交渉 80
「……魔生物は、通常の攻撃だとしても、人の体を侵食するものがある。
そういったものは、攻撃を受けた箇所を切り落とさなければ、侵食は広がり、自我を失い、人とは呼べない存在になり果てる。
だからこそ、人間に故意に魔生物を埋め込むような行為は禁忌とされてるんだがな」
さっきまで黙っていた鬼怒川先生はそう言った。
「そうですよ。許されるはずのない行動ですよ」
鬼怒川先生はオレのこの言葉をまるで聞かなかったように自分の意見を言った。
「被害に遭った人間は可哀想かもしれんが、侵食されたらそれはもう『人間』とは言えんと思うぞ」
それが何を指すのかが分かり、頭が沸騰しそうなくらいに怒りを感じた。
「あの子達はまだ『人間』です!」
声を荒げるオレに対し、鍛冶さんも生徒達も驚いていた。だが、鬼怒川先生だけは冷めた目でオレを見ていた。
「俺はもう人間とは判断していない」
「けど、あの子達はまだ人の言葉も理解していて、心だって持っています!
痛いも、辛いも、悲しいも感じていて、まだちゃんと『人間』なんです!」
「……けど、お前も分かってるから、『まだ』なんだろう?」
その言葉にオレは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「だとしても、あの子達は人間として生きています」
「だが、それはいつまでだ?」
その問いに答えられるわけもなく、オレは俯いた。
冷たい目がオレを見下ろしているのは分かった。
静寂を破るように、それでも、か細くなるのは仕方なかったんだろう。鍛冶さんが鬼怒川先生に問うた。
「あの、久遠家の被害者は、まだ、生きている、という事ですか?」
「人として生きてるとは思いませんよ」
吐き捨てるような言葉に怒りが湧いてくる。
「あの子達は、懸命に生きています!」
「それはお前が如月に頼んで、保護という形を取ってもらっているからだろう?
そうでなければ、あれらは生きてはいけんだろう」
「あの子達は人間です。ちゃんと人の扱いをしてください」
「お前は、そうやって情を掛け過ぎる。お前の悪いところだ」
「悪いところだとしてもそんなの関係ありません。ちゃんと人として扱ってください」
オレが考えを譲らないのは、鬼怒川先生は分かり切っている。それでも、これを言ってくるのは『諦めろ』という事なんだろう。
けど、オレにはできない。
「西雲、俺は何度も言っているが、如月からの保護を受けられなくなったらどうする?
如月は今年卒業だし、お前だって、その二年後には卒業だ。
そうなった時に、如月がそいつらの面倒を見る義理はないだろう?
どう始末をつける気だ?」
突きつけられる現実は、オレが目を背け続けてきた代償だ。それは分かっていた。
けど、未だに答えは出せず、オレは黙り込んでしまった。
「どういう、状態、なのですか?」
鍛冶さんが気まずそうに尋ねた。
鬼怒川先生はオレが真面に答えられないと判断したようで、溜め息を吐いてから、しょうがなしに答え始めた。
「久遠家の人間が実験を行って、魔生物を人間に埋め込んでいた事まではご理解いただけていますか?」
「え、ええ……」
「その実験に使われたのは、孤児院にいた一般人……、まあ、まだ子供ですけどね。それが主だった。中には、うまい話を持ち掛けて連れてきたのもいたようですけどね。
その実験では、大体の人間が命を落とした。
だが、適合したのか、何なのかは分かりませんけど、生き残った子供がいたんですよ。
まあ、魔生物に侵食されている時点で、こちらとしては『人間』とは思いませんけどね」
その言葉にオレは鬼怒川先生を睨んだ。だが、鬼怒川先生はオレの事を無視した。
「生命活動の続いている身体はあれど、それらをどうするといった時に、俺を含め、ここの教員は殺処分が妥当だと言いましたよ。
いつ手の付けられない状態になるかも分からないのだから、久遠家の実験に巻き込まれただけかもしれないが、それも不運な事故として、人間としては死んだとみなして、殺処分すべきと思うのはそこまで非難されるものとは思わんのですけどね」
鬼怒川先生はそう言いながらオレを見た。
鍛冶さんは困ったような顔でオレと鬼怒川先生を交互に見た。
「ただ、一時保護と言うべきか、久遠家の実験施設から西雲が生き残った二体を連れて帰ってきたんですよ。まあ、他は死んでいたから、連れて帰ってこなかっただけでしょうけど」
オレは『二体』という言い方が嫌で、鬼怒川先生を睨みつけた。鬼怒川先生は睨み返してきた。
「捨てられた動物じゃあるまいし、拾ってくるな、元居た場所に返せ、と言う教員もいましたが、西雲は『この子達は人間だ』と主張し続けているんですよ。
で、如月に頼んで、外にも出せはしないそんな施設でその二体を保護してもらっているままなだけです。
俺としては、いい加減、処分すべきだとは思ってますけどね」
危険な存在となり得るのなら、処分すべきだという主張は何度も聞いた。
生き残りとして如月が保護しているというのなら聞こえはいいかもしれないが、危険となり得るのを分かっていながら、如月が所持していると言われたらどうするというのも言われた。
それでも、オレは生きた人間を自分達の都合だけで殺す事には納得がいかなかった。
あの子達は何もしていなくて、ただの被害者で、疎まれる理由なんて何もないはずだったんだ。
だからこそ、オレは鬼怒川先生の考えが受け入れられない。
「あの子達は、ただ理不尽な目に遭った被害者です」
オレがそう言うと、鬼怒川先生は眉をピクリと動かした。
「まだ何もしていないんです。
オレ達と同じように、食事もとって、睡眠もとって、言葉も理解して、普通に過ごしているんです。
誰かに攻撃したり、危害を加えた事なんて一度もないんです」
オレが見付けた時だって、威嚇するように唸られはしたが、「助けにくるのが遅れてごめん」と言うと、唸るのをやめ、涙を零していた。
「普通の人と同じように過ごしているんですよ」
オレがそう言うと、鬼怒川先生は自分の額に手を遣った。
「普通の人間は、鱗に覆われた腕もなければ、爬虫類のような目もしとらん。
意思の疎通も、人間の言葉を話す。唸り声や鳴き声で意思の疎通は図れん」
「それでも、伝えたい言葉を時間を掛けてなら書く事もできます。
五十音表を見せれば、文字を指し示す事だってできます」
「言葉に関してはそうでも、見た目はどうにもできんだろう。人間のそれとはかけ離れてる」
「けど、人の部分の方が圧倒的に多いです」
「だとしてもだ」
「だから、あれ以上、侵食が広がらないように、オレが定期的に会いに行って、魔法で食い止めてるじゃないですか」
「それをしないといけないくらいに侵食されている事くらい分かってるだろう?
それに、それをやめたら、侵食が広がる事も理解してるだろう?」
分かっているからこそ、オレは答えられなかった。
「魔生物の侵食って食い止められるんですか?」
鍛冶さんの質問に鬼怒川先生は仕方なさそうに答えた。
「普通は無理ですよ。けど、西雲は細胞レベルで診て、侵食がそれ以上広がらないようにしてるんですよ。他にできる人間は見た事がない」
「つまり、西雲君がいなければ、その子達は……」
「生きる術がないのと同じでしょうね。どうにもできないのなら、殺すしかないんですから」
冷たく言い放たれる言葉にオレは唇を噛んだ。




