来訪者が去った後
静まり返った生徒会室で最初に口を開いたのはオレだった。
「……オレ、鴉なんて呼ばれてたんですか?」
それに返したのは会長だった。
「私もそれは初耳よ。鴉だけ聞いたら、内海先生の事だと思ったわ。でも、黒って言うと、内海先生じゃなく、葉月ちゃんっぽいもんね」
確かに、内海先生はミルクティーベージュのように明るい髪色だ。オレの真っ黒な暗い髪色とは正反対だ。
「偶にこの学校に訪ねてきた方々が冗談めかして、騎士だの番犬だの言ってくるのはありましたが、鴉って……」
オレが知る鴉は鳥以外なら、隠密として働く一部の人間の呼称しかない。それなら、内海先生の方が呼ばれる理由は分かる。
「まあ、お前もこそこそ嗅ぎまわってるのがバレ始めてるんだろ。どこが情報漏らしてるのか知らんがな」
さっきまで壁際で気配を殺していた内海先生がやっと口を開いた。
「なんで日向さんがその情報を持ってるんでしょうね」
「今の日向の当主は夏の家の中でも一番食えない奴って言われてるし、どこかしらで情報を掴んでてもおかしくない。なんせ、狐と呼ばれてる男だからな。
しかし、俺としてはお前があれ程、人間を嫌っている方が珍しくて驚いたがな」
他の人も同じように思ったようだ。
「オレも他の人に対してはああいうのは滅多にないんですけど……。
なんと言うか、本能的というか、生理的に無理なんですよ。最初に一目会った時から、あんまり近付かない方が良さそうだって、直感的に思ったんですよ」
今でもなんでそう思ったのか分からない。でも、なるべく関わりたくないのは今も変わらない。
「まあ、それはある意味正解だな」
「どういう事ですか?」
内海先生の言う意味がよく分からない。
「お前はできる限り近付かない方がいいって話だ」
「はあ」
あんまり詳しく突っ込まない方が良さそうだ。
「それはさておき、如月。お前の希望が通ったらどうする気だ?」
それは会長が日向さんに言った『望むもの』を本当に用意してきた時の話だろう。
「お前自身が動かせる人間は限られるし、下手な奴を連れると面倒だ。だから、俺は手を貸せないぞ」
はっきりと告げられる言葉に会長は溜め息を吐き、オレの方を向いた。
「葉月ちゃん、申し訳ないけど、その時は手伝ってもらいたいの」
「構いませんけど、一体何をすればよろしいのでしょうか?」
「お前、内容が分かってないのに引き受けるなよ」
何の躊躇いもないオレに、内海先生は呆れていた。
「葉月ちゃんは私のエスコートをしてくれればそれでいいの。ただ、その場にはさっきの人もいる可能性は高いの。なるべく関わらせないようにはするけど、万が一に何かしてこようとしてきたら、すぐに私に助けを求めてくれたらいいから」
「分かりました」
どこへエスコートするのかも分からないが、それでも適任が他にいないんだろう。それを分かっていて、断る選択肢はオレにはない。
それが分かってか、内海先生は溜め息を深く吐くだけで、何も言ってこなかった。
「ねぇ、西雲君。実際、日向家の当主とどういう関りがあって顔見知りだったの?」
さっきまで口を開く事さえできなかった水無月さんがそう尋ねてきた。
「えっと、日向さんが来る前にちらっと話したけど、小学四年の時にあった裁判で、向こうが最後に参入して来ようとしたんだ。
ただ、それが罷り通る程は甘くない。それもあって断ったんだ。
そしたら、こっちが国に勝訴した時に、こっちについていた弁護士と同じ事務所に所属していた弁護士を通して、他にも国により不利益を被った人がいると訴えて、こっちだけの勝訴で終わるはずが、国が仕方がないって言って、不当な財産の没収があったとみなされる者には返還もしくは、それと同等の金額の支払いを行うって結論を出したんだ。
だから、こっちのと向こうのと結果的に合わさって、申請をすれば財産の返還がなされるような感じになったんだ。
つまり、日向さんはこっちの判決が出た時に追加要望を出したようなもの。国はずさんでそれも認めたって事。だから、直接的な遣り取りはほぼしてないけど、申請だのなんだのがタイミングが重なる所為で何度か顔は合わせたんだ。
まあ、向こうは会う度に話し掛けてきたけど、今日みたいなあしらい方をし続けてたんだ。あんまりよくないのかもしれないけど……」
今考えると、良いところの人間にああいう口を利き方をしてよく無事でいられたものだ。
「それは……まあ、ある意味大丈夫よ」
「何で?」
「ちょっと、色々と有名な人なのよ。だから、知らない方がいいわ」
「はあ……」
意味が分からない。
「そんな顔されても困るわ。と言うか、あの人が入ってくる前に他が押し負けたって言ってたけど、国がって事?」
「国もだけど、強制的に訴えをぶっこんできたからね。弁護側も押し負けた所為でさせられたみたいでね。完全に判決が決まった後に、弁護士の人に泣きつかれたよ」
どうも脅されたのか、断り切れなかったと言っていた。
そこから、色々話しを聞いたりした結果、弁護士の人達からも名刺を貰った。
何故か裁判が終わった後に、裁判官間の人達からも貰ったけど……。
「なんと言うか、可哀想ね」
「まあね。オレはなるべく関わらないようにしてたのと、忙しすぎて構う暇もなかったから、冷たくあしらっていたけどね」
「それが正解よ」
水無月さんの言葉に同意するように、会長と内海先生も頷いていた。
「まあ、日向の家の事はもういいだろう。
で、お前らはどうだったんだ?」
内海先生が全員に対して質問を投げかけたが、何の話か分からず、みんなが首を傾げた。
「お前ら、調理実習しに行ったんだろうが。まさかと思うが、米山先生に迷惑掛けてないだろうな?」
日向さんが来た事ですっかり忘れていた。
しかし、何の問題もなかったと言うと嘘になりそうで即答できなかった。
「まさか、何かやらかしたのか?」
内海先生は訝し気な目を向けてきた。
「少しばかり、会長が……」
そう言いながら会長に視線を向けると、顔を逸らされた。
「あ~……。まあ、如月だからな。で、具体的には?」
「指を包丁で深く切ったり、料理は食べられなくはないですが、美味しいとは言い難いものを生成しました」
「まあ、予想の範疇だな。で、怪我は?」
「オレがその場で治癒魔法で治しました」
「そうか」
会長は気まずそうに身を縮めていたが、オレはお構いなしに報告した。
「それ以外のメンバーは問題は起こさなかったか?」
「まあ、ほとんどが初心者だったので、多少の苦戦は強いられましたが、大きな問題はそこまでなかったかと思います」
「そうか。米山先生は?」
「途中トラウマの所為か、少しばかり精神的に不安定になった様子は見受けられました」
「あー。それは、こいつらの所為だからな」
内海先生はそう言いながら、親指で山崎先輩と道端先輩を指差した。
「そのようですね」
「まあ、山崎と道端は俎板を粉砕してから強制的に見学になったがな」
「普通、俎板は粉砕しないと思うんですけどね」
「まあな。そうは言っても、波多も真っ二つにしやがったからな。あとで、俺のとこに請求が来たよ。生徒会メンバーによる学校の備品の破損って言ってな」
「……顧問の先生が負担するものではない気がするんですけど?」
「普段、指導もせずに放任し続けた代償だと言われたよ。
まあ、調理実習室自体を焦がしやがった瀬野には自分で払えっつったけどな」
「……先輩方は何したんですか? 調理実習じゃなく、調理実習室で戦闘でも行ったんですか?」
「本当に俺も疑ったよ。まあ、小浜も珍しく激怒してたがな」
「想像がつかないです」
「あいつ、怒っても基本笑みを崩さないからな。その時もだったが、鬼を背負ってたよ」
つまり先生は見たって事か……。
「今のメンバーはそんな問題を起こすような人はいませんよ」
「ならいいがな。ただ、文明の利器を使った事がない人間が多いだろ?
少しでも触れてたら、将来何かあった時に多少なりとも役に立つだろう」
どうやら先生にも考えがあって、オレ達に調理実習をさせたみたいだ。
「確かに炊飯器を使った事がない人が多かったようです」
「だろうな。電子レンジもなさそうだな」
「……マジ?」
疑いたくなってみんなの方を見ると、気まずげに視線を逸らされた。
「まあ、米が炊ければどうにかなるよ」
内海先生が最低ラインを提示するかのように言うと、それさえも危うい人達は顔を背けていた。
「……一度触れてるだけでも、全く知らないよりかはマシだろう。
使い方が分からんって言って叩こうとする輩よりは断然マシだ」
誰の事を言っているのか分かる言葉に苦笑しかできなかった。
「あとは裁縫の課題か? まあ、このメンバーなら余程の酷いものはないと思いたいが……男どもが少し問題か?」
「オレは問題なくできるとは思いますけど……」
モチーフはまだ決めてないから、それが問題ではあるけど。
「お前の事は最初から言ってない。調理実習にしてもだが、お前はなんの問題もないだろう」
「まあ、特段問題はないと思いますけど……」
「だろ? なんせ、あの母親のもと育ってるんだ。最低限の家事スキルくらいはあるだろう?」
「はあ、まあ、取り敢えず?」
最低限がどんなもんか分からない。
「何が取り敢えずよ」
水無月さんの不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「えっと……」
オレ、何かしたか?
そんな事を思っていたら、不機嫌そうな目を向けられた。
「卵を片手で割れるのが最低限なら、私達はどうなるのよ」
「あ~、でも、オレは普段から家でやってるし……」
そう言うと、長月君もあまり面白くないといった声を出した。
「フライパンもフライ返しを使わずに、振るだけで中身を返してしまえる人は最低限の家事スキルどころではないでしょうし、取り敢えずのレベルでもないかと思われます」
「そう、かな? うちではみんな卵は片手で割るし、フライパンもフライ返し使わずに中身を返すから、普通……と言うか、慣れてる人並にはできると思うけど……」
プロ級では決してないが、下手というわけでもないだろう。
それでも、あまり納得していないような目を向けられている。
「まあ、西雲の場合、親のスキルが高すぎるからな」
「……内海先生は西雲君のご両親の事はご存知なのですか?」
水無月さんが未だに顔は不機嫌のまま、声は普段通りに戻して尋ねた。
「ああ。そりゃな」
入学して十年目だ。知らないわけはないだろう。
「西雲君は自身よりご両親の方がスキルが高いように思っているようですけど、それについては先生はどう思われますか?」
「どうもこうも、その通りだろう。西雲の親は魔法こそ使えないが、色々と出来はいいぞ。
よくもまあ、あんな人間がいたもんだと思うくらいにな」
内海先生が若干嫌そうに言うと、水無月さんを筆頭に、オレと会長以外が目を丸くした。
「……実際お会いした事がおありなのですか?」
水無月さんは自分が会った事がないから判断がつかなかったんだろう。
先生は一瞬思案したふりをした。
「ノーコメント」
「は?」
「だから、言わんって言ってるだろう? 敢えて言うなら、俺は会いたくない」
「人の親に対してそんな風に言わないでくださいよ」
たぶん、母さんがしつこく電話してる所為もあるんだろうけど……。
「俺はお前の親に会うんなら、他家の当主に御目通りした方がマシだ」
「そんなに嫌ですか?」
「ああ」
そんなにきっぱり言うとは……。
「えっと、話で聞くくらいしかした事がないので判断がつき難いのですが、そんなに厄介な方々なのですか?」
水無月さんの質問もどうかと思うが、内海先生は深い溜め息を吐いた。
「敵に回ると厄介だな。かと言って、味方にはできないだろう」
「何故ですか?」
「あの人達は飽く迄も自分達だけだからな」
「どういう意味ですか?」
「身内には甘いが、他には厳しいんだよ。そんな二人が身内認定した人間は限られるが、最も愛されているのは二人の子である西雲だからな。何かあった時が一番怖いよ」
静かな声に水を打ったようになった。
だが、それは一瞬で内海先生は態とらしく笑った。
「まあ、西雲が自分の意志でこの学校に通ってる限りは余計な手出しもなければ、敵意を向けられる事もない。卒業してしまえば何の関係もなくなる。
だから、俺は無事に卒業してくれる事だけを願ってるよ」
「まあ、オレも無事に卒業したいですけど……」
「本気でそう思っているんなら、なるべく前線に立つべきではないんだろな。
周りを動かす力を身に付けろ」
それは茶化した言い方ではなく、真剣そのものだった。
「それは……」
分かっていると言った方がいいんだろう。でも、色々と考えるとそれ以上言えなかった。
みんなが少し落ち込んだように俯いたのも見えたが、先生の深い溜め息で掻き消された。
「西雲。使えないと判断した場合は切る事も覚えろ。そう過去に話した事があるのは覚えてるか?」
「ええ、まあ……」
気まずくて目を逸らした。
「お前は一生かかってもできないんだろうな」
呆れた様な声だった。
「オレは……」
「お前はそのくらい甘いのがちょうどいいのかもしれないが、死ぬぞ?」
オレはその言葉に俯いた。
「切り捨てず、使い道を考えるのも構わないが、時間は有限だ。効率を考えるなら、もう少し違う方法を取った方がいい」
先生の言葉が重くて、何も言い返せなかった。
そんなオレを見て、先生は大きな溜め息を吐き、オレの頭を少し強めに叩いた。
「そういう悩みを抱えずに済みたきゃ、さっさとここを去ればよかったものを……。
本当に馬鹿だな。
だが、それを頼っている人間はもっと馬鹿なんだろうな。
ここにいる限り、全員がそれに当てはまっちまう。仕方がないから、ここにいる限りは面倒見てやるが、その代わり死ぬなよ?」
オレは少し驚きながら、顔を上げた。
先生は無表情ではあったが、本心である事がよく分かった。
「死ぬ気は、ないです」
「それでいい」
先生は不敵に笑った。そして、オレから目線を会長に移した。
二人が数度瞬きをしたのは見えたが、どういう意味があるのか分からなかった。
じっと見過ぎてしまったようで、先生にぽかりと頭を叩かれた。
「意味を分かろうとするな。もし分かっても、じっと見過ぎるな」
「……すみません」
謝ると、先生は溜め息を吐いてから、オレに完全に背を向け、会長に話し掛けた。
「如月、今日の事は報告しておけよ? 日向の事は放って置くと面倒になるぞ?」
「分かってますよ。今、席を外しても?」
会長が少し嫌そうに尋ねると、先生は静かに頷いた。
「では、少し報告に行ってきます」
会長はそう言うと、何も持たずに生徒会室から出て行った。




