旧友への電話 3
『はー君は、なんで戦うの?』
その質問に心臓が掴まれた気がした。
「なんでって、守りたいものがあるからだよ」
それは嘘じゃない。
『うん。でも、もし、はー君が普通の人のように、その学校に通っていない一般の人のように過ごしてたら、戦わなくて済むよね?』
「それは、そうかもしれないけど……」
『戦ってるのは、はー君みたいに戦場に立つ人間だろうけど、実際、その戦いをさせてるのは誰?』
その質問には誰も答えられなかった。
『お偉いさん達が勝手に戦いたいなら戦えばいいかもしれないけど、それに巻き込まれるのは誰? 戦わなくていいはずの人間を巻き込んだのは誰?
実際に戦ってるのは俺じゃない。でも見知った人間に何かあっただけでも心配するのに、戦わないといけない状態にさせられているのだって、腹が立つんだ。それと何ら変わらないと思うよ?』
「それは……」
『それに俺は、はー君の家族を除いて、都会に住んでる人間は嫌いだよ』
「えっ?」
『政府の人間も反政府の人間も嫌い、軍人も、自分だけが恵まれているところに生きて貧困を見ようとしない人間も嫌いなんだよ』
軍人と言われた時に、山崎先輩も道端先輩もどこか傷付いた顔をした。
『はー君が一番酷い怪我した時あったでしょ? あの時の事は、俺は戦争だと思ってる。
国民の為の戦いだと言って、食料を巻き上げていった政府は嫌い。
只々土地を、畑を踏み荒らして、全ての駄目にしていった反政府が嫌い。
国民を守る為の存在と言われながら、何もしてくれないどころか、俺らから巻き上げた食料で生き延び続けた軍人が嫌い。
こっちはそうやって何もかも取り上げられて、奪われて、食べる物もなくなって、ひもじい思いもしたのに、何の影響もなかったかのように普通に食事を取って、それさえも要らないと言って捨てるような事をするような都会の人は嫌い。
俺らは一番酷かった時は一ヶ月以上学校にも行けなくて、学校に行けても給食は配給された物を大勢で分けるから、満足に食べられやしなかった。それでも食べられるだけありがたかった。
なのに、帰り道にあるレストランやファストフード店では当たり前のように食べ物が捨てられていった。そんなのおかしいでしょ?
俺らから奪ったくせに、食べもしないで捨てるんだよ? そんな人達、好きになれるはずないよ……』
オレは知っている事実。でも、みんなは知らない、もしくは知っていても見て見ぬふりしてきた事実。
それぞれ傷付いたような顔をするが、被害者はオレ達じゃない。場合によっては加害者になる。
オレは黙っているしかできない卑怯者だ。
『あの時は、はー君もおばさんも、おじさんも色々してくれたから、誰も死なずに済んだし、今がある。だから、はー君のお願いは聞いてあげたい。でも、今回ばかりは無理だよ』
「オレは……何もできてないよ」
『そんな事ないよ。色々してくれた。はー君だってまだ休んでた方がいいっていう時だっただろうに、態々おばさんと一緒に来て、様子を見に来てくれた。
それに必要になるものを揃えようと動いてくれたじゃん。国に対して申請するやつとか。
みんなどうしたらいいか分からなくなってた時に動いてくれたんだ。凄くありがたかったよ』
「でも、結局、申請は通らなかったし、被害に対しての補償も僅かしか下りなかった」
『そうかもしれないけど、それ以前に、はー君は戦いが酷くなる前に俺らに守る術をくれた。あれがなかったら、きっともっと、酷い事になってたから』
「だとしても、大した事は出来てないよ……」
未熟すぎる自分にできる事は少なくて嫌になった。
『大した事だよ。人の命を守ったんだから』
「守れる範囲は少ないよ」
『はー君は十分凄いよ』
「凄くなんかないよ」
こんな程度で凄いなんて言われたくない。
『はー君が俺らに渡してくれたアレ、今も集会所にあるんだよ? 何かあった時の為にって置いてある。たぶん、アレがなかったら、誰かしらが死んでたと思う。もしかしたら全員が死んでたかもしれない』
喉の奥に何か詰まったような感じがして言葉が出なかった。
そんな中、山崎先輩が口を挟んできた。
「西雲は何を渡したんだ?」
オレは答えられなかった。代わりにけん君が答えた。
『なんて言ったっけ? 結界装置? 人が入ってこれないようにするのと、物理攻撃を防ぐのと、魔法の攻撃を防ぐの。その三つ。誰かが触れたら発動するようになってるやつ』
「三つ別々になってるのか?」
『はー君は、一つで複数効果のあるのが作れなくてごめんって謝ってきてたけど、十分だったよ。あの時は一週間くらい、集会所にみんなで数少ない食料と水だけ持ち寄って、できるだけ身を寄せ合って過ごしたよ。
どこからか響き続ける爆音や銃撃のような音、その所為で揺れる地面、夜なのに昼間みたいに強い光を放つ爆弾、どこかが焼けているような臭い。
みんな耳を塞いで、抱きしめ合いながら、必死に息を殺して、いつ終わるか分からない戦いに只管耐えたんだ。未だに覚えてるし、夢に見る事だってある。
一日でも早く終われって思ってた。実際に終わって、外に出たら、そこに広がってたのは地獄だった。踏み荒らされた畑、焼け崩れた民家、泥や血で汚れた小川。全部自分の知らない、自分が住んでいたはずの場所だった。
誰も彼もが言葉を失った。でも、生きてたんだ。こんな悲惨な状態になっても、誰一人死なずに生きてた。それは確かに、はー君のおかげだよ』
「でも、その後、頑張ったのは、そこに住むみんなだ」
オレ自身ができた事なんてほとんどない。
『それこそ、おじさんとおばさんのおかげだよ』
電話の奥で苦笑するのが聞こえた。
「父さんと母さんのおかげ?」
オレは両親が何をしたのかをちゃんとは知らない。
『そうだよ。全員がもうどうしていいのか分からないくらいに気力も奪われてて、ばーちゃんも自分の育ててたレモンとかの木が数本は残っていたけど諦めていて、俺らの命を助けてくれたはー君が入院してるのを聞いて、自分が育ててきた物もほっぽって神社に縋るような事してた。
そんな時に、はー君と来るより前におばさんは来てくれたんだ。
たぶん、はー君が退院したっていうのを伝えに来てくれたんだと思う。でも、俺らの住むところの現状を見て、一旦戻るって言って帰ったと思ったら、すぐに食べ物とかを持ってきてくれたんだ。
みんな有り難がったよ。でも、ばーちゃんは頑なに受け取ろうとしなかった。
人から貰って、あげた方が十分食べられなくなったら、それは今の国がしてる事と何ら変わりないって。だから、受け取らなかった。
おばさんは少し悲しそうな顔して、それでも仕方ないといったようにその時は諦めてた。
ばーちゃん、頑固だからなぁって。でも、おばさんは本当は諦めてなかった。
たぶん、はー君は学校だったんだろうね。その間にまたすぐに来て、普段だと捨てちゃうような野菜の皮とか、普段食べない葉っぱの部分とかを料理した物を持ってきたのと、あとは俺らがそれまでに育ててからあげた物を保存のきくように作ったのを持ってきたんだ。
ばーちゃんはそれも受け取らないようにしようとしてた。でも、おばさんの方が頑固だったんだ。『これは今まで貴女達から貰ってきた物だもの。今、貴女達は食べ物がなくて困ってる。それなのに、貰った側ばかりが得をしていたら、私は貴女の嫌う今の国と同じ事になってしまう。貴女は私にそんな事をさせようとするの?』って言ったんだ。
そんな事言われたらばーちゃんだって断れないよ。
でも、ばーちゃんは『こんなに貰っても、もう返せる物がないんだよ』って悲しそうだった。そしたら、おばさんは『じゃあ、これから沢山色んな物を作って、余るくらいになったら私に分けて? 私、早苗おばあちゃんの作るレモンが大好きなの。だから、沢山作ってお裾分けして?』って。
作る気力もなくしてたばーちゃんにそう言ったんだ。
ばーちゃんは『そしたら、頑張らないとねぇ』って言って、泣きながら笑ってた。きっとそれがなかったら、ばーちゃんは作るのをやめてたと思う。
本当にここ二、三年くらいだよ、沢山採れるようになったの。残ってたレモンの木もあったけど、やっぱりなかなかね。
それでも、ばーちゃんは採れるたんびに嬉しそうだった。
そんな矢先に佐々山を名乗る人が来たからね。そりゃ、ばーちゃんも怒るよ。やっと立て直してきたのに、また奪う気かって』
「そうだったんだね」
オレはそれしか言えなかったし、他の人は何も言えなかった。
『そうだよ~。おばさんも暫くの間は最低でも月一回、多い時は週に何回か来てくれて、食べ物をくれて、余裕ができたら保存のきく食べ物の作り方とか、色々教えてくれたし、来るたんびに、要らなくなったって言って服とか毛布とかを帰る直前に渡してきて、貰えないって言って返す前にさっさと車に乗って帰るような事もしてたけどね。次来た時に返そうとしても『もう私のものじゃないもん』って言って受け取らなくってね。本当に頑固だよねぇ。そういう頑固なとことかは、はー君もそっくりだよね』
「……それって褒めてるの? 貶してるの?」
『貶してなんかないよ。その頑固さで救われたんだから』
「そう……」
何となく気恥しくなった。
『まあ、おじさんも凄かったけどね』
「父さんは何をしたの?」
『おじさんは俺らの生活を今までの通りに戻そうとしてくれた、かな?』
「具体的には?」
『う~ん。はー君、おじさんの会社自体知らないでしょ?』
その言葉に会長以外が驚いていた。
「……だって、聞いても教えてくれないんだよ」
『みたいだね。だから、はー君には秘密なんだって』
「何それ……」
『不貞腐れないで。おじさんの考えも分からなくはないから』
「どういう事?」
『はー君はやっぱりおじさんの子だって事』
「意味が分からない」
『そこは誰に似たんだろうねぇ。だからこそ、おじさんもおばさんもはー君の事が大好きで、大切なんだろうねぇ』
「意味が分からないのと、馬鹿にされているように聞こえる」
『馬鹿になんかしてないよ。ただ、おじさんは凄い人だし、はー君も凄いってだけ。
おじさんは、おばさんとはー君が悲しむのを嫌ってるからねぇ。もしそうじゃなきゃ、助けてくれなかったかも……」
最後の方が少し暗くなってしまった言葉を否定したかった。でも、できなかった。
父さんはきっとオレなんかよりずっと忙しい。色んな事をしているみたいだし、人との関りをなくさない為にも、常に動き続けている。
そうなると、優先順位が下がったものにまでは手が回らなくなる。そうなれば、誰が助ける事なんてできるだろう……。
『まあ、おじさんがしてくれたっていうか、働きかけてくれた事と言えば、仮設住宅を建ててくれるようにしたり、生産者として働けるように作物の苗や種を支給してくれたりかな。
色んな会社に支援事業っていうのか、ボランティア活動っていうのか、そういうのを呼び掛けてくれたみたい。偶に様子も見に来て、ついでに手伝ってくれてたよ。
まあ、スーツのままで畑仕事してるのは凄く違和感だったけどね』
「スーツのまま畑仕事したんだ……」
『上着脱いで、あとは袖まくりはしてたかな。……おじさんって着痩せするタイプだよね。あれはちょっと意外だった』
「まあ、オレも着痩せするタイプだからなぁ」
父さんの場合、どのくらい筋肉がついてるとかは知らないけど、たぶんかなり引き締まっていると思う。
そんな事を考えていたら、真剣な声が響いてきた。
『はー君、あんまり筋肉つけないでよ』
「なんで?」
意味が分からない。
『似合わないから』
「なんて?」
聞き間違いだろうか?
『だって、はー君シュッとした感じなのに、それで脱いだら筋肉ゴリゴリとか絶対に合わないもん。細マッチョならまだ許せる範囲だけど、ゴリマッチョは駄目だよ』
「意味が分かんない」
『おじさんだって、想像以上に腕に筋肉ついてて衝撃受けたけど、はー君に必要以上に筋肉ついてるところは見たくない』
「本気で意味が分からない。と言うか、理解できない」
ついさっきまで過去の辛い話をしていたはずなのに、どうしてこんな話に変わった?
『兎に角、イメージに合わないって事』
「だとしても、戦うのに必要な分は鍛えるよ」
『魔法って筋肉必要なの?』
「筋肉っていうよりかは体力だけど……」
『むぅ。確かに体力つけないと、はー君また倒れたら大変だもんね』
「それ、いつの話?」
最近けん君の前で倒れた覚えはない。
『だって、はー君と最後に会ったのって、はー君がまだ小学生の時だよ? 俺の記憶のはー君は小学生なんだよ。
何回かあったでしょ? 夏休みとかの長い休みで、うちに遊びに来るって約束してたのに体調崩した事』
確かにある。それは否定できない。
「それ、だいぶと小さい時だと思う」
『そうかもしれないけど、その時の印象が強いんだよ。最近全然会ってないし、電話だってどのくらい振り? 俺が野菜持って行っても、おばさんしか家にいない時の方が多いじゃん。一ヶ月くらい前も俺が持って行ったのにいなかったし……』
「それはごめん」
『おばさんに聞いたら、はー君、忙しくって夜帰るのも遅いって言ってたもん。はー君、本当にちゃんと休まないと倒れるよ?』
「大丈夫。ここ最近はそんな遅くに帰る事はないから」
『まあ、おばさんの作る物を学校に持っていけてるみたいだし、そのくらいの余裕があるんなら、今は大丈夫なんだろうね。でも、忙しくなって疎かになったら駄目だよ?』
「分かってるよ」
『本当にうちに遊びに来なよ? 今だとギリ、サクランボが採れるよ。もう少ししたら桃とか葡萄も採れるよ。そしたら、もぎたて食べれるよ。うちのは美味しいんだ。だから、本当においでよ?』
「うん……。時間作って、母さんと行くよ」
『絶対だよ。約束だからね』
「うん」
明るい声だけど、決して無邪気でない事は知ってる。あの地区に住む人達はみんな、明るい顔をしてる。でも、辛い事を経験してきた事はよく知ってる。
だからこそ、よくしてもらい過ぎてるんじゃないかって思ってしまう。
『俺もあれからだいぶと背も伸びてるけど、きっと、はー君も大きくなってるんだろうなぁ。全然想像できないや』
「……そう?」
『だって、俺より小さなはー君しか知らないもん。小さくて、可愛くて、誰もが守りたくなるような子だったから。
そんな子が、人を守ろうと、涙も何もかも我慢して、歯を食いしばって、本当は怖いんだろうに、それさえも飲み込んで『大丈夫』だって言って、戦いに行って……。
まだ小さいのに、大人さえも恐怖を感じて震えるのに、その小さな手足で一体何人を守るつもりなんだろうって、何度も思った。
そうやって、頑張って、走り回っている姿が最後だもん。無邪気に笑う事もめっきり減って、俺らのとこ来たら申し訳なさそうな顔して『何もできない』って自分を責めて……。
そんな事しなくていいから、ただ単に、はー君が大きくなった姿を見せてよ。
じゃないと、俺らのはー君は小さい頃のまんまなんだよ』
「そう……」
『うん。だから、遊びに来たら、自分を責めないで。みんなに顔見せてあげて。そんで、俺らが育てた作物、たぁんと食べてってね』
一瞬言葉が詰まりそうだった。
「うん……」
返事以上はできなかったけど、電話の奥で笑ったのが分かった。




