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二分の二の約束  作者: 猫田七樹
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第一章 ヒーロー

 その頃はまだランドセルも今ほど種類がなく、男子は黒、女子は赤が定石だった時代。私坂口春子は兄のおさがりの真っ黒なランドセルを背負って登校していた。それについては特に思うところはない。別に女の子ぶりたいわけでもなかったし、見てくれなどどうでもよかった。あいにく小学校高学年にもなるとそれをネタにいびってくる連中こそいたが、それに反論するのも馬鹿らしくて早々に相手にするのをやめた。

 それがなくても物心つく前には何かと理屈をつけるのが癖だった私にわざわざ近寄ってくる輩など皆無に等しく、そして私からも歩み寄ろうとはしなかった。君らの思う通り、私は学校生活のほとんどを孤独で過ごしたわけであるが、評論家の父を持つ娘からしたらさみしさを感じることはなかった。

 父は家でも生活に必要な活動時以外は書斎に引きこもっていた。父がやっている仕事ってそういうものだ。家族サービスなんて年に一度あるかないかで、たまには取材や出張で三日四日家を空けることなんて()()。ご近所からはあまりいい噂は聞かなかった。

 でもそんな父がテレビに出たり、本に名前が載っていたり。

 私にとってはヒーローだった。

 だから私はどれだけ一人で過ごそうが他人から叩かれようが、関係ないのだ。父がヒーローである限り、私もヒーローになれるのだから。

「うーん……、よくわかんないや」

「そっかー、分かりやすく伝えるって難しいなあ」

「ううん。私の頭が、良くないから、だよ……」

 ももかはまた縮こまって俯いた。彼女の引っ込み思案な性格がこうして顕著に表立つのは私の宰領が未熟だからなのだろう。

 ふう。

 ひとつため息をつくと隣に座る彼女の体がさらに固まった。滑り台の降り口で精いっぱいに身を寄せて並んでいるのにも拘らず、モンシロチョウがひらひらと間をすり抜けていった。

 なんだあいつは、空気の読めないやつめ。

 今にも風に吹き飛ばされてしまいそうな飛び方なのに障害物を器用に避けて飛び回っている。何とも言えぬ既視感に思いを巡らせれば、いとも簡単にその答えにたどり着いた。

 そう考えると私も随分懐かれたものだ。意図せず彼女を弁護するようなことを発言したとはいえ、ここまでの関係になるとは予想だにしなかった。彼女にとってはまだまだ対等と言えるところまでは達していないのであろうが、こうして隣で私の持論を聞いてくれる。ましてやそれを理解しようとしてくれているなんて。

 心が躍った。

 私も彼女を理解したいと思った。

(いつになったらこっち見てくれるんだろ)

 ももかは腕を伸ばして地面に絵を描いていた。不慣れな手つきで右往左往する様はまさに彼女自身を表しているようで、途端に目が離せなくなる。

 といってもお世辞にも上手いとは言えないほどの画力だ。まあ絵を描くのは好きなのだろうが。徐々に形づいてくるそれが何なのだろうかと百通りの予想を立てる。大丈夫、私なら当てられる。

「それ、らくだ?」

 そうだ、このふたつのコブといい、長めの手足、首。私は確信を得ていた。

 しかしももかはみるみるうちに顔を赤くしてその顔を伏せってしまった。もしかしなくても、私は間違えてしまったのだろう。それならばいったいこれは何なのか。

「わんちゃん……」

「い、犬⁉」

 なぜだ……、どこをどう見たら犬になってしまうんだ……。

 そうだ、これはきっと人間のエゴによって実験体にされてしまった犬なんだ。かわいそうに、この犬も生まれた時はまさか自分がキメラになるとは思わなかっただろう。

 たったひとつの絵で、よもやここまで人を考えさせることができようとは。もしかしたら彼女は私の想像を遥かに超越した存在なのかもしれない。

 やがて太陽は軒並み並んだコンクリートの箱に埋もれ始め、群青色が空を支配し始めた。一番星がその中で自分の存在をこれでもかと主張している。

「そろそろ帰ろうか」

「あ、うん!」

 ランドセルを背負いなおすと遅れてももかが立ち上がった。その表情はいつにも増して落ち込んでいるように見える。

「どうした?」

「はるちゃんは、さ」

「うん」

「中学、第一に行くんだよね」

「え、そうだよ」

 公園を後にして足並みを揃えるように歩き出す。

 進学先なんて、こんな何の変哲もない町には一か所しかないんだから、そんなことを確認したって意味がないのに。それをわざわざ切り出すっていうことは……引っ越しする、とか。

 路地を通り抜けてきた風が後ろを歩くももかの匂いを運んでくる。その風は背中一面に張り付いた汗を気化させることはなかった。

 まさか。

「私も、第一中学校なの」

「……なんだあ。なら何が問題なのさ?」

「と、ともだち!」

「友達が?」

「はるちゃんは、友達いっぱいできる、よ。でも、私……」

 隣を見ると彼女はいつものように目を伏せってしまっていた。

「何? 私に友達ができるのが嫌なの?」

「い、嫌じゃない! でも、ちょっと寂しい、っていうか」

 それっきりももかは口を塞いで、それでも必死に伝えようと口の中で言葉を発していた。これは内気な彼女の癖の一つで、つい数日前に起こったクラス内のいざこざの原因でもある。直前の彼女の言動から何を言おうとしているのか察せない性悪男児とこの私は違う。

「オッケー、理解。それならこうしよう」

 いきなり手を差し出した私をももかは戸惑いながら見つめた。

「中学行っても、親友のままでいよう」

 宙に浮かべたままの掌がやけに冷たく感じる。汗ばんでいたからだろうか。

「親友……」

 それとも彼女がなかなか握り返してくれないからだろうか。

「なんだよ、嫌なの?」

 肝が冷える、ってこんな感覚なのか。だとしたらこれは焦燥感なんだろう。遠くで聞こえていた遮断機の音も、住宅から流れ込んでくる油の匂いも、どこか見覚えのあるモンシロチョウも、だんだんと分からなくなってくるのは、彼女に受け入れられないかもしれないという焦りだった。

「高校からは……?」

 ほろりと青色が抜け落ちた。

「わかった、じゃあもう一回」

「これから百年、親友として傍にいてやる」

「百年……!」

 ももかの瞳がぱあっときらめきを取り戻す。

「うん、よろしく!」

 百年なんてバカバカしいだろう? まずそんなに長いこと人は生きていられない。今のところ、私の齢は十二で、単純に百十二歳の自分なんて想像すらできない。というより、長生きを望んでいるわけでもないし、私は私の幸せを全うできればそれで満足だ。それに”親友”だなんて。あまりにも抽象的な言い回しに自嘲すら覚える。どこからどこまでが友達で、どのラインを超せば親友になるのか。そして親友に格上げされたことによって何が変わってくるのか。友達と親友の付き合い方の違いが何かも分からないまま、よくもまあいけしゃあしゃあと言い切ったものだ。

 そんな理知的で論理に満たされた私の心を、ももかはたったひと握りで拭い去ってくれたんだ。


 ()()()、その手を握ると彼女は照れ臭そうに笑った。時間は夜の九時を回ったところ。春ちゃんは毎晩九時になると私の前に現れた。そうしてあの時と一言一句違わず、表情だってあの頃のまま、再現し始める。彼女のお葬式に参列してもう数年が経つが、未だに二人の思い出が色褪せないのはこの儀式のおかげだろう。誰に話しても信じてくれなくて、終いには私が気味悪がられて。それでも彼女との約束は絶やすことはなかった。

 握手が終わると春ちゃんははにかんだまま、いなくなる。そして朝になると。

「おはよー」

 さも当然のように待ち合わせ場所にいる。傍から見ればランドセルを背負った愛想のない小学生と女子高生が並んで登校している異様な光景なのだが、もちろん周りの人には見えないので井戸端会議のネタにされることもなければ、学校の先生から追及されることもない。

「おはよ」

 幸いにも絶え間なく会話を続けるタイプの関係ではないから、朝の挨拶さえ済ませてしまえばごく自然な態度で彼女と付き合うことができる。それに、どちらかといえば喋るのは彼女の方だ。

「電車ってさあ、画期的だと思わない?」

「ん?」

「車よりも速いスピードで何百人って人を運んでるからさ。おまけに冷暖房つきで、車内ではある程度寛げる。これは人類の最高峰と言って良いほどの進歩だよ。……え、飛行機? あー、飛行機は……確かに施されている技術は電車とは比べ物にならないほど高いんだろうが、利用料金も驚くほど跳ね上がるだろう? すべての人が気軽に利用できるようにならない限り人類の進歩とは言えないね。ま、先進的だとは思うけど」

 一見至極真っ当な意見にも思えるが、よく噛み砕いてみると春ちゃんの主観的な見方ばかりで、こういうところがやっぱりまだ小学生なんだな、と少し安心した。電車に揺られながら長椅子に座る彼女を見る。目線は低いながらにそこに映るものを俯瞰している様はそれはもうただならぬ雰囲気で、もし彼女が皆に見える存在になったとしたら、まず初めに目を逸らすこと間違いなしだろう。

 改札の出入りはいつも気を張っていなければいけない。

「この私を誰だと心得る! 控えおろう!!」

 背後から聞こえるどすの利いた声は確実に私を笑わせにきている。

 が、がまんがまん……。

 彼女は定期券はおろか切手すら持っていないのだから改札はうんともすんとも言わない。そこで彼女がとった行動は、まさかの”開けゴマ”並みの呪文オンパレードだった。当然そんなお遊びのセリフ回しで開くわけがないのだが、通学時間帯の学校最寄りの駅とならば改札を利用する学生も大いにいるわけで、ちょうど良いタイミングで開いたところを見計らって改札をすり抜けているのが彼女にとっての第一関門である。そう考えれば、春ちゃんって毎日が戦いなんだなぁ……。

 第二関門はズバリ、教室だ。彼女の(という体の)席は小学校からの名残で私の前の席になっている。これは中学校に上がってからも、高校に入っても変わらない。ただ、もちろん本当の席の子は決まっているので、春ちゃんがその席に座れるのは椅子が空いた休み時間か放課後だけだ。その間、彼女はどこか見えないところへ行ってしまう。実体がないぶん健康状態を心配する必要もないし、必ず放課後までには戻ってくるから問題はない。ふらっと立ち寄った神社だかお寺だかでうっかり成仏するようなことがなければ大丈夫だろう。

「成仏、ねえ……」

 机にシャーペンの先を立てる。教科書やノートよりも描き心地が良い――ちなみに教科書の描きにくさは異常――ツルツルの感触を楽しみながら、おばけを象ってみる。

 ――春ちゃんはどうしておばけになっちゃったの?

 ――どうして毎日私のところに来てくれるの?

 ――……どうして、死んじゃったの?

 彼女の死因は教えてもらえなかった。自殺なのか他殺なのか、病死なのか事故死なのか……。お葬式が終わってすぐ坂口一家は引っ越していってしまって、近所の人たちに聞いても「知らない」の一点張りだったから、もう確かめるすべは、ない。

 本人に聞いても答えは返ってこなかった。そりゃそうだ。そんなの自覚してるならこうやって一緒に過ごしていない。色んな問いかけをしてみたけど怪訝な顔をされて笑い飛ばされるだけで、ひとつも進展しなかった。

「なんか未練でもあるのかな……」

 そしてその未練が晴らされれば、彼女は安らかに眠ってしまうのであろうか。そう考えると、少し、怖い。

「ねえねえ今日の夜、心霊番組あるの知ってる?」

「えー知らない!」

「七時からだよね。楽しみ~!」

 隣の席に集まる彼女らの会話が耳につく。心霊番組か。実際、本物のやつよりも偽物の作られたものの方が怖いよな。幽霊がみんな春ちゃんみたいなやつではないと思うけど、それでもあんなに恐ろしいのなんて一握りなんじゃないの。あー、ここに春ちゃんがいたら何て言うんだろう。くそ、目の前のこいつさえいなければ春ちゃんが来てくれるのに!

「幽霊といえばさ、高野内君、霊感あるんだって言ってたよね?」

「えー、ほんとー⁉」

 その名前が出た瞬間、前のそいつは不愛想に振り向いた。

「何?」

「幽霊とか見えるの?」

「……まあ」

 幽霊が見える? よく私の前でそんな嘘言えたな。それが本当ならお前だって毎日散々春ちゃんに惑わされているはずだろう。でもお前は自分の席に座ってる春ちゃんが見えない。見えているんだったらあんな豪快な座り方しないからだ。

「じゃあ、この教室にはいる?」

 なんだ、やけに興味津々だな。そんなに高野内と仲がいいわけでもないだろうに。

「今は、いない」

 その時、喉が張り付いた。

 ……()()、だって?

「やー、こわーい! いつもならいるってことー?」

「いるよ。迷惑なやつが」

 高野内は顔色ひとつ変えなかった。それを穴が開くほど見つめていた私と目が合っても、彼は興味なさげに向き直った。

 ……なんだ、こいつ。

「明日放課後、屋上に来て」

 私が彼を呼び出したのは次の休み時間のことだった。

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