生物部と魔生物研究部 1
一瞬の静寂の間にドアをノックする音が聞こえた。
ドアの方を見ると、会長が立っていた。
「どうされたんですか?」
ドアの近くにいた部員が驚きながらそう尋ねた。
「少し、ね」
少しだけ困ったような笑みを浮かべる会長は、きっとオレを呼びに来たんだろう。
オレが椅子から立ち、会長の方に歩みを寄せると、にっこりと微笑まれた。
「ごめんね。忙しいのに」
「いえ、ある程度は話し終わっていたので大丈夫です」
「そう。なら、戻って来てもらっても大丈夫かしら?」
「大丈夫ですが、何かありましたか?」
急ぎの用だろうか?
「ええ。その、夏季休暇中の登校禁止期間の事で、生物部と魔生物研究部から相談が来たの」
「はあ」
まあ、ある程度予測はしてたけど……。
「生物部の方は部員が、部で管理している生き物を家に持ち帰る予定をしていたんだけど、ケージが壊れてしまった物もあって、今からの発注じゃ間に合わないから、ペットショップで緊急に購入させて欲しいって」
「それは仕方ないですからね。ただ、稟議書はあげてもらわないと困ります」
「うん。だから、稟議書は今書いてもらっているの」
「なら、そっちは大丈夫そうですか?」
「まだあってね」
「はあ」
「子供が生まれそうなのがいて、時期が夏季休暇と被るみたいで、本当は動かしたくないみたいなの」
「ああ~、えっと……」
「それで顧問の先生を呼んで話し合いしましょうって事になったの」
「……分かりました」
「で、魔生物研究部の方はね、前々からは言いはしてたんだけど、やっぱり檻の強化が間に合わないからどうしようって言ってきて……」
「オレ、年単位で稟議書あげろって言いましたよね?」
「うん。だから、向こうも自分達に非があるのは分かってるみたいだけど、どうしようって相談しに来てて……」
再三言い続けてきて、それでもなお無視し続けてきたのは向こうだと言うのに、本気で困った時は泣きついてくるなんて嘆かわしい。
「……今回はオレが魔法で強化するんで、即行で稟議書あげてください。そしたらなるべく早く着工してもらいましょう」
「その辺りの予定計画もあるから、一度生徒会室に戻って来てもらってもいい?」
「分かりました。ああ、でも、いっその事こっちで作業終わらせてからの方が早いでしょうか?」
「そうね……。じゃあ、私は先戻ってるね」
「ええ、なるべくすぐに戻ります」
そう言って階段のところまで会長を見送ろうと、二人で部室を出た。
オレは一度振り返り、「お忙しい中、お邪魔してすみませんでした」とだけ言って、頭を下げた。
少し先を歩いていた会長はすでに階段に差し掛かっていた。
会長が階段の手摺に手を置いた瞬間、手摺を固定していた金具が外れたのが見えた。
オレは慌てて、会長をオレの方に引き寄せ、抱きしめた。
「は、葉月ちゃん⁉」
会長は手摺が壊れた事には気付いていないらしい。
オレはバクバクと鳴る心臓の音と背中を伝う汗が異常な程に気になりながら、掠れた声を出した。
「手摺……」
それしか言えなかったが、会長が首を回らせ、手摺が壊れている事に気付いた。
「あっ、手摺壊れてたんだね。気付かなかった。えっと、ありがとう。もう大丈夫だよ」
会長のそんな声が遠くに聞こえた。
自分の心臓の音がやけに五月蠅くて、周りの声なんか聞こえなかった。
ただ、伸ばした手がちゃんと届いて、その人の温もりがオレに伝わって、それだけが安心材料になった。
「葉月ちゃん?」
そう呼ばれて、オレはゆっくり大きく息を吐いた。
そして、やっと周囲が騒めていて、オレが会長を抱きしめたままだった事に気付いた。
気まずさを表に出さないようにしながら、そっと会長を放すと、会長はオレから一歩だけ離れた。
「何があったんだ?」
驚いた顔の鬼怒川先生がそう尋ね、その後ろには鍛冶君が首だけ出してこっちを見ていた。他の部員も驚いたようにこっちを見ていた。
何となく気まずくて、オレは鬼怒川先生の質問には答えず、会長に話し掛けた。
「行き成り引っ張ってしまいましたが、お怪我は?」
「ないよ。ビックリしちゃったね、行き成り手摺が壊れるなんて……」
会長はそう言って手摺を見た。
それを聞いた鬼怒川先生は階段の側まで来て、手摺を見た。
「ああ、金具が外れたのか……」
それを聞いた鍛冶君が「あ~……」と、何か心当たりがあるような声を出した。
「何か心当たりでも?」
オレがそう聞くと、鍛冶君は「俺が壊したんじゃないっス!」と、慌てたように返してきた。
「別に壊したとは思っていないよ」
目の前で金具が外れたのだから、壊したとしたら会長になるだろうに……。
鍛冶君は犯人にされる事はないと分かったから、少し安心したようだった。
「えっと……。偶に手摺に体重かけて、滑るように下りている奴らがいるんっスよ。後ろ姿とかしか見ていないから、誰って分からないですけど……」
それは他の生徒も知っていたようで、自分も見た事があるといったような声が聞こえてきた。
「……階段の手摺の使用方法でも書いて貼っておかないといけないのでしょうかね?」
苛立ちを感じながら言うと、会長以外に目を逸らされた。
「多分、ここの生徒はそんなの書いても見てくれないよ?」
「……そうですね」
何度となくあった事だ。会長もそれを知っているからこその言葉だろう。
「ところで、このままだと危ないですね。使用禁止の張り紙でもしておきましょうか?」
「そうね」
オレの提案に会長が頷いたところで、鬼怒川先生がいつの間にか書いた張り紙を見せられた。そこには『壊れている為、使用禁止』と達筆で書かれていた。
「これでいいか?」
「ありがとうございます。ただ、上だけでなく、下の方にも貼っておいた方がいいでしょうね」
「そうだな」
「それに他の階も心配なので、確認して、用事が終わったら、オレは生徒会室に向かいます」
「いや、俺が点検して、その結果を後で生徒会室に報告に行ってやるよ。待たされてる奴らが可哀想だ」
鬼怒川先生がそう申し出てくれた。
確かに人を待たせ続けるのはよくない。
「では、お願いします」
「ああ」
鬼怒川先生の短い返事を聞いてから、オレは階段を一段下り、会長に手を差し伸べた。
会長は微笑みながらオレの手を取った。
その様子に鬼怒川先生は顔を引き攣らせた。
「お前は……」
「何かありましたか?」
「それをする必要はないだろう……」
「それ? 手を貸す事ですか? 手摺が壊れて危ないですから、当然では?」
何の問題があるのか分からず、首を傾げると、会長はクスクスと笑った。
「いいから早く行こう?」
「はい。下までは送りますが、オレは魔生物研究部に先に行きますので、生徒会室まではお一人で戻ってくださいね」
「うん。分かってる」
会長がそう答えてから、オレは階段を下り始めた。
魔生物研究部に着くと、部長と顧問が見当たらなかった。
「ふ、副会長、あの……」
気まずげに話し掛けてきた部員が、部長と顧問は生徒会室にいるはずだと伝えてきた。
「構いません。魔生物保管用の檻を魔法で強化しに来ただけです。今回はこの方法を取りますが、夏季休暇中に業者に来てもらって、強化した檻を正式に導入してもらう事になります」
「はい……」
部員全員が気まずげに下を向き、覇気のない返事をした。
それを横目にオレは指を鳴らした。
部員達はビクリと肩を震わせ、オレの方を見た。
「強化は終わりましたので、オレは生徒会室に戻ります」
「えっ、もう終わったんですか?」
ざわつく部員達に溜め息を零してしまった。
部員達はその溜め息で騒めきをピタリと止めた。
「早く終わらせられるものだったので、これ以上時間を掛ける必要性はないかと思われます。それとも、時間を掛けて欲しかったのですか?」
「い、いえ……」
部員達は気まずげに顔を背けた。
「では、失礼いたします」
オレはそう言うと、早々に部室を出た。そして、生徒会室へと急いだ。




