ほろ苦い牛乳
「ねえ、それってどんな味?」
彼女は炭酸が飲めなかった。にこにこと答えを待っている彼女と今まさに口をつけようとしていたジンジャーエールを交互に眺め、熟考の末、ほろ苦い牛乳って感じ、と僕は言った。心底どうでも良さそうにふーんと言ったくせに彼女はいつまでもこれを覚えていて、僕らの前で誰かがジンジャーエールを飲もうものなら「それってほろ苦い牛乳って感じの味なんでしょ」と言ってけらけら笑った。
あまのじゃくな僕は毎回苦虫をかみ潰したような顔をして見せたけど内心結構楽しんでいて、彼女の方はそれも全部分かった上でけらけら笑っていた。
そんなことが何度か続き、いい加減にしてと珍しく窘めた日があった。すると彼女は「だって私、あなたが言うことはなんだって鵜呑みにしたくなっちゃうんだからあなたが気をつけて」と言って笑った。僕はその場でプロポーズして、僕らは夫婦になった。
披露宴では食前酒の替わりにジンジャーエールを注ぎ、メニューには「ほろ苦い牛乳」とのせた。みんな目を丸くしていたけれど、隣の彼女はひどく満足げに笑っていた。彼女が笑っていれば、僕は幸福だった。
3年が経った。
彼女は相変わらず些細なことでけらけら笑っているが、僕は幸福ではない。
彼女の白い腕に刺さる管は昨日より1本多く、多分明後日より2本少ない。彼女はもう、僕の言うことを鵜呑みにはしない。
「退院したら、海辺に小さな家を買おう」そんな言葉にもいいねと言うように笑うだけの彼女に、僕は「なんだって鵜呑みにしたくなるって言ったじゃないか」と責めるように言い、やがて情けなさと悔しさで泣いてしまった。僕を見てけらけら笑っていた彼女は、泣き疲れ赤い目の僕を撫でながらこう言ったのだ。
「じゃあ、最後に一つだけあなたが言うことを鵜呑みにしてあげる」
じゃあとはなんだとか上からだなとか、言いたいことはあったがまとめて喉の奥に押し込み僕は考える。これが本当に最後になるかもしれないことくらいは、分かっていたのだ。
「どの人生でも必ず君を見つけ出して、ジンジャーエールはほろ苦い牛乳みたいな味がするんだよって教えてあげるよ」
彼女は全然信じてなさそうに、心底どうでも良さそうにふーんと言い満足げな顔で笑い、やがて眠った。それきり最後までとうとう目を覚ますことはなかったが、天国で出会った全ての人にこの話をしてはけらけら笑っているのだろうと思う。
僕の彼女は、そういう奴なのだ。