旅立ち
「ご飯、食べに行こうか」
俺は俯いた状態で言った。
「うん、そうだね。どんな時でもお腹は減るから」
レイチェルは笑った。
食堂へ降りるとすでに朝食が準備され始めている。
「もう少しで準備ができるぞ」
フリード様が言う。
無理やり明るく振舞っているようだった。
それに朝食とは思えないほど食べ応えがある料理が並んでいた。
俺はこれが全てレイチェルの好物であることが分かった。
「ありがとうございます」
レイチェルが感謝の言葉を言うとフリード様は泣きそうになった。
朝食はとても静かに進む。
俺やフリード様はこの後のことを考えて、あまり食欲が無かったが、当事者のレイチェルはいつも通りにたくさん食べていた。
「お父様、一つお願いをしても良いですか?」
食事が終わりに近づいた時、レイチェルが言う。
「なんだ?」
「一緒にお酒を飲んでくれませんか?」
「……お前も酒を飲むようになったのか?」
フリード様は驚いていた。
俺もだ。
レイチェルは旅の途中も、屋敷での食事でも酒を飲んではいなかった。
「いえ、今まで飲んだことはありません。でも、一度はお父様とお酒を飲みたいと思ったのです」
レイチェルは微笑む。
「…………分かった。すぐに用意……いや、私が持ってこよう」
そう言って、フリード様は席を外した。
戻ってくると酒瓶を手にしていた。
「これはセレナが、お前の母が好きだったワインだ」
フリード様は説明しながら、自らワインの封を開けた。
メイドさんたちが持って来た三つのグラスにワインを注ぐ。
「アレックス君、君も一緒に飲んでくれるか?」
「良いんですか?」
「ああ、ぜひ頼む」
フリード様は悲しそうな笑みを浮かべた。
俺は一つ、グラスを手に取る。
レイチェルもフリード様もグラスを手に取った。
「お父様、アレックス、本当にありがとうございました」
レイチェルの言葉が合図になり、俺たちは乾杯して、ワインを口に運ぶ。
屋敷で二日前に飲んだワインより甘い気がした。
俺はこっちの方が飲みやすい。
でも、俺の隣ではレイチェルが咽ていた。
「ケホッ……お酒ってこんな味なんですか?」
恐らく、誰もがお酒を始めて飲んだ時に思う感想をレイチェルが言った。
「美味しくないです」と正直に言う。
それを聞いた俺とフリード様は笑った。
「大人にとってはこれが旨いと感じるんだ。…………」
フリード様は途中で言葉を止めたようだった。
俺はフリード様の心中を察する。
レイチェルには酒を楽しむ時間が、大人になる時間が残されていない。
場の空気が重くなりかけた。
するとレイチェルは残っていたグラスのワインを飲み干す。
表情を歪め、無理やり飲んでいるのが分かりやすかった。
「もう一杯飲んだら、もう少し良さが分かるかもしれません」
レイチェルの言葉にフリード様は苦笑した。
「そんなにすぐ美味しく感じるものではないぞ」
フリード様がレイチェルのグラスに酒を注ぐ。
レイチェルは二杯目のワインに口を付ける。
「うん、さっきよりは美味しい……気がします」
苦々しい表情でレイチェルは言う。
それを見た俺とフリード様は顔を合わせて、苦笑した。
「あっ、二人とも私を馬鹿にしていませんか?」
「そんなことは無い。アレックス君ももう一杯、どうだ」
フリード様は瓶を手に取った。
「頂きます」
俺たちが二杯ずつワインを飲むと瓶は空になった。
「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」
食事が終わるとレイチェルはフリード様だけではなく、厨房の料理人たちにも言葉をかけた。
恐らく、料理人の方たちもレイチェルの決断を知っているのだろう。
何名かは泣いていた。
その後は部屋に戻って、最後の旅の準備を始める。
……といっても戻ることのない旅、レイチェルの荷物はリュック一つだけだった。
驚くほど速く準備を終え、レイチェルは部屋を出る。
彼女は自分の部屋を出る時、振り返って一礼した。
屋敷の前に出るとフリード様が待っていた。
「お父様、親不孝をお許しください」
「私の方こそ、無能な父を許して欲しい。勇者として魔王との危険な戦いに身を投じさせ、呪いを受けて帰って来た娘に何もしてやれなかった」
フリード様はレイチェルを抱き締める。
「気になさらないでください。お父様、どうかお元気で」
レイチェルとフリード様は離れる。
フリード様の視線が俺に向けられた。
「アレックス君、レイチェルのことを最後までよろしく頼む。念のため、言っておくが君を恨むようなことはしない。君が戻って来たら、私の方からお礼をさせてくれ」
「分かりました……」
フリード様の言葉がとても痛かった。
別れを告げた俺たちは屋敷を出発する。
屋敷の敷地内でレイチェルは変身魔法で顔を変えた。
街へ出ると今日も人々は変わらずに暮らしている。
それを見ると俺は疎外感に襲われた。
そのまま街を出るのかと思ったが、レイチェルはどうも街の出口には向かっていない。
「すいません。寄り道をさせてください」
レイチェルはそう言い、花屋によって花を買う。
その後に彼女が向かったのは教会だった。
神父さんに挨拶をすると墓地へ向かう。
そして、一つの墓標の前で立ち止まった。
「お母様、お久しぶりです」
ここにレイチェルのお母さんが…………
「アレックス、驚いた?」
「ううん、そんな気がしていたよ」
「そう……」
もし生きているなら、帰ったレイチェルに会わないのはおかしいと思っていた。
レイチェルは少しの間、墓標を触って、花束を置く。
墓標に語りかけるようなことはしなかった。
でも、最後に「もう少しでお母様に会いに行きますね」と言う。
それを聞いて、俺は胸が締め付けられる気持ちになった。