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先月お父さんが誘拐されたけど、身代金はまだ支払ってません

作者: 村崎羯諦

「お前たちの父親を誘拐した。無事に返して欲しければ、50万円用意しろ」


 お父さんが行方不明になってから五日後。ここ最近話題になっている父親連続誘拐犯が、携帯越しにお母さんへそんな要求を突きつけてくる。私はお母さんの身体にくっついて、お母さんの携帯から聞こえてくる言葉を一言も聞き逃すまいとじっと耳を澄ませた。お母さんはあっち行ってなさいと表情で私に伝えてから、眉毛を八の字に曲げながら誘拐犯に返事をする。


「五十万……。そんな足元を見るようなお金を払えって言われても困ります」

「なるほど。だが、お前たちの大好きな父親の声を聞いてもそんなことが言えるかな?」


 誘拐犯が携帯から顔を離して、誰かに対して命令する声が聞こえてくる。しばらくすると荒い呼吸と共に、「峰子! 七海!」と私とお母さんの名前を必死に叫ぶお父さんの声がした。

 

「心配しないでくれ! 俺は無事だ!!」


 しかし、そこでお父さんは口を塞がれてしまったようで、代わりに誘拐犯の、「今のが証拠だ」という冷たい声で聞こえてくる。さっきの声は確かにお父さんで、誘拐犯が嘘をついているわけではなさそうだった。時間があるから、ゆっくり考えるんだな。誘拐犯はそれだけ言い残して電話を切るのだった。


「だから、知らない人には付いていっちゃダメって言ってたのに!」


 携帯をテーブルに置きながら、お母さんはここにはいないお父さんに向かってそう怒鳴りつけた。それから額に指当てながら、「五十万円か……」と考え込むように呟く。まだ小学生の私としては、正直五十万円と聞いてもピンとこない。お母さんにそれがどれくらいのお金なのかを尋ねてみると、お母さんは私のお小遣い1000ヶ月分だと教えてくれた。1000ヶ月というのもあまりピンと来なかったのでそれがどれくらいの時間なのかと尋ねてみると、私が九十歳くらいのおばあちゃんになるくらいには長い長い時間らしい。


「ニュースを見てる限りだと、身代金を払えば返してもらえるらしいわ。ねえ、七海。五十万円払って、お父さんに帰ってもらいたい?」


 私は腕を組んで考えてみた。確かに私と同じ家に住んでいるし、私にとっては一人のお父さんではある。だけど、休日もお父さんは家で寝ていることが多いし、顔を合わせてもそんなにお喋りするわけでもない。お父さんがいなくなって何が困るだろうかと考えてみたけれど、お父さんがいなくなったこの五日間も、私の生活に何か変化があったわけではなかった。


「うーん、どっちでもいい」


 私がそう答えると、お母さんも「そうよねぇ」とため息をつきながら同意してくれる。お父さんの会社の方とか警察と相談しなくちゃねと言いながら、お母さんはいつものように夕飯の準備を始める。結局その後も、お母さんはどうしようどうしようと言ってるだけで何もせず、気がつけばお父さんが誘拐されてから一ヶ月が経っていた。


 結局、先月お父さんが誘拐されたけど、身代金はまだ支払ってません。だから、お父さんは今もお家に戻ってきてません。


 その後も、ニュースではお父さん連続誘拐事件の特集をやったりしていたけれど、お父さんのことが話題に上がることすらなくなっていった。お母さんはひょっとしたら警察とかお父さんの会社とかとやりとりをしていたのかもしれない。だけど、お母さんはいつもと同じ時間に仕事から帰ってきていたし、週末は家で私と遊んだりゴロゴロして過ごすのは変わらなかった。お父さんがいない。たまに意識して思い出さないと、そのことをすっぽり忘れてしまいそうなほどだった。


「お父さんはね、分娩室で私が七海を産んでる間、病院の食堂でカツカレーを食べてたのよ。本当に信じられない!」


 お父さんが話題に上がるのは、何度聞いたかわからないそんなお母さんの愚痴を聞かされる時だけ。その話を聞くたび、私としてはそれだけのことでいつまでも怒る?とも思ったし、まあ、お父さんならやりそうだなと思ったりもした。でも、ただそれだけ。特別お父さんと会えなくて寂しいと言う気持ちもなかったし、土曜日の夜に、野球じゃなくて、好きなテレビ番組を観れるのがちょっとだけ嬉しかったりもした。


 それでも、私のお父さんが誘拐されてからちょうど二ヶ月後。何の前触れもなく、お父さんを誘拐していた、お父さん連続誘拐事件の犯人が捕まった。犯人はとあるホテルを所有しているお金持ちらしく、誘拐した人質は全員そのホテルに監禁されていたらしい。特に病気や怪我になっているわけではなくて、全員五体満足で、無事だとニュースで説明されていた。


 なんだかんだ言っても、本当はみんなお父さんのことを大事に思ってるんだと信じていた。


 捕まった犯人は、犯行動機としてそんなことを言っているらしい。


 警察の聴取が終わってようやく、お父さんたち人質がようやくお家に帰れるようになる。家に帰る電車賃もないので、警察署までお父さんを迎えにきてほしい。警察からそんな連絡が来たけれど、お母さんは大事な打ち合わせで迎えに行けなかったから、学校帰りに私がお父さんを迎えに行くことになった。学校帰りにランドセルを家に置き、電車に乗って、お父さんが保護されている警察署へ向かった。


 警察署に着いた時、ロビーにはお父さんの他にも十人くらいの他のお父さんたちが迎えを待っていた。そういえばお父さんってどんな顔だったっけ?と思い出しながらキョロキョロ見渡していると、「七海!」と私の名前を呼ぶ声がした。お父さんは特別痩せてはいなかったけれど、どこか元気がなくて、久しぶりに会ったと言うのに、どこかよそよそしかった。警察の人から偉いねと褒めてもらった後、私はお父さんと一緒に警察署を出た。


 コンビニでアイスでも買おう。お父さんがそう言ったから、私たちは近くのコンビニでアイスを買い、公園のベンチでアイスを食べた。お父さんは誘拐されている間の話をした後で、自分がいない間、家はどうだったかと聞いてきた。大丈夫だったよと、私が素直に答えると、そうかとお父さんは呟いて、そのまま黙ってアイスにかじり付く。


「……何だかなぁー」


 長い長い沈黙の後、お父さんはただ一言だけそう言った。そして、私とお父さんはアイスのゴミをまとめて、そのままお家に帰った。私の半歩前を歩くお父さんの背中は、久しぶりに見たからなのか、前よりもずっとずっと小さくなっているような気がした。


 結局、お父さんが家に戻った後も、私たちはお父さんが誘拐された時と同じような生活を送った。それでも、私が知らないところでお父さんとお母さんは色々と話していたらしく、半年後にお母さんとお父さんは離婚することになったんだと聞かされた。


 私は特に何も聞かれることもなくお母さんの方へ着いて行くことになった。でも、自分はお母さんとお父さんのどっちに着いて行きたい? と聞かれていたとしても、私は間違いなくお母さんと答えていたと思う。

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