束の間の平穏
久しぶりという方は、また会いましたねありがとうございます。
初めましてという方は、あなたと会えて嬉しいです。そして、前回を読んでください!
注意事項です。
おかしな日本語や、前回との矛盾点があるかもしれません。
作者には、物語を書く上での常識などはわかりません。
それでも許せる方のみ、どうぞ先へお進み下さい。
矢張り、これは罰なのだろうか。
私は、己の命欲しさに、共に命のやり取りの中を戦った戦友達に背を向け、敵軍に向ける筈だった刃を突き立て、逃げた。私に奪われた命は、本来なら敵軍に奪われる筈だった物で、祖国の為、残した者の為に散らす筈だった物だ。決して、私ごときの為に奪われて良いものではなかった。
けれど、どれ程今私がそう思った所で、私が奪った命が戻る事はなく、そもそう思うのであれば、己の行いを恥と思い、彼らを殺した事を嘆くのであれば、その思いが本物であるのなら、私は今すぐにでも、閻魔の御前に立つべきなのだ。それが分かっていて実行しないのは、きっと私の、自分の命を最優先とする性根が原因に違いない。どれ程、良心の呵責を覚えようと、彼らの悲鳴を無視した後に、己を嫌悪しようと、私は己の命を無下に出来ないのだ。
この性根の所為で、或いははおかげで、今の今まで生き長らえて来た私だが、憖持ち合わせている良心と言うものの所為で、何度となく窮地に追い込まれた。今回のことも、その良心に思考放棄を強いられた所為で起こった物だ。もう少し、深く思考を巡らし観察し厳選して忍び込む家を決めていれば、こんな事は起こらなかったのかもしれない。
しかし、そんな己を苦しめるだけと思われる良心さえ無下に出来ない憖な私に、この出来事は丁度よい罰なのかもしれない。
『もし、俺の命令に従わなかったら、手前は自我を失い、前足ついて地面に這いつくばる畜生になる。』
外見に不似合いな男口調から、ニケは己が呪われたことを知った。
艶やかで長い黒髪が、豊かな胸部の上で揺れる。くつくつと嗤う彼女への第一印象は、『黒い女』だった。着ている衣服も、髪も目も、彼女を飾る物は全てにおいて黒かった。ただ一つだけ、彼女が着ている黒いエプロンドレスに覆われた肌だけが、蝋のように白かった。
涙ボクロの上で、面白げに歪む黒曜石瞳に、唖然として半口を開ける己の間抜けた顔が映っていた。
◇◆◇◆◇
斯くして、ニケと黒い女―――キルケーとの間に築かれた主従関係は、『呪い』という絆の形で始まった。
『自我を失う=死』と言う式は誰でも持ち合わせている事であろう。それはニケも例外ではない。『命令に背けば自我を失った獣になる』と言う呪いはニケの脳内で『従or死』と短く纏められた。この呪いは、ニケの拒否権を奪う物だ。そうと気付いたニケは恐れ慄いた。
魔女と言う存在は、無慈悲で残酷なものだと相場が決まっている。加えて己は、キルケーの怒りを買って呪われたのだ。どんな非人道的扱いを受けても、『抵抗するな』とでも言われただけで、どんなことも受け入れなければならない。大袈裟でなく、己の命は、あの魔女が握っているのだ。
でも、これが罰だと言うなら、甘んじて受け入れるべきか………
警戒しつつも諦めた様に覚悟したニケだったが、結論からして、その覚悟は呆気なくも無駄となる。
「なァ、ニケェ、俺腹減った、なんか作れ」
「なァ、ちっとばかりお遣い頼まれろ」
「なァ〜なァ〜、風呂当番変われェ。俺は寝たい」
「リヒトが怪我しねェよーに、見守り隊よろしくゥ〜」
命令されることの多くは、何気ない怠惰さから来るもので、覚悟していた非人道的扱いを受けることは無かった。衣食住に制限を付けられるのような事もなく、受けた傷も治療され、更には部屋まで充てがわれた。
呆気にとられた。期待していた訳では決してないが、それでも何かとんでもない制裁があると身構えていた。緊張で張り詰めていた所に、いきなり指で脇腹を突かれた様な感覚だ。
例え、そうしなければ死んでしまうような状況に追い込まれていた為にとった行動だったとて、彼女らには一切関係の無い所で行われていたいざこざだ。同情を買うかもしれないが、招かれざる客として扱われる謂われ以外ない筈だ。
「ニケさん、どうかしましたか?」
「……なんでもないよ。手伝いお疲れ様」
「いいえ…、お疲れだなんてそんな。それは僕の台詞ですよ」
キルケーの弟子だと言う少年―――リヒトの付き添いは、ニケの日課となりつつあった。とは言え、付き添いとは名ばかりで、実際はリヒトが手伝いをしている近くで、村の子どもの遊び相手となったり、偶に脳味噌に直接受信されるキルケーからのお遣いをこなすというものだ。そも、リヒトはニケが来る以前から村の手伝いを一人で行ってきたのだ。付き添いなど、必要とはしていなかった。
少し癖のある短髪と同様に山葵色をした大きな瞳。広い額の上で、僅かに垂れたまろい眉。幼子特有の舌っ足らずさの残る声に釣り合わない丁寧な口調で、労りの言葉が贈られる。
キルケーからのお遣い(命令)は絶対だ。最優先事項だ。幼子と鬼ごっこに興じている最中にあっても「早くしろ」と言われた時には中断してでも遣いに出る必要がある。しかし、9歳のリヒトよりも幼い彼らは、なかなか理解してはくれない。十数名が異口同音に「おねーちゃんもいっしょじゃなきゃいや」と主張する。ニケは決して子どもが嫌いではない。寧ろ好きな方であるが、命が掛かった場面である為そんな可愛らしい主張にも素直に喜べず、ならばと一緒に遣いに行くも、如何せん子どもとは神の如く気まぐれだ。
「あきた!」「あっちいこーよー」「おねーちゃん、つぎなにしてあそぶ?」「おねーちゃんおんぶー‼」
子どもが嫌いになりそうだなんて思いなくなかったな…
無用に手こずった遣いを無事終え、リヒトを迎えに来たニケの表情からは、疲労感がありありと見て取れた。
「あ!ニケさん体の調子はどうですか?師匠が治してくれたとは言え、師匠は医学は専門外で……もしかしたらまだ痛いとことかあったりしますか?」
「いや、体の調子は寧ろ良いくらい。痛い所もないよ」
「そうですか、良かったです!」
労しげな表情から安堵の表情へと、リヒトはコロコロと豊かに表情を変えた。
ニケが、ここモリヴドスと言う村にやってきて早2ヶ月。そろそろ村の住人とも馴染み始めた。
キルケーからの治療は完全な物では無かったそうで、傍目からは綺麗さっぱり無傷に見えても、実際のところは減った血液を元の量に戻した訳ではないし、砕かれた骨が治った訳でも傷付き欠損した細胞を修復した訳でもない。出血を止めるために、体に空けられた穴を魔力の薄皮で塞ぎ、体内に散乱しあ骨の破片を取り除いただけだと説明された。失った部分は食って治せと食べ物を口に無理矢理にでも押し込められたのはまだ記憶に新しい。
世界を赤く照らす夕陽を背に、家路を歩いていると、不意に鼻孔に届いた香りに、スンと鼻を鳴らした。
「今日の夕飯はビーフシチューか…」
「あ、そんなんですか?」
「ああ、そんな匂いがする」
「へぇ!ニケさん鼻がいいんですね!」
はて、そうだっただろうか?
ニケは、今までの人生で、差して周りと己の嗅覚に優劣がある様には思わなかったが、最近どういう訳か匂いに敏感になっている気がしてならない。
しかし、困っている訳でもないと、これ以上深く考えるのをやめた。
◇◆◇◆◇
ビーフシチューの乗った食卓を三人で囲んで、本日の出来事語りを環境音楽に、久しく食べなかった暖かな食事に舌鼓を打つ。
どうやら、この家では夕飯時には本日の出来事を話しながら食事をするのが恒例行事らしく、リヒトは毎日今日は何を手伝ったとか、その時に何があっただとか、他愛もない話を語った。キルケーは偶に図書館の方に出て来ては、子どもに本の読み聞かせをする程度で殆ど家から出ない為、大抵聞き手に回っている。ニケも、慣れないながらリヒトの真似をして語るも、元々喋るのが得意でない為、リヒトに比べて短く内容もあまり面白いとは言えない。
「あ、そうだ師匠。明後日ケヴィンさんが町の方に商品を届けるから、その荷車を押すの手伝って欲しいって言ってました」
「あ?ケヴィンて言やァ…クラウスの息子だったかァ?何だァ?遂にクラウスの野郎ガタが来たのか」
ニケも二、三度会った程度で詳しく知らないが、ケヴィンとは猟師の家の息子で、森に入って獣を狩り、獣の毛皮や肉を加工して商品にし、それを村から森を挟んである大きな町まで売りに行っているそうだ。その父親と言うのがクラウスと言うようだが、生憎ニケは会ったことが無い為どのような人かは知らないが、どうやらキルケーは息子のケヴィンより、父親のクラウスの方と交流があったらしい。
待てよ?ケヴィンさんの方が見た感じ歳は近そうだが……二十代前後と言ったところだったか…。その父親は少なくとも十五歳(この世界での成人年齢は十五歳)は年上。「ガタがくる」と言われるってことはもう少し年上の可能性が高い―――
キルケーはとても三十代や四十代には見えなかった。
「んじゃァ、ニケ、明日リヒトと一緒に町に行ってやれ……って何ガンつけてんだァ手前ェ?」
「いや、一体何歳なのかなと…」
キルケーにとって予想外の返答だったらしいそれに、珍しくも、長い睫毛の瞳が僅かに丸い輪郭となる。
「おう、随分とヤブから棒なこと考えてんなァ、俺の話は聞いてたのかァ?手前ェ、女性に年齢の話たァ肝が座ってんなァ??」
はて、見た目は確かに十人中十人が美しいと思う美女だが、一人称からも言動行動からも、今一つ女性らしさを見出だせないのだが。どうやら彼女自身には女性と言う自覚はあったらしい。
と、周辺の空気を黒くするキルケーに対し、気付いていないかの如く、ニケは存外失礼な事を考えた。
けれど、いつの間にか椅子の上から姿を消しているリヒトに気付いて、やっと、己が失態を犯した事を自覚する。
その後、夜明け近くまで腹筋・腕立て伏せ・スクワットを延々とすることを強いられたニケに対し、人知れず物陰から合掌を送るリヒトの姿があった。
◇◆◇◆◇
男は走る。全ての生命が死に絶えたかの様に、奇妙な程に静寂な夜の街を、男は息を切らせ脚をほつれさせながらも、走る。
そんな男の後方では、白い外套が闊歩していた。スキップでもしそうな程軽やかな足取りは、傍から見ても上機嫌である事が伺える。
男には、もうどれだけの間走り続けていたのか分からない。ただ、後ろから迫り来る悪魔から、少しでも遠く離れたかったのだ。けれど、有限の体力は、既に限界を迎えていた。
膝から一瞬、力が抜け落ちた。その一瞬で、男の体は地面に沈んで、縫い付けられてしまったかの様に、そこから立ち上がることはなかった。
上下する肩。荒い吐息からは時折ヒューヒューと苦しげな音が発せられている。酷使し過ぎた肺も足も、破裂しそうだと、千切れてしまうと叫ぶけれど、男は尚も己の体に鞭打ち、先の地面に手を伸ばした。
しかし、伸ばされた手は地面を這う事なく、白い手に受け止められてしまった。
「いい加減、教えてくれる気になりましたか?」
白外套の悪魔は、屈みながら男と目線を合わせた。フードの影から覗かせた女の顔は、力任せに釣り上げられた口端と見開かれた瞳孔とで、歪な物となっていた。慈しむ様に柔らかく握られた手。穏やかな声は人を安心させるが、紅の目からは溢れんばかりの殺気が放たれており、そのちぐはぐさが、酷く不気味だった。
「嗚呼、我が敬愛すべき偉大なる主よ…。この者と私を巡り会わせてくれたこと、深く感謝申し上げます。さぁ、教えてください。貴方が、私の求めている情報を持っていることは分かっております。さぁさぁ、教えてください。
ビナーは何処にいるのです?」
ここまで読んで下さり、誠にありがとうございます。何処か、おかしな点などなかったでしょうか。生憎、書いた者自身では発見できないこともあり、読んで下さった方に不快感を与えてしまうこともあるかもしれません。
けれど、どうか温かい目で見守ってやってください。
では、次回の投稿はいつになるかわかりませんが、気を長くして待っていて下さい。
また、次回で会いましょう。