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ファム・ファタールの断罪  作者: 丹㑚仁戻
最終章 ファム・ファタールの断罪
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【Ep16 聖なる魔女と帝国の悪女】16-1 戸惑いの再会

 目的地までの道中は、意外にもサリに邪魔されることはなかった。キーランと共にルイーズの街を足で駆けて、どうにか一番上の層までやってきて。


 けれど着いた時にはもう、皇宮は騒然となっていた。半日前までは厳かな雰囲気に包まれていたのに、今はそこかしこを侍従達が走り回っている。銀髪に戻したキーランと私を見つけた者達はほっとしたような顔をしたけれど、最低限の挨拶だけするとすぐに自分の仕事へと急いで戻っていった。


「何があった」


 侍従の一人を捕まえてキーランが尋ねる。


「へ、陛下がご病気で……! それから侵入者もあったと。東の宮にて守りを固めるようにと、皇后陛下が……!」

「他には?」

「いえ、わたくしは何も……あの……」

「ああ、行っていい。引き止めて悪かった」


 キーランが解放すれば、侍従は大急ぎでその場を走り去っていった。


「避難するなら西の宮じゃないの?」


 私達も移動を開始しながら、いつもどおりの言葉遣いでキーランに問う。今この場に私達の会話を聞く者はいないからだ。この皇宮は東を皇族の住居、西を行政の場としている。国の中枢としての機能を保つため、有事の際には西の宮を要塞化して避難場所とする――というのが、私が五十年前に聞かされていたことだ。

 外部の人間はあまり知らないことだけど、キーランはもう私が知っていることには疑問を抱かないらしい。険しい顔で頷いて、「それだけ陛下の容態が思わしくないのかもしれない」と答えた。


「下手に動かすことさえできないのなら、代わりに東の宮を使うこともあるだろう」

「まあ、そっちの方が小さいしね」

「小さい?」

「トリスアラナは悪魔の気配に気付いたはずだよ。だったら一定範囲を神聖魔法の結界で覆ってしまおうと考えたのかも……と思ったけど、今のところそんな感じはないね」


 私が自分の発言を取り下げたのは、走っているうちにその東の宮に着いたからだ。しかしどこにも結界が張られている様子はない。


「まだ陛下の周りしか対応していないのでは?」

「そうかもね。みんなの避難が終わってから結界を張るのかも」


 正直普通の人間なら結界に入れるから待つ必要はないのだけど、トリスアラナがどういう順序でやろうとしているか分からない以上、ここで考えていても仕方がなかった。むしろこの状況は都合が良い。結界が張られていたらローウェンの元まで行く手段を考えなければならなかったのだけど、その必要がないのだから。


 ――でも、そう思えたのはローウェンのいる部屋の前に来るまでだった。


「……どういうこと?」


 そこは半日前に私達がローウェンと会った部屋。そして私が彼に悪夢を見せていた場所。途中で人を捕まえて聞いたから、彼がここにいることは間違いない。それなのにここにも結界が張られているようには見えない。


「とにかく入ろう」


 キーランが扉を開ける。するとその先にはソファに寝かされたローウェンがいて、その近くでは医官達が途方に暮れたように顔を突き合わせていた。


「で、殿下!? 何故ここに――」

「陛下の容態は?」


 キーランは部屋の中にずいと進むと、医官達の戸惑いを無視してローウェンの状態を問いかけた。キーランが何故ここにいるのかと続いていたであろう疑問は少し不思議に思ったけれど、医官達の間から見えるローウェンの顔色を見て、それどころではない、と頭を切り替える。何故ならもう彼は死に瀕していたからだ。


「衰弱が酷く、手の施しようが……。陛下と同じ水魔法の魔法師に回復を試みさせましたが、変化はなく……」


 医官の答えは私の想像したとおりのものだった。確かに同じ属性の人間の魔力を与えれば、身体の回復は促すことができる。だけどもう、そんな段階ではないのだ。怪我が原因で衰弱しているならともかく、彼の身を蝕んでいるのは心労。もう生きたくない、苦しみたくないという意思が、身体から生きる力を奪っている。


「どう思う、シェルビー」


 そのキーランの問いに、医官達が「聖女様……!?」とどよめいた。私は悲しげな顔を作ると首をゆっくりと横に振って、キーランを見上げる。


「お祈りで苦しみを和らげることはできます。しかし……」

「手は?」

「考えなら、あります」


 私が言うと、医官達がまたどよめき声を上げた。さっきとは違った声だ。


「ですが人に見せられるものではありません」

「ならば人払いをしよう。――お前達、ここを出ろ。他の誰も近付けさせるな」


 キーランの指示に医官達が異を唱えることはなかった。聖女の言う〝人に見せられない方法〟を勝手に教会関連の何かと解釈してくれたのだろう。彼らの顔には希望があり、大急ぎで荷物をまとめて部屋を出ていく。

 キーランはそれを見届けると、「それで?」と私に顔を向けた。


「使うのは魔女の魔法か」

「……使えればね」


 私は周囲を見渡すと、「難しいかもしれない」とキーランに返した。


「魔女の魔法は悪魔の力を借りる。でもここにサリはいない。……それに、呼びたくもない」


 ここにサリがいない理由は簡単に分かった。神聖魔法の痕跡が残っているからだ。痕跡程度では害はないけれど、悪魔にとっては居心地の悪いもの。ローウェンにかけていた魔法が浄化された以上、そんな嫌な場所でサリが素直に待ち続ける理由もない。なんだったら自分まで聖女に狙われたら面倒臭いと、この場から遠く離れたのかもしれない。


「それは同感だが……奴が浄化された可能性は?」

「ないよ。サリならうまく避けるだろうし」


 とはいえ確実ではないけれど、でもサリなら絶対に回避するだろうという確信があった。それにサリに何かあれば彼の魔女である私も何かしら感じ取れるはずだ。そんな経験はないし、聞いてみたこともないからどうなるかは分からないけれど、少なくとも共有している魂には影響が出るだろう。

 それを感じ取れるかどうかはまた別の問題だけど、今はそんなことを考えている場合ではない。


「だが、何もしなければ祖父は死ぬ。この状況でそれはお前も望んでいないんだろう?」


 そう、今考えるべきはこっち。本当はローウェンを助けることなんてしたくない。悪夢を見続けさせるために回復させておいて何だという話だけど、それはより苦しんでもらうために必要なだけで、ローウェンの命自体はさっさと奪ってしまいたい。

 だけど、まだ駄目だった。私の復讐の矛先が間違っているかもしれないから。ローウェンにも罪はあるかもしれないけれど、答えが分からないまま、その答えを知っているかもしれない人を殺してしまうのは避けたい。

 だから私が「……まあね」と答えれば、キーランは「何か考えないとな」と思案する顔をした。


「悪魔の力を借りるというなら、他の悪魔はどうだ? エイダの悪魔以外で、お前に力を貸してくれそうな悪魔はいないのか?」

「一人だけ」


 それが私の考えだった。でも、うまくいく気はしない。何せ私は自力で悪魔を喚んだことがない。どうやって喚んだらいいのかすらも分からないのに、喚んだところでその声が届くとも思えないのだ。


「召喚には何が必要なんだ?」

「正直分からないんだよね。昔聞いたのはもてなさなきゃいけないってことなんだけど、そもそも相手が偉いからもてなさなきゃって文脈だったし……」

「――でも僕モおもテなし欲シイよ?」


 私とキーランの会話に、突然子供の声が混ざる。当然のように加わってきたその声には聞き覚えがあった。


 どうしてここに? ――一瞬だけ固まってしまった私はすぐに目を瞬かせて気を取り直すと、そっと声の方に顔を向けた。


「……シン?」

「久シぶり、シェルビー」


 向かい合う私とキーランの間、少し下の方。そこには案の定、シンの姿があった。最後に見た時と同じ、子供の頃のローウェンの姿だ。その姿に危険性は感じられないからだろうか、キーランは驚いたような顔でシンを見つめている。驚いているのは私も同じだったけれど、でもだからと言って黙っているわけにもいかない。


「……まだ喚んでないんだけど?」

「喚ばレなきゃ来ちゃ駄目?」


 こてん、とシンが首を傾げる。


「いや、駄目っていうか……今までこんなこと一度もなかったじゃない?」


 シンと最後に会ったのは、五十年前にサリを喚び出してもらったあの日。サリと契約し直して彼の魔女となってからは、別れも言っていないのにシンは姿を現さなくなってしまったのだ。


「だって主様ガここにいろって言うんダモん」

「……サリが?」


 シンが当たり前だと言わんばかりに答えるも、私にはどういうことか理解できなかった。これはどこから聞けばいいだろうかと考えようとした時、キーランが「シェルビー、この子供は……?」とやっと私に怪訝な声で問いかけてきた。


「ああ、ごめん。紹介するね。彼が喚ぼうと思ってた悪魔。シン……って、まだ呼んでもいい?」

「いいヨ」


 キーランに紹介しながらシンに問えば、彼はよく知っている笑顔でこくんと頷いた。


「サリクスの手引きでここにいたのか?」

「そうみたい。何を指示されたの?」


 キーランの問いのお陰で私もシンに聞くべきことがはっきりする。だからその問いを向けたのだけど、シンはきょとんとした顔で「何モ?」と答えた。


「タダこの辺にイろって呼ばれたの」


 無垢な子供そのものの表情に、そうだった、と私の古い記憶が蘇った。そして同時に感じたのは、呆れにも似た困惑。


「……サリが何かを企んでいることは知ってる?」

「主様はいつも何カ考えてルよ?」

「……そっかぁ」


 ああ、駄目かもしれない――無意識のうちに手が額に触れる。久しぶりだからすっかり忘れていたけれど、シンはこういう悪魔だ。人の姿は取れるけれど、悪魔としての力は弱い。だから分からないことが多くて、できないことも多いと同時に物事も深く考えない。


「シェルビー、こいつは信用できるのか……?」


 ほら、キーランだって困っている。信用という言葉を使ったけれど、彼が本当に聞きたかったのは違うと分かる。


「背に腹は変えられないでしょ」


 私が知っている悪魔なんて、サリとディリー以外はシンしかいない。悪魔ができることは、事象として彼ら自身が理解できていること。その点で考えるとこれから頼むことがシンにできるかどうかは非常に不安が残るけれど、でもかつて死にかけていた私の怪我を一瞬で治したということは、少なくとも人体に関する理解はそれなりにあるはずだ。


「シン。この人のこと、まだ死なないように少し元気にさせられる?」

「でキるよ! でも代価がイるヨ」


 嬉しそうなシンの顔に、思わず私の顔も綻ぶ。安心と、それからその姿のせいだろう。今はもうローウェンの姿という意識があまりないから、ただただ幼い子供が嬉しくてはしゃいでいるようにしか見えないのだ。


「魔女の魔法でもいい?」

「できるけド、でもシェルビーの今ノ魔力だと足りナいんジャないかな」

「じゃあシンに丸ごとお願いするしかないのかな。代価って何がいいんだろ?」


 正直な話、自分と契約している悪魔以外との取引にどんな代価がいいかだなんて全く知らない。魔女の魔法として行使するほどの魔力が今の私には残っていないのなら、他にあげられるものも思いつかない。

 代価に悩んでいるのは私だけではないようで、シンも「うーん……」と唸りながら周りを見ている。


 が、突然その動きが止まった。


「――ソれ」


 シンが一点を指差す。その視線の先にはキーランの姿。まさかキーランの魂を寄越せと言うのでは――了承する前にシンが動き出したらまずいと、慌てて「待った!」と声を上げた。


「ごめんね、キーランの命は流石にあげられないかな。他のじゃ駄目?」

「そんなニはいらナイよ。その人ガ持ってルやつでイイ」

「え?」


 その言葉に自分の勘違いを知る。けれど何のことだか分からない。

 するとシンに指差されたキーランは思いついたような顔をして、服の中を漁ると、「これか?」といくつかの魔道具をシンに見せた。


「そウ、それ。石だけデいいよ」

「マナクリスタルか。どれが欲しい?」

「ソレ! そのおっキいの!」


 興奮したように言うシンはまるでおもちゃを渡された子供そのものだ。キーランはシンの示した魔道具からマナクリスタルを取り外すと、それをシンへと渡そうとした。


「待って。キーラン、いいの? そのマナクリスタルってかなり高価なやつだし……っていうかキーランが渡したら、あなたが悪魔と取引したってなっちゃうんじゃない……?」


 私の指摘にキーランが眉間に力を入れる。彼のマナクリスタルの希少性もそうだけど、そもそも悪魔と直接取引することはキーランだって避けたいはずだ。「それは……」、キーランが苦々しげに言葉を濁した時、シンが「なラないよ?」と不思議そうに言った。


「そうなの? でも……」

「だってソの人間、シェルビーのでショ?」

「私の?」

「ココにシェルビーの穢れが移ってるよ。人間が所有ヲ示す場所でしょ?」


 そう言ってシンが自分の唇を指差す。一瞬何のことか分からなかったけれど、そういえばさっきローウェンに嫌な想いをさせるためにキーランとキスしたのだ。そしてあの時の私は穢れが強かったから、その接触によってキーランには私の穢れが少し移ったらしい。……ただの接触で移ることがあるのかと思ったけれど、シンが〝人間が所有を示す場所〟というあたり、何かしらの意味ができてしまったのかもしれない。


「あー……なるほど?」

「それは俺に何か影響があるのか?」

「さあ……?」


 嫌そうな顔で問うてきたキーランを見ていると、とても申し訳ない気持ちになる。私としては単なる演出のつもりだったし、というかそもそも気分が高ぶっていたからやってしまったことなので、それで悪影響を与えてしまったとしたら罪悪感しかない。


 だけどごめん、キーラン。私には分からない。


 と内心で謝っていると、シンが無垢な顔で「マーキングじゃ足りなイの?」と私達を見上げてきた。


「だっタらまぐわうといいヨ。男と女だカラ簡単でしょ?」


 そう首を傾げるシンに含みは見当たらない。となると内容は少しあれだけど、心配は一つ減る。


「……影響はないんじゃないかな」


 私が言えば、キーランが「……みたいだな」と何とも言えない顔で言った。

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