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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
最終章 ファム・ファタールの断罪
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【Ep16 聖なる魔女と帝国の悪女】16-4 二人の悪魔

 私の問いかけに空気がまた固まった。「聖女様……?」、騎士団の方から声が聞こえてくる。その驚きは聖女がここにいるせいか、それともその聖女が皇后を呼び捨てにしたことか。

 トリスアラナもまた同じように困惑した様子で、「聖女シェルビー……?」と小さく呟いた。


「何故あなたがここに……」

「それはお互い様でしょ? 聖女トリスアラナ。それよりも質問に答えて。私のこと、覚えてる?」

「自分が誰と話しているか理解しているのですか?」

「レッドブロックの一般市民じゃない?」

「ッ……」


 私が挑発するように言うと、トリスアラナの綺麗な顔に皺が刻まれた。でも何も言い返してこない。

 できないのだ。何故ならレッドブロックの出身であることは彼女が自分で明かしたことだから。そして帝国の皇后でありながら、レッドブロック出身者としての自分を重んじていることは明らかだったから。


「……覚えているも何も、最近あなたの話題はよく出ますよ」


 だからそう答えたトリスアラナの表情が悔しげだったのは想定内。私の言ったことを否定できないから、ただ答えるしかないのだ。答えないという選択肢もあっただろうけれど、今この場でそんなことをすれば自分の惨めさが強調されるだけ。だからトリスアラナは私と会話するしかない。


 そして彼女がその選択をしたという事実が、私の中にある過去の出来事同士を薄っすらと紐づけていく。


「この名前を聞いても何も思わない?」

「〝シェルビー〟がファム・ファタールと同じだと? あなたも不幸ですね。そんな呪われた名前をつけられるだなんて」

「昔は人気だったの。呪われたのは、その名前の持ち主が誰かに呪われてしまったからだよ」


 私の言葉にトリスアラナは不思議そうな顔をした。一体何の話をしているのだろうと言わんばかりの表情だったけれど、それを見ても私の中に生まれた疑いは晴れない。


 だって、彼女は無垢じゃないから。


「『首を絞めたのよ、愚かにも私に言い寄ってきたから。ちょっと良い顔をしただけで気を抜いてくれたから随分楽だったわ』」


 何度も口にした、私の冤罪が確定したきっかけ。それをもう一度声に乗せれば、それを聞いたトリスアラナが「その言葉……」と眉間に力を入れた。

 だけどまだ、足りない。


「五十年も前のことなのに、なんでこんなに鮮明に覚えてるんだろうね。やっぱり、悪魔の力で意識に刷り込まれたから?」


 聖堂で見た夢が、ここでのトリスアラナの振る舞いを見ているうちにいつしか現実感を持っていた。心を病んだ私が作り出した妄想だと思っていたけれど、でも、あれは現実だったと今なら分かる。

 だから確信を持って問いかけたけれど、トリスアラナは何も言わなかった。でもその顔はさっきよりもまた一段と険しくなっている。

 そしてそれは、私の言っていることが理解できないという反応ではなかった。どちらかというと、信じられない、という感情だろうか。彼女の中で何かの記憶が刺激されているのに、それと目の前の状況が合わないから受け入れきれない――そんな当惑を確かに感じ取った私は、「教えてくれる?」と微笑みかけた。


「ねえ、トリスアラナ。あなたは悪意があってあの日、教会で、〝私〟が中層に出入りしていたと周りに言ったの?」

「……ッ……まさか」


 トリスアラナの目が驚愕に見開かれていく。どうやらやっと状況を理解してくれたらしい。そしてその顔に浮かんだ嫌悪を見て、私の中の疑念が確信に変わった。


「思い出してくれた? 私のことを。あなたが排除した、シェルビー・スターフィールドのことを」


 やはりトリスアラナは五十年前のあの日、意図的に私に疑いが向くようなことを言ったのだ。何故なら今の彼女の顔には焦りのようなものもあるから。全く思い当たることがない人間なら、そんな反応はしない。


「なん、で……あなたが生きて……」

「生きてたら困る? 後ろ暗いことをした自覚でもあるのかな」

「後ろ暗い……? そんなこと何もないわ! あなたが先に私の邪魔をしたんでしょう!!」


 そう声を荒らげたトリスアラナはもう、聖女ではなかった。聖女なら抱かないはずの悪意。それをこうしてはっきりと私に向けている姿は、聖女なら有り得ない。


「エイダ、教えて。トリスアラナの魂は白い?」


 そうエイダに問いかけたのは、確信しきれなかったからじゃない。


「いんや、全く。どす黒いよ。お前ほどじゃねェけどな」

「……そう。じゃあ、本当は聖女の器じゃないのね」


 否定しようのない事実に気持ちが暗くなる。トリスアラナに悪意があったことはどうでもいい。だけど、聖女になる資格を持たない彼女が聖女であるという事実が、私の胸の中をガリガリと引っ掻く。


 純白の魂でなくても聖女にはなれる。悪魔と取引をして魂を偽装してもらえばいい。そうすれば神を騙して、その加護を得ることができる。

 トリスアラナも同じ方法で聖女になったのだ。そして、五十年前のルイーズにはサリ以外の悪魔はいなかった――つまり彼がトリスアラナを聖女にした。だからサリは私を聖女にする時、魔女でも問題ないと確信していたのだ。


 私を貶めた人間を手助けしたのと同じ手で、彼は私の願いを叶えたのだ。


「結局、悪魔に踊らされただけなのね。私も、あなたも」


 思わず憐れむような声色で言えば、トリスアラナが目を吊り上げた。


「ッ、さっきからなんなの!? お前が私を蔑むな! 人殺しの罪を着せられて何もできなくて、親にも婚約者にも捨てられるような哀れな女じゃない! あなたなんか結局家の力がなければ何もできないのよ。だから誰もあなたを助けなかった。ちょっと唆しただけでみんな手のひらを返した! 元々そういうことする女だって思われてたってことでしょう!?」

「……そうかもね」

「そうよ! それに引き換え私は違うわ。だぁれも私のことは疑わないの。みんな私のことは信じてくれるのよ。それだけで分かるでしょう? この国の頂点に立つのはあなたじゃない、私なのよ。あなたにはない器が私にはあるの。そんな私にあなた如きが分かったようなこと言わないでくれる? 痛々しすぎて反応に困るわ」


 その顔はまさしく悪女のものだった。五十年以上、聖女のふりをするために慈愛に満ちた微笑みを湛え続けてきたその顔に、今は醜く歪んだ笑みを浮かべている。「お祖母様……」、キーランの呆然とした呟きが、トリスアラナのこれまでの成功を物語る。彼女を近くで見続けてきたであろう騎士達も自分の目が信じられないとでも言いたげな表情で、聖女の豹変に釘付けになっていた。


 これが、聖女トリスアラナの本性。そうと分かれば全部繋がる。


『あなたじゃ駄目なのよ。私こそが正当なこの国の主……いくらあなたの血筋が優れていようとも、所詮は侵略者の血。次期皇帝の妻にはふさわしくない。まあ、その皇帝もただの飾り物だけれどね』


 牢で聞いた、この言葉は本心で。


『首を絞めたのよ、愚かにも()に言い寄ってきたから。ちょっと良い顔をしただけで気を抜いてくれたから随分楽だったわ』


 私を操るためのこれは、他でもない彼女自身の罪の告白で。


『そういえばシェルビー様も中層によく行かれていますよね? 美しい銀髪の女性を何度かお見かけしたことがあるんです。あれはシェルビー様でしょう?』


 人々が中層の事件について話している時にこんなことを言ったのは、私に疑いの目を向けるため。


『もしかしてお忍びでしたか? すみません、私ったら気付かなくて。そういえば人目を忍ぶようにされていたかも……』


 人々の思考を誘導して、私から全てを奪うため。


「……全部、あなたがやったの? 中層で人を殺して、その罪を私になすりつけたの?」


 その全てを、意図的に。悪魔に唆されたのではなく、自分自身の意志で。


 そう込めて問いかければ、トリスアラナは優雅に微笑んだ。


「ええ。それが?」


 邪悪な笑みだった。まるで魔女のような笑い方だ。

 けれど、分かってしまう。彼女は魔女ではない。悪魔に操られてもいなければ、必要に迫られているわけでもない。

 つまりは全て、トリスアラナの本質から来るもの。私にしたことも、そのために他の人にしたことも、全て彼女が自分で考えて実行したのだと感じ取れてしまう。


 こんなところにいたのだ。私が本当に恨むべき人間は、ずっと私の恨みの外にいた。


「ッ……全部、あなたが……!」


 トリスアラナこそが私から全てを奪い、私に苦痛を与えた張本人。これまで間違った方向に向けていた憎悪が、獲物を見つけたと歓喜に震える。麻痺していた心が叫び出す。

 ローウェンや両親に罪がないとは思わない。だけど彼らの行動を操ったのはトリスアラナだ。自分が次期皇帝の妻になるために、悪魔の力を借りて私を蹴落とした。そこには明確な悪意があった。だったら、私が一番に恨むべきは彼女なのだ。


「何を怒ってるの? あなたが誰にも信じてもらえなかったのは、あなたの力が足りなかったからじゃない。自分の落ち度を人のせいにしないで欲しいわ」


 嘲るように言うトリスアラナには罪悪感の欠片すらない。自分がしたことで私がどんな目に遭ったのか、まるで気にしていない。


「クソババアだな……」


 エイダがぽつりと零せば、「口が悪いのね」とトリスアラナが笑った。


「悪魔、ここにいる奴ら全員殺してくれる? いい加減目障りだわ」


 金髪の男にトリスアラナが声をかける。その内容に騎士達すらも驚き、キーランが「お祖母様、何を……!」と声を上げた。


「掃除よ。こんなところ誰にも見せる気はなかったのに、うっかり悪魔とも会話してしまったしね。目撃者がいたら面倒でしょう? 勿論、あなたもね」

「ッ……」


 だから途中から本心を隠すことをやめたのか――私には納得感があったけれど、周りはそれだけではなかったらしい。

 孫であるキーランに向けられた言葉に、その場にいた者達はトリスアラナの言う〝全員〟に自分も含まれていることを理解した。ざわめき、狼狽え、〝悪魔〟である金髪の男に一斉に注目する。

 トリスアラナはそんな周囲の人間をどうでも良さそうに一瞥すると、「さあ、悪魔」と急かすように口を開いた。


「早くやってちょうだい。ああ、代価はうまく回収してね? 一人殺すのに一人分の命が代価として必要なら、代価の分はこいつらから回収して」


 こいつら、と手で払うように周りを示したトリスアラナを見て、私は彼女が本気でこの場にいる人間を一人残らず殺そうとしているのだと確信した。

 トリスアラナが一人でやっているだけなら良かったかもしれない。だけど指示している相手が駄目だった。

 その相手は、あの金髪の男は、サリであることに間違いないのだ。サリならば簡単にトリスアラナの指示内容を実現できてしまう。彼の力の前では誰も抵抗することすらできず、ただただ一方的に命を奪われてしまう。


 そんな暴虐が、サリの手で。悪魔ならば不思議ではないと思うのに、でも、どうしても無視できないほどの忌避感がある。


「サリ、やめて」


 思わずそう口にしたけれど、今の彼が私の言葉を聞いてくれるとは思えなかった。だって今のサリはトリスアラナと契約しているようにしか見えない。彼にとって彼の魔女である私の価値が大したことがなければ、トリスアラナの言うとおりのことをしてしまうだろう。


「お願い……」


 その横顔に向かって懇願すれば、サリがちらりとこちらに目を向けた。


「俺がお前の命令を聞く義理はない」


 心臓がぎゅっと握り潰される。けれどその痛みに胸を押さえるより先に、サリはもうこちらを見ていないことに気が付いた。


「……何ですって?」


 怪訝に問いかけたのトリスアラナだ。サリの今の言葉は、彼女に向けられていたのだ。


「言っていなかったが、今の俺はシェルビーと契約しているんだ。お前がいくら代価を出そうが、シェルビーの利益と相反する場合にはどんな取引でも俺が受けることはない」

「なっ……」


 トリスアラナが驚いた声を漏らしたのは、サリが言ったことのせいか。それとも彼の姿が変わったからか。先程までいた金髪の男は消え、彼のいた場所には長い黒髪を持つ男が立っている。私の知る、私がサリと呼ぶ悪魔の姿だ。

 サリはその姿でくすりと笑うと、「礼を言おう、トリスアラナ」と再び私へと視線を向けた。


「お前は大した魂を持っていないが、お前の小狡い悪事のお陰でこんなにも魅力的な魂と出会えた。その点だけはお前を評価してやってもいい」

「サリ……」


 喜ぶべきではないとは分かっていた。何故なら五十年前に私をトリスアラナが陥れようとした時、手を貸していたのは紛れもなくサリなのだ。そんな相手が今は私の側だと示すようなことを言ったとしても、信じるに値しないのは分かりきっている。言葉そのものの意味も、サリ自身のことも。


 信じるな。彼の行いから目を逸らすな――自分に言い聞かせる。全てを知った上で私の間違った憎しみの矛先を正さなかった相手に、これ以上心を許すな。


 そう、どうにか目元に力を込めた時だった。


「――ふざけるな!!」


 金切り声と共に暴風がその場を襲った。と同時に炎が上がる。聞こえるのは悲鳴と、何かが叩きつけられる音。まるでそれらが膜一枚隔てたところにあるかのように、私の周りだけ何も起きていない。

 私がその意味を理解しきる前に、吹き荒れていた暴風と炎が収まっていった。


「……何?」


 たった数秒の出来事。それなのに周りの景色は一変していた。私の近くにいた群衆はみな倒れ、そう離れていなかったはずのキーランと騎士団が近くの建物の壁まで押しやられている。壁に叩きつけられたのだろうか、彼らは皆倒れていた。

 立っているのは私とエイダ、それからエイダに抱きかかえられているルルベット。そして――トリスアラナと、サリ。


「面白い魔道具だな。魔力の消費が多すぎるのはいただけないが」


 サリが事も無げに言う。するとトリスアラナは「ふざけないで!」と声を尖らせた。


「なんでその女を庇うのよ! 殺し損ねたじゃない!!」

「悪魔が自分の契約主を守るのは当然だ。第一、使い方が悪いんじゃないか? シェルビーどころかそこの小僧のことだって殺せていないじゃないか。しかもそいつは大勢を庇ったぞ。まあ、庇いきれていないがな」


 その声にエイダの方を見れば、彼はじっとりとした目でサリを睨みつけていた。


「うるせェな、風とは相性悪いんだよ! つーかなんで皇族っつーのはどいつもこいつもこんな馬鹿みてェな威力の魔道具持ってんだ……」

「あの、大丈夫ですか……? これ、背中怪我してるんじゃ……」

「そう思うならベタベタ触りまくって確認すんじゃねェ。普通にめちゃくちゃ痛ェわ」


 文句を言いながらエイダがルルベットを引き剥がす。珍しくルルベットがしゅんとしているのはまずいことをした自覚があるのだろうか――と思ってなんとなくエイダの背中を見てみたら、服が真っ赤に染まるほどの傷を負っているのが分かった。それをベタベタ触って確認していたというのだから、エイダからすれば相当痛かったはず。ルルベットも手で触れてその傷の深さを感じ取ったから、流石の彼女でもいつもどおりの能天気な返事をしていられなかったらしい。

 なんて、この状況で緊張感のないやり取りをしていられるのは被害が少なかったからだろうか。キーラン達の方はよく分からないけれど、少なくとも死者はいないようだというのは彼らが動いていることから分かる。レッドブロックの群衆も、風で倒れたとはいえほとんどの者が無傷だ。運悪く怪我をしてしまっている人はいるみたいだけど、あの威力の攻撃を受けたことを考えると奇跡に近い。

 奇跡、というかエイダが頑張っただけだけど。そのエイダの背中があんなことになったのは、恐らくレッドブロックの人達を守る方に魔力の配分を振り切ったからだ。そのことに私の胸は締め付けられたけれど、当のトリスアラナは全く満足がいかなかったらしい。


「何よ……何よ何よ何よ!! なんで死なないのよ! さっさと全員死になさいよ!!」


 醜く目を吊り上げ、懐から新しいマナクリスタルを取り出す。込められた魔力はさっき使った分と同じくらいだろうか。それを魔道具に装着されたものと取り替えようとし始めたのを見て、エイダが「げっ」と顔を顰めた。


「流石に二度目は無理……! お前らさっさと立て! 逃げろ!!」


 レッドブロックの住民に向かってエイダが声を張り上げる。その声に呆然としていた者達は慌てて立ち上がり、散り散りになってその場から離れるように駆け出した。


 その直後だった。


「逃がすわけないでしょ!!」


 トリスアラナの叫びと共に、その場が再び暴風に包まれた。

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