交渉開始
ドアを開くと、守衛の人が鍛冶さんを連れてきたようだった。
「西雲様、来訪者を連れてまいりました」
「ご苦労様です」
オレがそう言うと、守衛の人は一礼をしてから去って行った。
「お呼び立てしてしまい、申し訳ありません。どうぞ中へお入りください」
表情を消し、淡々と鍛冶さんに言うと、鍛冶さんは感情の読めない笑顔を浮かべた。
「では、入らせてもらうよ」
鍛冶さんは中を見て、少し驚いた表情をした。
「これはこれは、中々に人が多いようだ。こんなところで話をしていいのかい?」
「ええ、確認は取っております」
淡々と答えると、鍛冶さんは鬼怒川先生の方を見た。
「まさか、鬼怒川家の前当主にも出迎えていただけるとは思いませんでした」
「おや、ご存知でしたか」
さして驚きもしない様子で鬼怒川先生がそう言うと、鍛冶さんは恭しく頭を下げた。
「勿論にございます。
私に代替わりするより以前に一度、製作所には足を運んでくださってますし、貴方様ほどの身分の方を知らぬ者などおりましょうか?」
「若い者は知らぬ方が多いようですよ」
普段とは全く違う口調で鬼怒川先生は答えた。
「私の代では有名でございますよ。あの鬼怒川を取り纏めていたお方ですから。
まだ家の内情も知らぬような幼子は知らぬ者もおりましょうが、未だ衰えぬ貴方様を知らぬ者が家の名を恥じずに言えるはずもありません」
「そうですか」
淡々と返される言葉に、魔法具制作部の部員は驚いていた。普段見る事のない先生の姿を目の当たりにさせられているのだから、無理もないだろう。
だが、鍛冶さんはそんな事は気にしていない様子で、頭を下げたまま名乗り始めた。
「申し遅れました。私、鍛冶魔法具製作所で、魔法具の製作管理を担っております、鍛冶鑑那と申します」
それに対し、鬼怒川先生はなんの反応も返さなかった。
「先生」
オレがそう言うと、鬼怒川先生は咳払いをした。
「鬼怒川家の前当主にして、現相談役の鬼怒川寛治と申します」
簡潔過ぎる自己紹介に溜め息が出そうになった。
「……この度は、貴女は当校の教員である鬼怒川を訪ねに来たわけではないと把握していたつもりですが、誤りでしたか?」
オレがそう言うと、鬼怒川先生も一瞬顔を強張らせた。
鍛冶さんは頭を上げ、驚いたような顔でこっちを見た。
「あっ、いや、うちのはとこ殿に呼び出されたのは確かなんだけど……」
鍛冶さんは気まずそうにそう言った。
「ええ、存じております。
そして、挨拶が遅れました事、誠に申し訳ございません。
お会いするのは二度目ですね。覚えてくださっていたら光栄です。如月魔法学校の生徒会副会長の西雲葉月と申します」
「ああ、勿論覚えているよ。私は先程、鬼怒川前当主に名乗ったので、挨拶は割愛させてもらっても?」
「ええ、勿論です。それより、立ち話をするつもりはありませんので、どうぞ、席におかけください」
オレが奥にある椅子を示すと、鍛冶さんは軽く会釈をしてから座った。
オレは「失礼します」と言ってから、向かい合う椅子に腰かけた。
「鬼怒川は監督としてそこにいてもらっています。生徒達は覚悟と意思を確認し、ここにおります。生徒達が何かをすれば、その責は鬼怒川が負います。
なので、この場に多くの人間がいる事はご容赦願います」
淡々と言うと、鍛冶さんは一瞬口の端を引き攣らせた。
「まるで、鬼怒川家の前当主より、君の方が身分が高く聞こえるね」
「この学校内ではあまり身分にはとらわれず過ごしておりますが、権限といたしましては教員より私の方がある事は事実です」
「そう……」
立場上、鬼怒川先生よりオレの方がこの学校では上になる事は分かったようだ。だが、それはあまりに異様な光景なんだろう。
鍛冶さんは笑みを消した。
「これからする話は、この場にいる人間以外には聞かれたくありませんので、少し対策を講じてもよろしいでしょうか?」
「えっ、ああ、構わないよ」
鍛冶さんがそう答えてから、オレは指を鳴らし、この部室を取り囲むように盗聴防止と侵入阻害の結界を張った。
「結界……? 防音、かな?」
結界を張ったのは分かったようだが、どういったものを張ったのかは分からなかったようだ。
「ただ単に盗聴を防止する為のものですよ」
「そう……」
それは間違いというわけではないのは分かったようだが、探るような目は少し怖かった。
「しかし、一度会っているというのに、あまりにも冷たい態度な気がするね」
オレがどう切り出すか一瞬考えていたら、鍛冶さんがそう言ってきた。
「そうでしょうか?」
「君が学校ではそういう態度なのは分かったよ。そして、私は君から言わせれば部外者なのだろう? それも分かっている。
それでも、君が依頼したんじゃないかな? それならば、もう少し柔和な態度を取ってくれてもいいと思うんだけど?」
そう言われ、オレは出来得る限り完璧に近い営業スマイルを浮かべた。
「このような対応がお好みでしたか?」
そう言うと、鍛冶さんは若干下を向き、右手で目を覆った。
「いや、申し訳なかった。そういうのを望んだんではないんだ」
「左様にございますか」
オレは淡々とした口調で返しながら、元の表情に戻した。
鍛冶さんはオレの方をちらりと見て、胸を撫で下ろした。
そんなに見苦しかったのか? やっぱり営業スマイルはしない方がいいみたいだ。
「私が言いたかったのはそういうんじゃないんだよ。
ただ単に、私が部外者なら、話し合いの前に何かしらあるだろうし、それで肩の力を抜いてくれた方が、こちらとしても有り難いというだけだよ」
「……何か、ですか」
「ああ、どうせ契約か何かあるんだろう? この学校で知り得た情報の取り扱いとかに関するね」
鍛冶さんは笑顔を張り付けて、そう言った。
「……話が早いようで」
「お褒めの言葉と受け取っておこうかな」
「貴女がこの学校において、部外者だという事は理解していただけているとは思いませんでした」
「過去に、ここに在籍していた内海に言われただけだよ。この学校に通う生徒とその保護者、あとは教職員。それ以外は全て部外者だとね。
そして、自分の名を使っても、そう易々と、この学校の敷地内には足を踏み入れる事すら許されないのだとね。
部外者の立ち入りを許可できるのは限られているというのも聞いているよ。
今回は、はとこ殿に呼び出されていたから、敷地内にすら入れないと思っていたんだけどね。まさか、ここに案内されるとは思わなかったよ。
まあ、君が呼び出したように守衛の人には言われたよ。
しかし、守衛もまさか、衛守だとはね。守衛室にはもう一人いたが、それも護宮だったから驚いたよ」
「……ご存知なのですか?」
「ご存知も何も有名だよ。衛守も護宮も如月の番犬と言われる家の人間だからね。
そんな家の人間がここの守衛だとは思わなかったけどね」
「左様にございますか」
「堅苦しいね。前会った時はそこまでではなかったんだけどね」
「……お分かりいただいているようなので、契約内容に同意いただけるのなら、ご署名をお願いいたします」
オレはそう言って、金縁の契約書を一枚差し出した。
鍛冶さんはそれを全て読み、ペンを取った。
そして、サインしようとした瞬間に、鍛冶君が鍛冶さんの手を掴んだ。
「鑑那さん! ちゃんと読んだの?」
「読んだよ。だからサインをしようとしてるんだよ」
「読んだんなら、意味分かってサインしようとしてるの?
ここ! 『ここで知り得た機密を口外した場合、命をもって贖う事とする』って書いてあるんだよ。それなのに、なんでそんなに簡単にサインしようとしてんの?」
鍛冶君は理解できなかったんだろう。だが、鍛冶さんは聞き分けのない子供にどう言ったものかと困っているようだった。
その間、傍観しているだけの部員達はオレの事を信じられないといったような目で見ていた。
「少し落ち着いて」
「これが落ち着いてられるって思うの?
副会長だって、何でこんな滅茶苦茶な条件出してんの? 自分が依頼したくせに!」
鍛冶さんは鍛冶君を宥めるのに失敗し、鍛冶君の矛先がこっちを向いた。
すると、鍛冶さんは咎める声を出した。
「やめなさい」
その声に鍛冶君はビクリと体を跳ね、顔をくしゃりと歪めた。
「なんで……」
「これは西雲君と私の交渉だよ。他の人が口を出してはいけない」
厳しい声で言われ、鍛冶君は何か言いたそうにしたけど、俯いて黙った。
「すまないね、うちのはとこ殿が」
「いえ。それに、大体の方がそういった反応をしますので、貴女の方が珍しいかと思います」
「そう?」
「ええ」
短い返事に鍛冶さんは何かを読み取ったのか、クスッと笑った。
「何故私がそう簡単にこの契約書にサインしようとしたか、気になる?」
「……」
オレは何も答えなかった。
「これに答えなかったら、君は悪者扱いかもね」
「構いませんよ」
「君にはその覚悟があるって事なんだね。可哀想に」
そう言われてもオレは何の反応も返さなかった。
「私自身は黙っていてもいいんだけど、どうも、はとこ殿が納得してくれないようだ」
「そうですか」
淡々と返すオレに、鍛冶さんは少し困ったように眉を寄せた。
「……この契約書、作成者はここの理事長だね。つまり、如月の現当主だ。
なのに、契約対象は、この契約を交わす時に目の前にいる相手となっている。
つまり、君と私が交わす契約だ」
「……」
沈黙を返すと、鍛冶さんは確認するように言ってきた。
「沈黙は肯定と取るよ?」
「どうぞ、お好きなように」
「……では、そうさせてもらうよ」
鍛冶さんはそう言うと、話を続けた。
「まあ、長々と書いてあるけど、知り得た機密というのは具体的には何も書いていない。
それは、如月が重要と思う事に対してだけの話なんだろう。だから、君自身の機密ではないし、ここでというのは飽く迄も如月魔法学校での事だ。だから、君の秘密を知ったところで、それを口外しても何も罰せられないだろう。
そして、口外すればという事は、口外しなければいい。ただそれだけだ」
「でも、ついうっかり漏らしたりしたら……!」
鍛冶君は堪らなくそう言った。すると、鍛冶さんはじっと鍛冶君を見て黙らせた。
「命をもって贖うというのは、死ねと書かれているわけではない。
その命に価値があれば、如月に飼い殺しにされる可能性はあるだろうが、殺すと明言しているわけではない。
明確に書かれていないという事は、使い道を見定めて、その罰を決めるという事だろう」
鍛冶さんはオレをじっと見ながらそう言った。オレはそれに対し、沈黙を返した。
「……そして、ここで知り得た機密と記載されているという事は、逆に言えば機密事項を知り得るという事だ。そうでなければ、書く必要もないからね。
私の命の価値があれば、得られる情報は多いはずだ」
違うかい? といったように見てこられるが、オレは沈黙を貫いた。
だが、鬼怒川先生は焦りを見せ始めた。
「西雲……」
それを片手で制した。
「どうぞ、続きを」
「フフッ。こういった類の契約をする時は命を賭けるものほど大きなものが得られるというは内海に教えてもらっていたんだよ。
契約というのは対等でなければならない。つまり、私が命を賭けるというのなら、契約相手……今回の場合は君だね。君も命を賭ける。そういう事だろう?」
鍛冶さんがそう言うと、全員がオレに視線を向けた。
「……そこまで分かっておいでなのなら、何の問題もないかと思われます」
「そう。この契約には君も命を賭ける価値がある、そういう事なんだろう?
どちらの命が重いか……。それは分からないけど、賭けるものはこの上ない程に大きい。
互いに得られるものが多い事を祈るよ」
鍛冶さんはそう言ってペンを走らせた。
「ちょっ、鑑那さん!」
鍛冶君はそう叫んだが、鍛冶さんは既にサインし終わっていた。
「契約、成立ですね」
オレはそう言ってから契約書を回収した。
「副会長も! なんでそんな……。
命を懸ける必要なんてどこにあるんだよ!」
鍛冶君は理解できないといった様子だった。
「これは賭けなんだよ。契約という名を借りたね。だから、他者が口を出してはいけなんだ。それもあって、鬼怒川家前当主様も口出しはしていないだろう?」
鍛冶さんが鍛冶君にそう言うと、鍛冶君は鬼怒川先生に掴み掛る勢いで詰め寄った。
「先生!」
鬼怒川先生は首を横に振るだけだった。
「何で依頼をする側と受ける側がこんな契約しないといけないんだよ? おかしいだろ!」
鍛冶君はオレと鍛冶さんを見ながらそう言った。
だが、鍛冶さんは咎めるような目を向けた。
「商品の売買ですら契約なんだよ。商品と金銭との遣り取りだ。
それにさっき言っただろう? 他者が口を出してはいけない、と」
鍛冶君はぐっと言葉を詰まらせて俯いた。
「……申し訳ないね。ただ、交渉が終わるまでは少し大人しく見ておいて」
鍛冶さんは優しくそう言った。すると、鍛冶君は渋々ながら頷いた。
「すまないね」
「いえ」
「まだまだ子供なんだ。学ばなければいけない事が多いんだ」
「それはこちらもです。今回もまた多くの事を学ばせていただきます」
「……恐ろしいね」
「そうでしょうか?」
「ああ、流石、内海の後輩といったところかな」
「それはどうでしょう?」
「内海の交渉は恐ろしかったからね。自分が優位に立てるようにしていた。
対等な交渉などなかったからね」
「そうですか」
「君は、私がすんなりとサインしなかったら、どうする気だったんだい?」
その問いにオレは行動で返した。
一枚の紙を伏せたまま渡すと、鍛冶さんは首を傾げてその紙を受け取り、それを表に向けた。すると、すぐに顔色が変わった。
「君、これ……」
「すぐに書いていただけないようなら、それを示そうかと思いましたよ。
今回はすぐに書いていただけたので、それはお渡しいたします」
「……一体どこで知ったんだい?」
「それはお答えいたしかねます」
「……君は本当に内海の後輩だね」
「……お褒めの言葉として受け取っておきます」
そう答えると、鍛冶さんは紙をぐしゃりと握り潰した。
「えっ、鑑那さん。どうしたの?」
鍛冶君が心配そうに尋ねた。
鍛冶さんはハッとしたようにすぐに笑顔を作った。
「えっと、そうだね……。敢えて言うのなら、うちも全てが綺麗な家ではないという事だよ。過去の人間の行いによって汚れてしまった部分もある。その清算が終わっていないところもある。彼はそれを知っていたという事だよ」
その言葉の意味が理解できたのか、鍛冶君は目を見開いて、オレの方を向いた。
「脅したって事?」
オレはそれに対し答えずにいると、鍛冶さんが鍛冶君に対し首を横に振った。
「これは交渉だ。そういった事は当たり前のようにあるんだよ」
「でも……」
「汚い部分を持ってしまっているうちが悪いんだよ」
「そんな……」
「彼のやり方が汚いんじゃない。情報をどう扱うかは、情報を得た人間次第なんだよ。
もし、本当に汚いんなら、すでにどこかしら権力のある家にうちが脅されているし、彼はそのバックについてる事になるだろう。
知らぬ間に、間に合わない程に手を打たれるより、こうやって正面を切ってくれるだけ親切なんだよ」
「そんなの、親切なんかじゃないよ」
「大人になれば、嫌というほど経験するかもしれないよ。少しばかり、見ておくといいよ」
鍛冶君は本当は見たくなかったんだろう。
拗ねた子供のような顔をしていた。
「すまないね」
「いえ……」
本当はこんな手を使わずに済む方がいいと言ってしまいたかった。だが、今ここでそんな事を言うわけにはいかなかった。