訓練一日目の放課後
攻撃担当に課題を与えてから、オレは会長の元へ向かった。
「会長、そちらはどうですか?」
オレが尋ねると会長は困ったような顔をした。
「見ての通り、かな?」
二人とも体力も限界に近い所為か、上手く結界が張れていない。これじゃ、意味がない。
「いくら魔法を防ぐ結界って言ってもこれじゃ、物理でも簡単に壊せちゃうよ」
そう言いながら睦月野さんの結界を突くと一瞬にして壊れた。
もう体力も限界だったのか、睦月野さんはその場にへたり込んでしまった。それでもウサギのぬいぐるみは抱きしめたままだ。
「……睦月野さんはそれがあった方が魔力は安定するのかな?」
しゃがんで話し掛けると睦月野さんは肩を震わせてからウサギのぬいぐるみを強く抱きしめた。
「安定するみたいだから持たせてたんだけど、ダメだった?」
代わりに答えたのは会長だった。
「いえ……。安定するならこのままでもいいよ。……それは、そんなに大切?」
答えないかもしれないと思いながら投げかけた質問に睦月野さんは今にも消えそうな声で答えた。
「誰に、もらったかは覚えてないんです。でも、大切なんです」
覚えてないのに大切、か。
「そっか。君に必要なら持ってて大丈夫だよ。でも、走り込みの時は危ないからどこか違う場所に置いておいてもらってもいいかな?」
オレのその問いには頷くだけだった。
頷きだけましだと思って、オレは立ち上がって会長の方に振り返った。
「今日はここまでにしましょうか」
「いいの?」
オレの提案に会長は賛成ではなかったのか、オレの服の袖を引っ張りながら聞いてきた。
「いいんですよ。初日ですし、データ取る為の日のようなものですから。それに攻撃担当も火球を消せたら終わりって言ってるんで」
攻撃担当の方を指さしながら言うと会長は黙った。
「取り敢えず、全員体力強化は必須ですが、魔力に関しては個々で訓練内容考えていかないといけませんね」
「そうね。でも、防御担当の二人はこの訓練でいいんじゃない?」
「出来れば結界以外のサポートも訓練したいんですけど……」
回復や治癒系の魔法を使える人間は少ないから本当は増やしたい。でも、教えられるとしたらオレだけだ。
それを汲み取ったのか会長は困ったように眉を寄せていた。
「まあ、少しずつでいいんですよ。先輩達にはもう怒られる覚悟はしてます。仕方ないんで」
「そう、ねぇ」
会長も仕方ないかという声を出した。
「攻撃担当の方もどうにか課題終わらせれそうですね」
火球はかなり小さくなって、あと少しで消せそうになっていた。
「取り敢えず、向こうまで移動しましょう」
オレがそう言うと、三人はオレの後をついてきた。
攻撃担当のみんなの元に行くと、どうにか火球を消せたようで、みんな疲労困憊だった。
「みんなお疲れ様。今日ので大体、みんなの体力や魔力は把握したからある程度それぞれに合わせた訓練を明日からはしていきたいと思う。そこで、みんなに体力訓練として走り込みはしてもらう」
その言葉にみんなげんなりした。
「今日みたいに終わりを決めずではなく、オレが指定した分は最低周回して欲しい。だから今からカウンターを渡すよ」
腕時計型のカウンターを会長以外に渡した。
「カウンターは勝手にリセットしない事。リセットしたら永遠と走らせるからね。ノルマを走ったらオレか会長にチェックしてもらう事。その時にカウンターはリセットするから。分かってると思うけど、このカウンターは学校の備品だから壊さないように」
壊したらまた書類を書かないといけなくなる。仕事を増やされるのは勘弁だ。
「じゃあ、走る距離だけど、霜月君、師走田君、長月君は五十周ね」
「ご、五十ですか?」
師走田君が驚きの声を上げた。
「魔法を使える人間は基本使えない人間より足は速い。それに、別に放課後だけで走れとは言わない。朝でも昼でもいいし、全て合わせてでいいから。そしたら無理のない範囲ではあると思うよ」
「テメェは訓練してた時、何周走ってたんだよ」
霜月君は本当に口が悪いなぁ。
「オレは百周だよ」
「なら俺は百でいい」
「そう。五十以上走るんなら何周でもいいよ」
オレがサラッと返すと霜月君は機嫌が悪そうに舌打ちをした。
「次に水無月さんと神在さんは三十周走ってもらいたいんだけど、大丈夫かな」
「大丈夫ですわ!」
元気よく答えたのは神在さんだった。水無月さんは小さく分かったとだけ返してきた。
「佐々山君は……どうしよう三十いける? 無理だったら……」
「いける。三十周走ればいいんだろう」
数を減らすかどうか悩んでいたが、佐々山君はオレの言葉を途中で遮ってそう答えた。
「うん。じゃあ頑張って。で、あとは卯月谷君と白縫さんと睦月野さんは十周ね。流石にこれ以上減らすと訓練にならないから、頑張ってくれるかな」
オレの言葉に白縫さんは頷き、睦月野さんは頷いたのか俯いたのか分からない動きをし、卯月谷君は微動だにもしていないが嫌だというオーラを出していた。
「兎に角、明日は各自言われなくても走り込みはするように。走り込みが終わった人から明日は魔力の訓練を行うからそのつもりで。では解散」
みんなは疲れ切った顔で帰る準備を始めた。
「あっ、疲れて帰るのも危なそうだったらおうちの人呼ぶとかしてね」
オレのその言葉はみんな聞こえているのかも分からないくらい、オレに背中しか向けなかった。
大きく溜め息を吐いたところで、会長が後ろから抱き着いてきた。
「なんですか」
少し冷たい声でそう言い、容赦なく会長を引き剥がした。
「みんな、まだまだ自覚もないね」
「まあ、本当に危険な戦いも、危機的状況も経験してないから仕方ないんじゃないですか?」
「うん。それはあると思う」
分かってるなら聞いてこなければいいのに。
「私、さっき葉月ちゃんが先輩に怒られる覚悟はしてるって聞いた時、みんなの自覚もやる気もないのに私達が怒られるのはおかしいんじゃないかなって思ったの」
眉がピクリと動いた。会長は気にも留めず、そのまま話し続けた。
「私、みんながやる気があるんならまだ仕方ないって思うけど、みんな『なんで必要なんだろう』って顔してるじゃない? 私達が卒業した後の事なんてきっと誰も考えてない。私が結界張ってる事を葉月ちゃんは言ってくれたけど、私が卒業した後、その結界がどうなるかなんてきっとみんな考えてない。もし、誰かが欠けたら、誰かが死んでしまったらどうなるかなんて誰も考えていない。誰も分かってない。
……教えたり、指導するのは私達の仕事かもしれないけど、あんなにやる気のない人達に教えるのは私は嫌。だからて言って、葉月ちゃんにばっかり任せて葉月ちゃんの負担が増えるのはもっと嫌」
オレは頭の後ろをがりがりと掻いた。
「……人が死ぬ事は経験しないと分からない。経験しなくていいならそれに越した事はない。でも、経験した事があるオレ達だからこそ分かっている事も沢山ある。自覚ややる気は確かに各自で持ってもらわないといけませんが、その必要性を分からせるのも本来オレらの仕事じゃないですか? 先輩達はそうだったでしょう?」
「それはそうだけど……」
会長は納得しなかった。
「それより生徒会室に行ったらどうせまた書類が増えてるんです。そっちの仕事をしましょう」
「……そうね。やらないといけない仕事は多いものね」
オレと会長は生徒会室に戻りその日も仕事に明け暮れた。
今日からはしばらく他のメンバーはデスクワークをしないだろう。その分オレ達の仕事は増える。
仕方ないと言い聞かせ、オレ達は暗くなるまで仕事を続けた。
「葉月ちゃん、私の方はある程度片が付いたけど葉月ちゃんはどう?」
「ああ、オレの方も仕事は片付いてます。今は全員の能力をデータ化していただけなので帰れます。また明日確認してもらえますか? 今のままではオレだけの主観なので」
「もちろんよ。じゃあ、今日は帰りましょうか」
「ええ。家までは送りますよ。もう暗いですし」
「ありがとう」
こうして二人で帰るのは久しぶりだ。
「久しぶりね。こうして二人で帰るの」
どうやら会長も同じ事を思っていたらしい。
「そうですね。昔は仕事が終わらないって嘆きながらでしたけど」
「そうね。あの時は大変だったね」
今ではお互い笑い話だが、当時は本当にしんどくて二人して嘆いていた。きっと今のメンバーは思いもしないだろう。
「二人しかメンバーいなくなってからも、色々あったよね」
「ええ。会長はもう仕事嫌だって言って泣き出したり」
「それを言ったら、葉月ちゃんだって終わらないって言って泣きながら仕事してたじゃない」
お互いがそれぞれ言い合うが、結局お互い様だ。
「まあ、私は葉月ちゃんが一緒だから頑張れたのかなって思う」
「……それは、どうも」
頬が少し熱くなるのを感じた。暗いからきっと見えてはいないだろうが、見られたらきっと顔が真っ赤になるんだろう。
「私、今年で卒業するの、少し寂しいなぁ」
「そう、ですか。……でも、いつまでも居座られても困りますよ」
嫌味を言うと会長はくすっと笑った。
「葉月ちゃんはきっとこれから先もそんな感じなんだろうね」
「そんな感じって何ですか」
ムスッとして言うと会長は笑って答えなかった。
そんなやり取りをしていたら会長の家の前にいつの間にか着いていた。
会長の家はこの上ない程大きなお屋敷だ。オレの家の近くにお屋敷があるのは小さい頃から知っていたが、初めて会長を家まで送った時に会長の家である事を知って驚いたのは未だに覚えている。
「じゃあ、また明日ね。おやすみなさい」
「ええ、また明日」
手を振る会長につられ、オレは手を振り返した。
会長が家の中に入るまで見届け、オレも自分の家へと帰っていった。
家に帰るとオレは少し母さんに怒られた。
これから帰りが遅くなるであろう事は昨日のうちに伝えていたが、こんなに遅くなるとは思わなかったらしい。
近々、母さんのご機嫌取りもしないと大変な事になりそうだ。
そう心の中で思いながら母さんからの文句を延々と聞き続ける夜となってしまった。