タイラント氏
都市イスハーン下層地区、早朝であれば朝市で新鮮な野菜から使い道も良く分からない雑貨まで並んで賑わうバザールも、昼を過ぎた今となっては人もまばらになっている。雑踏を少し早足で進みがてら、ロランドはモルガンに依頼のあらましを説明する。
「するとあれだな、見立て通りにいけばツケを返しても向こう1ヶ月は遊べるうまい話ってわけだ。ただし“珍しい薬草“ってのが何かによっては報酬以上に厄介かもしれねぇと。」
うまい話には裏があるとは良く言ったものである。冒険者を嵌める悪辣なものでは、護衛対象と野盜がグルで、街を出た途端に身ぐるみを剥がされたなんて話もあるくらいだ。
高い報酬は危険性込みの対価・・・となると、薬草の価値が高く襲撃を受ける恐れがあるのかもしれない。そんな風に考えながら歩いていくと街の景観が徐々に変わり、大通りに沿って立ち並ぶ建物は木造が減り煉瓦造りが目立ち始める。
「さて、到着だ。」
煉瓦造りの建物の中でも目的の宿屋はこじんまりとしていた。燭台などの調度品に目に遣ると、華美では無いが小綺麗でよく手入れされているのが分かり、落ち着いた配色もあってか往年の装いが感じられる。カウンター越しにちょこんと腰かけた品の良さそうな老婆が見え、一声かける。
「『踊る牝鹿亭』のロランドと申します。依頼の件でタイラントさんに用事があって伺いました。こちらに居ると聞いてきたのですがお取り継ぎ頂けますか?」
そうですか。少しお待ちを。そう言うと老婆は2階に姿を消した。暫くして戻ると、2階の奥の部屋へお上がりください、と言葉の抑揚と同じようにゆっくり頭とを下げたのだった。
「初めまして。この度は依頼を受けてくださってありがとうございます。タイラントです。」
そう言って男は柔和な笑みを浮かべながら右手を差し出してきた。40歳程だろうか、中肉中背で商人と言うより村男のようなどこか素朴さを感じさせる風貌だな、と握手を返す。
「『踊る牝鹿亭』のロランドです。こちらは仲間のモルガン、依頼を受けるつもりで来ましたが、まずは詳細をお伺いしても?」
ちらりとモルガンを見る。いつものことだが面倒だから話すのはお前に任せるという態度であったため、そのまま目的地、依頼の日程、経路等についての詳細を確認していく。
「ところで、今回仕入れにいく薬草は貴重なものだと伺っていますが、一体どのようなものなんでしょう」
「一昨日早馬が来まして、今回は普通の薬草に加えて、“魔素“を吸ったマノアオメ草を受け取りに行くんですよ。」
続くタイラントの話によると、マノアオメ草はソルベー村近辺に群生する薬草で、毒消しと傷の化膿に効くらしい。気候条件が似通った地域でも確認されており、村の名産品ではあるが必ずしも希少価値の高いものではない。
しかし、希にマノアオメ草の葉に青い斑模様が顕れる場合がある。それというのが魔素を吸収した状態であり、魔素を含むこの葉はある用途で重用されると言うのである。
「採取してから1ヶ月ほどたつと青斑模様は抜けて特別な効能も失くなってしまうのですが、消えないうちに用いれば魔法薬の材料になります。」
魔法薬と聞き、ほう、と隣のモルガンが息をこぼす。通常の調製薬と異なり、魔法薬はその名の通り魔法によって作られた薬だ。製造の過程で魔法を使う必要があるだけでなく、充分な効能を引き出すために素材も選り分けられる。その分かなり高価な代物だが、効能は抜群だ。
「魔法薬の材料になる分、運搬において襲撃される恐れが上がるようなことはありませんか?」
むしろこれが今回の“うまい話“の理由だろう、そう思いながらつい質問すると少し違った返答が帰ってくる。
「どうしても魔素が濃い地域が近いので、これまでの経験上、鹿や狐の魔獣と遭う可能性は高いと思います。青斑を運ぶといっても盗賊などは警戒しなくて良いかと思いますが・・・」
おや、と思ったがその理由には納得できた。青斑を魔法薬にしようと思ったら、知り合いに高名な魔法使いでもいない限り卸し先は『賢哲の社』しかない。予め販路を確保していない商人では対応して貰う事も難しく、更には加工のために受入側にも事前準備が必要だ。従って仕入れの目処が立った段階で事前に申請するのが基本となっており、なにより青斑の発生は偶発的であることから狙って奪いに来るのは難しいとの事だった。
「おおよその事情は理解できました。ありがとうございます。最後に報酬について確認させてください。」
「ギリアド銀貨で前金として銀貨5枚、5日後の成功報酬で追加で銀貨15枚、計20枚でいかがでしょうか。」
条件は充分だ。では成立、とは言わずここでもうひと押し。
「万が一想定を越える魔物や襲撃があった際に、成功報酬に上乗せをお願いできませんか?」
タイラントが思案顔になり幾ばくかの逡巡。
「現金・・・となるとお約束は難しいですが、確かに危険な仕事ですからね。依頼が無事に済んでもお二人に治療薬をお譲りしますよ。」
銀貨に加えて治療薬、報酬としては文句無しだろう。危険度も事前の予想よりは低く、報酬を考えれば充分“見合った“ものである。渋る事もなくこちらを慮る様子で上乗せに同意するタイラントには、それでいいのかと思わないでも無かったのだが。
「それではタイラントさん。改めて明日から5日間よろしくお願いします。」
こちらこそよろしくお願いします、と笑みを浮かべてタイラントは返すと、続けて尋ねたのはロランドについてであった。
「ロランドさんは冒険者になって長いんですか?お若く見えますけど」
あっ、別に腕を信用していないとかでは無くてですね、と慌てて付け足す。本気で焦っているのを見るに単なる世間話だったのだろう。
「若く見えるけどもう30だし、歴で言えばもう10年以上になるよな?っつー!!」
横から何やらニヤついた顔でモルガンが答え、すかさず左腕をとって軽く捻りあげる。
「正確には28歳ね?全く。まだ30じゃないですから。歴だけ言えばもう10年以上になりますが、まだまだ若輩者ですよ。」
30歳を意識してる辺りがもう若者じゃあ無いんだよ、とボソッと呟くモルガンを努めて無視し、構わず話を続ける。15歳で一人前と見なされる事を考えても、20代で10年以上は確かに歴が長い。冒険者となって命を落とす者は多く、実際に『踊る牝鹿亭』でも中堅からベテラン扱いだ。
「タイラントさんはずっと行商を?」
「いえ、この道に入ったのは20もとうに過ぎた後でして。出稼ぎで田舎の村を出たんですが、色々な土地を転々として、気が付いたら行商をしていました。」
幸い運に恵まれて、今のところは上手くやれてますよ。そう笑うタイラントだったが、その顔にはどこか寂しそうな表情が覗いている。
“この人も、故郷を失ったんだろうか“
ふっと、そんな想像が心中に去来する。
大都市は別として、小さな集落が消えてしまうことは珍しい事ではない。魔物の大量発生や疫病、不作による飢餓、河川の氾濫、戦争での略奪、人が住めなくなる理由なんていくらでもある。
本当のところは分からない。それでもタイラントとの短い会話を通して、商人としては兎も角、人としての善良さを持った相手だとロランドは感じる。依頼人として信用できるだろうとも。
「それでは明日、昇陽一の刻半に南外門で」
その後も世間話に興じつつ、お互い明日の準備もあることだしと一区切りつけると、ロランド達は宿を後にしたのだった。