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冒険者は宵越しの銭を持たず  作者: 鳴海 諒
そのささやかな祈りを
17/19

アズハルの天秤

「私どもの話というのは下層区域の教会のことでして、いま進められている改築の話を取り止めにして頂きたいのです」


 単刀直入にロランドがそう切り出すと、それを聞いたアズハルは眉間に皺を寄せ、「それは何故でしょう」と尋ねた。いきなり雲行きが怪しい雰囲気が漂う中、追い打ちをかけるようにロランドが答える前にモルガンが横から質問に答えた。


「あの教会に手を出されると寝覚めがわりぃんだよ」


 突慳貪に答えるモルガンを「おい」とロランドが諌め、「ごく個人的な事情で、今回このようなお願いをしています」と言うと、アズハルはその険しい顔を僅に和らげた。どこかの勢力の差し金でないということだ。


「理由は明かせず取り止めにして欲しいと言われても困りますな。あの教会には既に多額の予算を割いて、やっとこれから着工という所なのです。取り止めをすれば教会の方々や信徒の方々はさぞ残念がるでしょう」


 アズハルも聖回教徒ーーといってもイスハーンの住民は十中八九同じだがーーであり、今回の融資は低金利で儲けというよりは慈善の色合いが強いという。


 モルガンが約束を取り付ける間に動いていたロランドもそれは知っていた。アズハル商会は規模としては中の上、アズハルが一代で築いた商会であることを考えれば大したものだ。なによりこの規模の商会で叩いても埃が出ないのは称賛に値する。


「慈善事業……。それもあるのかも知れませんが、あの教会の融資を決めたのはフェルド・ヴィクトールの壁画があったから。そうですよね?」


「ほう……。どこでそれをお知りになったのですかな?」


 ロランドの言葉に含みのあるような反応をするアズハル。それは言外に肯定を含んだものであった。というのも、まさに今回の融資の決め手となったのはあの壁画の存在であったからである。


「あなたと同じですよ。あの下層区画の画商からあの絵の事を聞いた際に、懇意の商会に話を持ちかけたと聞きましてね」


 この数日間、ロランドは画商と情報屋、それに数人の芸術関係者といった手合を中心に交渉札を集め、その中から腹案を拵えこの場に臨んでいた。ロランドに手伝ってやると言った手前、ここからが勝負である。アズハルの商売は健全と言えるもので、市場の読みと手堅い商売がその持ち味だった。


「確かにあの壁画の価値は知っていました。融資も商売です。あの絵の価値が広く認められれば参拝者も増え、改築費用を投じてもゆくゆくは必ず回収できると見込んでおりますゆえ」


 万が一駄目ならその時は壁画を形として譲り受ければいいのであるし、実に手堅い融資である。教会勢力と懇意にするのも悪くない。地方の教会は兎も角、大元の教会中央は経済力も高く地方教会経由で大口取引も見込める。


「あの教会への融資の方法として、もっと効率的でおまけに新しい商売の契機にもなるような方法がある、と言ったらご興味はありませんか?」


 その言葉にアズハルの目を細める。突然現れた二人の冒険者。見るからに武張った雰囲気で胡散臭い輩ではあるが、上手い話と言われて興味の無い商人はいない。


「それは興味がありますな。どのようなもので?」


 アズハルの表情を注意深く窺いながら、ロランドは声の調子を一段落とし、僅かばかりこれまでより小さな声で続きを話す。


「融資の先をあの教会の建物にするのではなくて、あの壁画の修繕に向けるのですよ」


 絵画の修繕は特殊技能で、それが可能な人材は限られていている。画家や修復職人など、芸術を生業とするその多くは都市の有力者や大商人が庇護していて、彼等に修繕の依頼をする際は直接個人とやりとりをするのではなく、大商人たちを仲介して依頼をするのが主である。


「それは少々難しいのではないですかな?いえ、それは当商会の望むところではないと申し上げるほうが正確ですな」


 教会への融資に対して横やりを入れられるのは旨くない。壁画の価値が知れ渡る前に融資をして、商売敵がその価値に目をつける前に独占的な関係を作ることに意味があるのだ。


「修繕の話を持ち掛けるくらいだ。その辺りの事情はご存じだと思いますが、美術品の商いというのはある種の既得権のようになっているのですよ。残念ではありますがね」


 アズハルはもとより芸術品の商いには大きな興味があった。価値ある芸術品は高値の商品である一方で、上手く仕入れれば非常に利益が出る。なにより購入者層はいわゆる上流階級で、今後も商会を発展させるために必ず食い込まなければならない層でもあるためである。


 だが、それには大きな問題が存在していた。本格的に芸術品を商って手広い取引をしようとすると実力のある画家や修復職人、運搬屋、鑑定士といったツテが必要不可欠になってくるわけだが、彼等に仕事を発注すれば常に後ろについている大きな商家が絡んでくる。


 アズハル商会がそういった人材を集めようとすれば当然大きな商家の目に止まる。そこから引き抜くような真似は反感を買ってしまう恐れが高く、下手をすれば仕事を依頼しても問答無用で袖にされたりと、大手に動きを潰されかねない。


 そういった事情で、ある程度の規模が既にある商会にとっても美術品市場というのは新規参入の敷居が高いのだ。アズハルも自分の商会にはそれらをはね除けるほどの体力はまだ無く、時期尚早だと考えていた。


「ここに、絵の修繕の経験があるイスハーンの画家4名、修繕職人2名、認可証持ちの鑑定士1名の名簿があります。私が個人的に、もし仮に今回のフェルドの遺作の修繕の話が動けば興味があると言って下さった方たちです」


「ほう……。個人的にとな。拝見させて頂こう」


 名簿に記された名前と経歴などを確認していく。その内にはアズハルも名前だけは聞き及んでいる人物が含まれており、彼等と顔繋ぎが出来るのであれば是非にとお願いしたいような面子である。


「もし、彼等と懇意にしてる他の商家が気になるという事でしたら、今回に限ってはご心配には及ばないかと。それこそが修繕への融資を奨めた理由でもあります」


 ロランドの提案した壁画の修繕への融資というのは、壁画の修繕のための出資に加えて、不馴れな教会の代わりに修繕関連の従事者の募集を肩代わりするというものだった。


 集め方は大商人経由の一般的な発注ではなく公募制で人を募り、応募者の中から教会代わりに窓口となるアズハル商会が誰を雇うか決めていく、という形式だ。出資元である商会なのだから教会は相談を断らないだろう。


「さすがに公募して来た方々をいきなり派手に引き抜くのは不味いですが、まず彼等と顔見知りになってその人となりを知ることが出来れば、貴方の商会にとって新しい商売の契機になりませんか?」


 主だった依頼は大商人を通すが、その例外もある。依頼を実際に行う芸術関係者が自発的に仕事を受けたがれば、商人はそれを阻むことは出来ない。


 名画と呼ばれる高名な作品の修繕は、画家や職人たちにとっては名前に箔がつく名誉ある仕事ーー下層の画商も腕があれば参加したかったと悔しがっていたーーであり、広く募れば奮って応募があるだろう。そう見越してまず当たったのがあの名簿の人物達だった。


 庇護下にあるといっても芸術家たち本人の志願であれば無下にはできない。というのも、彼等の立場は存外低くなく、その活動を妨げた結果として関係が解消され他の商家に移籍されるーー庇護者が優秀であればあるほどーー可能性があるからだ。


 関係を悪くしたくない庇護者は表だって異を唱え無いはずだ。それどころか画家たちの名声が高まれば喜ぶかもしれない。そうロランドはことの子細と見立てを説明し、最後に言った。


「もし融資を修繕に限っていただければ、この名簿はお渡しして、彼等との話の内容をあなたに引き継ぎ、私達は完全に今回の件から手を引きます」


「ふむ……」


 アズハルは暫し考える。修繕の公募を利用して職人たちと顔を繋いで、人脈を得られる事はアズハル商会にも悪い話ではない。今後もし芸術分野に進出していくならば金子以上に価値がある。


 損得勘定をするなら確かに上手い手だ。改築も進めて修繕に手を出すことも手段として考えられるが、かかる費用と期待できる効果がやや合わないように思えるーーむしろ改築という形より改修だけに投資を絞った方が低コストハイリターンーー得られる効果が高いと言えるのではないか。


 美術品としての価値が高まればその後の事はまた考えればよい。壁画の修繕だけでも話題性を盛り上げれば宣伝になるし、結果としては現在の改築同様に堅い返済と教会への食い込みも見込める。


「改築への出資を多少変更する根回しをするだけですし、上手く理由をつければそこまで信用問題にはならないのでは。貴方ほどの腕利きなら尚の事でしょう?」


 根回し等々多少の労はかかるが、融資の話が全くの白紙に帰すわけではない。教会に恩を売り信者も嬉しい。そして商会にも利がある三方良しーー売り手良し、買い手良し、世間良しーーと言うやつだ。


「それならば何からの理由をつけて改築への融資をやむなく取り下げるかわりに、修繕に費用をという建付けが無難か」


 理由の付け方は考えなくてはならないが、それでも総合的に見てうまい話だ。これまでの商売では手掛けておらず、まだ先だと見ていて検討していなかった手段であるが、目算は立つように思える。


「この場で即決できることではありません。ですが大変興味深いお話のように思いました。事を商会で協議にかけてから、話がまとまり次第お知らせさせて頂くという事でいかがでしょう」


 それでも構いませんかな、と言うアズハルに対してロランドは短く「構いません」と返答する。事実、この2日後にはアズハル商会からの使いが『踊る牝鹿亭』を訪れてちょっとしたお気持ちを二人に渡して旨い酒が飲めるのであるが、それはあくまで――本人たち曰くーーちょっとしたご利益である。


 最後に、商人らしくアズハルが懸念材料を少しでも減らすべく、そして何より素朴な疑問として二人に改めて尋ねる。 


「しかし、こんなことをしてあなた方になんの得があるのです?」


 冒険者の答えは単純だった。


「最初に申し上げた通りです。このままだと寝覚めがいささか悪いものでして、それだけですよ」


 そうイイ笑顔で答えたロランドを、少し間の抜けた表情でアズハルが見返したのだった。

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