フェルド・ヴィクトール
その日の情報収集を終えて、再度教会に集まった四人はお互いの情報を伝えあう。参考になりそうな話から、何気なく聞いて気になった事、それそれの私見を交えて話を整理していく。
アイシャ達がサントス導師から聞いた話を整理すると、地下室の存在は40年前の時点で忘れ去られていた。その当時この教会にはお手伝いの姉妹は居らず、心当たりのある女性は思い出せない。
当時は比較的資金があって改築をしても困らないような状態だった。前任の師教は良い評判の人物だったが、来る前に急死してしまってそれ以前の教会についてはわからない。
ロランドがそう整理とともに改めて確認すると、アイシャがそれに答える。
「凡そそうなりますね。直接繋がるような情報は得られなかったです。でも、ロランドさんとミアラが聞いたお話ですと、昔この教会には目の見えない姉妹がいらっしゃったと。しかも、お話によると教会が改築された時期とその姉妹を最後に見た記憶が同じくらいなのですよね?」
そのようでした、とロランドが話す。あの後おばあさんに詳細を伺ったところ、おばあさんが子供の頃に教会の改築があり、その際に描かれた壁画の女性とその姉妹の顔が似ていたために良く覚えていたそうだ。その女性は教義を説くわけではなかったが修道服を着ており、盲目で歩く際は杖をついていた。当時の教会の導師様と親しげで、礼拝堂ではいつも黙々とお祈りをしていたという。
「そうなると、姉妹が姿を消した後にサントス導師がこの街に着任したことになりますよね。しかも、その在籍記録はありません。この姉妹の正体は誰で、今は一体どうされているのか。もしかするとあの白骨はその姉妹の可能性もありますが……」
アイシャはそう言うとそれきり黙ってしまった。確かに可能性はあるだろう。だが、あくまで可能性であって、他に候補になりそうな存在が浮かび上がっていないだけだ。今の情報だけで絞り込むのは決め込むのは尚早だろう。四人は皆同様にそう考えたーー否、三人はそう考えたが一人は違った。
「その女、婆さんの話だと目が見えなかったんだろ。じゃあそいつで決まりじゃねえか?」
モルガンがそう聞いてくる。確かに遺留品には杖があった。「盲目だからあの杖、そういうことか?」とロランドが言うと、首を横に振りモルガンはさも当然といった風に答えた。
「いや、言われればそうかも知れねぇがそうじゃねえ。お前も見たんだろう?あの若い女のゴーストには目が無かったじゃねえか」
その発言を受けてロランドが瞠目した。そして、少し恐れが混じった声で答える。違う、そうではないのだ。
「お前にはあのゴーストがそう見えたのか……?アイシャさん、ミアラさん、人によってゴーストの見えか方が違うというのはあることなんですか」
礼拝堂でゴーストを見たロランドや目撃者の人足は、黒い影が長髪だったので女だと思ったがモルガンは違う。長い髪と目はないがその他はおぼろげであるものの顔立ちを見た上で、影を女性だと判断していたのである。サントスへの質問で若い女という言葉が出たのもこのためであった。
「一般的には見える姿はそう変わらないわ。ただ、存在と相性が良かったり、強い法力を持つ者はよりその鮮明にその姿を捉えることはままあることよ」
ロランドの質問にミアラが答えると、それを聞いたモルガンが横から思わず、げえと呻く。
「まるで俺があの女に憑かれてるみてえじゃねぇか……」
そうぼやくモルガンには悪いが大きく助かる話であった。時期、特徴か符合するとなればあのゴーストはおそらくその消えた姉妹だろう。となれば、次の調査は姉妹の手がかりになるだろうあの壁画についてにしようと決まったのであった。
そして明くる日、モルガンたちは下層地区に居を構えるある商店の画商を訪れていた。あまり広くない店の中には所狭しと大小様々な絵が飾ってある。店内は油絵具の鼻の奥をくすぐるような独特のーーそれでいて嫌ではない臭いと空気に満ちていた。
サントスの紹介で、以前あの壁画について熱心に聞いてきた商人を紹介してもらったのだ。そうして彼らを出迎えたのは、痩せた四十歳ほどの男であった。
「あの絵に目をつけるとは目が高いですね」
壁画について問うと第一に画商はそう言った。「それはどういうことでしょうか」とロランドが返すと、歯切れよく質問の答えが返ってくる。
「あれは画家フェルド・ヴィクトールの晩年の遺作、それも傑作ですよ。ここ数年で前期大帝国時代より前の絵画技法が見直されているのですが、フェルドは今その代表的先駆者だと高く評価されています。彼は放浪の画家で、40年ほど前の作品が見つかったのが最後でしたから、既に亡くなっているとは推測されていました。ですが偶然、この都市イスハーンが彼の最期の地であることがわかったのです!」
前のめりになりながら話す画商の迫力にやや気圧されつつも、偶然にとはどういうことであるかを聞いてみる。
「彼の代表作である『妻の肖像』の内、私も一度だけ現存する一点を直に鑑定したことがありまして、あの教会の壁画の女性を見た瞬間、フェルドの作だと直ぐ分かりました。普段礼拝などしないものですから、まさか自分の街がフェルド最後の地とわかったときは震えましたよ」
画商が言うには、フェルドの活動期間は15年程度とされ、作品数も習作を合わせて200点ほどしか見つかっていない。その中でも『妻の肖像』と呼ばれる後期の作品は彼の代表作で、非常に高値で取引されているそうだ。
「妻ってことは奥さんの絵ってことだよな。あの礼拝堂の絵の女も」
モルガンが尋ねると、少し思案しながら画商は言った。
「それは判りかねますね。同様の人物を被写体にしたとされる肖像画が数点ありまして、表題はまちまちです。『女』『微笑む姉妹』『愛しのリーリア』などが中でも有名です。被写体が同じそれらの作品郡が、最も有名な作品と合わせて『妻の肖像』作品と総称されています」
彼の最期の足取りを掴んだ画商であったが、その彼女の正体まではわからなかったそうだ。被写体については、妻、恋人、いずれにせよ非常に親しい女性だったのだろうというのが通説とのことである。
都市イスハーンを彼の最期の地だと断じたのは、画商が調査の末に下層地区の共同墓地に彼の墓を見つけたからだった。普通は個人の銘は打たれないが、雅号であっても立派に姓を持っていた事から貴人と同じように埋葬されてたことで記録を遡れたそうだ。埋葬時の記録では今年で没後四十年、その末期は物取りに襲われた末の殺害だという。
「彼は当時から高名だったわけではありませんでしたし、暮し向きも貧しかったでしょう。芸術家なんてのは生きてる間に評価されるほうが稀なのです。そんな折りに強盗に合うなんてなんとも不運でした。彼が生きていればそれこそもっと多くの名画を残したでしょうに……」
それまでの上機嫌が嘘のように消沈しながらそう言う画商は、さも残念そうだった。それにしても個人でそこまで調べるとなると、大変な労力だったに違いない。
「やはり目的はフェルド氏のあの壁画の売買ですか。壁画となると扱いも大変そうですが、さぞ高値で売れるし買い手も事欠かないのでは?」
ロランドがそう切り込むと、画商は一瞬その顔が素に戻ってきょとんとしたが、直ぐにその顔に苦笑いを浮かべた。
「ええ、一人の画商としてあの壁画を扱うことが出来れば一流でしょうね。憧れますよ。でも個人の商店主程度でなんとかなる代物では無いんです。調べたのはフェリドの作品に出会ってしまった衝撃と、後はその情報がどこかで役に立てば、程度の打算からですよ」
壁画の商いというだけでも敷居がかなり高いらしい。壁画の補修は高度な技能を持った画家や修復家と呼ばれる職人が行い、更に動かそうと思うと施工、保全、運搬の専門家が必要になる。
高い技能をもった人材は雇うのも安くないし、仮に資金が潤沢でも、大きな商家に庇護されている場合が主流でツテがないと依頼すら難しいそうだ。何よりあの壁画は教会の所有物である。交渉がそもそも難しい。
「でも、目の前に好機があれば見過ごせないのは商人の性ですね。なんとかならないかと懇意にしている商会さんにあの壁画のことを相談もしたんですが、やはり手を着けるのは難しいと買取関係の話はそれ以上話は進展しませんでした」
一人の芸術に関わる者として、あの礼拝堂には今後も通わせて頂きますよ、と良い笑顔で画商は話を結んだ。
あの壁画について以外もなかなか興味深い話を聞くことが出来た4人は、次は何か買いに来ますよなどと文字通り心ばかりのお礼をして、商店を後にしたのだった。