールの断罪
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【Ep16 聖なる魔女と帝国の悪女】16-6 浄化の対象

 トリスアラナの指が淀みなく動く。今までよりも少し複雑なのは、狙いを定める式が入っているから。でも、これまではそんなことしていなかった。

 何故なら神聖魔法の元となっているのは光魔法だからだ。光はただ全方位に放つだけでも十分に力を持つ上、他の属性の魔法のように標的に届くまでのタイムラグがほとんどない。だからわざわざ狙いを定めずとも広範囲に一瞬にして届く。

 それなのに狙いを付けるようにしているのは、いよいよトリスアラナが本気で私達を殺す気だからだろう。今までの威力では確実に殺せるか分からないから、同じ魔力の消費量でもずっと強い力を持たせるために指向性を持たせている。


 だけど、それを素直に食らってやる気はない。私は未だ痛む身体に鞭打ちながら立ち上がると、魔女の魔法で身体能力を上げるために「サリ」と声をかけた。


「魔女の魔法は使わせてくれるんだよね?」


 そう問うたのは、サリのことがもう信用できないからだ。こうして身を挺して私を守ってくれているけれど、それすらも私に自分を信用させるための演技なのかと考えてしまう。そんなことはないと思いたいのに、これまでの裏切りが私に彼を疑うことをやめさせてくれない。


「その程度の魔力で何ができる。もうほとんど残っていないだろう」

「じゃあ大人しく神聖魔法を受けろって?」

「お前が受ける必要はない」


 サリの目が私を見つめる。その言葉が示す意味に、胸がざわつく。


「盾はいらない。私が欲しいのは矛の方だよ」

「今のお前じゃ(なまく)らしか用意できないのに?」


 そんなことは言われなくても分かっている。こんな魔力じゃろくな魔法は使えない。

 だけど勿論、神聖魔法を相手に真正面から追いかけっこを挑む気もない。普段ならば相手の認識を歪めてそもそも外れるように誘導できるけれど、トリスアラナには直接魔女の魔法は使えない。そんなことをすればまた加護が発動して、逆にこちらが痛い目を見る。

 だからできるのは、トリスアラナの意識を別のものに逸らすか、その動きから行動を予測して先に動き出すことだけ。


 それを、残り僅かな魔力で。


「ああ、魔力も足りないの。いよいよ本当に何もできないのね」


 トリスアラナが笑う。魔法陣はとっくに完成しているのに魔法を使ってこないのは、私が逃げられないと分かっているからだろう。余裕の笑みを浮かべ、「別にいいわよ?」と優雅に首を傾げる。


「可哀想だから考える時間くらいあげる。一生懸命考えた上で死んだ方が惨めでしょう?」


 そう笑うトリスアラナは、万に一つも自分が負けるとは思っていないらしい。

 だが、確かにそうだった。神の加護に守られた聖女は、決して悪しき者には殺すことはできない。


 だけどトリスアラナは、本物の聖女じゃない。


「ねえ、サリ。嘘吐かずに教えて――トリスアラナにどこまで手を貸した?」

「何?」


 サリが怪訝な顔でこちらを見る。分かってる、今はそんなことを話している場合じゃない。でも、これでいい。


「五十年前、私を貶めようとするあの女に手を貸したんでしょ? あの女が引っ掛けた男達の命を代価に取引したんでしょ? だけど分からないの、あなたがどこまでやったのか。聖女になるための魂の偽装と、私に偽の罪を刷り込むのはあなたがやったんだよね? でもそれ以外は? みんなが私の罪を信じたのは、サリが人々の心をそう誘導したから? ローウェンが私を信じてくれなかったのは、本当に私が罪を犯すような人間だと思われていたから?」


 トリスアラナに聞こえるようにはっきりと言葉にする。目的があってこうしているのに、口にするだけで胸がじくじくと痛む。その感情が声に現れたのか、サリは少しだけ視線を落とした。


「……人間は、自分に都合の良いものを信じる」

「じゃあ、サリは何もしてないんだ?」


 言い方は軽く、私の顔も笑んでいる。だけど声だけが涙声になった。何故なら、私に答えたサリが後ろめたそうに見えたから。そんなことはあるはずがないのに、彼に人と同じような感情なんてないのに、人らしい振る舞いが彼を信じたい私を苦しめる。


 サリのことは信じていたかった。私を裏切らないという言葉を大事にしたかった。

 だけどもう、信じられない。真実を知りながら五十年間それを隠し続けてきた彼を信じる勇気は、もう残っていない。


「公爵のことも何もしてないの? あの人がメイド達に手を出すようになったのも、それで母さんのような子供が生まれたのも、全部サリとは関係ないところで起こったことなの?」

「違うと言って信じるのか?」

「違うって言えないの?」


 違うと、言って欲しい。だけどサリの言うとおり、私はその言葉を信じることはできないのだろう。


 涙が出そうになるのを堪えれば、サリが真剣な眼差しで私を見つめた。


「俺が手を貸したのは、トリスアラナが望んだことだけだ」

「……ずるい答え」


 これでは私の質問に答えていないも同然じゃないか。一つ一つの出来事にサリが関与したのかと問いかけたのに、サリはそれには答えていない。

 だけど、これで良かったのかもしれない。下手に関与を否定されていたとしても、どうせ信じられなかったから。だったら最初から信じる価値のない答えを返してくれた方がいい。


 だって今本当に知りたいのはそこではない。これまでの会話は、ただの目眩ましだから。


「ならローウェンが生きているのと同じように、トリスアラナが生きているのも偶然じゃないって考えてもいい?」


 私はローウェンと両親が復讐の前に死なないように、サリに頼んでその命を守ってきた。だから彼らが今生きているのは偶然ではなく必然。

 でもそこに、トリスアラナは入っていない。彼女に罪はないと思っていたから、自分の復讐のために生かしておこうとは思わなかったのだ。

 けれど今、トリスアラナは生きている。それも、年齢をほとんど感じさせない姿で。


 私が睨むようにして問いかければ、サリが僅かに目を見開いた。私が本当に聞きたいことを悟ったのだ。


「ああ。俺が、他者の命と引き換えに若さを保つ術を教えた」

「……そう」


 サリが丁寧に答えたのは、私の疑問が分かったからだろう。お陰で私も余計な可能性を考えずに済む。


 つまりトリスアラナの今の姿は、悪魔の力によって得たものだということ。彼女のあの身体にもまた悪魔の力がこびりついている。


「ならやっぱり、魔女の魔法を使わせてよ」


 そうすればトリスアラナを討つことができる。この残り僅かな魔力でも、彼女の自由を奪うことはできるのだ。

 とは言ってもそれは、希望じみた仮説が正しければの話だけど。


 ……そして失敗すれば、私は死ぬけれど。


「駄目だ」


 サリが小さな声で私を止める。


「サリクス」


 咎めるように呼べば、その表情が険しくなった。


「私の復讐のために力を貸す――それが契約のはずだよ」


 だから止めるなと言葉に込める。「まさか破るわけじゃないよね?」、私が笑いかければ、サリの眉間が歪んだ。


「――もういいかしら? 流石に飽きてきちゃったわ」


 そのトリスアラナの声は馬鹿にしたものだったけれど、今だけはありがたいと思うことにした。彼女が動いてしまえばもう私とサリの話は続けられない。サリはまだ何か言いたげだけど、私にこれ以上彼と話す気はない。


「いいよ、話はついたから」

「そう? じゃあ、さっさと死んでちょうだい」


 トリスアラナが魔法陣の前に触れるように手を上げる。その瞬間、私は「《うんと速く》」とサリに魔法を使う合図をした。

 足が軽くなる。一歩蹴れば身体が浮かび、サリから大きく離れた。でもそこにはまだ、トリスアラナはいない。

 何故なら彼女の方には向かわなかったから。少し横にずれた私をトリスアラナは目で追いかけて、慌てて魔法の軌道を修正する。そして、魔法陣に魔力を込めた。


「《傅きなさい、罪深き者よ》!」


 トリスアラナが神の言葉を口にしたと同時に、私は彼女に向かって思い切り足に力を込めた。

 魔法陣から光の矢が放たれる。狙いは私。これでいい、と魔女の魔法を止める。それでも私の身体は慣性を持ってトリスアラナの方へと向かったけれど、彼女に突っ込むより先に光の矢が私に届いた。


 途端、加護の光がその場を包む。焼け付くような痛みと力の流れを感じながら、私はその光に身を委ねた。

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