第二話 『帰らぬ遺体』 その三
鏡から、人を誘拐する……?そんな怪談を信じるわけにはいかない。
けれど。たしかに気味が悪くはあるわね……そう考えてはいたのは、私だけじゃなかった。
看護師たちも、地元出身者が多いせいか、こんがり童子の言い伝えを知っているようだ。
トイレの鏡には、開かれた段ボールがピタリと貼られている。縁はガムテープで固定されていた。
周到さを感じる……皆の恐怖心を想像することが出来た……。
病院中の鏡に対して、そんな処置がされたらしい。
個人的には、少し……やり過ぎな気持ちはしたけれど。地元の人の心がそれで落ち着くのなら、問題は無いのかもしれない……。
今日は緊急患者以外は受け付けていない。昨日の事件のせいで、急遽、休みになったわけだ。
外来は休みだが、スタッフは忙しい。入院患者はいるのだし……院長の急死と、入院患者の行方不明だ。混乱はどうしても大きい。
市長選に出ていた院長が、謎の焼死……新聞や週刊紙なんかの記者も来ているらしい。
ハイエナみたいに人の不幸にたかり、適当なバカ記事を書くヤツらだ。まともに相手する必要はないけど、しつこく付きまとわれそうなのは不愉快ね。
弁護士も呼んでいるらしい。しつこい記者は訴えるそうだ……。
それでも、しつこくやって来るんだろう。バスケの試合と同じように、バレなきゃ反則はスルーされる。
訴えられるまで、ギリギリのところまで質問攻めに遭うかも?……彼らからすれば、飯の種だもの。
億劫になる。
叔父の葬儀は、いつになるのだろうか?……いつ警察から戻るのか?……叔父が炎に包まれた謎が、簡単に明らかになれば良いのだけど……。
憂鬱な気持ちだ。
精神科医だって、心が落ち込むことだってある。
……それでも、仕事をしなければならない。私は入院患者の病室を回る……多くの患者に異常が見受けられた。
皆、不安そうだ。
環境の変化に、精神病棟の患者は敏感に反応する。鬱症状が深まり、不安と疑心暗鬼に満ちた悲しげな顔で、こちらを睨むように見つめてくる……。
訓練と経験が、この空間には必要とされる。
最も繊細な医療が要る場所のひとつに思うこともあるけれど、ときおり凪いだ海のように静かなときもあるのだ。
日により、状況は変わる。今日は、残念ながら混沌とした嵐の海のようだった。
泣く患者が多い。私を見て、怯えて泣く。根拠不明の不安から泣く。こんがり童子が来るという妄想を見て、怖いからと泣くのだ。
たまらない。
こんがり童子……空想の妖怪のハズなのに、この病棟では誰もが信じている。
病んだ心は、支離滅裂な妄想や悪夢を見せるはずだけど、今、多くの患者が共通して、その妖怪を見つけていた。
鏡ではなく、ガラス窓に見えるそうだ。鏡を封じたから、他に出てこれそうな場所を探している……。
夕方になり、どんよりとした曇り空になっていく。私の心も暗くなっていく。
……今日は家に帰ろう。そして、眠った方がいい。私は、精神に対する負担を多く抱えすぎてしまっているんだから。
そう決めた矢先、スマホは再び鳴っていた。




