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冒険者は宵越しの銭を持たず  作者: 鳴海 諒
弱くて強い人びと
7/19

宵闇の中で

 ロランドは後ろ振り返らず、木々の隙間を縫って走った。できるだけオーガから距離を取らねばならない。無情にも日は傾き、もう既に宵の口だ。後半刻もすればあたりは暗になるだろう


 息を切らしたロランドは、一度足を止めて茂みの影で片膝を付いた。呼吸を整えながらじっと息を殺して周囲の様子をうかがう。呼吸は落ち着いてきただ自分の心臓の音が聞こえるようだ。


 風上から血の匂いが漂い、藪や木々の向こうー50アーヴほどだろうかーから大きな気配がする、その歩みは早くは無いが、確実にこちらに向かって来ているようだ。


「さて、どうしたものか・・・」


 『火球』のスクロールを使ってオーガを怯ませ、一目散で逃げ出してきた。火球といっても近接戦に向かない敵への牽制や、実態を持たない幽霊系の魔物を払うためのもので威力はそこまでない。


 次にまとまった金が入ったら、"オーガ避け"にアイツを消炭にできるような『大火玉』でも買いたいが、スクロールがそもそも高価なのだ。当分は無理だろう。


 オーガは確実にこちらに向かってきている。次に会うときはーできるだけ会いたく無いがー、恐らくさっきくれてやった傷も癒え、万全に近い状態で殺しに来るだろう。


 場所としてはもうすぐ行きに通った少し開けた場所に差し掛かる辺りだ。森の出口まで早足で一刻、全力で走れば振り切れるか。いや、難しいだろう。


 途中で夜になって視界は悪くなる上、林道まで出てしまえば森の中を分け入るのと違って純粋な追いかけっこだ。均された道ではあっという間に追いつかれてしまうだろう。それに、森の外まで逃げられたとしてその先の村まで追って来ないとも限らない。


 僅かばかりの逡巡で覚悟を決める。この森の中で、今度こそあいつを仕留めるしか無い。


 しかし、いったいどうやってーロランドはこれまでの闘いを顧みて作戦を練る。こちらは既に満身創痍、相手は力を取り戻しつつある。運動能力は多少落ちても、牙と爪の一撃は驚異に値する。筋肉の鎧は剣で裂くには難儀し、おまけに軽い攻撃では時間を許せば回復される。真っ暗になってしまったら手の出しようも逃げようも無い。残された時間は少ない。



 遅れること半刻、日が沈み森には夜の帳が降りたころ、異様のオーガが森の中を闊歩していた。肩口から上の皮膚は焼けただれ、至るところに化膿した傷口を覗かせるその姿は動く屍体のようだが、その反面足取りは軽い。


 時折鼻を地面にこすりつける様にゆっくりと歩を進めている。その姿はオーガというよりも冥界の番犬の様だ。そうしているうちに、ピクリとオーガの全身が小さく跳ねる。かと思うと歩く速さが少し早くなり、迷いを無くしたように一直線に少し離れた巨木まで歩き、ひたと止まった。


 オーガは巨木の洞に身を屈め近くの藪をじっと伺っている。静寂。森からあらゆる音が消えてしまったように周囲に重い沈黙が降りた。


 周囲を照らすのは薄い月明かりだけ。オーガは身体を起こし、その場で、2歩、3歩と軽く弾みをつけて茂みに向かって跳躍し、鋭い爪が藪を切り裂いたーー


 オーガが飛び込んだ藪の中で、ロランドの革鎧が大きく裂かれ、裏打ちされていた合板ごと無残にひしゃげる。だが、革鎧に中身は入っていない。脱いだだけの状態で革鎧、だけでなく、戦闘靴、篭手、はては下着に至るまでのすべてが藪の中に打ち捨ててあった。


(ここだぁッ!!!)



 オーガが革鎧を引き裂き、想像していなかった手応えに戸惑ったその刹那、月光に照らされ地面により一層濃い影法師をつくり、巨木の上から男は飛んだ。


 ロランドは眼下のオーガの背に向かって飛び、落下の勢いもそのままに、逆手に構えた片手剣を深々とその喉に突き立てた。


 夥しい血を吐きくぐもった断末魔を上げるオーガ。背に乗ったロランドを振りほどこうと滅茶苦茶に暴れ、思わず剣を離したロランドはそのまま後方に吹っ飛ばされた。

 

 オーガの抵抗もそこまでだった。ロランドを振りほどいた直後、最後にもう一度大きく血を吐き、糸の切れた人形の様にその場で力尽き、ついに巨体を地に横たえる。


 もう動かないことを遠目で確認したロランドは、痛む四肢を引きずって喉から剣を引き抜くと、念には念をとオーガの首を刎ねたのだった。



 遡ること半刻、オーガを仕留める決意をしたロランドは懸命に手立てを考えた。つまるところオーガを仕留めるためには一撃で急所を突くしか無い。だが、まともにやってもそう楽はさせてくれないだろう。であれば。どうやって隙を作り出すか。


 そう考えて気がついた。あのオーガは獣並の身体能力を持ち、今も森の中で自分を追いかけてきている。恐らく辿っているのは臭いだ。であれば自分の臭いを囮にして、その隙を付けば良い、と。


 そこからの行動は早かった。近くを見渡して自分が身を隠すならと考え藪に目を着け、木の上から奇襲をすることに決めた。眼の前から臭いがしていれば注意深くもなるだろうが、頭上までは意識するまい。


 その場で剣以外の装備、下着に至るまで全て脱ぎ捨てて藪に隠す。抜身の剣だけを片手に、一度林道の先まで進んで、件の広い場所に流れる小川で身体を洗った。再び巨木の付近までに戻ると、その場で草草の生えた地面に身体を擦り付け、土と葉の臭いで念入りに体臭を消した。


 そうして巨木の上で息を潜めオーガを待った。周囲が暗くなって目が慣れてきた頃、木の元までオーガがやってくる。ところが違和感を感じているのか知らないが、そこから動かない。


(来た・・・・。まだだ。まだ)


 眼下のオーガがこちらに気がついてる様子はない。明らかに藪を伺っている様子だがそれだけだ。ごくり、と唾を飲む音がやけに大きく感じる。


 薄い風がねっとりとロランドの身体を弄り、頭の先から爪先までぞくり、と悪寒が走る。一糸纏わず身構えているが寒さからではない。恐怖、緊張、そして高揚。鉄火場を前に昂る戦意が、臆病風を凌駕する。


 ろくな防具も着けていない状態でまともにオーガと殺り合えば、ボロ雑巾の様に一瞬でズタズタにされてしまうだろう。それでも生き残るために、一度受けた依頼は果たす、という冒険者としての小さな―そして強固な―矜持に拠ってそこに立つ。


 そしてその時は来た。疲労と緊張感で気が触れそうだったが根比べに耐えきって期を制し、暗闇の森を跳んでオーガの首に剣を突き立てた。我慢と刹那の死線を越えて、ロランドはついにオーガを仕留めたのだった。


 満身創痍でオーガの躯の側に腰を落とす。本当に一歩でも間違えれば死ぬところだった。儲けの出る依頼になるぞ、と思っていたがとんでもない。鎧一式からスクロール、経費がかかりすぎていると疲れた頭の中で愚痴る。


 そもそもオーガと戦ったのは別にタイラントの依頼とは無関係なのだが、そこに思い至ることはない。


 夜の森は恐ろしい。地べたに腰掛けて剣を目の前に突き刺していつでも抜けるようにはしているが、もうロランドにこれ以上戦う気力は残っていない。本当に最低限の警戒だけしているが既に限界だった。


 一刻、二刻、三刻、どれほどの間そうして意識をうつろわせていただろうか。遠くから誰かが自分の名前を呼ぶような声を聞いたのを最後に、ロランドは意識を手放した。

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