タンドリン大街道
都市イスハーン南外門、時刻は昇陽一の刻半。革鎧に丸盾とやや小振りな剣を腰から下げた男と、同じく革鎧ー胸部や籠手などに数ヵ所、多めに金属をあしらっているーに身の丈ほどもある物騒な戦鎚を背負った男の2人組、ロランドとモルガンは依頼人であるタイラントを待っていた。
「その防具、この間オーガとやり合った時大分痛んだな。そろそろ換え時なんじゃねぇか?」
今回の依頼が終わったら新調するさ、とロランドはモルガンに返すと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
前回の依頼ー山間部で起きた異変の調査ーで痛手を被ったのは記憶に新しかった。依頼はとある山裾の集落からで、里まで大型獣が降りてくるようになったので原因を突き止めて欲しいというものであった。
獣が餌を求めて人里まで迷い降りてきてしまうことはままあるが、これが大型獣となると少し話が違ってくる。まず推測されるのは『新たに“天敵“と呼べる“何か“が出た』という場合だ。もしくは地崩れなどで新たに瘴気が出ていることもあり得る。そんな当たりをつけて調査に向かったが、想像以上に相手が悪かった。熊や狼、銀狐や縞猫といった肉食動物の魔獣や並みの魔物であればまだよかったが、相手はオーガだったのだ。
オーガ、魔物の中でも人に近い姿で、長生きした個体は武器も扱う。姿の似たような魔物といえばゴブリンやオークがそれだがいくつか違いがある。オーガは群れでなく単体で活動し、知能は低いが総じて巨体で、前回の依頼では3アーヴもの背丈を持つ個体が相手であった。
罷り間違っても2人で挑む相手ではない。小さなほら穴を探ろうとして、運悪く住処を出たオーガと鉢合わせたのである。
結果的には辛勝で依頼達成。討伐報酬が都市から出たおかげで食いっぱぐれずには済んだが、2ヶ月は療養を余儀無くされ、件の革鎧には亀裂が入り、今回は間に合せの修繕にだけ出したような有り様だ。
「今回こそは景気良くいきたいところだな」
やれ色街の新しい嬢がどうだ、宿の新顔を勧誘しようだ、やっぱり魔法薬のひとつは持っておきたいが金が無いわ、などと話しているうちに1台の荷馬車が近づいて来る。
「お待たせしました。どうぞこちらに。」
御者台に座ったタイラントが2人に声をかけ、2人掛の御者台にはロランドが。モルガンは荷台の隅に腰を落ち着ける。
下層区画の外縁に沿って築かれた城壁から、街の外へ延びるように家屋や商店が立ち並ぶ。賑わう朝市の喧騒を遠くに聴きながら、馬車はタンドリン大街道に向かって進みだした。
「こう何にもねぇと退屈でしょうがねぇや」
「そんなに退屈なら何か起きたら全部相手は譲ってやるよ。存分に働いてくれ」
「遠慮なんかしなくてもいいんだぜ?俺たち“仲間“じゃねぇか」
いやいや、そこはお二人で何とかしてくださいよ、とタイラントも混ざって返す。そんな下らないやり取りが出来るほどに穏やかな道程が続く。
出発してから数刻、徒歩での旅客や聖廻教会の巡礼者、相乗り馬車や一度は警邏隊とすれ違ったものの、特に変わったことはない。
雲ひとつない晴天、少し離れたなだらかな丘では羊が行列を成し、緑のカンヴァスに引かれた白い線のように見える。大型馬車が悠々と通れる道幅、余すところなく敷き詰められた石畳、タンドリン大街道はあたかも地平まで延々と続くように見えた。
「タンドリン大街道は、かつての大帝国時代に時の皇帝が整備したものと言われているんですよ。」
大帝国時代、かつて大陸を統一するほどの権勢を誇った一大国家があった。その名残は言語をはじめとして文化芸術、通貨、信仰と様々な面面で散見されるが、今は既に過去のものである。
現在は大帝国の血筋に連なる諸王国や数多の小国、国家と比肩しうる力を持った大都市、都市イスハーンのような都市が集まった都市連合といった勢力が互いに牽制と小競合いを続けている。そんなことは一介の冒険者にはあまり関係の無い話だが。
「ソルベー村はあの森を抜けて3刻ほどのところになります。今夜はこの辺りで野営としましょうか。」
タイラントの言葉を聞き穀倉地帯の先に目を向けると、山裾から延びるように森林が広がっている。あの森を貫くように引かれたタンドリン大街道を半日ほど進み、ソルベー村へ通じる小街道をたどれば到着だ。
気がつけば日も傾き始めている。夜の帳が降りる前に支度を始めるべきだろう。一行は森の端からすこし距離をれるあたりまで歩を進め、大街道を逸れた場所に荷馬車を停めるとそそくさと準備に取りかかった。
ロランドが慣れた手つきで野営用の布とロープを使って雨風をしのぐ天幕を張っている間に、モルガンは適当に薪として使えそうな小枝や枯草を集めてくると、火石でさっと火を起こした。
「こちらは私から。特になにもなく1日目が無事済んで良かったです。」
見ると革袋には水でなく葡萄酒が注がれている。パチパチとはぜる小気味良い音を聞きながら火を囲み、気前のいい依頼主に相好を崩して礼を言うと、ありがたくご相伴に預かった。パンと干し肉という簡素な食事ではあるが、そこに炙ったチーズの芳醇な薫りがなんとも食欲をそそる。とろっと柔らかくなった熱々のチーズをはふはふと頬張って、それを肴に葡萄酒を呷れば、ぐっと身体に染み入りまさに1日の疲れを癒すようだった。
「うーっ!染みるなぁ!働くってのは良いもんだな。ええ?」
お前はいつだって酒さえあればご機嫌だろうよ、とロランドは呆れ顔。タイラントも喜んで頂けてなによりと微笑んでいる。何もない道中と言えども常に周辺を警戒する必要があり、緊張は知らず知らずのうちに澱のようにたまって精神を疲弊させるものだ。
歓談に興じつつも、夜営を前に鋭気を養えるのは有難いことだ、とロランドは思う。タイラントは行商人として旅慣れており、護衛を“される側“としての心得をしっかり弁えているようだ。
食事の片付けも済んで一息つくと、ロランドはお先に失礼、とモルガンに告げて一足先に天幕に入り軽く横になった。そうして浅い眠りについてから暫くすると、先に警戒に立ったモルガンが交代だぞ、と外から声をかけてくる。
多少の睡眠不足でどうこうするほど柔な身体はしていない。だが、おおよそ4、5人で組む冒険者が多いことを考えると、こういった際に2人組は若干辛い。
仕事柄切った張ったの危険が多く、人数がいた方がいいのは言うまでも無いが、報酬の分け前や行動の自由を考えれば自然とそのくらいの人数に落ち着くのである。元々2人は互いに決まった相手と組んでいなかった。話してみると不思議と馬が合い、気がついたら最近はなにかと一緒に依頼を受けている。しかしオーガの件といい、そろそろ考え時かもしれない。
そんな風に考えていると、森の奥から“オオーーーン“と谺するように獣の遠吠えが聴こえた。欠けた月が周囲を薄く静かに照らし、縁取られた森の陰影は心なしか宵闇よりもなお暗く見え、思わず鼓動が早まる。これだけ距離があれば問題ない。まずは周囲に目を光らせろ、と思索から警戒へと意識を引き戻す。長い夜が進むにつれ、革鎧の下に着込んだ服がじっとりと汗に滲む。深い闇夜は人心をざわつかせ、何もないところに“何か“の影を見せる。そうなると最早、闇自体が恐ろしい魔物であると言えなくもない。
抱いた不安や仄かな恐怖に打ち克つのはこれまでの経験と自信だ。だが、己を過信して臆病の虫が鳴かなくなれば、遠からず命を落とす。それならば熟練の冒険者とはー物語の勇者にではなくー誰よりも人間らしい者に送られる名前だろう。
夜明け前の最も暗い闇をじっと見つめ、ただ一人朝を待つ。
黎明、遠く連なる山々の稜線が赤熱した鉄のように燃えあがる。夜明けの峻烈な光景に目を細めるも、四半刻もすると青青とした山脈が姿を現わした。
2日目、時間はおおよそ昇陽一の刻、天幕を背嚢に仕舞い、いよいよ、と一行は出発する。ソルベー村はもう間もなくだ。